メールマガジン

第70回2011.01.26

インタビュー:福山市市長公室秘書広報課  広報担当次長 安原 洋子さん(下)

 福山市全体のイメージ戦略づくりを、全庁から職員を集めて行う福山きらりプロジェクト、職員全員に広報としての意識を持ってもらう職員全員参加型名刺事業など、福山市を売り出すために様々な取り組みに携わってきた安原さん。今回は、安原さんの入庁後の職業人生を振り返っていただく形で、今の取り組みへの基礎を考えてみたい。


稲継 安原さんの現在の仕事について、割と長く聞いてきたんですけれども、ご自身の今までの職歴を、簡単にここで教えていただきたいと思います。入庁されて最初に携わられた仕事はどのようなお仕事でしょうか?

安原 入庁後1年間は、市民課の記録係というところで、戸籍や住民票を認証して発行する仕事に携わっていました。その当時は、まだコピーの前段階である青焼きだったんですが・・・。

稲継 昔は青焼きでしたね。

安原 その年に、戸籍や住民票の電算化の前段階である電動ファイルに移行になりましたので、そういった事務を1年間やっておりました。

稲継 そうですか。その次はどのようなお仕事を?

安原 その次に今の秘書広報課に異動になったんです。今は広報担当に席を置いていますが、入庁2年目から市長や助役の秘書の仕事を、16年間務めさせていただきました。

稲継 16年ですか。比較的長いですね。

安原 そうですね。今の広報に移ってから3年になりまして、通算で19年間が秘書広報課ということになります。この間、3人の市長、7人の助役にお仕えをしてきたんですけど、秘書担当ではトップ・マネジメントに携わらせていただきました。

稲継 私も色々な市長とお話する機会があるのですが、市長というのは、ものすごく忙しいですよね。

安原 そうですね。

稲継 5分とか10分刻みで様々なアポが入っていて、人に会ったり、決裁をしたりということをしなければいけないのですが、その秘書という仕事は、それを上手くハンドリングしたり、日程調整をしたり、色々なご苦労があると思うんですね。その辺のところで何か、自分なりに感じたことや得られたことがあったら、お話いただけますか?

画像:安原 洋子さん
安原 洋子さん

安原 はい。行政トップというのは、私も3人子どもがおりますので、子育てをして思ったのですが、まさにわが子を慈しむように、このまちを良くしていきたい思いを持って、まちを愛して、本当に、昼も夜もなく土日もなく頑張っておられるんですね。おっしゃられるように、ものすごくお忙しいのですが、それでも、様々な判断を次々にしていかないといけませんので、トップにどのように情報を上げていくかということが、とても大事なんです。日程調整などは比較的キャリアが短くてもできるのですけれども、だんだんキャリアを積んでいきますと、色々な事象が起こった時の判断材料になるような情報収集を、経済や人物や様々なところから、日々、準備をしていましたね。

稲継 やはり非常に難しい仕事だと思うんでけれども、何かこの時に苦労したとか、これが大変だったとかいう逸話がありましたら、お教えいただけたらと思うのですけれども。

安原 そうですね。秘書というのは黒子で、表に出るような仕事ではなく、秘密事項を扱いますので、具体的に申し上げるのは難しいのですけれども、やはり市が重要な局面に立った時に、例えば某都市銀行の頭取は近隣市のご出身であるとか、そういった人物のことを秘書が把握しておくというのは、やはりとても大事ですね。色々な人とのつながりによって、政治や行政も動いていますので、判断材料が仕舞える引き出しをたくさん持っていて、ドラえもんのポケットのように、必要な時に必要なものがすぐに出てくるように、ということは心掛けて情報収集していました。

稲継 少し市長の耳元で耳打ちしたりするんですかね。

安原 タイムリーな情報をスピーディーにお出しするということですね。

稲継 黒子ではあるけれどもある意味、若干ハンドリングする部分も秘書としては出てくるということでは?

