メールマガジン

第71回2011.02.23

インタビュー:相馬市総務課 主任主査兼職員係長  伊東 充幸さん(上)

 このメールマガジン読者の中には、OJL(On the Job Learning)という言葉に接したことのある人も多いだろう。いわゆる学習する組織、という概念である。近時、JIAM をはじめとする研修所で、OJL、学習する組織をテーマとした研修の機会も提供されており、それを受講した方もおられるだろう。
 今回は、そのOJLを実践している相馬市の事例を紹介しよう。


稲継 今日は福島県相馬市にお訪ねしまして、総務課の伊東さんにお話をお伺いします。どうぞよろしくお願いいたします。

伊東 よろしくお願いいたします。

稲継 初めに、伊東さんが相馬市役所に入られたのは、いつ頃になりますでしょうか?

伊東 平成3(1991)年に入庁しました。

稲継 今から20年ほど前になりますが、相馬市役所に入ろうと思ったきっかけはあったのでしょうか?

伊東 はい、実は、私はもともと相馬市出身ではないんです。生まれは福島のいわき市なんですが、幼稚園に入る前から大学を卒業するまで、ずっと埼玉で育ちました。何で地方に来たのかというと、当時、満員電車の通勤だけは絶対に嫌だという気持ちがありまして、都会から地方に行こうと思っていたんです。

稲継 では、相馬市を選んだのはどうしてですか?何か縁があったんですか?

画像:伊東 充幸さん
伊東 充幸さん

伊東 「満員電車の通勤を避け、転勤のない仕事で、地域に根差した仕事をしたい。そうなると、やっぱり役所職員だな」そんな感覚で市役所職員になり、そんな理由で、都会から地方を目指してきたんですけれども、初めから相馬市に就職しようと思って来たわけではないのです。
 実はこれ内緒なんですけど、始めは生まれ故郷のいわき市役所を受けようと思ったんです。あ!内緒と言っておいて、ここで話したら、内緒にならないですね(笑)。でも、就職活動の開始が遅くて、既にいわき市の試験は終わっていました。どうしようと考えたときに、海が好きなので生まれた福島県内だったら浜通りで働きたいと思い、いわきから浜通りを北上した際、ここ相馬市の試験が一番遅かったんですよ(笑)。それで、間に合って、たまたま受かってしまったんですね(笑)。

稲継 そうだったんですね(笑)。希望の海に近い相馬市役所に入庁されて、最初にどちらの部署に配属になりましたか?

伊東 福祉事務所に配属になり、生活保護担当ということで、ケースワーカーをやることになりました。

稲継 入庁して、いきなりケースワーカーとは、なかなか大変だったと思いますが、ケースワーカーとしての苦労談みたいなものがありましたら、教えていただけますか?

伊東 はい、ケースワーカーとして従事しているときに、県の監査がありまして、県職員と一緒に家庭訪問をしたんです。その家庭訪問先の被保護者に衝撃的な一言を言われてしまいました。「何か困り事はないですか?相談したいことはありませんか?」とお決まりの問いかけに、埼玉言葉でしたから、「あんたはここの人でねえべ。ここの人でねえ人に、悩みを打ち明けたところで、親身にはなってはくんねえべ」と、その訪問先の被保護者の方に言われたんです。
 それで、かなりショックを受けました。同行していた県の方も、「仕事柄、心を開いてもらうためには、言葉っていうのは大事だよね」とおっしゃられていまして、地域に根差すには言葉からだと痛感しました。それで、市役所の中で一番なまっている人と、とにかくしゃべりまくりましてね・・・。

稲継 言語取得ですね。

伊東 だいたい2ヵ月ぐらいで、「なまりは、ばっちり!」みたいな感じになりました(笑)。なまりが仕事に反映され、それからは業務的にもスムーズにいきましたが、役所に入ったばかりで、ショッキングな出来事でしたね。

稲継 地元出身じゃないのに相馬市役所に就職したということが、ある意味ハンデを背負っていたんだけれども、それは言語レッスンによって克服して、何とか地元にとけ込もうとした。かなり大変なご苦労だったと思うんですね。でも、それを乗り越えたことによって何か得られたものもあったんでしょうね?

