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第14回2016.05.25

災害時対応を再考し、普段の取り組みを考える

「平成28年熊本地震」から1ヶ月。現地では、熊本市国際交流振興事業団のみなさんが中心となって、外国人への情報提供や同事業団が運営に参画している国際交流会館に避難している外国人へのサポートにあたってこられました。配信されている情報や、現地で活動に参加した方からの報告では、今回の震災への対応は非常に丁寧に実施されていて、外国人の不安の除去に大いに役立ったのではないかという印象を受けます。

日本における多文化共生への関心は、阪神・淡路大震災での支援活動をきっかけに大きく拡がりました。その後も新潟中越地震や東日本大震災といった大きな災害が起きる度に、言葉や習慣のちがいに配慮した外国人支援の取り組みは進化し、また同時に平時の多文化共生の重要性も認識され続けてきました。多言語での情報提供は日常の取り組みとして定着し、社会にあるさまざまなひずみが増幅され、立場が弱い人はより脆弱な環境に取り残され、より困難な状態に追い込まれるのが災害時です。今回、熊本市で丁寧な対応が展開されたとすれば、それは普段から外国人とともに暮らす地域づくりをめざしてきたことが大きな要因だったのだろうと思います。普段の外国人住民の生活を知っていれば、災害時にどんなことを不安に感じるのかも想像がつきます。その逆はどうでしょうか。外国人の存在すら気づかずに、大事な情報も日本語だけで提供され、避難所での生活もストレスの多いものになってしまうかもしれません。

今回、熊本市以外の県内の被災地では、外国人避難者への対応について、私が知る限りでは残念ながら具体的な動きを確認することはできませんでした。日本語教室や多言語での相談活動といった多文化共生の活動を普段から実施していない地域では、外国人住民の基本的な安否すら確認するすべが見つからないという問題は、東日本大震災でも指摘されています。外国人住民がひとりもいない市町村はありません。日本語がわからない、文化や習慣のちがいから日本人以上に不安な思いをしている人が必ず存在するのだ、という前提で、災害時対応を見直してもらいたいと思います。

一方、外国人による支援活動については、各地で報告が聞かれました。支援の「受け手」から「担い手」へ変化する外国人の存在は、災害時対応における新たな可能性を示しています。昨年の関東・東北水害でも、外国人住民が逃げ遅れた日本人住民を救助したり、避難所で1人で過ごしている日本人の高齢者を外国人の親子がケアしたというニュースが報道されました。熊本でも早い時期から炊き出しをして日本人避難者にふるまう外国人のグループがありましたし、SNS等を通じて多言語で情報提供を行う外国人の姿もみられました。

全国どこでも必ず、外国人住民が存在しているのだということを再認識し、多言語・多文化での災害時対応を急ぐとともに、外国人も担い手として活躍する防災の取り組みを充実させることが、これからの地域にとって重要です。災害時対応が万全な地域は、普段からも暮らしやすい地域、観光に行っても安心できる地域になります。予期せぬ場所で、予期せぬときに発生するのが災害です。災害が起きる度に何らかの対策は講じておられるとは思いますが、いまいちど、地域の現状を見つめ直し、本当に役に立つ取り組みを急ぎましょう。