安原 いいえ。秘書はそんなおこがましいことはいたしません。黒子なんですから(笑)。空気のような存在といったらいいでしょうか。トップに気を遣わせたらおしまいなんです。来客中のお茶のサービスでも、秘書が入って来たら会話が止まるようでは駄目。いるかいないか分からないような自然な存在になろうと心掛けていました。また、助役からは、「一を聞いたら十を悟る人になれ」と常々言われてもいましたので、アンテナはピンと張っていましたね。

稲継 面白いですね。秘書の仕事というのは、おっしゃられるように黒子と、よく言われますけれども、空気のようになくてはならない存在でもあるんですよね(笑)。

安原 黒子と言えば、皇族に裏方の仕事を労っていただいた恐れ多いエピソードもあるんです。

稲継 それはどんなことだったんですか(笑)。

安原 20代のころに、広島アジア競技大会や広島国体などで秋篠宮両殿下や常陸宮両殿下など皇族が相次いでおみえになり、それの接遇班チーフを任されたのですが、その際、常陸宮様にお茶をお出しした際に、妃殿下から「このような大きな大会のお世話は、さぞ大変でしょう。」とお声掛けをいただきました。とても慈しみにあふれたお言葉で、感動したことを覚えています。
 この頃は子どもを出産して、育児休暇を取って復帰した直後でしたので、こうしたことがきっかけにもなり、市長に恥をかかせない接遇をしなければという思いを新たにし、秘書検定を受検することで研鑽を重ね、3人目の子の育児休暇中には秘書検定1級を取得しました。
 育児休暇中は復帰に向けて、不安を抱くことも多いのですが、子どもが眠っている間に勉強もでき、実はスキルアップのチャンスでもあるんですね。

稲継 なるほど。今イクメンも流行っていますが、育児という職場を離れた生活の中に身を置く事が、後々のためになることもあるんですね。
 これまで秘書のお仕事について色々伺ってきましたが、安原さんも実際は、色々な重大な決断を目の当たりにされたことも多分あったと思うのですが、個別の話は多分守秘義務があって、どれも話せないと思いますので、これ以上、立ち入ってお聞きいたしませんけれども・・・。

安原 そうですね。トップ・マネジメントを行う上では、間違った情報を入れましたら大変なことになるので、それはいつも肝に銘じておりましたね。私が秘書の仕事に就くまでは、秘書広報課では女性はお茶のサービスとか、接待や経理事務が主だったんですが、先ほどの厳しい助役に秘書を任せていただいたり、市長の東京出張に同行させていただきました。省庁回りや議員会館回り、全国市長会の会議の席にも同席させていただき、行政の仕事がどのようにして回っているかを、大きな視点で見させていただきました。
 市長からも「秘書がここで、ただ電話を取っているだけではいいマネジメントはできない。私たちが東京に行って、何をしているのかということも、やっぱり知っておいてもらわないと」とおっしゃられて、そのような経験をさせていただきましたので、それを自分だけのものにするということではなくて、これはすごく重要なことなので、市の職員全員が知るべきだと思ったんですね。

稲継 市の職員全員が知るべきだと。

安原 はい。例を挙げたいと思いますが、次に異動した部署である医療年金課では、2年間、乳幼児医療の仕事に携わりました。その後、子育て支援課という新設の課ができまして、乳幼児医療の仕事を持って異動したのですが、その頃には次世代育成ということが、かなり声高に言われる時代になっていましたので、これからの子ども達の育成のために子どもの医療費を無料化したり、軽減する仕事をしていたんですね。
 その時に若い後輩が入って来たのですが、県の市長会に乳幼児医療の制度充実を要望するための資料を作るという仕事があったんです。国が関わる施策の改善要望を県内各市が市長会へ提言し、県の市長会が取りまとめて、それを、さらに全国市長会が取りまとめて、国の各省庁へ提言する。そのための資料作りなんですが、その若い職員が作る資料一つにしても、「あなたの作る資料が最後はこのようになるんだよ」ということで、流れを全部教えました。だから、「これはすごく重要な仕事なんだ」という認識を持ってやってくれましたので、入庁してすぐの後輩が3年ぐらいで、情報を自分の中で噛み砕いて、自主的に仕事を組み立てていくことができるようになってくれまして、全部仕事を任せて異動できましたね。
 仕事の意義を知って、自分で判断していくという視点というのは、秘書時代に市長のご配慮で培わせていただきましたので、多くの職員がそういうふうになるといいなと思っています。ですので、あらゆる所で、そういう話をしています。

稲継 なるほどね。秘書経験によって、安原さんの視野が大きく拡大した。色々な行政のプロセスを間近に見る機会がたくさん得られたと。それを部署が変わってからも、後輩や部下の方々に伝えてきておられるということですね。

安原 そうですね。

稲継 今、お話の中にありました、医療年金課に異動し、それから子育て支援課に異動されたということでした。こういった仕事に携われておられた時に、何か印象に残っているようなことはありますでしょうか?

