メールマガジン

第89回2012.08.22

インタビュー:静岡市福祉総務課 副主幹 小林 久展 さん(上)

 静岡市の小林さんは、福祉部局唯一の建築士として、ユニバーサルデザインやバリアフリーの推進に取り組む傍ら、さまざまな業務改善を提案、実行してきた人である。
 整備してきたバリアフリー施設を利用してもらうにはどうしたらよいか、子供たちにバリアフリーについて考えてもらうにはどうしたらいいか、、、、つねに、「どのようにすれば」「どのように改善すれば」ということがこの人の頭の中にある。
 互いの自己紹介が終わるかどうかのタイミングで、小林さんは、いきなり、「カルタ」のことを熱く話し始めた。


画像:ユニバーサルデザインクイズかるた
ユニバーサルデザインクイズかるた

小林   こちらが、本市で今年度やろうと思っている事業です。「ユニバーサルデザインクイズかるた」というもので、絵柄案から読みの句まで私が作りました。このかるたを使った福祉教育は、子ども達の心に残る福祉の推進を目指して、一昨年からテストケースで行われていましたが、今年ようやく予算が確保できまして、小学校4年生1人に1つずつ配布していこうと考えています。なぜ小学校4年生を対象にしたのかと言いますと、総合学習の中で福祉を初めて勉強するのがちょうどその学年からなんです。これから福祉を勉強しようとする真っ白な子どもたちに、自分たちの身近に多くの福祉(思いやり)があることを感じてもらうために、かるた選手権をやったり、このカード以外のかるたを作ってみようというコンテストをしたり考えています。そういったイベントと、福祉教育と、このかるたの三本立てで学習できればなあと思います。また、先生への福祉教育も重要ですから、出前講座の授業は各学校1クラスまでとさせてもらい、授業の進め方の解説テキストや授業に使用する教材、パワーポイントなどを提供し、先生も見様見真似で授業をやってもらうんです。そうすれば、先生も福祉について学習してくれますよね。福祉講師初級者の養成も同時にしていきたいと思ってます。

稲継   そうですか。

小林   このかるたの文章は、全部クイズ形式になっていて、五十音すべてに当てはめるのがすごく大変でした(笑)。

稲継   大変ですよね。

小林   そうですね。ようやく何とかできたという感じです。実は、これはとある事業の余りのお金を使って製作しました。今どきは市の予算状況もなかなか厳しくて、良いと思える事業にもなかなかお金がつかないですね。こういうやり方を自分の中では余白産業と言ってます。

稲継   余白ってどういう意味ですか。

小林   余白というのは、余ったお金をうまく活用してやってしまおうということです。新規で事業を立ち上げてやろうと思っても、「いいことだね」と認めてもらえる段階までは進むのですが、結局は予算を付けてもらえないことが多いんです。今は予算状況が厳しいので、各課で予算枠を定められて、その枠の中で何とかやりくりする仕組みなので、たいていの場合、既に履行中のやらなくてはならない事業で枠は埋まっているので、新たなものをやろうとすると、単に「いいこと」だけではなかなかそこまで行けない。そこで、余ったお金を捻出して、いかにそれをうまく使うかしかできないのが現状なのです。今回のかるたの事業は民間団体に企画書を持ってスポンサー集めまでして、やっと実現しました。

画像:小林久展氏
小林久展氏

稲継   最初に、「ユニバーサルデザインクイズかるた」を紹介してもらったのですが、小林さんは今、福祉総務課で様々な業務改善に取り組んでおられていますが、そのことを色々なところに発表されたりしていますよね。

小林   はい、そうですね。

稲継   この福祉総務課に移ったのは、何年前になりますか。

小林   平成19年に移っていますので、今6年目です。

稲継   その間、今までどのようなことに取り組んできたのか、時系列的に教えていただけると一番ありがたいのですが。

小林   はい。まず、福祉総務課に入って3日目ぐらいに、市役所のコールセンターへ、あるお母さんから電話がかかってきました。お母さんのところに行ってお話しを聞かせてもらうと、その方の知的障害を持つ息子さんが、小さな頃からずっとおむつをしていて、市内に大人サイズの方が利用できるおむつ換えシートが2箇所しかなく、非常に外出しにくいとのお話しでした。息子さんは養護学校の中等部に進み、体も成人並みに大きくなり、子ども用のおむつ換えシートでは利用できずブルーシートを敷いておむつ替えをしているので、大人サイズの方がおむつ換えができる設備を増やしてほしい、というご要望でした。でも、その時点で調べましたら、市内で14ヶ所あったんです。

