メールマガジン

第63回2010.06.23

インタビュー:岡山市総務局政策法務課 宇那木 正寛さん(上)

「政策法務」という言葉がいまや一般的になりつつある。この分野で、全国的に知られた自治体職員の方も増えつつあるが、その一人である、岡山市の宇那木さんにお話を聞いた。


稲継  今日は岡山市にお訪ねしまして、政策法務課の宇那木さんにお話をお伺いします。宇那木さん、どうぞよろしくお願いします。

宇那木  こちらこそ、よろしくお願いします。

稲継  始めに、宇那木さんが役所に入られたのはいつ頃のことなんでしょうか?

宇那木  昭和62(1987)年ですね。

稲継  昭和62年。今から、23年程前になりますけれども、その時、最初に配属されたのはどういう部署でしょうか?

宇那木  財政局税務部収税課といって、滞納市税の徴収とか滞納処分をする部署です。

稲継  滞納処分という所で、役所の仕事の中では、かなりきつい部類に入ると思うんですけれども、新規採用職員をいきなり配属するというのは、ちょっと、きつい様な気がするのですけれども。

宇那木  まあ自治体それぞれの考えがあると思いますが、市町村の事務は住民との折衝ごとが多いので、若い、活きのいいうちに対人折衝能力を高めておくという市の方針があったと、当時、先輩から聞きました。
 私の時代は、新規採用職員が70人以上いましたが、事務系職員の多くが、税金や福祉の職場に配属されました。

稲継  市役所の職員としては、配属希望が少ない部署に新規採用職員が放り込まれるという事ですね。

宇那木  そうですね。

稲継  やっぱり、現場で税金を徴収する、特に滞納処分をするような場合には、色んな納税者の方とのやり取りとかで苦労も沢山あったと思うのですけれども、何かエピソードの様なものがありましたら...。

宇那木  訪問時に、暴力的な行為を受けたこともありましたし、暴言とか侮辱的な言葉をあびせられたことも少なくありません。
 一度、訪問先で、刃物を振り回された事がありました。まさに「腰が抜けた」という感覚です。帰って当時の課長に報告し、警察に事件として届出をしたいと言ったんですが、穏便にすませるように、諭されました。当時は、組織的に守ってくれるという感じではなかったです。先輩に、この話をしたら、「自分の身は自分で守る。組織は守ってくれない。」と言われ、こういう組織だと、命がいくらあっても足りない。そう思って、職を変えようかと思った事も有りましたね。辞めていたら、稲継先生にもお会いする事は無かったんですが...(笑)。

稲継  つまり、組織から命令されて、ある仕事をやっているのに、職員を組織が守ってくれないと。当時は、そういうこともあったんですね。

宇那木  ええ。全部がそうではなかったかもしれませんけれども、不当要求や暴力行為に対する組織対応が十分ではなかったと思います。いくら市民の生活や安全を守るといっても、職員を守れない組織に、そのような対応が出来るわけはありません。現在は、行政執行適正化推進課という課ができて、組織コンプライアンスを含め、不当要求に対する対応など県警から出向してきた現役の警察官を中心に行っています。この組織の発案者の一人が私です。こういう経験があったからこそ、組織の設立に一生懸命になれたと思います。この組織については、「法律のひろば」という雑誌の平成22年の5月号で私が紹介しています。関心のある自治体職員の方に是非読んでいただきたいですね。

稲継  なるほどね。ここに何年くらいおられたのでしょうか?

宇那木  4年ですね。

稲継  4年おられた。次に移られた部署というのはどういう部署なんでしょうか。

宇那木  平成3(1991)年に、総務局総務部総務課という所に異動しました。

稲継  それはどういうお仕事をする所でしょうか?

