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第73回2011.04.27

インタビュー:甲府市企画部企画総室政策課 課長補佐 土屋 光秋さん(上)

 IT関連の入札では、昔、1円入札が話題になったり、逆に、業者のいいなりの更新料を請求されて困惑している自治体があったりという中で、その適正価格が必ずしも明らかでなかった。業者の側も、自治体から要求される様々な仕様やリスク管理に備えて、高めの価格での応札をしなければならなかったのが実情である。この閉塞状況を突破する画期的な契約が甲府市で結ばれた。その仕掛け人が今回登場いただく土屋さんである。
 甲府市では、住民情報や税務、国保・年金、介護・福祉などの基幹業務系、および財務、人事給与、文書管理などの内部情報系の市の大半のシステムについて包括的アウトソーシングにより、外部委託した。計画と構築に2年間(平成19年度~20年度)、運用に10年間(平成21年度~30年度)という、自治体では前例のない長期包括的アウトソーシング契約となる。経費節減効果は、人的コストも含めると、従来の想定運用経費に比べ最大約38.5%にのぼるという。アウトソーシングが必ずしもコストダウンにつながっていない自治体が多い中で、どのような仕組みでこれを成功させたのか、土屋さんにお聞きする。


稲継 今日は甲府市にお訪ねしまして、企画部企画総室政策課の土屋光秋さんにお話をお聞きします。どうぞよろしくお願いいたします。

土屋 よろしくお願いいたします。

稲継 初めに、土屋さんが甲府市に採用されたのはいつになりますでしょうか?

土屋 昭和最後の年になります、昭和63(1988)年4月に採用されました。

稲継 そうですか。なぜ、甲府市役所に入ろうと思われたのでしょうか?

土屋 特別な動機というのはなかったのですが、理由はありました(笑)。

稲継 と言うと?

画像:土屋 光秋さん
土屋 光秋さん

土屋 実は甲府市役所に入庁する前は、東京で民間の企業に就職をしていたのですが、しばらくしてちょっと父親の体調が悪くなったんです。

稲継 そうだったんですか。

土屋 親せきの方々から、看病もできないじゃないかと、怒られていました。当時、大学を卒業して就職してしまうと、なかなか地元に帰ってくるということが、とても難しかったんです。地元に帰ってくるとなると、公務員関係で試験を受けるのも有効な方法だったんですが、結果的に甲府市役所に合格したんです。ですから、地方自治に対する思いも、多少なりとも真剣に持っていたんですけれども、それほど燃えに燃えてということはなかったですね。

稲継 なるほど。東京から、Uターンをしてこられたのですね。入庁してから、最初に配属になったのはどういった職場でしたでしょうか?

土屋 建設部道路維持課というところでした。

稲継 こちらでは、どういった仕事をされていたのでしょうか?

土屋 私は事務職員ですので、道路の台帳を管理する道路台帳係というところに配属になりました。そこは土木屋さんの係長さんが1人いて、あとは技術職員の土木屋さんが2人と事務職員が2人という構成で、全部で5人の係でした。具体的には、道路用地を測量したり、台帳に登録をするというような、主に不動産登記の仕事をさせていただいたのが、最初の仕事になります。

稲継 なるほど。そちらが市役所の初めての仕事でしたが、それまで民間にお勤めになっておられましたよね。民間で勤められていたときに比べて、市役所に入られて、最初に道路維持課の仕事をしたときに何か感じたことはありますか?

