メールマガジン
分権時代の自治体職員
第124回2015.07.22
インタビュー:山形市総務部行革推進課 行政経営係長 後藤 好邦さん(上)
メルマガのインタビュー候補者は、JIAMの幅広いアンテナにひっかかる方々、JIAMに出講していただいた方々、稲継が人的ネットワークを通じてご教示いただいた方々などである。候補者リストが作成され、その中からJIAMと稲継で毎回相談し、相手の方に打診のうえ訪問日程調整などをJIAMで行っていただいている。
今回とりあげるのは、その中から、多チャンネルでひっかかってきた山形市の後藤さんである。東北のオフサイトミーティングを立ち上げ、それをかなり大掛かりなネットワークへと発展させてきた方である。
稲継 今日は、山形市にお伺いして、後藤好邦さんにお話をお伺いします。どうぞよろしくお願いします。
後藤 好邦氏
後藤 よろしくお願いします。
稲継 東北のオフサイトミーティング、かなり大掛かりなネットワークを、今、構築されているわけですけれども、まず、このことからお話をお伺いさせていただきますでしょうか。
後藤 なぜ、立ち上げようかと思ったところから話をさせていただきます。10年ぐらい前になるんですけれども、私は行政評価を担当しておりまして、全庁的な事務事業の取捨選択や事業調整などを担当していました。その中でいろいろな課の人とヒアリングをして、ある程度きちんとした受け答えを自分なりにしていたと思っていたんです。けれども、そういった仕事をしている合間に、あるきっかけがあって関西の勉強会に参加させていただきました。阪神大震災からちょうど10年ぐらいたったときだったんですけれども、関西の自治体職員の方々のレベルがすごく高くて、普段、私が山形市役所の中で話していることよりも高いレベルの話でした。
最初、こういうところに来なければ良かったなと、正直、思ったんですけれども、その中でいろいろと「これってこういうことなんだよ」と教えてくれるほかの自治体の職員さんがいてくださって、途中から「こういう場は、自分のスキルを磨く場なんだな。市役所の中にいるだけでは、自分のスキルは、ある程度のところ、要するに山形市役所の枠の中のところまでしか伸びないんだな」ということに気付きました。そのような経緯から、毎回、関西の自主的な勉強会に参加させていただくことになりました。
それが2年ぐらい続いた頃、行政評価と併せて業務改善も担当しておりました。当時山形市では若い有志の職員が実行委員会のメンバーになって運営するような内容で、業務改善発表会を開催していました。私は事務局側の人間として彼らをサポートしていたんです。彼らとのやりとりの中で、だんだん目をかける後輩たちもできてきたところで、彼らにもぜひ外に飛び出してほしいなと思い、一緒に大阪に行こうと誘ったんですけれども、当時はLCCもない時代で......
稲継 高くつきますね。
後藤 5万円以上は掛かるところで、なかなか一緒に行ってくれる後輩がいなくて。そういう中で、どうしたら彼らを引き出せるかなと思ったときに、問題がコスト的なものならば、近場に、同じような自主的な勉強会をつくってしまえば早いのかなといった理由で、東北にネットワークをつくったのが東北まちづくりオフサイトミーティング発足のきっかけだったんです。
稲継 なるほど。今のお話の中で、あるきっかけで関西の自治体ネットワークに参加して高いレベルに驚いたと。山形市の中だけにいると、井の中の蛙だったかもしれないと。高いレベルというのは、どういう意味で高いんでしょうかね?
後藤 そのときに一番感じたのは、今だとファシリティマネジメントとかアセットマネジメントは当たり前の考え方で、どこの自治体さんでもやっているんですけれども、10年前にそこまで意識して事業を組み立てている職員が、正直、山形市役所にはいませんでした。もちろん、私もそうでしたし。それが、関西に行ったら「建てる時のコストよりも、むしろ建ててからのコストが掛かるんですよ。イニシャルコストより、ランニングコストの方が掛かるんです」みたいな話をされて、なるほどなと思いながらも、その話にどうやって入っていったらいいのかが、なかなか難しかったと。
稲継 なるほど。知らない用語も飛び交っているし、考え方も新しいものが入っていたりしますよね。スキルを磨く場がネットワークの中でできるけれども東北から大阪まで行くと飛行機代もかなり掛かってしまう。そこで、こっちで立ち上げようということでやられました。最初は、どういうメンバーでやられたのですか?
