メールマガジン
分権時代の自治体職員
第142回2017.01.25
インタビュー:中野区地域包括ケア推進担当 副参事 酒井 直人さん(上)
自治体の枠を超えた職員のネットワークが数多くできてきて、それらが全国的に有機的につながるようになってきた。NASというネットワークもまた、中野区職員の自主勉強から発展して、いまでは多くの自治体職員、市民を巻き込んだネットワークになっている。その仕掛け人である酒井さんにお話をお聞きする。
酒井 直人氏
稲継 今日は中野区にお邪魔しまして、酒井直人さんにインタビューさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。
酒井 よろしくお願いします。
稲継 東京オープンデータというイベントが、2016年の2月末にあったのですけれども、実行委員長が酒井さんになっておられまして、これはそもそもどういうイベントで、酒井さんはどうして実行委員長をやっておられるのかということを教えていただきたいなと思います。
酒井 もともと広報課の課長だったときに、なかの区報とか何々市報とか、ああいった広報誌をオープンデータ化するということで、オープンデータをやられている団体の方からお声がけがあって、23区の広報課長会の仲間で一緒にオープンデータを進めていこうじゃないかということで進めていたのですけど、その中で東京オープンデータデイをやろうという話になりまして、初代は私ではなくて、千代田区の印出井さんというITで有名な方が務められて、私が2回目、3回目と実行委員長をやらせていただいております。
稲継 そうなのですか。
酒井 今年の2月に関して言えば、新しくできました中野の明治大学のキャンパスで場所をお借りして、私が実行委員長ということでやりました。でもあくまでこれは区としてというよりも、むしろオープンデータを推進したいという個人としてやっていました。
稲継 なるほど。2015年も実行委員長をやっておられたのですね。これはそもそもどういうイベントなのでしょうか。ご存じない自治体の方もいると思うので、ちょっと説明していただけますか。
酒井 オープンデータというものは、自治体が持っている情報を自由に使っていいよ、と公開するということなのですけども、ただ公開しただけでは誰にも使ってもらえない、使ってもらわなければ意味がないということで、市民を交えて、そのオープンデータをどういうことに活用できるかをみんなで考えるというイベントとして、アイデア出しとマラソンを掛けた、「アイデアソン」というものを実施しました。
稲継 そのアイデアソンというのは、参加者にいろいろなアイデアを出していただくわけですよね。例えば2016年でいうと、どういうアイデアが出ていたのでしょう。 2015年でも結構ですが。
酒井 例えばこれは優秀作品だったと思うのですが、自治体が持っているデータの中でも、子どもの発育の関係のデータを取って、児童養護施設に入っている子どもと、里親に預けられている子どもとではどうデータが違っているのかということを見てみるとか、結構興味深いものがありました。あと、一番多かったパターンは観光で、自治体等の持っている施設情報、観光資源を組み合わせて、いかに観光地として情報発信をしていくか。また、オリンピックと絡めて、交通情報、混雑状況とかをビッグデータとして解析して、交通状況を皆さんにお知らせするシステムだとか、そういう面白いものが、やっぱり市民のアイデアということで出てきますね。
稲継 なるほど。役所ができることには限りがあって、データは提供するけれども、アプリだとかソフトは、市民の方にむしろ作っていただいた方がいいと。そしてアイデアも市民の方がいろいろ持っておられるということで、このオープンデータのイベントをやっておられるということだと思うのですが、先ほどの個人の立場でというお話があって、区として出せるデータはあるけれども、区としてアプリの開発まではとてもできないと。それは市民にやっていただくということでいうと、公と民の境界線っていうのですかね。その辺が今かなり難しくなっているというか、あいまいになっているような気がするのですけどね。
酒井 そうですね。どこまでが行政がやるべき、というのははっきり言って分からなくなってきていますね。
稲継 そんな中で、酒井さんはいろんなことに取り組んでおられて、ネットワークづくりにも取り組んでおられるとお伺いしました。例えば現在の仕事の前に広報課長をやっておられましたが、広報課長の本来の職務領域を越えていろいろ取り組んでおられていたと思うのですね。それらについて、いくつかご紹介いただけたらなと思います。