土屋 最初に入ったときに感じたのは、仕事ぶりに関して言うと、みなさん、すごく自分の仕事に真摯に向き合っているんだなっていうことは感じましたね。
 そういう意味では、「なるほどなあ、社会っていうのは、こういう人たちがいて支えているんだな」という印象はありました。特に、道路維持課の仕事は、道路を利用するすべての人たちが安全に安心して道路を使えるように道路を管理するという仕事でした。例えば、道路に穴が空いていると自転車がはまったり、車がぶつかったりと危険です。市民の生活を守っていくという意識が課の中にあり、夜中であろうが、みんな平気で現場に出て行きますしね。
 職場のコミュニケーションもとても良く、先輩たちと休みの日なんかには、遊んだりということもありましたので、割と素直に職場にはとけ込めたのかなと思います。
 ただ、私自身が正直、土木の分野も技術の分野も全く分からない状態でした。新人で事務職という私が、職場でどんな役に立てばいいのか、分からず迷うこともありました。

稲継 そうでしたか。

土屋 実は私は2つの大学に入学しているんです。卒業したのは1つですけど。最初は、電気工学科のある大学に入学したんです。

稲継 では、技術屋さんだったんですね。

土屋 技術の分野が好きだったんです。すごくそういう面で自分の将来を描いていたんですが、入ってみると、ちょっと違うのかなと思ってしまったんです。そのときは、経済学部の方が自分の指向に近いのかなということで、また入り直したんです。
 後になって考えると、どうも技術そのものを突き詰めて、探求していくということよりも、その技術を活用して何か変えていく、こんなふうに社会が変わる、身の回りが変わる、誰かに喜んでもらうという、どちらかというと技術をマネジメンントしていく。私としてはピュアな技術のところよりも、技術を応用、活用するような部分が、どうも私の思っている技術なんです。
 それで、配属されると、土木の分野というのは非常に奥深いところがあって、物を作るばかりではなくて、それを維持管理する。私は知識がないので、何とかそこで、私は立ち位置というか自分の役割というものを見つけ出そうとしました。ただ、仕事をやっている中で、正直即戦力じゃないんですよ。大学を出たばっかりの職員が市役所に入って、市役所の慣習、意思決定の流れ、仕事の進め方、庁内調整の仕方、補助金の取り方、書類の作り方、どれ1つ分からないんですね。即戦力じゃない時期に、その当時の課長さんが、たまに、ふらっと来ては人生論を語るんですよ。

稲継 人生論ですか?

土屋 「おまえは何のために生きているんだ?」と。「何だ、この忙しいときに、この課長。係長に仕事の指示されて、一生懸命しているんだけど」なんて思いながら、問いかけられるんです。でも、そのように上司から言われると答えられないんですよね。お酒でも飲んだら別なんでしょうけど。そうすると、「1つだけ答えがあるんだ。それはな、おまえは幸せになるために生きているんだ」って言われるんです。「へえ、そういうもんですか」というような話をしていて、面白い課長だなって思っていたんです。課長さんは、課をうまくまとめていきながら、「土屋よ、土木部門に来た事務屋は、どうしたって、事務屋として入って、事務の職場に行った人間と比べると、不利な部分がある。だから、それなりの努力をしなきゃいけないんだけれども、逆に言うと技術分野を知るっていうことは、すごくプラスになるところがある」とおっしゃられるんです。
 実際に思ったのは、事務屋と技術屋は、はっきり分かれていますから、技術屋さんは技術屋さんでその道の仕事をして、事務屋は事務屋できちんとやるべきことを果たして、初めてタッグを組めるんですね。そうすると、技術屋さんに、入ったばっかりなんですけども相談されるんですよ。一応、相手も答えが出せると思っていないですよね。どこかから、答えを聞いて持ってこいと思っているんですが。
 そうすると、事務の職場では当然ですが、文書、法制、財政などを調整する役割を入って数ヵ月でしなきゃいけない。例えば、市民課に入って、住民票を一生懸命出していますと、住民基本台帳法などのいろんな法律を覚えながら役所の仕組みを覚えていく。一方で、技術屋さんの部署に配属されて、技術屋さんとコミュニケーションできるようにある程度の知識を習得すると同時に、頼られた事務屋の分野に応えようとしていくと、ものすごく圧縮された時間の中でたくさんの知識を覚えることができました。そういう面ではすごく鍛えられたんだとは思います。
 それで、これは私が本業としてきた情報分野にも通じるところなんですが、当時、不動産登記法、道路法、都市計画法などの法律をはじめとして、さまざまな制度や仕組みが非常に都市行政の中に絡まり合って、それが道路にも関わってくるんです。その関係の書籍が役所の中にたくさんありまして・・・。