安原 はい。当時の福山市を取り巻く情勢ですが、医療年金課に異動したのが平成14(2002)年で、その4年前の平成10(1998)年に中核市に移行しているんです。中核市になり、都市の格が上がるということで、これまでは備後の中の1つの市というイメージだったのですが、広島県でいうと広島市の次に大きく、中国地方で考えると、4番目に大きい市になったんですね。

稲継 そうなんですか。

安原 広島市、岡山市、倉敷市、福山市の順です。中核市に移行したということで、「名実ともに備後の中核都市になって、求心力、拠点性を持って、色々な施策をやっていこう」「福山市が施策、福祉水準などを上げていくことで、周りの自治体も高位平準化できるよう、行政サービスを充実させていこう」というような機運がすごく盛り上がっていました。
 そのような状況下で、医療年金課の乳幼児医療の担当に異動しましたので、医療給付面での子育て支援施策を県内で1番進んでいる水準にまで高めようということで、職員から「市民の皆さんがここで子育てして良かったって言ってもらいたいよね」というような言葉が出始めたのもこの辺りだと思います。都市間競争というと、競い合ってばかりのような印象なんですけれども、限られた財源の中で、工夫して良い施策、本当に市民が喜ぶ施策を実現することで、近隣の自治体も続いていただけるようにと・・・。

稲継 なるほど。牽引者になっていくということですね。

安原 そうですね。そういった意識をしながら、医療年金課の仕事を行っておりましたね。

稲継 具体的にはどのようなお仕事ですか?

安原 医療年金課は、その頃、流行りのワンストップサービスにしようという一環で、16の制度を1つの窓口で担おうという部署だったんです。職員にとっては、異動してきて、すぐに、16の制度を学ばないといけませんでした。

稲継 それは、大変だ(笑)。

安原 異動して、1ヶ月たったら窓口デビューなんですが、障がいのある方、高齢者、子ども連れ、あらゆる方が来られて、この人は何の制度を受けようとしているのか、障がい者手当なのか、児童扶養手当なのか、乳幼児医療なのか、聞き取りをするだけでも大変なんです。

稲継 大変ですね。一つ一つの制度がすごく複雑ですからね。

安原 そうなんです。それに加え、異動後すぐ、国から、「あと半年後に老人保健の制度改正をします」と言われていた時期で、市町村合併も予定されていたり、新しいシステムの導入もあったりもしたものですから、窓口業務やルーティンの乳幼児医療の仕事を定時まで行って、その後に、システム改造や老人保健の改正の作業、合併に伴う業務などをずっと行っていましたので、その2年間というのは、本当によく仕事をさせていただきましたね。

稲継 そうですか。

安原 そのような2年間を経て、より効率化を図るため、16制度あった医療年金課の業務が子ども、障がい、高齢者、国民健康保険など、4つの課に再編成されました。その際、私は、乳幼児医療などの子育て関係のものが一元化された子育て支援課に異動になりました。

稲継 異動先の子育て支援課の業務は、割と類似の業務と考えたらよろしいのでしょうか?

安原 新設の課でしたので、同じ業務を持って移りました。

稲継 そうなんですか。

安原 一方で、少し困ったこともあったんです。 

稲継 どのようなことですか?

安原 1つの課が4つに再編された影響で、1階にあった子育て関係の医療給付の窓口が7階に移動したんですね。1階で出生届や転入届を出した子ども連れのお母さんたちが、7階までエレベーターに乗って、今度は乳幼児医療や児童手当の手続きをしなければいけないというような状況になってしまったんです。みんなで、「これは絶対苦情が出るよね」と、「じゃあ、私たちは何をすべきか」ということを話し合って、「文句を言われないというレベルではなくて、帰りに『ありがとう』って言われるぐらいのサービスをやろうじゃないか」って、みんなで団結したんです。

稲継 実際には何か取り組まれたのですか?