宇那木  国でいうと官房系の職場になると思います。議会関係事務とか、例規審査、訴訟対応、情報公開、その他諸々です。

稲継  総務の総務の総務ですからね。

宇那木  まあ、そうですね。

稲継  何でもかんでも、バスケットクローズというか、他の所に属さないものは全部入って来るという事ですね。

宇那木  そういう事ですね。

稲継  その中で、特に宇那木さんはどのような仕事に携わっておられたんでしょうか?

宇那木  特に中心的に担当させて頂いたのが、情報公開と訴訟、例規審査です。

稲継  情報公開、訴訟、例規審査ですね。

宇那木  はい。そうです。

稲継  情報公開というのは、分かり易いですね。それから訴訟というのは、市役所が被告もしくは原告となって行う訴訟についての準備とか、そういう事をやられていたんですよね。

宇那木  ええ。そうです。

稲継  普通、多くの市役所では割と法規係っていう様なものが置かれていると思うんですが、そこが、やっている様な仕事をこの総務課でやっておられたという事ですね。

宇那木  ええ。正確に言うと、総務課の中の議事法制係でやっていました。

稲継  なるほど。議事法制係におられたという事ですね。例規審査っていうのが、これ、一般の自治体職員で分かる人は分かるんですが、分からない人は分からない話なので、どういうものか説明して貰えたらなと思います。

画像:宇那木 正寛さん
宇那木 正寛さん

宇那木 例規審査というのは、原課が起案した条例案、規則案、要綱案が立案のルールに適合しているかどうかというところを審査することですね。場合によっては、内容的なものも見ますが、私がその仕事をやりはじめた平成3(1991)年頃というのは、分権の「ぶ」の字も無かった時代で、独自条例を作るとか、そういった事がなかったんですね。国から、準則を示されて、それに従って、原課が立案していたものを、「て・に・を・は」を含め、法令用語の使い方が適切かどうか、そういった点を中心に形式的審査をしていたと記憶しています。

稲継  なるほど。この部署で情報公開、それから訴訟、例規審査にずっと携わっていかれる中で、何かお感じになった様なことはありましたでしょうか?

宇那木  訴訟事務ですけれども、訴訟に関してはですね、最初は自己の能力の開発という面もあって、裁判所へ提出する答弁書や準備書面をほとんど自身で作成していたんですが、ある時、それじゃあ、ちょっと駄目かな、という風に思ったことがありました。
 そういったやり方では現場の方、原課の職員に、訴訟事務を通じて、得られるべき知識が蓄積されないと感じたんです。それ以来、私もお手伝いはするものの、基本的には原課で答弁書や準備書面を作ってもらっています。もちろん訴訟の遂行方針も原課を中心に考えてもらっています。弁護士任せにはしていません。原課の職員が書面を作成することによって、その過程で、訴訟で問題となっている点を整理して理解し、場合によっては制度改革につながるということもあります。個人的な感想ですが、法務能力の向上には、訴訟事務が打ってつけであると思っています。

稲継  なるほど。

宇那木  原課の職員が準備書面を書いているうちに、争点となっている制度の問題点に気づき、訴訟係属中にもかかわらず、自主的に制度の改正を行った結果、オンブズマンが「訴訟目的は達成した」として、住民訴訟を取り下げたという事例もありました。

稲継  そうですか。訴訟事務の遂行を通じて、現場と総務課との役割分担の重要性に気づかれたという事ですね。

宇那木  そうですね。訴訟や揉め事も、我々が一手に担当課から引き受けてやるというのではなくて、原課を中心にやっていくということ、訴訟を単なる紛争解決の手段としてのみではなく、今までやってきた事業の評価につながるということを少し勉強出来たかなと思います。

稲継  なるほど。

宇那木  あとは、書く事によって自分の考え方を整理できるし、理論的な文書を作成する能力が飛躍的に高まります。訴訟事務を通して、数は多くありませんが、原課の若い人が育ってくれたんじゃないかと感じています。

稲継  なるほどね。それでは、情報公開は、その当時は割と整備されたものが出来ていたんでしょうか?