中野区役所
酒井 そうですね。広報課のときに最初になんか踏み出しちゃったなと思ったのは、観光協会ですね。観光協会が中野区に2012年にできたのですけども、初の民間主導の観光協会なのですよ。要は公がお金を1円も出していない観光協会です。多分日本で初めてだと聞いています。そういう観光協会ができて、ボランティアスタッフを募集したのですよね。そこで、私、ぜひやりたいということで飛び込んでいきまして、結局、行政で経験をしていますので、事務作業とか段取りは得意な方なので、貢献することができました。実際にそのときは、ランチマップといって中野駅の周辺のおいしいランチを紹介するマップだとか、あと居酒屋マップとかを編集するリーダーになって活動しました。
稲継 じゃあ観光協会のボランティアスタッフとして、仕事以外の時間でそれをやっておられたのですね。
酒井 そうです。夕方から皆さんを集めてやったりとか、お昼休みにランチ取材に行ったりとか。スタッフは20人ぐらいいました。20人それぞれ作れる時間は異なりますので、できる分をお願いします。そのほかにも明治大学の学生さんにも手伝っていただいたこともあります。明治大学の国際日本学部の横田雅弘教授の「まちづくり教育論」という授業と協力して、授業の一環としてまちを取材してもらい、学生目線でまちの良さを見つけてもらったり、紹介店舗を選んでもらったマップも作りました。色々な街の人たちの協力を得ながら作り上げるというのは、やっぱり楽しかったですね。
稲継 いいですね。早稲田のそばは、あんまりこういうマップがなくて。ときどき苦労することがあるのですけど。
酒井 そうですよね。
稲継 他にはどんなことを?
酒井 広報でいろいろ取材をしているなかで、いろんな人と知り合いになります。そのうちの1人が、今私が理事長を務めているNPO「ストリートデザイン研究機構」の前理事長高橋芳文さんです。彼から「公務員で自由に活動している職員はなかなか珍しいので、ちょっと一緒にやらないか」と言われて、NPOに理事として加わりました。そこでいろんなまちおこしのイベントをやりましたね。例えば明治大学国際日本学部の小笠原泰先生、元々NHKの『白熱教室』の日本版で出ていた方で、頭がすごく切れて、一つの物事に対していろんなところから視点を投げかけて、議論させるのが得意な方なのですが、この方にお願いして、「中野MIX-UP」という、会場の皆さんと講師がやりとりしながら、テーマを掘り下げていく討論イベントを企画して、シリーズ化しました。1回目にやったときは、「中野区に観光は必要か」というタイトルでやったのですけど、150人ぐらいの方が来場して、もう会場がいっぱいになってしまいました。面白いテーマを設定すると中野区民がいっぱい来るわけですよ。驚きました。ちなみに行政の人はほとんどいませんでした(笑)。ここで、会場の参加者と議論しました。もちろんイベントの趣旨は中野に観光が必要ではないということを言いたいわけではなくて、観光をやるに当たっては、中野はどういうふうにこれから力を入れていったらいいかとか、受け入れる区民の意識はどう変わっていったら良いかみたいなことを議論するというものです。ちょっと挑戦的テーマでしたけれども、こういった市民が集まって議論できる場をつくる意義は大きいと感じました。その後理事長になってからは、映画の上映会をやったり、街あるきイベントをシリーズ化したり。今好評なのは、マンガから社会を語るという講座で、それも早稲田大学の招聘研究員の渡瀬裕哉さんという結構尖った面白い人がいまして、この方を講師に招いて「『魔女の宅急便』から見る社会の世相」とか。
稲継 なるほど(笑)。
酒井 今度やるのが「『ドラゴンボール』から見る世界の構図」とか。あと『進撃の巨人』っていう巨人が人間を食べるというマンガがありますが、あれは社会のどういう構図を物語っているのかとか、そういうことをマンガを通して学ぶ講座をやっています。これもすごく人気で、毎回30~40人の応募があって、すぐ満員になってしまう講座だったりするのです。要はテーマとして、中野のまちをどう活性化していくか、ということを基本において、いろんな区民の方を交えて意見を交換するというものです。このNPOでは、まちの将来ビジョンを考える、まちおこしの手法について考える、人と人をつなげる、一貫してそこですね。それが活動です。
稲継 ストリートデザインという名前が付いていますけど、これは?