稲継 コンメンタールなどですね。

土屋 そうです。それらを一生懸命読みました。道路に関係するものは、全部で十数巻あるんですが、全部付せんを付けて、他にも様式集なんていうのもあるんですが、判例から何から出来るだけ覚えようと思って読みました(笑)。
 技術屋さんは実務には非常に特化をしていて、いろんな交渉テクニックを持っていて、経過もよく分かっています。だけれども、その業務が滞りなく終わればいいんですが、いざとなって係争になったらどうしようとか、法律論を相手方が振りかざしてきたらどうしようとか、対外的に詰め詰めの議論をしていくと、やっぱり法律を詳しく解釈したり、判例まで必要になってきます。そうすると、私がそれを一生懸命読んでいることを知っている先輩は、「おい、ちょっとこれ裏取ってくれ」だとか、「これに関連する判例は何かないか」って聞いてくるんです。その時に、例えば、「先輩、判例集の2巻2章のところに、確か大阪地裁の判例が昭和57年にあるんですが、国の要綱の改正がその数年後にあって、内容が多少変わっているので、判例と組み合わせて読んだ方がいいです。取りあえずコピーして、お届けしますから参考にしてください」というように答えるんです。それを聞いて、先輩としては、「おっ」と思ってくれるわけですよ。

稲継 それはそうですよね。頼れる存在ですからね。

土屋 技術屋さんの中に入ったら、事務屋としての立場でお付き合いをするには、こういう知識が必要になるんだと感じました。私は設計も施工管理もできないし、測量するにしても指示をいただいて動くだけです。でも、お互いに役割分担をして、尊重できる立ち位置に立つ。そのための、努力の甲斐があるのかなと思ったのは覚えています。

稲継 なるほどね。

土屋 それから、十数年後に、自分が情報システムにどっぷりはまるようになってきて、ベンダーさんがお話にみえるのですが、私は正直コンピューターの専門家ではないんですよ。ただ、プロのベンダーさんと対等にお付き合いするためには、行政として何が必要なのかということを、最初に担当した道路を管理する業務の中で覚えたような気がします。我々がやらなければいけないこと、彼らにやっていただかなければいけないこと、その役割分担とスケジュールをきちんと管理することで、立場が違うけれども、うまく歯車が回るんだと思います。

稲継 言ってみれば、スペシャリストに頼られるような存在。立場は違うけれどもスペシャリストと対等に議論ができるような存在であることが、すごく重要な要件であるということをそのときに気付いて、そして身に付けていかれたわけですよね。
 この道路維持課にはどれぐらいの期間おられましたか?

土屋 4年間おりました。

稲継 その次に異動されたのはどういう職場になりますか?

画像:甲府城からの眺望
甲府城からの眺望

土屋 その次は、資産税課の土地係に異動になりました。たまたま、その両方に共通するのが地図を扱うことで、航空写真を撮ったりとか、土地の管理のお仕事でした。ちょうどその頃に土地基本法の制定と公的評価の一本化という動きがあったものですから、多くの自治体で、プロジェクト体制を組まれて対応していたのではないでしょうか?