宇那木  情報公開制度は、他の自治体と比較しても、比較的早く整備され、昭和62年には制度運用が開始されました。

稲継  そうですか。

宇那木  私が担当になった平成3年頃は、情報公開という考え方が、特に課長級以上の職員の方々には受け入れがたいものという感覚があったと思います。

稲継  各原課の課長さん以上の方に?

宇那木  そうです。特に、行政不満があるから情報公開するという人の対応には大きな抵抗があったと思います。
 請求者と原課の課長さんの間に立って悩んだことも少なくありません。原課の職員の方々に厳しいことも言われたことがあります。「情報を開示して何かあった時に、責任持てるのか。持てないなら、偉そうな事言うな」といった具合です。
 原課の職員の方々に情報公開の趣旨を理解してもらうのに、苦労しました。

稲継  やっぱり昔から役所におられた方というのは、役所の文書は役所の物と。

宇那木  そうかもしれません。

稲継  職員の物だと思っていて、市民の物だとは全然認識していないんですよね。

宇那木  原課は、非開示にして、情報公開の審査会に諮問するんですけれど、その際、審査会の委員の先生方は、「なんで、非開示にしたんだ。ちゃんと情報公開の担当者が指導しないといけないだろう」と、逆に、よくおしかりを受けたものです。ただ、私が担当した数年の間で、情報公開に対するアレルギーも少しずつですが、解消されていったように思います。

稲継  役所自体の意識が、革命が起きるのは、やはりこの情報公開という制度ですね。それまでの役所の人たちの意識が市民主体というんですかね、市民中心に考えざるを得なくなった1つの大きなきっかけが情報公開制度なんでしょうね。

宇那木  そうですね、組織の意識が変わっていった理由は、自分なりに分析すると、やっぱり情報公開で訴訟をやって、非開示処分が取り消されたり、審査会でも原課にとって厳しい判断が蓄積されるようになったのが大きいのかなと思っています。もちろん、世の中の流れというのもあったと思います。
 先生がおっしゃるように、情報公開制度というのは組織のあり方も変えるものです。「これからは見られるんだから、ちゃんとしようよ」という組織内の雰囲気になったのではないかと思います。法務の相談の中でも、「これは情報公開の対象となるよね。いいかげんなことできないな」とおっしゃられる幹部職員の方が多くなっていったと記憶しています。うれしかったですね。このように、情報公開制度が浸透してくると、事務の執行自体にも緊張感が生まれます。

稲継  総務局総務部総務課に比較的長くおられて、次のところに異動されたのは、どういった部署でしょうか。

宇那木  その前に、1つお話しても、よろしいでしょうか。異動する前、平成11(1999)年だったんですが、私の役所人生で大きな出来事がありました。行政代執行っていう制度がありますけど、それを初めて岡山市でやったんです。それに携わらせていただきました。色々、社会勉強も含めて、法務の勉強ができたなと思っています。その話を少しさせていただいてもよろしいですか。

稲継  はい、お願いします。

宇那木  都市計画法でいう調整区域の中に個人の方が、5階建の違法建物を自分1人で建てたのです。延べ床面積が3200㎡ぐらいで、小さい体育館ぐらいありました。近所の人から、「調整区域なんだから、あんなものは建てられないだろう」とか、「梁もない素人の建てた建物で地震でもあったらどうするんだ」とか、といった指摘がありました。違反者が、全く市の行政指導に従わなかったため、行政代執行するということになりました。
 期間としては、3ヵ月かかりました。のべ、500人を超える職員にお手伝いしていただいたと思います。現場事務所として、市内の中学校の一部をお借りしました。朝から夕方まで現地に行って、その後、帰ってきて、通常の仕事をしました。当時、国の情報公開法施行をにらんで、情報公開条例と個人情報保護条例の全面改正も担当していて、役所人生の中では、かなりの事務量をこなしました。とても充実感を感じた1年でした。
 撤去費用は7000万円使って、実際徴収できたのは、2000万円少々ですけど、関係住民方にすごく喜んでいただけました。最初は、「そんなに公金使って、費用も回収できなかったらどうするんだ」とか、「市民や議会やマスコミからも大批判が来るだろう」といった代執行を危惧する声もあったのですが、実際にやってみると、そのような危惧は当たりませんでした。