後藤 自主的な勉強会に、同じように東北から参加をしていて、なおかつ改善の発表会を同じように開催していた、北上市役所との交流があったんです。その交流の中でメールとかのやりとりをしていた二人の仲間がいて、彼らに「3人でもいいから、まずは2カ月か3カ月に1回ぐらい仙台に集まって、日ごろの業務の悩みとか課題に感じているものを話し合ってみませんか?」という感じで話をしました。そうしたら、同じような問題意識を持っていてくださったので、それだったら両市の若い職員に声を掛けて、3カ月後ぐらいに始めようということになったんです。そのような話から、最初の28名のメンバーが集まったということです。
稲継 なるほど。それが、北上市さんと山形市さんの2市だけですか?
後藤 その場に、たまたま栗原市役所の職員が2名参加していて、そのうちの1名がその話に興味を持ってくれて、後日「私も交ぜてほしい」という話がありまして、そこから栗原市の職員も入ってくれるようになりました。もう一つが、当時、私は東北公益文科大学の大学院に通っていたので、そちらに通っている山形県の職員にも声を掛けて。最初はその四つの自治体からのはじまりでしたかね、山形市、北上市、栗原市と山形県と。
稲継 なるほど。最初この四つの自治体の28人からスタートしたとき、どういうことをテーマに、このオフサイトミーティングをやっておられたんでしょうか?
後藤 最初に、その28名のうちの12名が集まってキックオフミーティングという形で、今後、どういうような活動をしていこうかという話し合いをしたんです。そのときには、地域づくりとか、まちづくりとか、自治体全体に関係することを、毎回、毎回、テーマを変えてやっていこうという話になりました。そして、最初に、山形で勉強会をやろうということになったんですけれども、そのとき、うちの若い女子職員から希望が出て。ちょうど木村俊昭さんが『プロフェッショナル』に出た直後で......
稲継 そうですか。NHKのね。
後藤 あの話を聞きたいとなりまして、私の方で連絡を取らせていただきました。たまたま空きがあったので、木村さんに東北に来ていただいて。それ以降も、最初の頃は、しばらく地域づくりとか、地域活性化をメインに勉強会を何回か開催させていただきました。現在、発足から6年ぐらいたちますけれども、この間、役所の中の業務改善をテーマにした勉強会なども開催しました。あとは、面白いメンバーが東北6県にそろってきたことから、各県で頑張っている若い女性の方に集まっていただいてのガールズトークとか。
稲継 なるほど。
東北まちづくりオフサイト
ミーティング活動風景
後藤 あとは、最近ですと、メンバーの数も800名を超えて大きくなってきており、また、いろいろな地域にメンバーがいるということで、毎年、年末に「来年、勉強会を開催したいところはないでしょうか?」と開催地の募集をかけています。そして、手を挙げていただいたところに、その地域のメンバーたちがやりたいことをテーマにした勉強会を開催するとか、そういうような形で。ネットワークで中心になっている人間がやりたいことを始める形から、だんだん、だんだんと、それぞれ開催する地域の方々が、やりたいことを開催する形に変わってきているというような流れです。
稲継 なるほど。800人というと、かなりの大所帯になりましたよね。これは、例えば名簿管理一つにしてもすごく大変だと思うのですが、それは誰か助けてくださる人はいるわけですか?
後藤 運営委員会という形で、今のところ18名いて、手分けをしてやっているところです。私が中心的な役割をさせていただいていますけれども、いろいろと役割分担しながらうまく回しているような状況です。
稲継 なるほど。当初28人、キックオフミーティングが12人でスタートしたのが、運営委員だけで18人と、すごく大掛かりなものになったんですが、今はどれぐらいのペースで開いておられるんでしょうか?