稲継 そうですね。この頃は大変な時期で、バブルがちょうど崩壊した直後ぐらいですね。

土屋 それで、この職場では、だんだん行政として説明責任を求められていくという時期でもあったので、日常の業務の中でいつでも説明ができるエビデンスは自動的に生成できるようにしなければいけないということを感じました。説明のための資料を後から作ったり、もしくは必要になってから慌てて作ることになってしまうと、業務全体が回っていかないだろうと。
 例えば、税金を賦課し、そのために通知書を発送し、住所が分からない方を追っかけたりという日常業務はあるんですが、そのプロセスはどのように、どういう理由でやっているのかということを、記録としてきちんと日常業務の中で残し、それをエビデンスとしていく必要があります。組織として、特に土地の評価は何十年というスパンの中で、定まった評価でしっかりやらないと、将来問題があった時に、過去の時々の判断の理由や合理性が問われる。その時に、この一連の業務を普通にこなしていけば、自然とエビデンスが生成できるような仕組みを作っておかないと、今後は説明ができなくなってしまうのではないかと考えていました。情報公開の流れもありましたし。
 もうひとつ思い出に残っていることは、チームワークですね。当時、資産税課は若い職員が多かったんですが・・・。

稲継 そうですか。

土屋 若手が集められた時期ですね。プロジェクトですので、係長さんもそれなりの数はいましたね。全部で40人以上でした。

稲継 40人ですか。大きな組織ですね。

土屋 若手の職員が中心となって年間スケジュールを組み、事務のマニュアルを作り、業務を進めていました。よく覚えているのが、「今日は7時から台帳の入れ替えをするよ」なんていう話が出ると、先輩たちが、終業時間の5時過ぎに近所でそばやコロッケを買ってきて、それをみんなで食べて「さあ、頑張ろう」というように、気持ちを盛り上げていました。どうしても人数が多いと派閥が出来ちゃったりするんですが、とけ込めない人間が出ないように意識する仕掛けで、やっぱりすごくチーム力ができました。いざとなれば一丸となれるような体制作りを学びましたね。
 ここでは、1つ目に科学的・合理的に手順を組んで誰に対しても説明ができ、記録が残っているので誰かが異動しても、休んでも他の職員が説明できる仕掛けを。2つ目にプロジェクトを遂行するためのチームワークをどのように作っていくのかということを、すごく実感して、勉強になりました。

稲継 なるほど、今、おっしゃった2つのことは、組織としてあるべき、非常に重要な点だと思うんです。それを資産税課におられたときに、身を持って学ばれたということですね。

土屋 はい、そうですね。

稲継 こちらには何年いらっしゃったんですか?

土屋 3年間ですね。

稲継 3年間おられて、その次はどういう仕事に?

土屋 次は会計室に異動となりました。
 甲府市としては当時、財務会計システムを近々入れたいと検討していました。「すぐに今年、来年ということで組織化するわけではないので、会計の流れを覚えさせよう」ということで配属になったんだと思います(笑)。結局、1年で異動しました。1年経ってから、今度は事務効率課という当時の情報部門に移りました。

稲継 これは総務部の中にある部署ですか?

土屋 はい。最初にやはり財務会計システムの企画立案を担当することとなりました。

稲継 財務会計システムのスタートアップのときですね?

土屋 そうですね。係は作っていただいて、調査費として100万円ほど予算は付いていたんですが、財務会計システム導入の企画を進めるには、組織的にも人員的にも、もしくは業務的にもいろんなクオリティーが上がっていきますよ。経年的にはこんな効果も上がります。財務会計システムを入れた後、次はどういうプランニングで、5年後、どんな役所になっていなきゃいけないか、そのためのステップはどのようなもので、それを実現するためには、何の準備をしなきゃいけないのか?加えて、経費とメリット部分の試算も必要でした。えらいことを担当したなと思いました。
 全国の自治体を調査しながら、初めは議会の答弁でも現在検討中ですと、お答えするしかなかったんです。何回か企画書を作って提出するのですが、提出をしても、当然、最初は練りが足りないので、「これではすぐには予算を付けられません。効果部分が薄いですね」などと指摘されました。
 2年目に、企画書を提出したのですが、やはり予算が付かないんです。普通の役所の異動は3年です。3年目に予算が認められないと、3年目は仕事がないんですよ(笑)。「3年いて、何もできないっていうこと?」って思うわけですよ。これはもう冗談じゃないって。
 だから、そのときは、ものすごく悔しかったですね。本当に悔しかったのは、1年目の資料については確かに指摘されたとおり、足りない部分が多かった。でも、2年目の予算の際には、「今度は文句ないでしょう」と思って企画書を提出したんですね。「よく分かった。でもな、土屋、ない袖は触れない」という返答でした。理屈で説得すれば認めてくれるという話だったので、すごく悔しかったです。まあ、今思えば説得力が足りなかったんでしょうね(笑)。
 悔しいながらも、色々と考えているうちに、「予算さえ確保できればいい!」と、ひらめいたんです。ちょうど2000年問題が近づいて、事務効率課で、その準備予算を取るという話があったんですが・・・。