稲継  なるほどね。

宇那木  執行当日は大変でした。執行妨害を受けたんです。執行前日の午後10時頃現場を見に行った時には、別に異常はありませんでした。いざ当日になって、朝9時頃に現場にいったところ、1階の大きなスペースに暴力団関係者が所有すると思われるアメリカ製のSUV車やクラウン、ベンツなどが止められていました。結局、県警の暴対課の方にお願いして、関係者に連絡をしてもらって、どけてもらいました。
 それから執行も大詰めを迎えたクリスマスイブの時だったと思います。私が、解体現場の見回りをしているときに、とんでもない光景が目に入りました。解体を委託していた会社の現地事務所の所長さんが包丁持った男に追っかけられていたんです。びっくりしましたが、警察を呼んで、色々事情を聴いてみると、その人は夜勤の仕事だったんですね。夜勤の仕事だったものですから、昼間は寝てるわけです。昼間に調整区域で解体をやってるからうるさい。それで、頭に来て、酒を飲んだ勢いで、包丁をもって現場の所長を追っかけたということです。
 すみません、横道にそれましたけど、代執行を1つやる中で、予算の取り方、あるいは地元の対応とか、議会対応とか含めてすごく勉強になった事案でしたね。また、原課の方々にも感謝していただき、法務を担当してよかったと感じられた事案でもありました。代執行はまさに自治体の総力戦であると痛感した事件でした。

稲継  代執行というのは、法律に規定はあるけれども、どこの役所も非常に及び腰で、伝家の宝刀で、抜けない宝刀とも呼ばれていたものなんですけど、それを抜いたことによって、市民からむしろ、喜ばれたということなんですよね。なんで、今まで及び腰だったのか、逆に弱腰を非難されるということですね。それで、勇気を持って代執行に踏み切ったら、それを見て、違法建築が減るという波及効果もありますし、非常に勇気を持ってなされたケースだったと思うんですよね。背景に、それほどのご苦労があるとはなかなか一般市民、あるいは我々から見て全然分からないですけど、大変だったと思います。

画像:
岡山市役所

宇那木 代執行も執行対象によって、難易度も違ってくると思うんですが、今回は建物でしたから、実際、賃借人など代執行対象物件について占有権を主張する者がいたら、どのように排除するのか、代執行のために保管した物品の処分はどうするのか、その保管費用は?など法的に十分な文献がない問題もたくさんありました。また、完全な破壊撤去でいいのか、それとも、鉄骨などの有価物を保管するために分解撤去にするのかといった問題も頭を悩ませました。法律の専門家を含め多くの人と議論して辿り着いた代執行でした。

稲継  非常に思い出に残っているということですね。この総務課に代執行も含めて、ずっとおられて、それから、次に異動がありますよね。どちらに異動されたのですか。

宇那木  秘書課ですね。平成12(2000)年のことです。

稲継  これは要するに市長秘書ということですよね。

宇那木  そうですね。当時の秘書課の業務というのが、大きく2つに分かれていて、1つは、いわゆる秘書業務ですね。それから、もう1つは、政策担当業務というのがあって、その当時の市長のお考えで、政策スタッフという形で配置されていました。

稲継  政策スタッフっていう考え方は、今、国家公務員制度改革の中でも非常に重要視されています。トップを補佐する企画立案できる人が、割と遊軍として存在するということが、どの組織にもありうるんだけど、今までは役所にはそれがほとんど存在しなかったと。市長の秘書というのはほんとにスケジュール管理をしているだけの人であって、政策を考える手足が市長にはなかったんですよね。それを当時の市長さんは、置こうと決断されたわけですね。