安原 接遇の向上も含めまして、お越しになった子ども連れのお母さんが和むように、子どもさんを引き取って、少しの間、見てあげたりとか、家にあったぬいぐるみをきれいに洗って持ってきて、窓口に快適な空間を作り上げたんです。また、わざわざ来てくれる人たちに、「福山に住んだらこんなに子育てサービスがたくさんあるんだ」と実感してもらいたい。そのために、困ったらすぐに、ページをめくっていただくことで、家からでもすぐ電話相談ができるようにしたいということで、様々な子育てサービスや相談先を紹介した「あんしん子育て応援ガイド」という子育て情報誌も作りました。
 一般的に、CSということはよく言われるんですけど・・・。

稲継 Customer Satisfaction、顧客満足ですね。

安原 はい。子育て支援課では、CSを越えてCD(Customer Delight)を目指したんです。単なる満足ではなく、「どうもありがとう」と、思わずにっこりしていただけるくらいに頑張ろうということで、みんなで取り組みまして、結果的に、7階まで遠いという苦情は来なかったんです。

稲継 そうなんですか。それはすごいことですね。色々な取り組みをやられたということですね。
 それから、この頃、平成15(2003)年に未来塾というものを作られたとお伺いしたのですが、これは一体どういうものなのでしょうか?簡単にご説明いただけたらと思いますが。

安原 はい、未来塾は自主研究グループです。その頃、実は市の特別職が市内の大学で講師をしておりまして、そういうレクチャーを職員も受けたいなあという思いがありました。そこで、市の特別職や財政課長などを講師に招いて行財政課題を学んでいく中で、自らテーマを発掘し、それを課題研究していこうじゃないかということで、以前に民法研修でご一緒したメンバーなどに呼びかけて始めました。

稲継 具体的な活動としては、どういうことをやっておられるのですか?

安原 協働のまちづくりが、その頃、流行り始めたところでしたので、3年計画で、これから行政、民間の担うところのすき間を担っていくNPO、新しい公共など、協働によるまちづくりってどんなものなのだろうかという研究を日々しておりました。

稲継 なるほど。協働のまちづくりですか。

画像:鞆の浦
鞆の浦

安原 そうですね。ただ、その次の年に、福山市協働のまちづくり元年ということで、専門の課ができましたので、それはやめたのですけれども、1年目の総仕上げということもないのですが、やはり市の職員が元気になる、どんな難しい仕事でも楽しんでやりながら、果敢にチャレンジする風土を作りたいね、ということで、未来塾で、元気が出る職場づくり講演会というものを、当時の福岡市の職員研修所長さんをお招きして広く職員対象に行いました。その所長さんは、色々な経験をされて、ご苦労されながら、まちづくりに取り組まれた方でしたので、そういったお話をしていただき、市の職員でもやれることは無限にあるというお話に可能性を感じていただきました。

稲継 なるほどね。それから3年経った頃、平成18(2006)年に「おおやけ塾in福山」というものを開催されたと伺ったのですが、こちらも安原さんが運営されたのですか?

安原 はい、そうですね。これは、自治体職員が集まるシンポジウムに出かけた際に、職員同士で情報交換をする場があったのですが、当時の経済産業省の方にお会いしまして、その方が「スーパー公務員塾をやるので、どうですか」ということを言われたんですね。それで「福山でもやりたいですね」と、うっかりごあいさつしたら、「じゃあ、やりましょうよ」ということで福山市まで来られたんです。驚きましたね。
 ただ、スーパー公務員塾を福山市でイメージした時に、それを受講した人がみんなスーパー公務員になるのかなと考えると、福山ではその派手さが現実的ではなかったんですね。たとえ色々な見識が養えたとしても、備後の気質というのはとても謙虚ですから、自ら前に出るというようなことはポリシーに反するというか、想像できなかったんです。それで、行政だけが元気になっても、まちは変わっていかないだろうということで、市民や企業、大学生など、産官学が一緒になってまちを元気にしたいと考えました。
 そこで、スーパー公務員塾をおおやけ塾という新しい公共を考える場にリメイクしてやってみようということで、商工会議所の方や地元のNPOの方、いろんな方にお願いに行きまして、一緒に行ったのが、全7回のまちづくり講座です。

稲継 これは、コーディネイトしたり、人を選んだり、受け付けをしたりというようなことは、全部、安原さんがやられたんですか?

