メールマガジン
分権時代の自治体職員
第83回2012.02.22
インタビュー:大津市総務部職員課 主幹 小西 元昭さん(中)
琵琶湖畔の公園の中に、建物を建て、4軒のテナントを入れて開く"なぎさのテラス"。オープンに至るまでには様々なことがあった。何とか、プレオープンにこぎつけたものの・・・
小西 プレオープン後も周辺工事は、少し残っており、この公園整備では今ではウッドパネルを貼っているんですが、初めは何もない土の歩道でした。パッと見たときにピンと来たんです。これが感覚のずれやなと思ったんです。土の歩道はきれいですが、ここに来るお客さんは誰かというと・・・。
稲継 女性が多い。
小西 元昭さん
小西 はい、女性ですよね。雨が降った日に、土の上を女性がヒールで歩けるかというと、ヒールが刺さって歩けない。それを感じて修正出来なかったのが、今までの工事かもしれませんが、直ぐに対応を担当課へ依頼しました。市の担当課は、すぐに対応してくれましてウッドパネルを貼ってもらいました。ただ、その幅が非常に広くて、女性がハイヒールを履いたときはほとんどがスカートで、タイトなスカートの場合、足が開かないんですよね。こうダメ出しすると、また直ぐに対応していただきました(笑)。
稲継 発想が足りない(笑)。
小西 実はこれ、全部やり直しているんです。この施設は誰が来るかと考えると、やはり女性だろうと。では、施設や設備を含めて全て女性の視点で考えようということで、この雰囲気を作りました。建物の周りにガーデニングを張り付けたのも全部女性の視点で考えました。
稲継 なるほどね。
小西 出店いただく店舗の選び方も、平成20年の6月、7月にテナントリーシングを行ったんです。そのときも思ったのですが、私たちのようなスーツを着てネクタイを締めたおじさんが来る施設ではないなと思ったんです。やはりこういう施設は10代から60代の女性が来ることが多いだろう。もしくは、小さい子どもを連れた若い夫婦やカップルが来られることを思うと、女性の視点で見ないといけないということで、平成20年6月に大型事業所を含めて、女性の意見を聞くためのアンケートを行いました。
そのアンケートの中で選ばれた店舗に、「何とか出店してほしい」とこの事業の主旨を伝えに日参したんです。そのうちの何店舗かは既にこの事業のことをご存じで、「出店したいと思ってたんや」と。特に「アンチョビ」さん、スイーツで選ばれた「ショコラ」さん、「天使のカフェ」さん(現在は「コロニー」)もアンケートで名前が出てきたのですが、店舗の方々も「実はプロポーザルに応募しようと思ってたんや」という方もおられて、大津市の活性化事業に賛同したいとプロポーザルに参加していただいたわけです。
「健康・観光・環境」というキーワードは、いま「食文化の時代」と言われている中、食の内容や食材を考えた店舗ということで、無農薬や有機栽培などの安全な食材を皆さんに提供していく。
稲継 マクロビオティックですかね。
小西 そうですね。アンケートを取ったときに、こういった店舗の名前が挙がってきたので、そこにリーシングをかけて8社がプロポーザルに参加していただき、4社を選考しました。
人気店に出店していただいたおかげで来られる方も多いですし、やはりロケーションではどこにも負けないと思っています。
稲継 そうですね。絶対これは素晴らしいですね。
小西 特に季節のいい春や秋、夏場も含めて、夜にお酒を飲みながらのテラスデッキというのは、ちょっと海外に行ったような雰囲気がありますよね。
稲継 そうですね。最高でしょうね。
小西 大津ならでは、琵琶湖ならではの夜景を見ながらお酒が飲める。都会に近い場所ですが、自然の中へ浮き出たような施設に仕上がったと思います。
稲継 普通、市役所がつくると3~4年計画ですが、非常に素晴らしい施設を、極めて短期間で進められたのですね。