稲継   実はあったんですね。

小林   建築技師である私は、営繕の仕事に携わった5年間に多くの福祉施設を整備した経歴を持ち、その後は農林関係の部署にも移りましたが、福祉部門に異動してすぐに、自分があれだけ頑張って、細かく配慮して施設を造ったモノが、実際使う人に届けられてなかったことに大きなショックを受けました。
民間でも多くの施設にバリアフリー設備が備わっている時代になっていましたから、使われていない、届けられていない。そんな状況をどうにかしないといけないと思って、一番最初にバリアフリーマップの作成に着手したんです。

稲継   バリアフリーマップ、それはどのようなものですか。

小林   市の施設は、用事を済ませるために施設を選択できないことも少なくありませんから、不特定の方が利用する全ての施設について、民間施設はバリアフリーの対応をしているところについて、ホームページで検索・閲覧できるようにしたのが静岡市のバリアフリーマップです。例えば、障害者の方がとあるセンターに行かなくてはならないといったときに、予めそのセンターにどんな設備があるのか、公共については設備が無い情報を含めて、簡単に調べることができるようにしたのです。このホームページを作ることで、設計や建設する方の「思いやり」を情報として利用者に提供していきたかったのです。
しかし、バリアフリーマップの予算は1年目で取れなかったんです。2年目にやっと取れて、その年度で一気にやろうとしたんですが......。ちょうどその直近に公開したのが町田市でした。

稲継   町田市、はい、はい。

小林   町田市の予算が約700万円ぐらいでした。

稲継   バリアフリーマップに関する予算ですね。

小林   そうですね。本市は町田市よりも市域が広く対象施設数も多いのですが、町田市と「同じように」提供したい、でも予算は削りたいので、少し機能をダイエットさせ500万円に縮小した内容で見積を取り予算要求しましたが、箸にも棒にも引っかからずでした。次の年には、予算を確保するために障害者協会から要望書を作ってもらったり、事業を2ヶ年とすることで1年分の額を縮小したりして財政負担を減らしました。また、ホームページの検索機能を司るCGIというソフトを一切使わず、「主婦でも作れるようなホームページ」をテーマにベーシックなHTMLの作り方で、検索はリンクだけで動かす設計を組み、ホームページ制作会社ではなくて、ホームページの知識のあるデザイン会社に話を持ち込むことでコストダウンを図りました。さらに、情報に関する調査は自前で行い、業者には、ワードの下書きデータや施設写真を市が作り、業者はフレームに入れてリンクをさせ、写真もトリミングするだけだから安くやってくれと交渉しましたね。もちろん、バリアフリーマップ庁内検討組織などの面倒くさいものは全部カットして、起案だけで済ませました。

稲継   安上がりですね。

小林   この交渉によって、トータル約130万円、半分に割ったので65万円。安くなっても機能を低下させていませんからね。しかも、管理費も安価になる二次的効果ももたらしました。知恵は金を生み出しますね。最終的には平成21年度に完成しましたが、少し調整があったので平成22年10月に公開させました。稼働してまだ1年半ぐらいです。

稲継   なるほど、なるほど。

小林   調査は大変でしたね。自分とアルバイトさんの2人で全ての調査をしましたから、電話だけでも、6,000~7,000件ぐらいかけました。でも、予算が無かったことで担当は非常に苦労をしたバリアフリーマップでしたが、実際に各施設の調査に行くことによって、利用モラルがすごく悪かったのに気付かされたんです。

稲継   バリアフリー施設に関する利用が悪いのですね。

小林   そうです。例えば、公園にある多くの公衆トイレには車いす用のトイレが設置されていますが、それを汚く使ってしまうのは、一般常識レベルのモラルです。私が言っているのは、そうではなくて、障害者用トイレや駐車場がなぜこうなっているのかということが、世の中の一般の方に知られていないことによるモラルの無さに危機感を覚えたのです。平成5~6年ぐらいからのバリアフリーに関する法律・条例の制定や改正によって、障害者用の設備はどのようなものなのか世の中の人に認知されてきましたが、なぜそのようになっているかというところまでは知り得ていないのです。