安原 いいえ。多くの仲間と一緒にやりました。周りに、「こういうことをやるよ」ってささやいていると、一緒にやりたいっていう人がどんどん増えてくるんですね。当時はまだ、きらりプロジェクトのようなものはなかったのですが、庁内の若手に「これは塾なので、失敗しても大丈夫なんだから、みんなでまちの将来を考える場なので、やってみようよ」ということで、声をかけて歩いたりしました。そこで手を挙げてくれた若手職員と一緒に取り組んで、その人たちとは今でもすごく良い付き合いがありますし、きらりプロジェクトでも活躍してくれています。

稲継 なるほど、そうですか。ちなみに、受講料を取っていたんですよね。

安原 はい、社会人は3,000円、学生は1,000円でした。

稲継 社会人は3,000円で、それでもやっぱり集まるんですか?

安原 そうですね。民間の方にお声掛けした時に、「市役所がやるのにお金取るの?」って言われましたね。「おおやけ塾はプライベートで開催するので、税金は投入していないんです」と説明し、「ちょうど市制施行90周年を迎えるにあたり、まちを良くしていきたいっていう思いのある人に集まっていただいて、こういう先生をお呼びしたい。テーマや先生に興味があって、活動にご賛同される方は、先生の交通費だけをみんなで賄いたいと思うので、その部分だけお願いできませんか」ということで、実費程度を徴収させていただきました。講師役の先生方も趣旨に賛同してくださって、交通費程度で来ていただきましたので、今から考えると無謀なことをしたものだと思います。

稲継 なるほど(笑)。メンバーを見させていただくと、お見えになった方の中には、今、立命館にいらっしゃる、百マス計算で有名な陰山英男先生など、各分野でその後、どんどん伸びていかれる方に、非常に早い時期に目を付けて呼んでこられたというイメージがありますね。どのようにして、講師探しをされたのですか?

安原 おおやけ塾といったネーミングからもお分かりいただけるように、福山市のまちづくりに参考になるお話をしていただける方ということで、各々の分野でオンリーワンの活動を始められ、注目され始めたばかりの人からお話を伺えば、それに付加価値を付けることで、まちづくりに反映できるのではと考えました。講師の選定は、主催者、コーディネーターの強みで(笑)。

稲継 特権ですよね。

安原 そうですね。会いたいなと思う人をお呼びしたのですが、「スーパー公務員塾ではどうされていますか?」ということをお聞きすると、「どうしてもという場合は、お手伝いすることもありますが、これも訓練なので、まず自分で努力してみてください」と言われたんです。「スーパー公務員塾では交通費だけでやっています。謝礼は払っていませんから」と言われたので、私も真に受けて、「福山で魅力あるまちづくりを考える会があって、どうしても福山に来てもらいたいんです」ということで、毛筆で先生に手紙をしたためたんです。まるで平安時代のラブレターみたいに。
 そうすると、「ここまで本気に頼まれては行かないわけにはいきません」と言っていただいて、「自分の話が皆さんの元気づくりに役立つのなら、ぜひ行きましょう」ということで来ていただいて、本当にありがたかったですね。

稲継 そうですか、それはすごいことをされましたね。ありがとうございます。
 安原さんには、現在、取り組んでおられるお仕事の話を先にしていただいて、それから、これまでの経歴を振り返る形で、ずっとお話をお伺いしてきたわけですけれども、このメルマガは全国の自治体の職員の方がお読みになっておられます。何か全国の自治体職員の皆様に送られるメッセージのようなものがありましたら、最後にお願いしたいと思います。