酒井 もともとこれは、立ち上げたメンバーのみなさんが、景観とか看板とか、広告とかの専門の方だったのです。いろんな顧問の先生方も、まちのデザインの関係の方が多いので、そういう固い、学術的な名前になっていたのですけども、私が理事長になってからはもう完全にまちおこしイベント屋になっていますね。イベントばかりやって研究はあまりしていないという(笑)。最近ちょっとお叱りを受けていますが。
稲継 なるほど。他にもなにか、自治体の改善の輪みたいな活動をやっておられると聞いたのですけど。
酒井 中野区が「おもてなし運動」という改善運動をもう14年ほど取り組んでいまして、私もほぼ初期から、中野区役所の中で委員として携わってきました。改善運動は役所の風土を変えたり、職員の働き方を変えたり、そういうところに力を入れています。改善運動の全国大会というものもありまして、先生もお会いされた山形市の後藤好邦さんとか、あと福岡市、尼崎市とか、改善運動で有名な自治体があるので、それらの自治体のみなさんと全国大会を機に交流するようになりました。そこで改善運動について、全国的な組織として、いろんな自治体に情報提供をしたり支援をしたりするような団体ができないかと考えまして、最初に立ち上げたのが「K-NET」という団体なのですね。まさに山形市の後藤さん、尼崎市の吉田淳史さん、立石孝裕さんといった方と一緒に。ちょうど中野で全国大会をやった年だったのです。
稲継 そうなのですか。
酒井 なかのZEROの大ホールで全国大会をやりまして、その日の打ち上げでそういう話になって、2010年にK-NETが立ち上がりました。2011年の岩手県北上市での改善の全国大会の次の日に、「カイゼン・サミット」というイベントを立ち上げ、それから毎年開催しています。今年の福山市での開催が7回目になります。顧問は関西学院大学の石原俊彦先生をはじめとした改善運動の普及に尽力されている方々に就いていただきました。このK-NETは、全国大会と翌日にあるカイゼン・サミットを主として、活動がだんだん集約されていったのですが、やはり普段から集まって、改善運動についてちゃんと研究し、成果を積み上げていきたいという思いが強くなりまして、その後に立ち上がったのが「自治体改善マネジメント研究会」です。スコラ・コンサルトの元吉由紀子さんに代表になっていただいて、私はそこで事務局長という形でやらせていただいています。そこでは月1回とか、2カ月に1回ぐらいは、東京や大阪で集まりまして、実際に改善の研究を進めています。一昨年には元吉さんのお名前で『自治体経営を変える改善運動』という本も出しました。来週も東京で集まるのですけども、遠くは福岡市、富士市、三重県からも日帰りで来てくれたりもしますね。
稲継 そうなのですか。
酒井 もうそれは全国の仲閒が一緒にやっている勉強会ですね。
稲継 こちらに取材に伺う前に、ちょっと酒井直人さんの名前でググってみたところ、中野区検定というものがあって、その第1回で最高得点で受賞されましたね。
酒井 そうなんです(笑)。
稲継 80点を超えた人が7人ぐらいいらっしゃって。
酒井 そうです。80点以上取れば「もの知り博士」に認定されるというものです。
稲継 そのうちのトップが96点の酒井さんだと紹介されていたのですが、中野区検定というのはどういうもので、酒井さんはなんでその検定を受けようと思われたのでしょう。
酒井 中野区教育振興会という団体が、中野区の子どもたちとか大人にも、「中野」に興味を持ってもらいたい、郷土愛を持ってもらいたいという想いで、2年前に始められたのが中野区検定です。第一回目のときに私は区の広報課長だったので、当然受けるだろう、みたいに思われて、「すぐ申し込みなさい」と議員からも言われました(笑)。
稲継 そうですか(笑)。
酒井 受けるからには、ものしり博士になれなかった、なんてことになると、洒落にならないじゃないですか。広報課長が(笑)。かといって別に勉強もほとんでできなかったですが。
稲継 そうなのですか。
酒井 取りあえず真剣に問題を解いていたのですが、自分にとっては意外と簡単だったですね。でも平均点はそんなに高くなくて、やっぱりできない人は半分もできないという人もいっぱいいるのですけどね。私は区の職員で区のトピックはいろいろ知っているということと、普段取材して、まちのいろんな人のことを知っているので、ほぼほぼ簡単で、96点。間違えたのは2問だけでしたね。
稲継 なるほど。ちなみにどんな問題を間違えられました?