稲継   なるほど。潜在意識の中のバリアフリーができていないということですね。

小林   そういうことです。車いす用トイレに行ってペーパーがなかったのに、替えペーパーが窓の上にあったのではどうしようもない。

稲継   うん、届かない。

小林   車いす用トイレで子ども用のおむつ替えシートがそのまま展開されているので、車いすで入ろうと思っても入れなかったり、荷物掛けフックが車いすから届かない位置にあったり、施設を利用する人だけでなく、設計をする専門家までもがわかっていないという状況を目の当たりにしたのです。これはバリアフリーの情報提供だけではなく、一緒にモラル啓発もやっていかなくてはいけないと思い、この時点で事業方針をリファインさせました。当初、バリアフリーマップということで予算を付けていただいた事業に、モラル啓発を入れ込んで、最終的に「U/Bぷら(ゆびぷら)」というページにしました。ユニバーサルデザイン・バリアフリー・プラザという意味合いで、その頭の文字をとっています。
 ホームページは4つの柱があり、バリアフリーマップ、キッズコーナー、講座募集コーナーに加え、「知っていますか?」というコーナーを設けました。これによってモラル啓発を推進しています。小学校高学年程度から中学生の方でも読めばわかるような、「へぇそうなんだ」と思えるような内容にして、親しみやすく書かれています。ここは福祉の授業でプリントアウトして使っていただくこともあります。全国5~6カ所から「教材に使いたいのですが、いいですか」という話も聞いています。

稲継   なるほど。そういったことを次々にやってこられたと。

小林   そうですね。

稲継   その次に取り組まれたことは?

小林   実は、バリアフリーマップの予算には裏がありまして...。実は、製作費130万円以外にバリアフリーマップを公開するための予算がありました。製作1年目は公共施設のホームページを完成させ、2年目は民間施設の作成をする予定だったので、公共施設分のバリアフリーマップは製作2年目の当初に公開する予定として予算が確保できました。でも、当然公開前にチェックも必要なので製作してすぐに公開ができる訳ありません。あたかも事故に見えますが、当初から私の中での「予定どおり」です(笑)この「余白」予算を利用して最初に紹介しましたユニバーサルデザインクイズかるたを1000個製作したのです。

稲継   なるほど。

小林   計画的?と言うと何か凄く悪い事をしているようですが...このかるたを作ることができたので、「U/Bぷら」の中にもキッズコーナーをつくって、ダウンロードできるようにしてあります。せっかく作ったものなので、これを題材として福祉教育の面でも生かしたいというのが、今後のねらいです。

稲継   なるほどね。

小林   そのかたわら、小学校から「福祉の話をしてください」とか、市の職員や民間企業からも「福祉についてお話をしていただけませんか」とご依頼を年間10本程いただいています。わりと好評で、「面白かった、ためになった」というご意見を多数いただいています。口コミなので毎年同じ小学校からご要望があったりもします。市政出前講座といった形をとっていますが、実情は福祉の啓発事業として重要な業務だと思っています。
 私は建築屋としていろんな施設を整備して、バリアフリーマップで情報提供を行い、啓発についてはこれだけでは不十分だと思い、いろんなところで話をして、気が付くと、バリアフリーで一貫した仕事になっているのかなという気がします。
 市役所全体を見渡す中で、福祉に対する啓発がどこまでされているのかと問題を感じました。やらなければならないことがどんどん増えているんです。福祉六法の中では高齢者、障害児者、子育て、母子寡婦とかジャンルが分かれているのですが、それに合わせてジャンル別に啓発しましょうというふうになっているんですよね。

稲継   役所の組織も縦割りになっていますからね。

小林   そうですね。ジャンル別にやったところで、受益者側に対して何らかのことはできるのですが、「みんなが思いやりを持とうね」という人の心を動かすような社会全体へのくさびが打てていないのです。そこに対して何かやっていかないといけないという意識は非常に強く感じました。自分の任期の中でどこまでやれるのか、自分がいなくなったら終わりではいけないという意識もすごくあります。役所で業務改善に取り組んでいると、個人のポテンシャルに頼る部分が非常に大きくて、いかに新しいもの、さらに攻めてやるべきこと、やったらいいね、やれたらいいねというものを誰かが引っ張っていかないといけないんです。しかも、その人がいるときだけやったのでは成功ではないと私は思っています。

