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第82回2012.01.25

インタビュー:大津市総務部職員課 主幹 小西 元昭さん(上)

 JIAMは滋賀県大津市にある。大津市は県庁所在地であるが、他県から来てJR大津駅に降りた瞬間、賑やかさを感じる人は少ないだろう。実際、同じ大津市内でも、大津駅を中心としたエリアよりも、大型ショッピング施設のある周辺駅の方が賑わっている。
 この状態を改革する取り組みがはじまった。琵琶湖畔、大津駅、大津港を結ぶトライアングルに人を呼び戻す仕組み、賑わいを取り戻す仕掛けをはじめたのである。手始めは、琵琶湖畔の散歩道に、カフェをつくるという試みだった。


稲継 今日は、大津市総務部職員課主幹の小西さんにお話を伺います。どうぞよろしくお願いいたします。

小西 よろしくお願いします。

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稲継 こちらは「なぎさのテラス」という場所ですが、一体どういうものなのか教えて頂けますか。

小西 平成20年に、中心市街地の市民、商工会議所、大津市等により、大津市中心市街地活性化協議会が立ち上げられ、また同時に地元企業や商工会議所を中心に民間出資比率が非常に高く、市民の声やまちなかの思いが反映しやすい、まちづくり会社「(株)まちづくり大津」がつくられました。中心市街地の活性化で何かできないかということで、観光においては隣の京都市が世界的にも有名ですが、京都市になくて大津市にあるもの、大津市の魅力を生かすなら、やはり琵琶湖の眺望を生かした施設の整備が求められ、この素晴らしい「なぎさ公園」内に、観光客や散歩をされている方が琵琶湖を見ながら、食事ができる施設ということで、平成20年度の経済産業省の補助金を活用して整備したのがここ「なぎさのテラス」です。中心市街地活性化の先導的なプロジェクトです。

稲継 なるほど。当時はまだ琵琶湖ホテルから大津プリンスホテルまでずっと遊歩道はあるけれども、目立った施設は何もなかったわけですよね。

小西 そうですね。

稲継 そこに突然これを造ろうと思われたのは、どうしてでしょうか。

画像:なぎさのテラス
なぎさのテラス

小西 このなぎさ公園で、「なぎさのテラス」をつくる前に湖岸を走られている方や、散歩されている方からアンケートを取りました。来られているのは大津の方だけではなく京都の方も多く、「こんなに素晴らしい遊歩道や芝生広場が整った公園があるのに、少し休憩ができたり食事ができる場所がない」というお声があり、ならば湖岸に何か活性化の起爆剤となるものをつくらないといけないなと。中心市街地活性化協議会でも意見がまとまり、他都市の活性化事業などの研究をしながら、何か拠点となる、食事ができて憩える施設を整備することとなりました。

稲継 なるほど。先ほど、経済産業省の中心市街地活性化の補助金を活用したということでしたが、普通この補助金はまちのど真ん中のシャッター商店街をどうするかとか、そういうイメージが強いんですけど、この「なぎさのテラス」に活用しようという発想が、非常に奇抜というか、普通じゃないなと思ったんですよ。

小西 はい。なぜそこに至ったかといいますと、まちなかを活性化するためには、大津駅がある、大津港がある。そして、今ここに「なぎさのテラス」があるんですが、この三つの拠点をトライアングルで結んだとき、この真ん中のまちなか部分を活性化するための三つの拠点軸を活性化軸として考え、一般的な拠点施設をまちなかにつくるのではなく、水辺から中心市街地へ向かっての活性化を進め、徐々に人の動線を築こうと考えました。確かに先生がおっしゃるとおり、経済産業省の申請協議を行う時、まさに担当者からその部分を指摘されました。