小西 そうですね。
稲継 1年間で進め、これが成功しました。次の一手はどういうものだったんでしょうか。
小西 まずは一つの起点をつくって、活性化の起爆剤としたい。この近くに大津PARCOという大型商業施設があるんですが、そこのお客さんに「なぎさのテラス」へ来ていただこうという狙いもありました。
大津港
そのお客さんが次に遊べるのはどこかというと、大津港のある浜大津周辺です。ここは古くから栄えて、飲食店舗や飲み屋も多く、大型商業施設もあります。
またこの地域には、滋賀県へ進出している大手企業の支社からも非常に近いんです。
稲継 なるほど。
小西 保険会社や大手銀行もあります。
また大津港は、交通の要所として江戸時代から港として栄えました。琵琶湖の特に湖東地域でとれた米を、湖上交通を利用して一端ここまで運び、ここから京都、大阪へ運ぶという交通アクセスの結節点、非常に重要なポイントでした。その大津港の周辺、湖上交通の拠点として集まっているところをうまく刺激できないかと。
また、中心市街地がなぜ衰退したかを考えると、今は湖上交通もなくなり、名神高速道路もできました。もう一つ大きな衰退の原因は、湖西線の開通です。昭和40年代までは大津から京都へ行くには東海道線の電車しかなかったんですよ。
稲継 東海道線しかなかった?
小西 そうなんです。大津市の湖西地域の方は、当時、江若鉄道で高島市から湖西側を通って、堅田、そして坂本、唐崎を通ってこの浜大津につながり、浜大津駅から大津駅まで歩いて、そして大阪、京都へ行かれていました。この中心市街地というのは湖西側の通勤客を含めて、人の流れがあって、商店街機能も非常に充実していました。
それが昭和40年代に湖西線が整備され、京都の山科駅から西大津駅(現大津京駅)に直結したため、湖西側の乗客は京都や大阪へ流れていきました。これによって、浜大津駅から大津駅の人の流れが一気に減少したんです。
稲継 なるほど。
京阪電車と浜大津駅
小西 現在、江若鉄道はなくなり京阪電車の石山坂本線が、琵琶湖の西側を縦にずどんと抜く大津市の背骨的な鉄道として、坂本駅から石山寺駅を運行しています。そして、浜大津駅から京都の太秦の方までを行く京津線が延長して整備され、大津駅と浜大津駅のつながりがなくなってしまいました。これにより大津駅と浜大津駅間が衰退し、TMO(タウンマネージメント機関)の立上げも検討されましたがうまくいかなかった。またこの中心市街地は非常に裕福な方、不就労所得が高い方も多く、子は会社員なので商店は自分の代で終わりだろうという方もおられ、今ひとつうまく変わりませんでした。
そんな大津港や浜大津駅周辺を中心とした、起爆剤が必要であるということで「なぎさのテラス」の次に考えられたのが、「旧大津公会堂」です。日本で最も古いと言われている昭和9年に建てられた公民館で、レンガ造りの非常にモダンな建物です。平成21年度に再整備し、平成22年4月にグランドオープンしました。
稲継 私も行きましたが、非常に雰囲気のいいところですよね。
小西 「なぎさのテラス」はカフェテナントとしましたので、ここはグルメなお料理を食べて、お酒を飲んでという大人の雰囲気が楽しめる施設として、昼間は周辺で働く方や大津を訪れた方の昼夜の食事スポットとして4店舗の飲食店が入りました。
旧大津公会堂
そして2階、3階については市民が使える貸しホール、貸会議室ということで、従来の公民館活動をよりしやすいよう複合施設の要素を付け加えることが出来ました。
この旧大津公会堂は、指定管理者制度を導入して行政とは一線を画して、中心市街地活性化の拠点施設として、現在(株)まちづくり大津が管理をしているんです。これが二つ目の拠点ということで浜側の「なぎさのテラス」と「旧大津公会堂」を活性化軸としてつないだということです。