後藤 3カ月か4カ月に1回ぐらい勉強会を開催して、あとは、その合間、合間に小さいイベント、例えば、桜の時期だったら、宮城県の桜の名所に集まって交流会をしようかとか、秋は山形で芋煮会がありますので、山形に集まって交流会をしようとか、そういう形で年に3~4回の勉強会を軸に、それ以外の小さなイベントをちょこちょこ開催しているような状況です。
稲継 なるほど。そうですか。当初、勉強しようと北上市の方に声を掛けて、それぞれ若手を引き連れて始めたところから、かなり大所帯になるまで、何かご苦労されたことはありましたでしょうか?
後藤 苦労というか、活動の大きな転機となった出来事として、東日本大震災が挙げられます。震災まではどちらかというとインプット中心の活動だったんですけれども、震災までの間に、ある程度メンバーの中でつながりができていたので、震災後は、メンバー同士の個人的なつながりを活かし、例えばボランティアバスの運行や、中高生に結構人気のバンドと幼馴染のメンバーがいて、そのつながりを通して釜石でチャリティーライブを開催したり、そういうアウトプットができるようなネットワークになってきたかなと感じています。そういうことで、だんだん活動の幅が広がっていったところはあるんですが、その一方で、大きくなったことに伴い、どうしても最初のような雰囲気がいい、こぢんまりとしている方がいいと。
稲継 最初の雰囲気というのは、こぢんまりとしているからみんなの顔が見えると。
後藤 それが広がることによって、なかなか全員そろうことができなくなっているので、顔が見えなくなってきている。そういうことに対して一歩引いてしまうメンバーもいますので、そういった意識の乖離のようなものが一つの課題かなと思っています。
稲継 なるほどね。これは、どうしたらいいんでしょうね。大きくなった組織はみんな経験していることだと思うんですけれども。メンバーが拡大したことはいいことだけれども、他方でお互いの顔と名前が一致しない状態になってしまうことがあって、これはどういうふうに克服可能なんでしょうか?
後藤 そうですね。自分なりにというか、われわれの活動なりに一つ考えているのは、地域の持ち回りで開催している勉強会を、年3回開催するうち1回はすごく大きいものをやって、あとの2回は様々な地域の方々にお願いして地元でやりたいことをやっていただいています。各地域でやる勉強会には、なるべく昔のような雰囲気を、どちらかというと小規模、具体的には50から多くても100人規模の勉強会で、そのときは顔が見えるような場をつくる。まずは、そういうところを原点回帰としてやっていこうかなと。いきなり前の雰囲気に戻すことは難しいと思いますので、今のような状況の中で昔のエッセンスを各会で少しずつ入れていくということで、なんとか昔から参加していただいている方にも、ある程度、納得していただく工夫をしているんですが、難しいというのが正直なところです。
稲継 そうですか。先ほどのお話では2011年に大震災があって、インプット中心からアウトプットへということもありました。それから、そのほかに、このオフサイトミーティングを続けていったことによって、それぞれの自治体で「こういういいことがあったんだ」とか「こういうプラスになったんだ」そういう事例は何かありますでしょうか。
後藤 東北まちづくりオフサイトミーティングとして様々な活動をやっているわけなので、オフサイトミーティングとしてアウトプットを出さなければいけないのではないかというメンバーもいるんですが、大多数は、そこはつながりの場で、そこから派生する、そこの中でつながった誰かと誰かが新しい価値を生み出す、それも一つの大きいネットワークのアウトカムなのではないか、と考えています。その考えを象徴する具体例として三陸沿岸交流会があります。三陸沿岸でなかなか自治体職員間の交流がなかったところが、3年前に盛岡で勉強会を開催したときに、岩手県内の自治体職員がいろいろ地域から集まってきました。それがきっかけとなり南は陸前高田から、北は宮古まで、各自治体の職員が一つのテーブルでグループワークをしながら復興について考える場として三陸沿岸交流会が行われるようになりました。東北まちづくりオフサイトミーティングは略して「東北OM」という名前で言っているんですが、この東北OMとしての活動ではないんですけれども、東北OMから派生した一つの活動として、それぞれの地域単位で新しいつながりができて、そこが新しい価値を生み出している、これもまた東北OMの一つの成果かなと思います。