酒井 いや、本当に行ったことのない、中野区の一番南の端っこで、もうほぼ渋谷区にあるところの神社にある、有名な区の有形文化財は何かという問題なのですけど、答えは大絵馬という大きい絵馬があるのですけど、そのときはそれを知らなかったです。
稲継 そうですか(笑)。
酒井 あと「『さる寺』といわれる寺は次のうちどれか」という問題があって、「松源寺」という寺だったのですけど、それも知らなかった。間違えたのはその2問です。
稲継 なるほど。あとは完璧だったのですね。
酒井 はい、完璧でした(笑)。
稲継 広報課長の面目躍如っていう感じですね。
酒井 そうですね。94点で2位の人が悔しがっていました(笑)。
稲継 同じようにググってたら、東松島に大勢が赤いサンタの服で行かれた中に、その代表ですかね、酒井さんがおられたというのがあったのですが、それはどういうことだったのでしょうか。
酒井 震災がありましてから、中野区役所からも1年を通して宮城県の自治体に派遣されていて、現在も11人が復興支援に従事しています。震災の年に東松島市に派遣されていた職員がいまして、東松島市の人に「毎年クリスマスにイベントをやっていたんだけれども、もう今年は震災の後だし、イベントなんて不謹慎だと言われちゃうかもしれないからどうしよう」と相談があり、うちの職員は「いや、こういうときだからこそ、子どもが笑顔になれるようなイベントをやりましょうよ」というようなやりとりがありました。その職員は震災の前の年に、所沢市で「サンタを探せ」というイベントにサンタとして私と一緒に参加したことがあったのですね。それをそのとき思い出して、「所沢の『サンタを探せ』だったら、子どもが絶対喜ぶからやってみようよ」という話になって、私に電話が掛かってきたのです。「酒井、サンタで来ないか」と言われて、「じゃあ元祖サンタを探せの所沢にも声かけてみましょう」と。所沢に林誠さんという、ちょっと変わった(面白いという意味で)職員がいるのですけど、最初、所沢市の再開発地域を盛り上げようとして始めたのが所沢の「サンタを探せ」で、それを考えたのが林さんなのですよ。その林さんも「行きましょう、行きましょう」ということだったので、当初は、所沢と中野区で行くということになったのですが、実は東松島市と漢字が1字違いで東松山市という市が埼玉県にあるのですけど、「交流があるらしいから声を掛けてみよう」ということになりまして、結局3自治体でサンタを集めて行くということになりました。バス1台分、50人ぐらいになったのです。ただ元々サンタは100人くらいいた方が良いと考えていたので、あと50人足りません。そこで、さっき話に出ました山形市の後藤さんに電話をして、東松島市のサンタを探せへの協力を依頼したところ、「東北オフサイトミーティング」という後藤さんたちが主宰している大きな団体があって、そこに声を掛けてくれました。そうしたらそこから50~60人集まったんです。
稲継 すごいですね。
酒井 だから当日そのイベントに東松島市には、東北OMから50~60人、うちから50人で、サンタが100人以上集まったのですよ(「サンタを探せ」の模様 https://www.youtube.com/watch?v=ewbJi1SntRk)。それが震災の年の12月ですね。そこからもう5回続けておりまして、今年もう6回目です。12月3日は日帰りで東松島市でサンタになってきます。
稲継 毎年行っている?