伊東 そうですね、自分を変えないと駄目なんだっていうことを気づかされました。埼玉育ちでシティーボーイでしたから(笑)。シティーボーイ気取りでやっていてはいけないんだなと、溶け込むことの大切さを学ばさせてもらいました。何事にも「自分を変えてみる」今の仕事に対するスタイルが、この時に出来たような気がします。

稲継 なるほど。福祉事務所から、次はどちらに異動されたのでしょうか?

伊東 ケースワーカーを5年経験して、次は、商工観光課に異動になりました。相馬市出身ではない私が観光のPRをしなければいけなくなりました(汗)。

稲継 そうだったんですか。

伊東 なぜ、地元以外の職員を観光担当に配属するのかな?と思ったんです。でも、自分は地元出身ではないからと自分を変えずにいては仕事になりませんから、地元のことを知らないといけないなということで、相馬市について大分勉強させていただきました。観光の仕事をしてきて良かったなと思うのは、全くもって、他県他市の目から見れるというんですかね、よそ者の目で見れるというか・・・。

稲継 客観的にですね。

伊東 今まで地元では「大したものじゃない」と言っていたものが、私にとってはすごく魅力的に映りましたから。相馬市は、漁港があり海産物が結構揚がるんですが、どれもある程度の量がそれなりに揚がるんです(笑)。それがかえって「これは特産物にできる」という「目玉」を見出せない要因になっていたようです。何でもあるから何をPRしていいのか分からないで、今まで来ちゃったという感じを受けていました。
 「あれだってPRできるし、これだってPRできますよね」っていうようなことを地元の方と色々話をしているうちに、「ああ、そういう宣伝の仕方もあるんだ」「そういう見方もあるのか」ということで、地元の方の気付きのきっかけになりました。それからというもの、物産関係についても進展を見れたかなと思っています。

稲継 やっぱり、中にいる人には全然見えないんだけれども、外から来た人、外部の目で見ると良い面が見えてくるところはあるんですよね。

伊東 観光ポイントでも、「ここはすごくいいですよ」と言うと、「だって毎日見てるもん」という話になっていました。「どこに魅力があるんだか分かんない」という部分を、「私から見るとすごく魅力的ですよ。PRしていきましょう」と、時には泊まり込みで話し合いました。
 私自身も「自分が住む街の魅力発見!」みたいな仕事に楽しさや驚きや感動を受けながら、仕事ができましたから・・・それはもう夢中で。そんな仕事の話の中で、地元の方からまたまた衝撃的な一言を受けてしまいました。
 「あんたも窓際族の仲間入りかい?」と。ポカンとしていると、観光課職員は市民の皆さんは、窓際族の仕事みたいな印象を持っていたんですよ。「なんで、そんなイメージを持っているんですか?」と聞いたら、「だって観光課の人は何もしてくれない」という答えが返ってきました。その理由を聞くと、「だって、PRの場も提供してくれないし、補助金の取り方も教えてくれない。どういう補助金があるかも教えてくれない。何にも情報を提供してくれない。あそこは、何にもしない職員、窓際族になった人が行く課だって思ってた」という話でした。
 市の職員と市民の間に信頼関係が全く無かった事に驚かされました。それまでは、膝をつき合わせて話をする機会はなかったようで、それではいけないと、交流する機会を増やし、一緒に観光施策を企画し実行していきました。本当に一心同体という状態で、大きなイベントを成功させた時など、地元の人がみんな涙涙で「ここまで、できるなんて、良かった、良かった」と語り、一緒に感動をおぼえました。そういう部分で、やっぱりよそから来たことが、自分の業務にとってプラスになったことは結構ありましたね。

稲継 なるほど、市外から来たことをメリットにすることができたんですね。ちなみに、どのような方法で相馬市をPRしていったんですか?

伊東 観光については本当に思う存分やらせていただきました。目立ったもの勝ちの世界ですから、とにかくメディアを使ってPRしていきました。ここは相馬野馬追という歴史ある祭事があるのですが、そこで陣羽織っていう和装があるものですから、とことんそういうものを活用して、テレビ局に電話をバンバンかけて、40回ぐらいは出演させていただきました。とにかく何か目立つものがあると、テレビ局の方も食いついていただけます。視聴者プレゼントの協力をいただきながらPRするようになって、ようやく地元の人たちも、PRをすればお客さんが来ることに気が付いてくれました。
 それまで相馬の観光は、海水浴がメインだったんですが、夏場は内陸の福島市とか郡山市の方から海水浴客が黙っていても、何もしなくても来ていただける時代をずっと過ごしてきて、殿様商売の傾向があったのです。しかし、バブルがはじけてからは、今まで宿泊型で遊びに来ていたお客様も、日帰りで帰ってしまうなどスタイルが変わってしまいました。
 これまでの殿様商売では駄目になった時期と、私が異動になった時期が重なっていたんです。地元の人に「私たちも考え方やスタイルを変えましょう」と話をさせてもらってから、地元も活気づいてくれた気がします。商工観光課の仕事って一人じゃ何もできないんですよ。やっぱり地元の方がいないと何もできないんです。だから一緒に仕事させて下さいと。