稲継 県庁がそういうお膳立てする場合もたまにはありますけれども、自主的につながっていくって、普通は顔も知らないしつながりもないので、なかなかできないですけれども、きっかけがそういうつながりができて、ネットワークができて、お互いに一緒のテーブルでいろいろ議論できるきっかけになった。これは、かなり大きな話ですよね。
後藤 そうですね。本当に小さい話ですと、例えばA市の職員がB市に出張に行ったりするときに、東北OMで知り合ったB市の人を通していろいろとやりとりをしている、そのような状況をFaceboookでよく見かけます。そういう小さいレベルの話ですが、各メンバーの業務にオフサイトの活動を生かすような活動にもつながっているかなとは思います。
稲継 なるほどね。ありがとうございます。今、非常に大きな組織になって、原点回帰も取り入れながら年に数回の勉強会をしておられるのですが、今後の方向性といいますか、今後どういうふうになっていくのか、あるいはどうしようと皆さんが思っておられるのか、ちょっと教えてもらえますでしょうか。
後藤 二つ、将来的に考えているというか、こういうふうな流れになればいいかなと思っていることがあります。まず、東北の中でのことですが、メンバーが多数いて、さまざまな地域でいろいろな活動をしていますので、そういったメンバーがそれぞれに頑張っている活動を大きいネットワークとしてサポートをする。また、一つ一つの活動を取り上げて、それらの情報が集まる場となり、緩やかな競争と情報共有のような仕掛けができないかなと。東北全体でいろいろな活動が、東北OMをきっかけに始まって、東北OMを通して活性化していく。東北OMが東北全体を元気にする一助となればいいかなと思っているところが一つ。
あと、もう一つは、東北OMの活動に共感し、九州や四国、県単位の取組みですけれども、群馬県の上州OMといったネットワークができまして、それらのネットワークといろいろ交流をさせていただいています。それぞれの地域性に応じて、活動の質は若干違うんですけれども、それがすごくいいことで、すべてまねをするわけではなくて、いいところを取り入れながら、それぞれの地域性を考えながら自分たちのやりやすいようにやっています。これらのネットワークと連携しながら、お互いに切磋琢磨し、それぞれの地域で地方を元気にするような活動をしていって、ボトムアップで地方を元気にするような役割を多少なりとも担えればいいかなと。今のところは二つの考えを持っています。
稲継 ネットワークづくりをするのも一つの目的だけれども、他方で、いろいろな自治体で現に起きている課題について認識を共有するといいますか、課題を共有し改善案を共有することも大きな目的だと思うんです。先ほど、ファシリティマネジメントという話がありましたけれども、どういうことが課題として議論の素材になってきたのでしょうか。
後藤 こういうネットワークって、どちらかというと企画とか財政とかにいるメンバーが多かったりするのが結構ありがちだと思うんですけれども、うちのネットワークは福祉に携わっている人間が意外と多くて。また、病院で働いている方や公務員を目指している学生さんもある程度います。そのような状況から政策に一番関係するような取り組みとして、一度、福祉を考える勉強会を企画しました。参加者の中には生保を担当している人もいれば、高齢者福祉を担当しているような人もいて、その中で福祉のあり方を全体的に、自治体としてどういうふうに考えていくべきなのかを話し合った内容でした。このようなテーマごとの勉強会をこれからも開催して、いろいろな分野でモデルケースみたいなものを提案できれば、すごく面白いのかなと思っているところがあります。
稲継 なるほど。ありがとうございます。
今現在、取り組んでこられて6年になるんですね。東北のオフサイトミーティング・OMについてお話をお伺いしたんですけれども。僕はあちらこちらで後藤さんの名前を耳にするし、最近は『月刊ガバナンス』という雑誌にも連載を始めておられるんですけれども。そもそも後藤さんが入庁して、これまでどういう仕事に携わってこられたのかを次にお伺いしていきたいと思います。入庁されたのは、いつになりますでしょうか?