稲継 「まちの中とは違うやないか」と。

小西 おっしゃるとおりです。

稲継 「補助金は出せない」と。

小西 お察しのとおりで、「まちなかに何かをつくって人を呼ぶから活性化するんです」というのがこれまでの主な考え方で、まちなかへ直接注射をするような特効薬のようなものと考えられていますが、大津の中心市街地では「水辺でのイベントをすると、まちなかに流入する人が非常に多くなる。だから、水辺をしっかりと整備して、まちなかへ向かう人の動線をつくるんです」と説得にかなり苦労しました。これについては、統計分析や人の動線調査など、あの手この手の資料をいろいろと作り実際のデータも合致しましたので、この場所に造ることができました。

稲継 そうですか。経済産業省も最後は納得してくれたんですね。

小西 大津市も一押しの事業ということで、この事業なしでは今後進められないと考えていました。(株)まちづくり大津の方も同様でした。
 また、この補助金は、躯体の所有権を持つと補助率が3分の2で、所有権を持たないものは2分の1なんです。市民や地元企業などの出資でつくった「まちづくり会社」が受ける補助金ですから、できるだけ補助率の高い方でやるべきであると。
 躯体をまちづくり会社が建設して、所有権を持ち、内装工事はテナント側が行いました。これには許認可や権利設定などの整理に大変苦労しました。

稲継 躯体というのは、建物のことですね。

画像:小西 元昭さん
小西 元昭さん

小西 はい、建物です。普通に考えれば、公共の公園内に民間会社の建物は建たないですよね。公園は公園法という法律がありますし、琵琶湖は河川法が適用されるんです。河川法については「河川法が及ぶ区域」というのがありまして護岸という考え方をします。なので、公園法と河川法、公園という公の土地に民間会社の建物に所有権を付けると。非常にテクニカルな話でして。

稲継 これはすごい(笑)。市役所のやることではないわけですよね。

小西 あまりないですよね。公園法の許可の中では、公園法第5条の中に「特別に認めるもの」とあります。私自身、この部分で解釈するしかない思っていましたので、そこをうまく利用して同法5条許可を得て、躯体の所有権を登記し、活性化事業の補助金の3分の2を獲得しました。

稲継 なるほど。

小西 この補助金は、「戦略的中心市街地中小商業等活性化支援事業費補助金」という長い名前の補助金でして、本事業においては補助対象額6,200万円に対して補助率3分の2で、実際に補助金としてもらったのは4,100万円ですが、総事業費が7,600万円かかっており、補助金の対象にならない調査費や宣伝費なども含みます。この辺を経済産業省の方々に納得していただくには、ここで広く集客ができるのか、また、なぜこの場所でないとだめなのか、そういう意味で琵琶湖を生かすという観光のまちづくりをやろうと、補助金申請時にも説明しました。この施設の売りは、嫌なイメージの「3k」ではなく、よいイメージで、「健康・観光・環境」の「3k」です。この複合効果はこの地でないと得られないという理由付けによって、まちなかから少し離れた琵琶湖岸のエリアが認められ補助金の獲得ができました。

稲継 なるほどね。これは、小西さんが担当として支援しておられた(株)まちづくり大津でこの企画を立て、そして補助金の申請とか全部やっておられたんですね。

小西 はい。平成20年度から2年間、都市再生課に所属しながら担当していました。この事業は、まちづくり会社を中心に企画し中心市街地活性化協議会で話し合われました。

稲継 まちづくり大津には、何人ぐらいの従業員がおられたんでしょうか。

小西 当初は、民間企業を退職された方1人。私も従業員のように一緒に働いていました。

稲継 2人でこれだけ(笑)。

小西 2人体制なんですが、この事業の担当は私・・・。

稲継 小西さんだけでやってた?