稲継 それはそうでしょうね。一人では何もできませんよね。

伊東 地元の方の協力をもらうためには、懐に飛び込んで行かないと、全然動いてくれませんから。商工観光課に異動して、半年ぐらいは「あんたは役所の人間だろう」という警戒心みたいなものがあり、心を開いてもらえなかった気がします。それを払しょくするためにはとにかく地元に行って、声を聞くことだと思いましたから、日中、机には絶対に座っていなかったです。そんなしつこさが(笑)、「そこまで一生懸命やってくれるんだったら、乗ってもいいか」みたいな雰囲気になってきましたね。

稲継 「地元の人たちの心を動かすためにはどうしたらいいか」という思いが、自然と伊東さんを突き動かしたんでしょうね。

伊東 「窓際族」と「何もしてもらえなかった」という言葉が、すごく心に刺さりまして、「このままではいけない」という思いはありましたね。

稲継 そうでしたか。商工観光課には何年いらっしゃったんですか?

伊東 5年間ですね。

稲継 5年間いらっしゃって、次はどちらに異動されたのでしょうか?

画像:相馬市役所
相馬市役所

伊東 税務課に異動し、固定資産税担当となりました。家屋評価の主任だったんですけれども、私自身は、実は数字がものすごく苦手なんです(汗)。よく他の職員とも話をするんですけど、丼勘定でも、みんなは丼にちゃんと目盛りがついているんですよ。私は丼勘定どころかザル勘定のところがあるので、どっちかというと細かい仕事は不得手なんです。そういう部分では、税務の仕事は自分にとっては心地良い仕事ではなかったですね。
 ただ、やはり、窓口業務、税務処理、そういった部分については、ケースワーカーのクレームとは、また違う次元のクレームなので、非常に勉強になりました。これまで、庁舎の外に出てする仕事を10年近くやってきたわけです。家屋調査とかはあるものの、税務は完全に中でやり、中で完結する仕事だったので、内向きの仕事が役所の中にあることを知ることができました。ましてや課税に対する責任、重さというか・・・。

稲継 重さはありますよね。

伊東 それは、今でも本当に感じています。これまでは型破りの公務員みたいなこと、ある意味自分がやりたいように仕事をやってきたのですが、税務の仕事で公務員の原点に立ち返ったというか、非常に良いタイミングで4年間、従事できたなと思っています。

稲継 そこから、次はどちらに異動されたのですか?

伊東 次に商工振興課に異動になりました。

稲継 商工振興課ですか。これは前の商工観光課とまた違うんですか?

伊東 商工観光課が機構改革で、観光物産と商工振興の二つの課に分かれたんですね。前は観光物産の分野の仕事だったんですけれども、今度は商工振興で企業誘致や町内の商栄会などの仕事に携わるようになりました。

稲継 こちらで、印象に残っているようなことがありましたら、お話いただければと思うのですが。

伊東 印象に残るということではないのですが、私はこの時に「酒」をやめました。もともと私は痛風持ちで、酒を飲むと足が腫れたりしていたんですが、企業誘致という仕事は企業さんの都合に合わせて仕事をしなければいけません。「痛風発作で歩けない」なんていうことになると、当然企業さんに迷惑をかけます。これは酒飲みのままでは駄目だと、自分を変えなければいけないと。この時に酒をやめまして、今もずっと酒は飲んでいません。
 企業さん都合で仕事をしてみて、何を中心に仕事をすればいいか、学んだところです。ケースワーカーのときには、本当に生活弱者のためにという思いがありましたが、商工観光課のときには、むしろ自分たちの地域を良くする取り組みでした。税務課では、課税ですから、いかに平等にということになりますし、商工振興課は、本当に企業様々という仕事です。本当にいろんな分野をタイミングよく歩かせていただいたなと、これまでを振り返ると感じます。