後藤 平成6年4月になります。
稲継 最初は、どういう職場に配属になられましたでしょうか?
後藤 当時は収納課で、今は納税課となっておりますが、そこでの徴収の仕事になります。
山形市役所
稲継 徴収。もともと、公務員を目指されておられたんですか?
後藤 はい。
稲継 入ったら、どういう仕事をするというイメージがあったんですか? 徴収というのも役所の仕事の一つではありますけれども、イメージしておられたことと、実際の仕事との間にギャップか何かはありましたでしょうか?
後藤 徴収のような仕事もするんだなというのが、正直な感想でした。イメージしていたのは、商店街の方といろいろとやりとりをさせていただくとか、観光の活性化をするためには、どういうことをしたらいいのかを考えるのが公務員なのかなと思ってはいました。一方で、窓口勤務ということで、市民課とか福祉の窓口に出ている職員の方は高校生のころから見ていましたので、そういう仕事をイメージしていたんですけれども。実際、現場に行ってお金を集めてくる仕事まであるとは思わなかったですね。
稲継 なるほど。国税局の場合もそうなんですか、もともと市役所に入る人が権力行政に携わって、税の徴収に自分が携わるというのは、なかなかイメージしにくいところだと思うんですよね。でも、それに配属になりました。徴収の仕事をやっておられて、何か感じられたこととかはありますか? 学生のころにイメージしていた役所の仕事のやり方と、実際に携わっておられて何か不都合を感じたことはありましたでしょうか?
後藤 学生のときに感じていた不都合というよりも、それまでの職場にとって常識だと思うようなところに疑問を感じたところがありました。税の公平性ということで、公平に徴収をしなければいけないという指導を受けていたわけですけれども、公平性ってどういうことなんだろうなとすごく考えました。一方で、自分の仕事の目的は何かなと思ったときに、いかにお金をたくさん集めてくるかが徴収担当の仕事の目的だと感じました。この仕事の目的と公平性の二つを考えたときに、目的を達成するための一番適切なやり方で、なおかつ公平性を満たす方法は、滞納している方、皆さん同じように対応するのではないと考えました。滞納される方には納めたくても納められない方と納められるのに納めない方の2種類います。そのため、納められるのに納めない方には厳しく、納めたくても納められない方には、例えば分納の指導をして少しずつでも納めていただくような指導をするなど、状況に合った対応が必要で、それこそが公平性なのではないかなと。厳しく指導しなければならないところに厳しくすれば、それだけ集められるお金も増えてくるものですから。そういった考え方がそれまでのやり方と違ってたんですけれども、ある程度、担当者に任されているところがあったので、取りあえず自分だけはそういうやり方をしようということで取り組みました。
稲継 それって「税は公平に取るんだよ」と先輩が言います、上司が言います。でも、納められるのに納めていない、サボタージュしている人たちからもっと取るべきだと言った場合に、職場の中でハレーションといいますか、何かを言われたり、何かしたりしませんでしたか。それは大丈夫でしたか?
後藤 同じように感じていた同じくらいの年の職員もいましたし、今でもお付き合いさせてもらっていますけれども、直属の先輩に、今までの仕事のやり方では駄目だと教えてくださった方もいましたので、その辺は、ある程度、自分の好きなようにはやらせてもらえたかなと思います。しかし、組織全体をそういう雰囲気に変えることまではいかなかったかなと思います。同じように督促状を出し続けていたほうが、やはり職員としては楽。厳しくしなければいけない人に厳しくすることは、その人からの跳ね返りも大きいので、嫌な思いをすることも多いんです。
稲継 分かっていて納めていない人というのは、開き直るととても強い部分もあるので、それと対峙するのは市役所職員にとってはとてもしんどい部分ではありますよね。この納税課には、どれぐらいの期間おられましたか?
後藤 5年間です。
稲継 平成6年に入られて、平成11年の次の異動で動かれたんですね。次は、どういう職場だったのでしょうか?
後藤 高齢福祉の仕事でした。
稲継 介護保険が始まる直前ということですか?