小西 これは、行政的な補助金の事業ですので、この事業については私が携わって、もう1人の方は会社の経理を中心に。

稲継 こういう補助金を探してきて、それをどうやって取ろうかという算段をして、まちなかじゃないのにどうやって理屈付けをしようかと考えて、そういうのもやったということですね。

小西 私は(株)まちづくり大津を応援という形で、そこへ商工会議所や中心市街地活性化協議会の方々にもバックアップしていただき、まちの皆さまの支援があって、この補助金が獲得できたと思っています。というのは、当時は残業も多く、それを皆さんが夜に来て、助けてくださるといった地域の方々のマンパワーで立ち上がった事業であったと思います。それは確信します。

稲継 (株)まちづくり大津ができた当初、市としては、これほどのプロジェクトが動くとは想像してなかったと思うんです。「とりあえず、第三セクター、第四セクターをつくったので職員を1人出せ」ぐらいに考えておられたようにも推測するんですが、その辺はいかがですか。

小西 まさに、おっしゃるところはあると思います。その職員がどう動くかというのは未知数で、私はたまたま以前の用地買収の経験を生かして、基本的には前向きな性格なので。

稲継 見るからにそうですよね(笑)。

小西 新しい所に行ったら何かやってやろうと。自分が試されたよい機会だと思ったんです。市にとっても、こんな先導的プロジェクトをやったら大きな打ち上げ花火になる、大津市を広く発信する事業にしたい、ということで補助金の仕掛け、地域をまとめていく仕掛けを考えていました。

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 PRも虎視眈々と、新聞、情報誌を巧みに使うことを考えました。情報誌に流す記事は私が書いて、それを1社にだけ提供します。例えば、『KANSAI 1週間』に記事が掲載されたら、他社の情報誌の取材を見越して、連絡のあった情報誌には「ちょっと待ってくださいと。お宅は、オープン前の情報を提供します、オープンの前に出したほうがよいですよ。イベントもしますし」と言ってました。

稲継 この記事は小西さんが情報発信していたわけですか(笑)。

小西 はい。情報発信の記事は、こまめにてこ入れをして、毎月何かの情報誌に載るように仕掛けました。平成20年度は7月、8月頃から新聞が載せてくださり、平成21年の1月を皮切りに、いわゆる若者が見るような情報誌にも数多く掲載いただきました。関西では月に2社ずつほど載り始めて止まらなくなりました。オープン後の6月頃には、関東の情報誌が電話をしてきて、「取材に行かせてください」と連絡があり。「噂だけ聞いていると、USJのような施設が大津市の琵琶湖沿いにできたんですか?」とおっしゃるんです。

稲継 そうですか(笑)。

小西 「何を言ってるんですか。ここ琵琶湖沿いに、そんなアミューズメント施設を造るのはナンセンスですよ。できたのは単なるカフェで、取材に来てもらっても別に見せるものはないです。この場所で、いま市民が求めているのは、何かに遊ばせてもらうのではなく、自分たちが憩えるような施設(カフェ)です。特に女性目線で考えたときに、この「なぎさのテラス」は休日をゆっくり過ごせる場所ということで、人気があると思います。何か遊具があるわけではなく、そこへ行ったメンバーで楽しく過ごす、人と人とのコミュニケーションを図るような施設ですよ」と。

稲継 なるほど。そうやってどんどん掲載されていったんですね。ポツンとこれを建てただけじゃ、決して成功はしないけれども。アドバタイジングにも相当力を入れられたということですね。

小西 そうなんです。私は大きなスケジュールを考えました。まず、公共がこのような施設を整備する場合の問題は何かというと、それはスピードです。やはり公共については非常に難しい発注の方式、契約の方式などがありますので、この事業を1年間でやり切るというスケジュールを考えました。
 そこで、大津市、(株)まちづくり大津、商工会議所、その他テナント、また工事業者、インフラ整備をするNTTや電力会社等々といった方々の工程調整のための会議を開いたんです。
 会議は8月の終わり頃に開き、これに携わる30社弱ほどの方が来られましたが、皆さんこのスケジュールを聞いて「そんなもんできるか」とびっくりされたんです。