稲継 みんな対象は市民なんだけれども、ケースワーカーのときは生活弱者の市民、それから商工観光課の時は観光業に携わるような、あるいは商店街の人たちというような市民、それから税務課のときには家屋を所有しておられる市民、それから商工振興課のときには、企業さんという市民。全部市民なんだけど、ちょっと違いますね。

伊東 そうですね。全部、切り口が違うんですが同じ市民なんですね。

稲継 同じ市民といっても、いろんなバリエーションがあるのを、ずっと経験してこられたということですよね。

伊東 そうですね。税務課を除いては、すべて外向きの仕事だったんですけれども、平成19(2007)年に総務課に異動になりまして、職員係長を拝命した時は、ちょっと耳を疑いまして・・・。

稲継 どうしてですか? 

伊東 職員係長というのは、係長経験を色々積んだ、十分に慣れた方がこれまではずっと人事で配置されていたんです。

稲継 同じ係長でも、かなり重責のある係長なんですね。

伊東 そうなんだと自覚していますが、なぜに初めての係長拝命が職員係長なのかとすごくショックを受けました。

稲継 誰か答えてくれた人がいましたか? 

伊東 いや、誰も答えてくれずに、「伊東君、がんばって」と言われて終わりでした(笑)。

稲継 職員係長というのは要するに人事係長。職員全般の人事管理を担当するのが普通のイメージなんですが、そこで、伊東さんは新しい取り組みをスタートされたとお伺いしました。どういった取り組みだったんでしょうか?

伊東 はい、OJL(On the Job Learning)という概念に基づいた取り組みを行ったんです。初めに、OJLに取り組んだきっかけについて、お話させていただきたいのですが、職員係長になってから、今まで外向きに仕事をしていたのが、庁内の職員を見るようになりました。その時に、自分が役所に入った当時と現在とでは、職員間のコミュニケーションが全く異質になっている印象を受けたんです。

稲継 どういった状況なんですか?

伊東 原因の一つは、職員数の激減なんですが、相馬市の場合は、集中改革プランの中で、平成17(2005)年度に約360名いた職員数を6年間で約60名(15%)減らして平成22(2010)年度には約300名まで削減しています。
 私が入庁したころは、人的余裕もありましたし、地方分権の流れも全然出てこない時代で、業務量的にも余裕がありました。また、人的余裕があったことによって、新人育成、後輩育成については、例えば、「口やかましいおばちゃん上司」が1課に1人ぐらいいて、必ず職員の面倒を見てくれるような人材がいたんですね。それが職員数の削減が進むにつれ、面倒見役の母親代わりのような職員の存在がなくなっていったのです。面倒見役の職員その人がいなくなったわけではなく、その人自身が母親代わりをする余裕がなくなってしまったんですね。
 人的な余裕がなくなってきて、とにかく、自分の担当している仕事で精一杯の中で、新人や後輩を育成したり、先輩に育成されたりっていう関係や環境が、おそらく私が職員係長になる数年前から、無くなっていたんだと思うんです。総務という仕事をしていないうちは、自分の課のことしか見えませんし、全体的に見えなかった部分もあって気付きませんでした。自分の課内のコミュニケーションはうまくいっていましたから、あまり違和感を覚えなかったんです。
 しかし、総務という仕事を担当して、全体を見るようになって、「あれ?俺らのころと全く体制が違うんじゃない?職場の雰囲気が違うんじゃない?」ということを感じたんですね。閉塞感というかギスギスしていて、「何で、もうちょっと笑顔で仕事ができないの」とか、「残業が多いんじゃないの」とか、そういうことに気が付いたんです。そういったことを感じている中で、OJLという研修にめぐり合いました。

稲継 それはどのような研修だったんでしょうか?