稲継   永続性が必要ですよね。

小林   そういうことですね。私も今の職場は6年目ですから、任期は長くてもあと1年、むしろ今年度で終わりの可能性が高いので、今年1年で私が築いてきた道の基礎をしっかり残していきたいと思っています。後継者をどう残して、それを継続的にどうやって貰うのかも考えていますし、予算がなくなったら終わり、にはしたくないですね。

稲継   なるほどね。

小林   このユニバーサルデザインクイズかるたに関しては、健康福祉基金といって、静岡のエスエスケイフーズ(清水食品)という国産初のツナ缶を作ったメーカーからいただいた寄附を基金化しているお金があります。それを今回は使わせていただいていますので、かるたの1枚ずつに「健康福祉基金」と記載し、「健康福祉基金とは何か?」ということをかるたの箱の裏に書こうと思うのですが、今年このイベントを成功させれば、バリアフリーやユニバーサルデザインについてのイニシアティブがあると宣伝する側にも認識してもらえるので、今後は他にもそういったことを頑張っている企業にスポンサーになってもらえるように営業することも考えています。
 計画的(?)に1000個かるたが完成したとき、夜が多かったかな...、業務時間外にいろんな企業や団体に「ユニバーサルデザインクイズかるたを小学生に配りたいのでスポンサーして欲しいと」と企画書を持って歩きましたが、やはりこれだけだと実働が伴っていないので......。

稲継   実働が伴わないというのは?

小林   ここにスポンサー名が記されて「それを小学校に配るだけだとね...」というのが向こう(企業側)の感覚です。それに加えてイベントや何かを交えれば、企業としても興味が出てくるのかなという気はします。このイベントを大きく花火を上げれば上げるほどマスコミにも取り上げられますしスポンサーが付きやすくなります。民間企業の資金で役所の知的所有権を行使し社会全体への福祉の増進の事業を展開している模範事業だとクローズアップされてくれば、この事業の継続化も強靭なものになると考えています。

稲継   今、お話をお聞きしていると、従来の福祉政策というのは、クライアントというか障害者、老人、母子家庭などに対してまずは法律ができて、その担当部署が国や都道府県にでき、各市町村にもでき、それが下りてくる。クライアントのほうは向いているが、実は福祉行政をやろうとすると、クライアントのほうを見るだけではなくて、それを支える一般市民の意識改革も必要で、でもそこは全然手をつけてこなかったし、そこに予算も全く付いてこなかった。そこに小林さんは一石を投じるようなムーブメント、小さいながらも渦を起こし始めているということですね。

小林   そういうことですね。全国でも社会福祉協議会がいろんな活動をしています。静岡市の場合も市社会福祉協議会が福祉教育をやっています。どんな福祉教育をやっているか興味があって期待して見に行きました。市内の各区にそれぞれに相談コーナーがあり相談員がいて、福祉強化校を指定し学校の福祉活動に対して資金をお配りしたり、相談に乗ったりしています。もちろん強化校でなくても相談に答えています。今まで、市役所には福祉教育の相談窓口がありませんでしたので、余計に社会福祉協議会の福祉教育に興味が沸いたのかもしれませんね。社協の福祉教育には、障害者の体験をさせましょうという活動がありました。空想の世界ではなくて、体験することはすごくいいことだと思います。それだけでは障害者のイメージが先行してしまうので、さらに当事者からお話を聞きましょう、ということもやっています。真っ白な子ども達にはそれだけでもかなりの進歩だと思います。今の子どもたちは核家族でおじいちゃん、おばあちゃんもいませんし、昭和の時代のような地域に福祉もないので......