稲継 うん、それはそうでしょうね。市が絡んでいたら不可能でしょうね。

小西 市も絡んで、多くの業者も絡んで「イニシアチブを取るのは誰や?」ということになったんです。その当時の私は、公務員という見た目を消そうと思い民間企業の営業マンみたいな雰囲気を意識してつくっていまして、その会議で「スケジュール管理は私が全部します」と言いますと、「君は建築屋か?コンサルか?」と聞かれ、「いえ、事務屋です」と答えました。
 私たち公務員は自分が目立つのではなく裏方の「プロデューサー」にならなければいけないと思うんです。そういう意味で、全体のスケジュールをプロデュースしていくことを熱意高くしゃべりましたが、しゃべればしゃべるほど厳しいスケジュールで、途中で怒って帰る人もいました。
 第1回目の会議は厳しい会議でしたが、心が折れにくく、叩かれても痛さを感じない性格の私は、間髪入れずに第2回目の会議を行いました。案の定、その会議には来られない方もいましたが、その調子でどんどん会議を進めていきました。業者の皆さんというのは横にもつながっており、「どうも小西が、まだ何かわーわー言っていると・・・」。

稲継 「本気だぞ」と。

小西 「本気でやるんじゃないか」と。10月ぐらいに詳細な設計となり、「このまま、会議に行かないで工事が進みだしたら、施工できなくなるんじゃないか」と業者の方も思ったと感じます。
 そういう不安感も業者の方にはありつつ、メールや連絡は必ず工事業者をはじめ関係者全員に配信するんです。コミュニケーションを上手くするためには、メールでも電話でも、常に少しのきっかけをつくっておくことです。人って何かを投げかけられると無視できなくなるんですよね。最終11月ぐらいになったら、もう業者の皆さんも予定を無理に空け、参加せざるを得ない状況になり、どんどん参加していただきました。
 このなぎさ公園は、大津市が以前に国庫補助金で整備している公園ですので、補助金適正化法の関係上、一度植えた木を切ってしまうわけにいかず移植をしないといけない。移植する場合の、費用は国庫費用で捻出できないので、まちづくり会社や市が発注した業者が面的に公園の周辺整備に協力することになりました。その他に市がウッドデッキを整備等をし、建物はスケルトンでまちづくり会社が行い、建物の中の工事はテナントが行うということでした。そこに合わせて周辺のガーデニングや緑化についても(株)まちづくり大津と市がタイアップするということで・・・。

稲継 もう、ぐちゃぐちゃ(笑)。

小西 建築工事や土木・造園工事、それに合わせてインフラ整備のNTT、電力会社、市企業局などといった業者が入ってきます。その工事が一斉に始まるわけです。もう毎日収拾がつかない状態でして、特に2月の後半なんかは突貫工事です。
 夜に、配管が割れるというアクシデントもあり、工事が徹夜になることもありました。しかし面白いことに、その頃になると業者の方々の間で、「この事業を何とか成功させないかんな」と連帯感のようなものが生まれました。例えば、自分のところでリースしている重機を持って帰ってまた違う業者が持ってくるのではなく、ちょっと横にあったら使わせてもらうことで相互間の関係がよくなってきました。
 そのときに私が思ったのは、業者さんを含めこの地域の方々というのは、やろうという気になって気持ちが一つになったときは、すごい推進力になるんだということを感じました。まさかでしたが、3月末には無事完了検査を受けることができ、プレオープンになりました。

稲継 で、グランドオープンになったと。

小西 そういう意味でも、皆さんに非常に助けられる日々でした。工程管理上きついことも言いましたし、初めは怒られることも多かったんですが、最後は、「小西君、何をどうしたらいいんや。やらないかんことを言ってくれ」というように、工事業者さんも含め事業に関わる皆さんに非常に助けていただくことが多かったなと。そして地域の方々がそれを盛り上げていただき、この事業に携わった多くの方に建設時から参加していただきました。
 プレオープン後も周辺工事は、少し残っており、この公園整備では今ではウッドパネルを貼っているんですが、初めは何もない土の歩道でした。パッと見たときにピンと来たんです。これが感覚のずれやなと思ったんです。土の歩道はきれいですが、ここに来るお客さんは誰かというと・・・。


 中心市街地活性化事業として、「まちなか」に何かを創るのではなく、琵琶湖という資源を利用した湖畔のカフェを創ることを決める。そして、矢継ぎ早に事業を進め、プレオープンにこぎつけた。