酒井 いつまで続けるかはちょっと分からないですが、取りあえず5年が節目かなとも思っていたのですが、去年の参加者からもやっぱり、「本当に行って良かった」という話が出ていましたし、東松島の人たちも「当然来年も来るんでしょ?」という感じにもうなっているので。
稲継 定着しちゃった(笑)。
酒井 「じゃあ来年も行きますか」、ということになったので、今年も行ってまいります。私の名刺にも書いてありますが「NAS」という自主勉強会をもう7年ぐらいやっているのですが、林さんとはその自主研つながりで仲が良くて、林さんを知っていたから、「サンタを探せ」も最終的に東松島市につながったと言えます。このような横のつながりによって、思わぬところで新しい展開が生まれることが良くありますね。林さんはもともと改善運動もやられていた方なので、自治体マネジメント研究会のメンバーにも入っています。そういう横のつながりは本当に大切にしていきたいです。
稲継 なるほど。今おっしゃった、その「NAS」というのは、これは中野区の職員の方の勉強会ということですか。
酒井 もともとそうですね。始めたときは、改善運動である「おもてなし運動」を中野区はやっていまして、そこで長年やってきたメンバーがいるのですよ。私の他にあと2人いるのですけど、3人で、役所の風土を変えていきたいとか、働き方を変えていきたいという話をずっと話し合っていました。その中で、やっぱり「おもてなし運動」という改善運動だけで職員にアプローチしても仕事時間内だけの話だし厳しいだろうということになって、じゃあ時間外で勉強会をやって、そこでも職員の育成とか、職員の考え方をみんなで話し合い、変えていくような取り組みをやってみたらどうかと考えて始めたのが、このNASという勉強会です。最初は中野区職員だけを対象にやっていたのですよ。毎回テーマはあまりこだわっていなくて、熱い気持ちを持っている人、生き様を語っていただきたい人とか、そういう視点で毎回講師を選んでいます。
稲継 なるほど、なるほど。
酒井 決して話のプロではないのですけども、熱い思いを持っている人たちを毎回講師にお招きして、毎回工夫を凝らしてやっています。そうしたら他の自治体の人たちがうわさを聞きつけて、参加するようになったのですよ。いつの間にかどんどん外の人が増えていって、今は中野区民の方もかなり。
稲継 そうなんですか。
酒井 3分の1ぐらい中野区民の方ですね。毎回40~50人ぐらい集まって、勉強会を毎月1回、やらせていただいています。
稲継 テーマは別に、統一したものがあるわけではないのですね。
酒井 全然ないですね。とにかく講師が素敵な人ということが条件ですね。始まった当初は、私がいろんな外の勉強会とか、研修に行って、そこで素敵な人に巡り会ったら、その人にその場で、「勉強会なのですけど来てくれませんか」と言って交渉していたのですけど、最近はもうメンバーが「今度知り合いのあの人呼びたい」と言って、どんどん提案してくれるので、講師を私が探さなくてもよくなってきているという状態ですね。
稲継 どういう人ですか。実際にまちづくりに活躍しておられる方? 行政の方?
酒井 ジャンルはバラバラですね。民間企業の経営者の方が結構多いです。先月お越しいただいたのは、名古屋にある葬儀会社「ティア」の冨安社長で、多分史上最短で東証1部上場入りしたという葬儀会社の社長さんです。今月は来週あるのですけども、仙台で「アップルファーム」という障害者の雇用を促進する企業をやっている渡部哲也社長に来ていただきますし、来月は「(株)ハピキラFACTORY」の代表取締役の正能社長です。大学生のときに会社を起業して、地方の商品をパッケージデザインから工夫して、女性に受けのいい商品作りを提案されています。いろんな人が来ますね。
稲継 それは面白そうですね。僕も参加したい(笑)。見に行きたい。聞きに行きたい感じ。
酒井 ちょっと前だと、山形市の後藤さんももちろん講師で来てもらいましたし、あとこのインタビューに水戸市の職員も出られましたよね?
稲継 はいはい、須藤さん。
酒井 そう。須藤さんも、講師でお越しいただいています。
稲継 そうですか。紙芝居やられました?
酒井 そうです、そうです。
稲継 やっぱりそうですか。
酒井 ああいう面白い職員、面白い人にお願いしているのです。
稲継 なるほど。ありがとうございました。今、取り組んでおられるというか、仕事以外のことで、いろいろ非常にたくさんのことをやっておられるという話を聞いてきました。こういうふうに弾けだしたというのは、どちらかというとNASを立ち上げたここ7~8年くらいですか?
