メールマガジン
分権時代の自治体職員
第99回2013.06.26
インタビュー:八尾市経済環境部環境保全課 課長補佐 岡本 由美子さん(上)
どこにでもいそうな普通のタイプの自治体職員が、実は、かなり「すごい」ことをやっていたりする。今回紹介する、八尾市の岡本さんは、そういうタイプの自治体職員である。介護保険法の改正に伴う新規業務を、八尾市単独ではなく、大阪府内の自治体で共同で解決する中心にいた。
岡本由美子氏
稲継 今日は、八尾市にお邪魔して岡本由美子さんにお話をお伺いします。どうぞ、よろしくお願いいたします。
岡本 よろしくお願いいたします。
稲継 岡本さんが、今まで携わってこられた中で、特に印象に残った仕事はどういうことでしょうか?
岡本 私が市役所に入って4年目の時の話です。当時、高齢福祉課に異動したばかりでしたが、そのときがちょうど介護保険法の改正直後であり、誰かが介護保険課の立上げ準備をしなければいけないということで、当初の段階から関わらせていただきました。介護保険制度に携わったことで、毎日が新たな課題へのチャレンジでしたね。その中でも、特に印象に残っているのは、平成17年度に介護保険法の大きな改正がありまして、平成18年度から新たな地域包括ケアの体制を構築していく、地域包括支援センターができるというタイミングでした。それまでもずっと介護保険の立ち上げやいろいろなシステムづくりに携わってきましたので、この大きな改正の内容を見て、これは市町村が大変なことになる、この体制をつくることはそう簡単にはいかないぞと思いました。そのため、国から出てきた情報をもとに、この制度をうまく動かしていくためには、今のうちにどういったものを準備しておけばいいのかと色々と自分なりに考えて、実行しました。中でも、大阪府内全体で使えるようなシステムの構築の提案をして、その提案を各市町村の皆さんと一緒に一つの形にしたシステムを作り上げたことが、今までで一番印象に残っていることで、力を入れてやったことになりますね。
稲継 なるほど。国の法律が改正されるということは、各自治体が対応しなければいけないことがいろいろあると。
岡本 はい、そうですね。
稲継 分権の時代なので「各自治体でいろいろと工夫してください」となると、細かい指針までは出てこない。
岡本 はい、そうなんです。
稲継 各自治体に対応したどういうシステムを作り上げるかということが非常に重要になると思うんですが、そこで直接の担当ではないが課題提案されたということですか?
岡本 そうですね。そのときには、制度改正の中身が介護保険なのか高齢福祉なのか、どこの分野が対応するのか所管も何もはっきりとは決まっていなかったんです。直接指示を受けたわけではないんですが、私が当初から関わってきた介護保険法の改正ということで、自分なりのこだわりがありました。何か政策提案をしていきたい、先に勉強してここでひとつ先手を打っていきたいなと。介護保険制度の立ち上げに関わって感じたのは、市民に一番近い私たちが、国や府に対してどんどん課題をぶつけていくことで、それが制度に反映されていくという感覚があったことですね。
稲継 ああ、なるほど。
岡本 すごく大きな制度の変更だったので、これは何か先手を打っていくことでメリットが出るのではないかというのが、もともとの思いつきです。
稲継 そこで課題提案をされて、人事としては「じゃあ、おまえがやれ」ということになったわけですかね?
岡本 そうですね(笑)。平成18年の制度改正後には地域包括支援センターの係長をすることになったんですが、そのときは「おまえが考えたのだから、おまえがやりなさい」みたいな(笑)、形だったかもしれないですね。
稲継 それは具体的にどういう体制で、あるいは他の自治体とのどういう連携で作り上げていったのか、詳しく教えてもらえますか?
岡本 説明するととてもややこしいんですが、一つは地域包括支援センターができたときに介護予防という考え方が新たに入ってきました。その介護予防のケアプラン、サービスを受ける基になる計画書を作ることを地域包括支援センターが担うという制度になりました。要支援、介護予防という制度の概念が初めてだし、包括センターというのも初めての体制でした。当然現場でのいろいろな課題もあるんですが、要支援者のケアプランを包括センターが作るということがとにかく大変だと思いました。要介護者については、民間を中心としたケアプランセンターがプランを作成するので、相当数の事業者さんがおられます。一方、地域包括支援センターについては、原則、市が運営する、または市からの委託で運営するものなんですね。ですから、当時は市直営1ヵ所でしたし、そこから、5カ所、10カ所に拡大をしても限界があります。
今でも直営を含めて11カ所で運営していますから。
稲継 八尾市の人口は何万人?