稲継 当時は1997(平成9)年ぐらいですかね?

土屋 そうですね、そのくらいの時期です。

稲継 もう2000年問題は直前の問題ですね。

土屋 そうすると、私も同じ課ですから、それに絡んでお話をしていたらプログラムは別ですけれど、とりあえず、ファシリティー(設備)としては大きな問題もなくいけるでしょう。2000年問題を凌げれば、当面は大きな事業は想定されないだろうと。逆に、介護保険制度、後期高齢者医療制度とか、ものすごく大きいものがあるのであれば、それはまた別枠の話だったので、既存業務を対象に考える限り、ある程度、1、2年は安定的な時期が見込めるでしょう、というような話をしていました。
 何でこんな話をしたかというと、当時の大きなコンピューターシステムが稼働して、2年目だったんです。私の異動した年が更新した年なんです。5年でリースを組んでいて、あと3年でリースが終わる状況でした。でも、リース期間が終わった後に、通常は1年とか2年とか再リースを組んでいって、その時に何か足りなくなれば、そこでリースを終わらせなければいけないんだけれど、おそらく、お話したとおり、大体1年か2年、再リースができるだろうという見込みだったんです。そこで、ひらめいたのは、2年間再リースするよりは、来年から一旦、リースを解除して、残債を含めて、もう1回、3年(残りの期間)+2年(再リース予定期間)の合計5年で組んだら、来年ゲイン(利益)が出るんじゃないかと考えたんです。

稲継 なるほど、浮きが出てくる。

土屋 そうなんです。「出るよな、いくら出るかな」と、計算したら1年あたり、7,000万ぐらい出るんですよ。7,000万×5=3億5,000万円(笑)、あとちょっと予算を足せば、庁内LANを張って、財務会計システムを作って、パソコンをかなり整備できるんです。そうすれば、管理職以上には配置ができるし、いけるかなと思ったんですね。
 ただ、リース契約の中途解除は条項にも入れてあるんですけれども、残債の計算の仕方とか相手方が、了解してくれればいいんだけれども、ちょっとどうなのかなと思いまして。もちろん、ちゃんと払うものは払う、契約をむちゃくちゃにしようっていう話でもないし、逆に向こうは2年間、きちんとお金をもらえます。

稲継 確実に取れますからね。

土屋 はい。それで、話をしてみたんですね。結論とすれば、いいんじゃないでしょうかと。

稲継 それはうまくいきましたね。

土屋 それで、この話を整理して改めて財政担当課に持ち込んだんです。

稲継 7,000万のゲインですね。

土屋 「おっ」っていう話になって、一転、予算が付いたんですけれども、なかなか荒っぽいやり方だったもんで、説教されたりとか(笑)、関係する部の先輩たちに、すごく心配されました。「お前、これを成功体験と思うな。奇襲作戦だ。奇襲作戦は二度と通用しないぞ。奇襲作戦で成功して、快感だっただろう?もう1回、その快感を味わおうと思ってやると、必ずお前はつまずく。だから、今回はしょうがない。たまたま、周りにも恵まれたし、お前のアイデアもあったかもしれんが、次からは正攻法でいけるようにしろよ。お前が企画を通したかったら、もっと前に絵を描けばよかったんだぞ」と言いながら、夜に飲みに連れていってくれて、肩をたたいて、褒めてくれたりしたんです。
 その時に、たぶん、それを言われなければ、私はすごくいい仕事をしたんだみたいな勘違いをして、同じようなカタルシスを得るために、同じような手法を繰り返して失敗をしたんだと思います。
 だから、やっぱりそこから学んだことは、仕事というのはみんなとチームを組んで、いろんな相手もいる中で、高い所から低い所に水が流れるように、物事の道理を見せて、みんなが自然に集まるように回していくということが、一番の理想型なんだろうなということです。