稲継   わからないですよね。

小林   やはり各家庭が核化してしまっていますし、いい見本が身近にないのです。でも、空想のものを自分で体験して、しかも話を聞くだけでは、「へぇ、そうだったんだ」と思い、子どもたちは誰に対しても優しい気持ちになれる訳ではないと思います。社協は、その最後のところに着手できていなんですよ。例えばアフリカの飢餓問題の授業をやって、確かに子どもたちは、すごくかわいそうだと思ってもどうしても最後の部分で、それはかわいそうだけど自分の身の回りのものじゃないと一本線を引かれてしまうのと同じなんです。

稲継   全く別の世界として認識する、あるいはテレビの中の世界として認識するんですね。

画像:取材の様子
取材の様子

小林   そういうことですね。それは別の世界の事!とアフリカの飢餓問題と同じように福祉について線を引かれたら子ども達は人に優しくなれません。小学生の時に福祉教育を受けた中学生に福祉とは何?と聞いたことがありますが、「障害者に出会ったら優しくしてあげること」とクッキリと線が引かれた回答に寒気がしました。これが今の静岡市の福祉教育の実態なのです!
 ユニバーサルデザインやバリアフリーを題材に福祉教育を行うと聞いた社会福祉協議会のご担当者様から否定的な意見をいただいたことがあります。福祉の知識として押し込むのであれば、適した題材ではないでしょうと。しかし、子ども達の心にどう響かせるのか...そのマインド教育のためにはユニバーサルデザインやバリアフリーのように、自分の身の回りにたくさんの「思いやり」が目に見える題材は、子どもたちが福祉というものを勉強するのに最適だと思います。昭和の時代の"大家族"や"地域福祉"の代わりとしてユニバーサルデザインやバリアフリーに秘められた「思いやり」は、現在の子ども達も見ることができる良い見本です。多くの思いやりに気付き私も人に優しくしなくては...と皆がこう思って、社会全体が優しさに包まれ、密度ある思いやりの社会が構成されていくと思うんです。

稲継   なるほど、なるほど。

小林   僕らが小学校に行くとき、3つのパターンを考えています。街中に住んでいる子どもには、街にあるユニバーサルデザイン、バリアフリーに注目させるというやり方です。郊外地域の子どもには、バリアフリー、ユニバーサルデザイン商品に秘められた思いやりに注目させます。そして、山間部にいる子どもには、山にはまだ「地域福祉」が残っているので、それをクローズアップしながら一番気がつきやすい思いやりの事例研究を行なうようにしています。
一番大事なのは、多くの「思いやり」に気が付くことですが、この「思いやり」は障害のある方だけの特別なものではないことに気付かせることも重要です。例えば、シャンプーとリンスのボトルには目の見えない方にも認識できるようにポツポツが付いていますが、みんなも、頭を洗うときは目をつぶるでしょう?だから、目の見えない方だけの特別なことではなくて、みんなが一緒に暮らしていく上でみんながより使いやすくなるように!という「思いやり」はみんなへの優しさである事に気付かせるのです。「障害者の方のお話を聞き、障害者の体験をしてみて、実際その人たちに会ったら優しくしましょう」ではなくて、「あなたの周りにいる困っている友達にみんなに優しくすること」が福祉なんだよ!、ということを誰も教えてあげられていない危機感。何とかしないといけないという意識から色々とモチベーション化されてくるのかもしれません。

稲継   小林さんは福祉分野に携わって今年で6年目ということですが、少し振り返って、入庁されてから福祉分野に移られるまでをお話しいただけますか。

小林   はい。

稲継   たしか、建築技師として入られたんですよね。

小林   そうです。最初に配属されたのは建築指導課です。

稲継   そこではどういうお仕事をされたんですか。

小林   建築確認とか建築許可の仕事をしていました。平成元年に入庁したので、24年目です。時代はバブルの真っ盛りで、市内のいろんな所にいろんなビル、かなり高層なビルが勢い良く建つような時代でした。

稲継   地上げがあって、土地の価格規制があって。

小林   はい、監視区域があってという時代でした。土地建物絡みで一攫千金を狙う業者がたくさん窓口に来られるような状況でした。物件数も多かったので、担当として座った初日に超難解な建築基準法の質問が電話でかかってきて、先輩方は全員カウンターに立っていて、どうしようか......と思いながら仕事をやっていました。今までパラパラとしか見たことのない建築基準法を質問されるたびに熟読し、法律に詳しいベテラン設計者からの質問もこなさなくてはならない状況でした。