岡本 27万人です。そのため、2~3万人に1カ所で、たくさんの人の介護予防プランを作らなければいけないことになるんです。そのため、包括センターだけでプランを作るのが大変なので、原案作成委託といって包括センターがケアプランセンターに委託することができる仕組みになっているんです。要介護と要支援をいったり来たりされる方もありますし、要支援から要介護に変わる方もいるので、ここの包括センターはここのケアプランセンターに委託するというやり方ではなくて、それぞれの包括センターがあちこちのケアプランセンターに原案作成を委託しなくてはいけません。このことは、都市部の自治体にとってはとても大きなことで、その原案委託料をそれぞれのケアプランセンターに対してお支払いするシステムというのはいったいどうなってしまうのかと考えました。
ケアプランを作った費用は国保連合会を通じて直接事業所単位で振り込まれるんですが、包括センターに振り込まれた給付費からさらに原案委託の事業所に委託料を支払わないといけない。一方で、この委託をしているケアプランセンターは、要介護のケアプラン費用を国保連合会に請求して、連合会から直接支払われる仕組みがもともとある。それなら、最初から原案作成委託料分として直接センターに分けて振り込みをしてくれたらいいんじゃないかと考えました。(原案作成委託料システムイメージ)
そうすることで、振込の手間がなくなり、手数料が不要になる。また、月遅れなどの対応も可能となるわけで、これをシステム化すると大きな効果が出てくるのでないかと。制度改正のいろいろな課題がある中でふとそこに目が行き、それについての提案書を作りました。それを大阪府内の市町村の方が集まる機会でお話をしたら、大阪市の方や堺市の方、特に規模の大きな市の担当者の方々と課題共有できた。また国保連合会も、市町村から委託を受けて実施する共同処理の新たなメニューを模索されていたところで「ぜひ、一緒に考えましょう」と。大阪府も「それなら、府内の市町村でも活用できるようにいいものを作りましょう」ということでみんなでワーキンググループを立ち上げました。
私はその前の平成10年から、介護保険の関係ではいろいろな市町村の方と交流をする事務ワーキングという形でやっていましたので、そのつながりの中で、この人は会計が得意だなとか、この人は法律のことをよく知っておられるなとか、この人は国保のシステムとか連合会との関係をすごくご存じだなという人と関わらせていただいておりましたので、いろいろな市町村に声をかけてメンバーを集めました。それで、会議を何回もやりましたね。こちらが報告書です。
稲継 「新予防給付に関する介護報酬請求事務系全検討報告書」にメンバーのお名前が載っていますね。この皆さんで協力しあってきたと。
岡本 会議を20回以上開催しました。夜中まで議論することもしばしばで。
稲継 大阪府内の北摂、河北、中部、泉州、政令指定都市、町村会、大阪府からも非常にたくさんのメンバーが集まっておられたんですね。このメンバーでずっと話をしてこられて、どちらかというと八尾市が提案されたシステムの方向に動いていったと考えればいい?
岡本 この時に作ったシステムは大阪府内すべてではないですが、手を挙げた市町村には利用いただける仕組みにしました。実は同じことを思いついた人が東京にもいらしたのですが、最終的には大阪だけが開発に成功しました。
稲継 なるほど。それが、「八尾市方式」とか呼ばれるわけですか?
岡本 いえ。八尾市方式といわれたのは、本市の地域包括支援センターの体制のことですね。平成18年度に地域包括支援センターができたとき、市を基幹型という位置づけをして、まずは1ヵ所の立ち上げをやった。その基幹型と在宅介護支援センターとで協定を結んで、すべてのケースに市が責任を持つ体制を構築した。私たち市の職員が現場を経験することで、制度構築やその後の体制整備に役立てていきたい想いがありましたから。その後は、直営の基幹型地域包括支援センターと、市から委託をする委託型の地域包括支援センターを総括して取りまとめていくスタイルとなりました。
稲継 この八尾市の体制については、どこかで聞き及んだ記憶があります。その後、この包括支援センターの立ち上げに関連して、大阪府の地域包括ワーキングチームができるんですね。
岡本 はい、はい。
稲継 それについてちょっと説明してもらえます?