酒井 そうですね。
稲継 その頃はというと、広報担当になられて、ちょっと別の部署に行かれて、また広報課長に戻ってこられた時期と一致するのですけども、酒井さんが、この中野区に入られた頃のことから振り返って、お話しいただきたいと思います。1996年に区に入られました。最初の配属先はどこでしたか。
酒井 区議会事務局です。本当に今からいうと恥ずかしいのですけども、最初に区議会事務局と言われたときに、ピンとこなかったのですね。
稲継 学生にはピンとこないですよね。
酒井 「議会か。そうか、区にも議会があったんだ!?」とか、それぐらいのレベルですね。そこに配属されて、最初は庶務係で議員さんの給与を計算したりだとか、委員会にお茶出したりとか、そんな仕事でしたね。途中から議長の挨拶文の案を考えたりとか、多少そういう文章系もやりましたけど、基本的に議員さんの後方支援でした。私の入った頃なんて、まだまだ大量採用がギリギリあったぐらいですし、職員数にもまだ余裕があった頃なので、新人職員はあまり忙しくなかったです。ですから、結構のびのびと仕事をやらせていただいたということですね。そこでとても良い先輩がいまして、「ちょっと事務改善をやってみないか」と言われて、そこでやったのが議員の報酬システムの入れ替えなのですが、それまで大きいシステムのリースで、年間何百万と払っていた契約があったのですよ。よくよく中身を調べてみると、民間の中小企業でやっているような給与計算と中身はほとんど変わらなかったのですね。だからそういった中小企業でやっているようなシステムのソフトを買えば同じことができるのではないかということで、年間何百万も掛けていたシステムをやめまして、私が調べて10万円かそこらで買ったソフトを使ったら、同じことができたということですね。
稲継 すごいですね。
酒井 あと、当時はさきがけでしたけど、議会の会派控室に全部インターネットを引くということもやらせていただきました。そういう事務改善というか、効率化で、いろんな工夫をすると経費がこんなに削減できる、仕事がこんなに楽になる、効率化するのは面白いな、というのが4年間いた議会事務局で学んだことですね。実は私、早稲田の法学部を出ているのですけど、親から「いい加減働きなさい」と言われて、「どこに入ろうかな。地元だから中野区役所に入っちゃおうか」みたいな感じで、すぐ近くに住んでいたというのもあって中野区に入ったのです。最初は司法試験も実は受けていまして、勉強もしていたのですけども、議会事務局の4年間でだんだん仕事が面白くなって、勉強は嫌いになっていきましたね(笑)
稲継 いろいろいらっしゃると思うのですけども、議員さんと接触している中で何か学ばれたようなことはありますか。
酒井 議員さんにはよく飲みに連れていってもらいまして、私は新人だったのでかわいがってもらえたのですね。そこで、社会人としての地元の人たちとの付き合い方だとか、いろんな公の場での作法とかを学んだということは大きいですね。私はもう議会事務局は離れて管理職になっていますけども、昔からずっと知っている議員さんたちもまだいらっしゃって、今も非常にお世話になっていますね。
稲継 なるほど。ここに4年ほどおられて、2000年に異動されますね。次はどういう部署に?
酒井 次がいわゆる総務課というところに動いたのです。文書管理システムという、文書管理の事務に決裁機能を併せたものですが、そのシステム担当を1年間やらせていただきました。当時、文書管理システムというものは日本の自治体の中ではほとんど入っていなかったものだったのですが、中野区としてはかなり早い時期から検討を始めました。紙の文書を電子化するだけではなくて、今までの文書事務を大きく見直すということで事務改善に携われると思い、私は、志願して担当になりました。
議会事務局における事務改善がスタートだった酒井さん。中野区の改善運動であるおもてなし運動などにも参加し、その後、全国レベルのカイゼンサミットにもつながっていく源流がそこにあった。2つ目の職場は総務課で、文書管理システムの導入にコミットすることになる。自治体の文書ルールをどう改善していくのか。(以下、次号)
このコーナーは、稲継氏が全国の自治体職員の方々にインタビューし、読者の皆様にご紹介するものです。
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