稲継   プロからの質問ということですね。

小林   そういうことですね。こちらは、アマチュアに等しいぐらいのレベルなのに。

稲継   まあ、入ったばかりですからね。

小林   即実践だったので、どんなに厳しいところだろう!と思いました。当時の建築職員は学校の運動部みたいに先輩・後輩がきっちりしていて、先輩からは「お前ら、のろまだから残業になるんだ。コピーを取りに立つなら行きを空車で行かず何かの用事とセットでやれ」とビシッと言われた厳しい仕事の教えと、その反面「おい、一杯飲みに行くぞ。今日は最後まで行くぞ」というような羽目を外す人情あふれる部分もあり、それが逆に迷惑なときもあるんですが(笑)。でも、あの頃は迷惑だと思いませんでしたよ。

稲継   (笑)そうですね。

小林   今は若い人たちは、それが迷惑だという主張がありますが。

稲継   今は飲みに誘っても、断られることが多いですね。

小林   そういう時代にかなり厳しくやられて、そこで7年やってきました。その後5年間は公共建築課で公共建築物の設計をやりました。当時は、役所のシステムの中で、建築屋として異動できる部署は一通り経験してみようと思っていました。その頃は、建築屋がいるところは、建築指導課、公共建築課、公営住宅課と3つしかなく、そこをぐるぐる回っている先輩もいっぱいいるわけです。

稲継   それはそうでしょうね。

小林   公共建築課で公・市営の建物を建設するんですが、例えば、保育園を造るとなると、担当の保育課で予算を取りますが、そのための見積り等の資料をこちらが作ります。それで予算を取ってきて建物を造るんです。いろんなことを細かく考えて造るんですが、完成式典に行くと、こういう使い方になってしまったのか...とか、こういう家具が入ったのか...。使い勝手も、こう使ってほしいのにといったところが一貫されないんです。僕たちが公共建築課で建物を造ってもパーツでしかない。総合的にこうしたい、ああしたい、こういったいいものを取り入れたいといくら頑張ってもだめだと思いました。だから、「もう少し企画側の仕事をやりたい」と常に上司に言っていました。
 そんな時にたまたま、それまで建築屋がいなかった農林の部署から、1人欲しいと言われ、部長が私を推薦してくれたんです。農林では新たな企画があって、建設しなくてはならない大きなセンターが2つある。土地の交渉とかも最初から全部やらないといけない。しかも、老人福祉センターとして造ると地元に説明してあった2館が、役所の都合で廃止になってしまった。でも、市長の段階でそれが復活して「表看板とは違う裏理由あり」という施設なんです。そういう事情から、老人福祉センターではないけど、でも老人福祉センター的に利用できる中山間地振興センターを造れというメニューが......。

稲継   ややこしいですね(笑)。

小林   ややこしいんです(笑)。そんな裏事情がある施設を何とか仕切りなさいという話でした。今考えるとそういう業務の経験があったから、今でも色々な裏目的のある仕事が得意になってしまったのかもしれません(笑)。

稲継   でも、役所の中では大事なことですよね。

小林   そうですね。今は裏理由ばかりが膨らんでしまうんですが...(笑)。静岡は非常に山の大きな地域で、僕が農林の部署にいたときに合併があり、市街地が1割、9割が山間部という都市になりました。そのために、今申し上げた2館以外にも、中山間地振興施設はいくつも携わりました。谷(や)ってわかりますか。部落よりももう少し大きくて、部落の集結で○○地区というものが分かれている(谷筋とも言う)んですが、そういう地区ごとの風光明媚なところに、そこの婦人部が活動できるような山間地振興施設があるんです。要は、地元の加工品を売ったり、おそばを食べてもらうような施設なんですが、今は市内に7つか8つあって、その半数以上の施設の建設に携わりました。これらの事業は、それまでの公共建築課のときにはできなかった最初の段階からある程度自由に企画できますから、やり甲斐のある仕事でしたね。施設運営の企画では、メニュー作りの相談をしたり、味の研究をしたり、どういう言葉添えをして、どういう器にもって、どんな挨拶をして、どう街の人を喜ばせるかとおもてなしなども含めて、売上戦略までをプロデュースできるんです。

稲継   それは面白いですね。


 現在は福祉部門で働いている小林さん。採用されてから、建築指導課に在籍したが、その後、農林水産部へ異動することになる。ここのあたりから、小林さんらしい、さまざまな取り組みが本格化していく。