岡本 地域包括支援センターというのは要介護・要支援の方のケアプランの作成以外にも、根本的な機能として高齢者の方の総合相談機関であるという重要な役割があります。地域包括支援センターには、社会福祉士と主任ケアマネージャーと保健師という3職種が必ずいないといけません。私は社会福祉士という資格を持つ職員として配属されたんですが、特に虐待の対応や困難ケースの相談を主になって受けていましたが、地域の中で大きな問題になっているような、本人も自分でなかなか解決できないような人間関係、家族関係の方、病気をお持ちの方に対応するのに3職種の連携は必要不可欠です。しかし、1つの包括センターには1職種1人ずつしかいないんです。すると、一つの大きなケースが出てくるとすぐに対応できない。
稲継 回らないですね。
岡本 ということは、事例やいろいろなケースを共有する。もしくは、たくさんのケースに対応したところが、ここだけは必ず押さえておかないといけない部分をマニュアル化することで、業務をスムーズにして、一定のレベルを保つことができるのではないかという発想がありました。これも大阪府に包括センターを担当している職員を寄せてもらい、「マニュアル作りをやってみよう」と声かけをして、私が座長をさせてもらいました。基本的な地域包括支援センターを運営するためのマニュアルや虐待対応のマニュアルなどをいくつか作りました。
稲継 それは自主的に作っていったわけですよね。
岡本 そうですね(笑)、自主的にですね。
稲継 どこかの大学の先生が「こういうマニュアルを作ったらどう?」と示したわけではなく、皆さんが実務の中で抱えている課題をマニュアルとして落としていって。
榊原 そうですね、はい。
稲継 皆さん、手づくりで作っていかれたんですね。
岡本 そうですね。本当にこれは手づくりですね。ワーキングのときに作ったチェックリストもありますが、虐待の発見の仕方から現場に行くときのノウハウを書き込んでいます。虐待の現場では命に関わる事態も多いです。現場の職員が作った現場のノウハウを集積したチェックリストは、判断ミスや情報の確認漏れなどを防ぐことができます。「1つのケースに1冊持っていってください」という趣旨のものですね。
報告書とチェックリスト
稲継 私の手元に今、「地域包括支援センター市町村職員のための高齢者虐待対応チェックリスト」という冊子があって、全体で50数ページにわたるようなものですが、この中には非常に細かいチェックリストが載っていると同時に、いろいろな様式ですね、ここにこういう申請をするときはこの様式を使ってくださいとか、根本になっている法律の条文が載せてあったり、担当者にとっては非常に便利なマニュアルですね。
岡本 そうですね。おかげさまで好評をいただいております。
稲継 これを国や府が作ってくれればいいのにと思うんだけど。
岡本 いえいえ(笑)。
稲継 これはやはり現場レベルで作ることに意味があるんでしょうね。
岡本 ありますね。私は介護保険から地域包括の担当をしてきて実感したんですが、介護保険法が比較的新しい法律で新たな体制をつくらないといけないものだった。その時に、現場で対応しているのは市町村の担当者なんです。もしくはそこへ行っている委託先やそこの事業所など、とにかくそこに住んでいる方々の実態を見ないと、どう対応するのがベストなのかがなかなか提案できません。枠組みとして国は新しい法律をつくり、こういう運用の仕方が一番いいんじゃないかと提案していくのは、市町村の役割だと思います。大阪府と市町村で一緒に課題共有をしながら提案をしていくことがとても大事。現場を持っている市町村が発言をすることで、市民に喜んでいただける適切な対応ができるということをすごく感じました。
稲継 なるほど。
岡本 この体制を、少なくとも高齢福祉の分野では持続してもらいたいと思っています。大阪府は今も、市町村の意見を聞きながら国に政策提案していくとか、市町村のみんなと一緒に課題解決のためのマニュアル化を継続してやっておられます。ですから、大阪府内の介護保険の担当者間では強いネットワークがあって。いまだに私も呼んでいただきますが2~3カ月に1回ぐらい、当時の介護メンバー、今の介護メンバー、今の大阪府の担当者、厚生労働省の方などが集まった飲み会があります。「制度はこうあるべきだよね」「最近こんなことがあったよ」と、ざっくばらんな意見交換をやっています。
稲継 「真理は細部に宿る」と言うし、「真理は現場に宿る」とよく言いますが、国は法律をつくるところまではできるけど、実際にそれがどう運用されているかは厚生労働省の役人にはわからないところがたくさんありますよね。
岡本 はい。
稲継 また、府の職員でもわからないところがたくさんあって、やはり現場の第一線の市町村の職員で、しかも担当している方でないとわからないことがたくさんある。それを府県レベルの職員も国の職員も、情報は欲しがっているんですね。
岡本 ああ、そうですね。
稲継 それがお互いにWin-Winの関係になれば、全体としての様々なシステムがうまく回るようになるということで、非常に素敵な取り組みだと思います。
岡本 はい。
稲継 ほかにこの一連の包括支援センターの取り組みの中で、印象に残っていること、あるいは苦労されたことはありますか?