宇那木  はい。当時は、私を含めて4人いて、私が法務担当の政策担当秘書ということで、あとの3名は、特定の分野ではありませんでしたが、各部局を担当して、市長から指示された調査とか、立案を担当していました。

稲継  市長は、自分の自由に使える手足を4つ持っていたということですね。それぞれに、例えば、産業政策の分野について調査しろということで、直接指示をして、指示を受けた担当者は直接、指示にレポートするという形ですね。

宇那木  そうですね。例えば、仮に合併するのであればどの市町村が年齢層として若く、税収がどれくらい増えるかとかいったレポートですね。年齢層が若いところと合併する方がこれから税収も増えてくるし、いわゆる役所にとって、非常に負担となる民生費の増加も抑えられるということです。

稲継  普通、そういうことを市長が調べようと考えると、担当部長を通じて、担当課長を通じて、担当係員にいって、そこからまた、あがってくるのをずっと待たなければいけない、その間にフィルターにかけられてしまって、肝心な情報が抜けてしまうことがありますよね。

宇那木  おっしゃる通りですね。都合の悪いところは、実は抜かれていたということが、実際に私も経験したことがあります。原課にとって市長に知らせたい情報、知らせたくない情報があるわけで、それが、市長へ届くまえに、フィルターにかけられていたのです。それをないようにしようというのが、当時の市長の考え方でした。

稲継  なるほどね。秘書課の政策スタッフの方々は要するに、純真無垢な気持ちで、指示があるから調べるんだということで、そのままレポートすると。場合によっては、市長はそれを武器として、担当部署を動かすということもあったんでしょうね。

宇那木  そういうことですね。ある意味、そうしたレポートで、担当部署を試すこともありましたね。「俺が調査したところによると、こうなんだけど」とかいった具合です。担当部署にはっぱをかける効果もあったかも知れません。

稲継  強力なリーダーシップを発揮するためには、やはり情報も必要になってくるわけで、今までの政策スタッフがいないような体制では、市長1人では裸の王様じゃないですけど、何もできない状態だったわけですよね。それを変えようとされたわけですよね。その中の1人として、法務担当として宇那木さんはおられたわけですけど、当時は市長からどのような指示が下りてきたんでしょうか。

宇那木  印象深い出来事を挙げたいと思います。ある時、2ちゃんねるというサイトに岡山市の一部の地域に住んでいる人の人権を踏みにじるような投稿があったんですね。それで、市長が「法的にどういう規制ができるのか、この問題の解決に向けて岡山市として情報発信できることはないのか。1週間以内にペーパーにまとめて持ってこい」と言われたことがありました。それで、私の考えたアイデアが実際に条例になったものがあります。内容的にはびっくりするようなものではありませんが、これは全国では岡山市にしかないんです。

稲継  読み上げますと、「岡山市電子掲示板に係る有害情報の記録行為禁止に関する条例」というものができたのですね。

宇那木  それは、どういうものかと言うと、インターネットを通じて岡山市が市民との情報交換の場として、当時、開設していた数種類の掲示板に、人権を侵害するような有害情報の書き込みを禁止することとし、有害情報が書き込まれた場合には、その情報を削除できるようにし、削除に不服であれば、市長に対して不服申し立てし、市長は、弁護士らで構成される専門委員会の意見を聞いてから、削除情報を復帰するかどうかを決めるとした内容です。直接、岡山市の条例で、インターネット上の書き込みを規制できないと考え、何らかの形で、岡山市として、情報社会に対して、警鐘を鳴らすというか、何らかの情報発信できることはないかを考えた末のものでした。
 条例で定めなくてもいいんじゃないかという考えもあったのですが、団体意思として明確にするためと、表現の自由への配慮から、要綱とかじゃなくて、人権担当の部署の方々と協議をして条例で対応することにしたわけです。


 次号に続く。