これでようやく、浜側の2拠点から大津駅のほうへ向かっての活性化が始まりまり、町屋の活用や、ちょっとした市(いち)の開催など、現在はイルミネーションをつなげる灯(あかり)のイベントということで、平成23年度も「全国あかりサミットin大津」を大津で開催しました。私も参加しましたし、NPO法人やまちなかの方々が、「まちあかり」という灯のイベントを盛り上げておられ、特に人の動線づくりに力をいれておられます。浜側の動線、そしてまちなかへ結ぶ動線ということで、今まさにまちなかへ攻め込もうという時期になっています。
稲継 なるほど。大津市の職員として(株)まちづくり大津を支援される業務を担当されて、2年ですよね。
小西 はい。
稲継 小西さんは、もともとまちづくりをしたいと思って市役所に入られたんでしょうか。
小西 そうですね。ちょうど市役所に就職する頃に、個人的にまちづくりに興味が出てきて、滋賀県の長浜市の黒壁のガラス細工、山東町(現米原市)や神戸市長田区のまちおこしなど、個人的に勉強するために回っていました。
稲継 そうなんですか。
小西 そういった商工会議所やまちづくりをされている方のところに1人で伺い、「どんなまちづくりをされているか」とお話を聞いて回りました。そういったことをやっていましたので、まちづくりに関する業務にはスムーズに入れました。
稲継 なるほど。その下地があったんですね。
小西 感じていたのは、市の職員だけが走ってもだめで、やはりまちの方がどう考えているかが一番大事だと思っています。この中心市街地活性化事業については、まちづくりを進めているキーマンがたくさんおられたので、その方たちと相互にコミュニケーションを図り、うまく思いを吸収して、その思いを実現できない限りいくらやっても行政が空回りする。その辺が重要な着眼点だと思います。それは長浜市の黒壁もそうですし、やはり地域一帯で底上げができているのは、「行政の思い」と「地域の人々のまちへの思い」、そこへ絡んでくる企業、特に最近は経営を考えた場合、「企業の思い」というのも重要でして、そういった視点がうまく絡み合うことでまちづくりは一体となるのではないかと思います。
稲継 なるほど、ありがとうございます。
ところで、小西さんが大津市役所に入られたのはいつになりますか。
小西 平成3年ですね。
稲継 そのときは、どういう仕事をしたいと思って入庁されたのでしょうか。
小西 はい、少年自然の家の仕事をしたいと思っていました。
私は18歳の学生時代に、「キャンプカウンセラー」という子どもたちのキャンプの補助をするボランティアの団体をつくろうと思ったんです。はじめは、1人で少年自然の家を拠点に活動していましたが、少年自然の家から市内へ向けてボランティアの募集をしていただき、市内の高校生や大学生が集まってきてくれました。このボランティアは、野外活動や宿泊生活を通して自然と触れ合う大切さや、仲間と協力する協調性、そういったことを子どもたちに伝えるために、子どもたちのリーダーとして少年自然の家の事業のお手伝いをしたり、企画・運営の補助員として子どもたちのお世話をしたりしています。
私自身、このような活動をはじめたのは、子どもたちに、自然体験学習を通じて仲間との協力や協調を身につけ、集団生活を通じて困難に打ち勝つ強い精神力を身に付けてほしいと思ったからなんです。
稲継 なるほど。
小西 その時は、少年自然の家ってどういうところか何も知らず、ボランティアをしていましたが、後でどうも大津市の教育委員会の出先機関だと分かりました。
稲継 教育委員会の所管ですね。
小西 教育委員会ってまた難しいところだな、教育委員会に就職ってあるのかなと思いながら、少年自然の家の仕事がしてみたいと思い調べると、どうやら役所が就職先になるということを聞きまして、大津市役所の職員採用試験を受けることにしました。
採用試験で思い出すのは、面接が長かったことですね。
稲継 どうしてでしょう?