岡本 そうですね、私は地域包括支援センターで仕事をしていたときに、ものすごくたくさんの市民、高齢者なりその家族に現場で関わらせていただきました。とにかく現場に行き、高齢者、家族、地域の方の話を聞くことを3年間みっちりやらせていただきました。その時に見た市民の生活の実態はすさまじいものでした。自分の経験では考えられないようないろいろな課題を抱えた家族があるという事実はすごく印象に残っています。ここでは詳しくお話できませんが、一つ一つのケースだけで何時間も語れるような、すごく深く関わった方が多かったです。
例えば、たった1回ごみの日がわからなかったことをきっかけに、どうしても自分たちでごみ出しができなくなって、半年ぐらいで瞬く間に二階建ての家全部がごみで埋まってしまい困っている親子がいらしゃいました。対人関係がうまく築けない方で、心を開いてもらうために週に1回は必ず顔を出して、1年たってやっと話を聞いていただけたこともあります。
稲継 ああ、そうですか。
岡本 はい。とても貴重な経験です。
稲継 今まで、特に平成18年前後の包括支援センターの立ち上げに至るまで、あるいは立ち上がってからの話をお伺いしましたが、ここで岡本さんが入庁されてからの話を時系列的に追ってみたいと思います。
八尾市役所
岡本 はい。
稲継 入庁されたのはいつですか?
岡本 平成7年4月です。
稲継 最初はどういう仕事を担当されましたか?
岡本 最初は行政管理課の電算室というホストコンピューターの管理とかシステムの開発、プログラムの開発をやっている部署に配属されました。
稲継 入庁するまでそういうことはあまりやっていなかったんですよね。
岡本 やっていなかったですね。最初、市役所に入るときに、市役所というのは、基本的には市民課や税といった窓口のイメージが強くて、市民と接する仕事ができるんだと思っていました。しかし、配属されたのが電算室で、最初に「こちらがあなたの仕事ですよ」と連れていかれたらコンピューターがずらっと並んでいて、「あなたはこの端末を使ってプログラムを作る仕事になりますので、このマニュアルを読んでおいてください」と言われて、配属の日は家に帰って泣きました(笑)。
稲継 (笑)。
岡本 大泣きしました。当時パソコンもほとんど出回っていなくて、私が持っていたのはかろうじてワープロぐらいですからね。
稲継 そうでしたね。
岡本 そのワープロすらも卒論をつくるのにすごく苦労して、同期の中でも一番苦手なぐらい。そういったところに配属されて、八尾市って厳しい市やなと(笑)。自分の行きたいところの仕事はさせてもらえないというイメージが最初はありましたね。
稲継 そこに2年ほどおられることになるんですか?
岡本 2年、そうですね。電算室が途中で情報政策課にかわったので、そこも含めると3年間ですね。
稲継 3年間おられた?
岡本 はい。
稲継 どういう仕事をやられました? 最初は泣いていたわけですけど。
岡本 そこではずっとホストコンピューターを使うような住民台帳のシステム、税のシステム、国民健康保険のシステム、あとは財務会計のシステムといったものの運用とプログラム開発などを行っていました。プログラミングそのものはできるようになりますが、何せ業務経験ゼロですから、開発や運用をしていくのは難しかったですね。ところが、私が入庁して3年目に大きな転機がありまして、課そのものがシステム開発や管理という仕事から情報政策という政策の仕事に変わりました。開発に向いていないことを上司が見抜いたのかどうかわかりませんが、ちょうどウインドウズのパソコンが出回って普及する頃で、各市町村も業務に取り入れる走りの時期に、政策担当として今までのシステム開発とは全く違う仕事させていただきました。ウインドウズパソコンを全課に導入するときに「こういう仕事があるんだけど、誰かやらないか?」と言われ、「私がやります」と手を挙げて、オフィスのいろいろなソフトの研修や、ウインドウズのOSの研修に行き、私がほぼ1人で庁内講師をさせていただきました。
霞ヶ関では、政治・政党との距離感などは熟知している官僚が多いものの、法律の制定により自治体現場でどういう変化が実際に起きるのかについて、実感を十分には持たない官僚も少なくない。「枠組みとして国は新しい法律をつくり、こういう運用の仕方が一番いいんじゃないかと提案していくのは、市町村の役割だと思います。」という岡本さんの言葉は、含蓄がある。