安原 そうですね、最初にご覧いただいた「えっと福山」の「えっと」っていうのが、もうすべてであろうかと思うのです。やはり、各自治体でできること、しなければいけないこと、住民が求めていることというのは、まちまちだと思うんです。ですので、各自治体に住んでいる住民の要望を自らまちに出て行き、アンテナを張ってキャッチをして、それを、こういう財源の厳しい時代だからこそ創意工夫して、色々な方の協力を集めて、独自性のある施策展開で、周りの自治体から、全国から、世界から、「えっ」って言われるようなことをやっていくというという思い切りのようなものが大事なのかなと思います。
 それから、いつも考えているのは、私たち公務員は、まちづくりへの使命感をみんな持っていると思うんですね。公務員になった時の使命感が、だんだんと薄れてくるという話を聞くんですけど、でも薄れてくる人ばかりなのかなというふうに思っているんです。数ヶ月前に、自治大学校で講義を受講する機会があったのですが、ある審議官から「公務員の仕事どうですか?」って言われたんですね。「私たちの毎日の仕事を、やればやるほど、市民生活がより良くなると思えば、こんなにやりがいのある仕事はないですね」って言いましたら、「あなたどこの市ですか?」って言われたんです。そんなことは当たり前のことですよね。少なくとも私の周りの人はみんなそう思っているんですけど、だからそういうふうに思う人が、増えるというか当たり前になっていけば、やっぱりだんだんに変わってくるのかな、というふうには思っていますね。先生の周りはどうでしょうか?

稲継 やっぱり大きく2つに分かれますよね。今、安原さんのようにおっしゃったような人は、すごく輝いているんです。やりがいを持ってやっておられる方もたくさんいらっしゃるけど、他方で本当にもう萎えてしまっている人が多いんですよね。今は特に人が減らされて、仕事が増えて、メンタルヘルスすれすれっていう人もいらっしゃって。それをどうしたらいいのかということを、人事担当が頭を悩ませているという自治体が結構多いですね。元気のない自治体職員がいらっしゃって、そのためにも、このメルマガでどんどん元気のある人を紹介して、みんなに元気になってもらおうと思っているんです。

安原 忙しいという文字は心を亡くすと書きますが、忙し過ぎるんですね。人事研修担当の方から、庁内でも色々話をするよう頼まれることもありまして、中堅の、現場の職員さんに話すこともあります。看護師さんとか、保健師さんとか、保育士さんとか。そういう場で話す時も、「あなたの仕事は何ですか」というテーマで、「総合計画の中であなたの仕事は、ここに位置付けられているんですよ」っていうことを敢えて現場の人に話すんです。「こういうことで市民に役立っているんですよ」というふうに話すと、忙しさに追われて、看護師さんは特にすごく疲れてらっしゃるんですけど、「あ、そうなのか」ということで、ちょっと冷静に見ることができる。自分が誰かの役に立っていると感じられることで、モチベーションにつながるんですね。

稲継 大事なことですね。

安原 すごく本気でガッツで頑張るっていうところと、一旦、自分を引いて客観的に大きい視野で見ていくっていうところですね。

稲継 そうですね。全体の施策の中で、自分がどういう位置付けになっているのかとか、市長からミッションとして何を期待されているのかとか、そういうことを理解することってすごく大事なんですよね。

安原 そうなんですよね。そのあたりのホット&クール(やる気と客観性)のバランスがうまくいくと、職場がうまく回っていくんじゃないでしょうか。

稲継 そうでしょうね。

安原 やっぱり、やりがいを持ってみんなで頑張れる職場を作りたいですね。
 今年は、JCI(世界青年会議所)の平成23(2011)年度の会頭に福山市の原田憲太郎さんが選ばれ、「世界平和の確立に向けて、福山を世界の中心にする」と頑張っておられます。
 福山市は「福が山のようにいっぱいある」元気なまちですから、みんなでまちを磨き上げ、創造的なまちづくりに繋がっていけるよう、行政も出来ることを頑張りたいですね。

稲継 ありがとうございます。今日は色々なヒントをいただいたように思います。福山市の安原さんにインタビューさせていただきました。どうもありがとうございました。

安原 ありがとうございました。


 安原さんの言葉からは、色々なメッセージが読み取れる。
 「判断材料が仕舞える引き出しをたくさん持っていて、ドラえもんのポケットのように、必要な時に必要なものがすぐに出てくるように」という情報収集の'つぼ'は、自治体職員皆が心がける必要があるし、また、「仕事の意義を知って、自分で判断していくという視点」を後輩に伝えていくということも重要である。CS(顧客満足)を超えて、CD(顧客に喜んでもらう)「どうもありがとう」と、思わず、にっこりしていただけるくらいに頑張ろうという姿勢も学ぶべき点が多い。
 自ら、「おおやけ塾in 福山」を主催するなど、積極的に他の自治体職員との交流を心がける安原さんの今後の活躍を見守っていきたい。