小西 私は、完全に少年自然の家に行くことしか考えていませんでしたので、法律に詳しいわけでもなく、行政職員としての知識があるわけでもなく、少年自然の家で活動をした体験談ばかり話しました。何を学んだかというと、子どもには立って話をするのではなく、しゃがんで目線を合わせて話をしようと。しゃべると非常に熱が入り、通常1人5分程度の個人面接で20分間ぐらい話していました。集団面接では調子に乗って、当時おられた助役の物まねをして、面接のときにこれで本当に採用されるのかと心配したんですが、なんとか採用となり少年自然の家に配属していただきました。
稲継 最初の配属が、少年自然の家。希望どおりになったわけですね。
小西 希望どおりに配属されました。
稲継 大津市役所だけじゃなくて、例えば民間なども受けられたんでしょうか。
小西 実は私は学生時代に、映画を撮っていまして・・・。
稲継 個人で映画を?
小西 はい(笑)。その映画をある作品展に出したら、それを見たテレビ局の制作会社から教授を通じて「うちに就職しないか?」というお話をいただいたぐらいで、それ以外は一切就職活動もせず。お話をいただいて、教授にも「おもしろいじゃない。君はそっち向きだよ」と言われました。ただ、就職の際には悩みました。私にとって芸術の世界というのは趣味だからできるので、それが仕事になった場合、果たしてそんなにひらめいた作品ができるのかというと・・・そういう意味では、好きなボランティアや地域の人たちと絡めるほうが、私には合っているのかなと。
稲継 なるほど。それで、テレビ局の制作会社ではなくて大津市役所、しかも少年自然の家を就職先に選んだということですね。
小西 そうですね。私はこういう性格なので、多分テレビ番組の制作会社みたいなところに行っていたら、今頃は番組に出演してしまって、番組制作が嫌になり会社を辞めてるんじゃないかなと(笑)。
稲継 なるほど。それで少年自然の家に配属になって、ここにはどのくらいの期間おられたんですか。
小西 4年です。子どもたちの野外活動のお手伝いをすると思っていたのですが、実は事務仕事もあって・・・。
稲継 それはもちろんでしょう(笑)。
小西 事務をやるとは思っていませんでした。
稲継 行政職員として入ったんだから、それはあるでしょうね(笑)。
小西 初めから子どもたちのプログラムの企画や活動のほうに行けると思ったら、施設を管理する管理係のほうに配属されて。
稲継 はい、管理係ですね。
小西 そうです。
主催事業のお手伝いはするんですが、初めは事業を担当したり企画したりはまったくなく、裏方の裏方に徹していました。年数が経つと企画も担当させていただきました。
少年自然の家の主催事業の一つとして、子どもたちに10泊11日の野外宿泊研修などを行う自然体験学習プログラムがあります。この体験学習は、豊かな自然の中で、電気もない、ガスも水道もないような山中で子どもたちが開墾するんです。水を引いてきて、炊事をして、時計を外したノータイムデイ、お腹が空けばご飯を作り、眠たくなれば寝る。個別の班をつくって生活するというプログラムです。
初めは一人一人ばらばらの子どもたち。協力しないと、生活ができない、ご飯が作れないので、どんどん仕事を分担して自分がやるべきことを考えるようになります。3日目、4日目になってくると、自然とご飯を作るように動いたり、寝る準備をしたりと、生活リズムをつくって仲間と協力するようになります。このように、子どもたちの成長を感じることができる研修会を数多く経験しました。
最終的には、公私ともに少年自然の家には、かなりのめり込みました。「私」の部分では、少年自然の家の専属のボランティア団体の援助をしました。私自身、このボランティア団体の初代会長でして、いまだに会計監査役、ご意見番ということで会を支えています。
なぎさのテラスを1年で作った後は、浜大津(大津港)近くの旧大津公会堂をリノベートして営業を開始。トライアングルの2点に拠点を作った。ここから、大津駅に向けて、かつてのように人の流れができれば中心市街地は活性化する。そのような戦略のもとに(株)まちづくり大津とともに、大津市中心部の再生に向けた取り組みに奔走した小西さん。
だが、彼も大津市役所に入庁したきっかけは、「少年自然の家で働きたい」という思いだった。