稲継 なるほどね。

土屋 ただ、奇襲作戦で勝つっていうのは、すごく快感なんです(笑)。

稲継 でしょうね(笑)。

土屋 まあ、そんなようなこともやって、お叱りを受けながら、とりあえず予算も確保して、徐々に話を進めていって、そこからちょうど2年後ぐらいですかね、ようやく動いたときに、非常に感激をしました。
 ただ、財務会計システムは日常業務で使うんですけれども、役所の中にパソコンもネットワークもなかった状態から、一気に導入しますので、下手をすると、パソコンが使われなくなる。財務会計システムの利用度も上がらないだろうと思ったので、財務会計の基本構想の中では原則的に紙を廃止して、すべて電子起案・決裁にすることにしたんです。
 当時の財務会計システムは、起案をすると紙が出てきて、それにハンコを押していくというような、いわゆる清書系のシステムと、紙に印刷せず電子決裁する方法の2種類ありました。我々としては、使ってもらって初めて効果が出るのですが、いきなり電子決裁は「かなり荒っぽい」って言われたんですよ。

稲継 一気に進めたんですね。その頃に、庁内LAN、財務会計システム、人事給与システムも導入されたのですか?

土屋 人事給与システムはホスト系でもう既に入っていましたので、CRM(Customer Relationship Management)の仕掛けですね。それと、文書管理システムの企画立案なんていうことも担当させていただきました。

稲継 市の情報部門に関して、かなりの部分を担当されて、それから、情報管理課の係長さんになられるんですね?

土屋 そうですね。平成13(2001)年に係長になりました。係長になってすぐではなかったんですけれども、ちょうど平成13年度の終わりぐらいに、山梨県の市町村振興協会から、県内の市町村の電子申請を研究したいというお話がありました。
 お声がかかり「じゃあ、土屋が行ってこい」ということになりました(笑)。参加した自治体からは、やっぱり非常に経験値が高い課長補佐や係長さんたちばかりで、みんな、年上なんですよ。けれど、たまたま、その当時の山梨県市長会の会長がうちの市長だったもので、「じゃあ、市長会長の市から座長を」って言われて、私が座長になっちゃったんですね。みんな、年上なんですけど(笑)。
 面白かったのは、最初はお互いに、共同で事業をすることに対して、警戒感がどこの自治体からもあったと思うんですね。

稲継 それはそうでしょうね。

土屋 「特定モデルでは嫌だ。我々の仕事がやりにくくなってしまったら困る」「費用負担の公平性はどうするんだ」「トラブルが起きた時の責任体制はどうするんだ」と、いろんな問題がすごく出てきました。
 そもそも、本当に共同化をしたら費用が安くなるのかという議論も盛んにしたのですが、頻繁に春から夏にかけて集まって話をする中で、お互いの性格が見えてきたりとか、お互いの純粋な思いだとか、自治体間の実情なんかが見えてきたりすると、本音の話ができるようになってきたんですね。


 奇襲作戦に成功した土屋さんに対して先輩は、次からは正攻法でいけと諭す。そこから土屋さんは、「仕事というのはみんなとチームを組んで、いろんな相手もいる中で、高い所から低い所に水が流れるように、物事の道理を見せて、みんなが自然に集まるように回していくということが、一番の理想型」ということを悟る。
 次に山梨県と県内全市町村の計57団体で電子申請を研究し共同化するプロジェクトの座長を命じられる。