伊東 (財)ふくしま自治研修センターで行われている研修なのですが、いわゆる新任係長研修というプログラムの中にOJLという分野の研修が組み込まれているんです。内容については、ポジティブシンキングしながら、やらされ感で仕事をするのではなくて、「自らやりたいことをやっていきましょう」「クリエイティブな仕事ができる職員でありましょう」というような研修でした。もう目から鱗というか、「やっぱり、そうだよな。なぜ、我が市はそうじゃないんだろう」ということを研修中から感じました。
 通常、研修を受講してから、研修の効果というのは1週間、2週間程度で終わってしまうことが現実には多いと言われますが、私自身は職責もあってか、何とかしたいという気持ちがずっとメラメラしていました。「職場風土を変えていきたい」「職員が仕事をしやすい環境にしたい」ということに取り組んでみようと思いました。では、自分に何ができるんだろうかと、考えました。
 このOJLの研修では、OJLソングというものを研修の始まりと終わりに歌わせられるんですよ。「よく歌詞をかみ砕いて歌ってください」と講師に言われました。それで歌ってみると、何となく「そうだよね、そういう気持ちで仕事をしないといけないよね」と、研修中も気持ちが切り替わっていって、本当に前向きに研修を受講することができたんです。
 組織変革とか風土改革なんて言っても、これまでいろんな人が取り組んできて、うまくいかなかった部分もあると思うんですね。だから、自分に何ができるのかを考えたときに、このOJLソングを市役所の中で流してやろう!と思ったのです。

稲継 研修で実際に体験されたことを実行に移したわけですね。

伊東 やっぱり、その研修を受けた方のアンケートなどを見させていただくと、OJLソングを歌ったり聞いたりすることで、かなり気持ちの入り方が違ったという回答がありました。じゃあ、まずはその辺からやってみようということで、OJLソングをそのまま市役所の中で流してみたい。自分が感じたことと、同じように人が感じるかは別ですが、「役所の中でこんなことってあり?普通はやらないよね」ということに取り組むことによって、組織変革するために障害となる壁を打破できるんじゃないかなと、何かのきっかけになるんじゃないかと。何か一つ行動を起こさないと始まらないということで、自分は研修から帰ってきたときに、「絶対にOJLソングを役所の中で流してやろう」と思ったんですね。

稲継 そのOJLソングとは何なのか、読者の大部分の方がご存知ないと思うので、少し説明していただけますか? 

伊東 はい、たぶん研修の講師の方も明確に定義はしていないと思うんです。OJLソングは、その曲に書かれている歌詞を聞くことによって、ポジティブな気持ちになれる歌なんです。ですから、1曲だけがOJLソングではなくて、聴く側がその歌詞の内容に共感したりとか、その歌詞から勇気をもらったりとか、そういったことができる曲は、すべてOJLソングという括りになるかと思います。例えば、分かりやすい例を挙げると、「明日があるさ」とか「上を向いて歩こう」などの楽観的な部分を聴くことによって、「くよくよしてもしょうがないか」みたいに前向きに感じられる曲や、相馬市で最初に流したMr. Childrenの「彩り」のように「自分の仕事がどこの誰かもわからない人の笑顔を作っている仕事なんだ」「自分の仕事は誰かの役になっているんだ」と思うことでやる気が出る曲を、おおよそOJLソングというような括りにできるんだろうと思います。

稲継 これは、平成20(2008)年の5月からスタートされたんですね。毎朝、始業前に流しているんですか? 

伊東 はい。相馬市ではこれまでに50曲弱のOJLソングを流しています。毎朝この時間に流す理由は2つあります。一つは、一日の仕事が始まる前に気持ちを高めるためです。もう一つは著作権法の関係なんですよ。著作権協会に問い合わせをしまして、「こういった曲を職場の中で流すと何か著作権法にひっかかりますか」と確認をしたんです。すると、「研修の一環としてかける分には一切問題はない。ただ、不特定多数の市民が庁舎の中にいるときにかけると、BGMの扱いになって著作権法に抵触します」と言われまして、「じゃあ、市民のいない時間帯ならいいんですね」と確認したところ、「それは問題ないです」という話になりました。
 実は昼休みにも流したかったんですよ。でも、昼休みは市民が役所の中にいらっしゃるんですよね。じゃあ、始業前だということで、8時15分から、およそ5分程度の曲なので2回繰り返しで、だいたい25分ぐらいまで流しています。

稲継 スタートして何かプラスの効果があったんですか?

伊東 そうですね、「朝、歌を聴くだけで、こんなに1日のスタートが変わるとは思わなかった」とか「役所の感覚が変わった気がする」などの感想が寄せられ、周囲の意識が変化し、ポジティブシンキングが広がったことを実感しました。たった1曲歌を流すという小さなアクションが、職員の意識の変化を起こすきっかけになったと思います。


 次号に続く。