後藤 確か始まった年です。
稲継 始まった年ですか。どういう仕事をされましたでしょうか?
後藤 私は介護保険の担当ではなくて、介護保険外の、当時は元気高齢者と言われていたんですけれども、そういった方々を対象にする課で、私自身は庶務・経理を中心に老人クラブの育成などを主に担当させていただいたところです。
稲継 老人クラブの担当というのは、人によってやり方、クラブとの距離の置き方が相当違うように思うんですけれども、後藤さんとしてはどういうふうな感じでこのお仕事をやっておられましたでしょうか?
後藤 老人クラブ連合会というのが山形市の社会福祉協議会の中にありまして、市職員OBの方がそこの事務局長をされていたんですけれども、その方と連携しながらいろいろと取り組みをさせていただきました。その中で一番改善したかなと思うことは、ちょっとした改善なんですけれども、補助金の交付のときに必ず通帳の表紙を申請書に付けてもらうようにしたことです。
お年寄りなので口座番号とかを間違えて書く方や銀行印とは違う印鑑を押す方がいらっしゃったんです。そういう方のところに、申請書受付後に直接口座番号を聞きに行ったり、訂正印をもらいに行ったりして。山形市も結構広いので、その仕事が負担になっていました。そこで、通帳の写しを添付してもらうことにしたんです。最初は抵抗あるかなと思ったんですけれども、口座番号の間違えが多かったので、通帳の表紙を添付してもらって申請書を受け付けたときにそこをチェックすれば、その後の作業がなくなります。口座番号の間違いで、もう1回ハンコをもらいに行ったりすると、そこでトラブルが起きたりもします。お年寄りになると気が短くなりますので。それに伴うトラブルを解消する意味で、最初に「それがスムーズにお金が出せる方法なので」と説明すると、老人クラブの皆さんも納得して対応してくれたました。それは良かったとは思います。
稲継 なるほど。本当に些細なことですね。通帳の表紙をコピーして付けてもらう。でも、小さな改善が、その後の大きな無駄な作業、あるいはボタンの掛け違い、意見の違いを招くことを防ぐ、すごく大事な改善ですよね。小さな改善だけれども、今、お話を聞いていて、僕は大事なことだなと思いました。それをやられたというのは、大きな改善の第一歩を既にやられ始めているなと思いました。ほかに何か、高齢福祉課におられたときに、自分でこんなことを感じたとか、エピソードか何かがありましたら、お願いします。
後藤 私、そこに3年いたんですけれども、3年目のときに、介護保険を受けている低所得者政策ということで、サービスを受けるときの減免の制度が新しく入ってきまして、それを介護保険課でするか高齢福祉課でするかとなったときに、高齢福祉課の業務ということになったんです。その制度の担当になったんですが、新しい制度ということで内容を誰も把握しておらず、県に聞いても県の担当者すらよく分かっておられない。
稲継 できたばかりなので。
後藤 できたばかりなので。一応、県の担当者に確認をとりながら、いろいろやってはいたんですけれども。そういう中で、現場に聞くのが一番早いかなと思い、当時、10施設くらいあったかと思いますが、それらの特別養護老人ホームに足を運び、こういう制度ができたので、こういうやり方でやりますと説明しました。その中でいろいろと意見交換させていただいて、これにより課題を見付けることもできました。最後は逆に県から聞かれるぐらいになったんですけれども。分からないときには人に頼るのがいいと感じましたし、特に、現場の人に「こういう制度ができたけど、どんなところが問題点なのか?」と聞きに行くのが一番大事かなと、そのときに勉強させていただきました。
稲継 なるほど。
3年とおっしゃいました。平成14年に異動されたんですね。次は、どこに行かれましたでしょうか?
後藤 初めて異動が叶いまして、体育振興課冬季国体室というところに異動になりました。
東北地方の大規模な公務ネットワークを構築した後藤さん。市役所生活のスタートは徴税の仕事だった。のちに老人クラブを担当することになる。いろいろな改善を考えたり、新制度の実態を現場に聞きに行ったりする行動派だった。常に「よくしよう」ということが頭にある。