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第61回2010.04.28

インタビュー:八代市企画振興部情報推進課 小林 隆生さん(上)

 分権時代の自治体職員、今回は、技術職員の方の中から、熊本県の八代市小林さんを紹介することとする。


稲継 今日は、熊本県八代市におじゃまして、情報推進課の小林さんにお話をお聞きすることになります。どうぞよろしくお願いします。

小林 どうぞよろしくお願いします。

稲継 小林さんは八代生まれの八代育ち、そして、八代市役所に就職されたということですね。

小林 そうです。

稲継 小さいころの思い出とかございましたら、お話いただけませんでしょうか。

小林 えーっとですね、小さいころは、実は、八代市があんまり好きじゃなかったんです。

稲継 そうなんですか。

小林 ただ、友達だとかそういう人間関係は好きだったんですが、地元から出たいという気持ちがあってですね、ずっと過ごしてました。
 卒業した学校は八代高専(現・熊本高専八代キャンパス)なんですが、八代高専を卒業して2年間専攻科に行きました。

稲継 専攻科というと、高専の上級の学校ですよね。

小林 そうです。専攻科修了後、就職ということになりました。

稲継 そのときに、八代市役所を就職先として選ばれたのは、なぜですか?

小林 実はですね、公務員になる気はありませんでした。もともと昔からソフトウェアだとかを作るようなことをやっていまして、市役所と別に就職が内定していた企業があって、本当は、そこに行くつもりだったんです。

稲継 企業の方に行くつもりだった?

小林 ええ。家族や親戚とかに、NTT(昔の電電公社)だとか公務員関係に勤めている人が多かったんですよ。市役所も受かってしまい、どっちに行くかということですごく家族ともめまして、結局、市役所の方に渋々入ることになってしまったという後ろ向きな事情が・・・(笑)。

稲継 小林さんの意向というよりもご家族の意向が勝った形ですね。

小林 そうですね。

稲継 それで、市役所に就職されたということですね。入庁されて最初に配属された職場というのはどういうところでしょうか。

画像:小林 隆生さん
小林 隆生さん

小林 最初は建築課に配属でした。そこで建築指導関係の業務、たとえば建築確認申請だとかそういうことをやったんですけれども、そもそも情報電子の学科を出てますんで、いきなり畑違いの建築関係の部署に配属になって、最初は戸惑ったんですけれども、いろんな建築関係のことを覚えたりだとか書類審査、現場まわりなどやっている内に、結構楽しいなと思ってきました。
 そんな中、ちょうど建築確認の地図台帳を紙地図で管理していたんですが、これをなんとかデジタル化できないかな、みたいな感じのことを思いつきまして。そこはちょうど自分の得意分野だったので、それだったら、そういう仕掛けみたいなものを作ってみようかみたいな感じで、GIS(Geographic Information System)なんですが、そういうプログラムとかをやり始めました。GISに詳しくなって、その経験が今につながってます。

稲継 なるほど。本来、建築確認申請で、図面を読んではんこを押してというそういうことだけをやるような職場なんだけれども、そこに自分の専門性を入れることによって、デジタル化をして、GISで番地を特定できるというそういうシステムを作られたということですか。

小林 そうですね。そのときですね、実務をやっていく上で、紙ベースではすごく不便だったんです。けっこう時間を取られちゃうんですよ。私がすごくものぐさなものですから、面倒くさいことをなんとか簡単にやりたいなとの思いからですね、「これ、省力化できるかも」と考え、デジタル化を始めたということです。

稲継 デジタル化をするということは、役場にとってはかなり大きな決断だし、予算のいることだと思うんですが、その辺は、どうやって周りを説得されたんですか?

小林 実はですね、基本的に予算を使わないでやろうということで。

稲継 予算を使わないで?

小林 要するに、自前ですべて作ってしまえば、予算計上しないでいいので。

稲継 もちろんそうですが、自前でデジタル化をされる?

小林 デジタルデータ自体は、市の方で、整備はしていたんです。そのデータを特定の部署でだけしか使っていないような状況にあったので、これを使って、システム自体は自前で作って...。

稲継 自前というのは、小林さんが作られた?

小林 はい。それで、運用していければいいかなと。

稲継 なるほどね。じゃ、役所の中にもともとあったリソースをうまく使ってやると。ただし、そのシステムというか、頭脳部分は小林さんが作られた。そういう形なんですね。

小林 そうですね。それで、そういうことをやりながら、もう1つ、LAN(Local Area Network)の話なんですが、この庁内LANが有効活用されていなくて、庁舎本館のすぐそばに別館があるんですけれども、建築課が本館の4階に、教育施設の営繕を行う部署が別館の2階にあるんですね。本館と別館の間での図面データのやりとりが頻繁なんですよ。それで、そこを毎回毎回、向こうに行って図面を取ってきて...。

稲継 階段を上って降りて、また、階段を上って降りて、そして走って(笑)。

小林 お互いなんとか、自分の席からファイルとかを送れないかという話が、建築課の中で出て、それなら、送れるようなツールを作ろうかなということになり、当時、有効活用されていないように見えた回線を勝手に使いまして、TCP/IPが流れるように整備して、情報交換ができる仕掛けを作ったんです。今考えると恐ろしいですが。
 ファイルを送ったり、メッセージを送ったりするソフトウェアなんですけれども、当時、簡単にメッセージを送れるというメリットだけだったんですが、それがきっかけとなって、その当時は、当然、庁内にパソコンなんてほとんどなかったんですが、庁内でパソコンを使う人が増えてきまして。
 なんか、コミュニケーションの力というのは大きいんだなというのを感じました。本当は、電話でとかで済む話なんですが、当時めずらしかったメッセージングだとかを使ったコミュニケーション方法に移行したいがために、みんな何十万もするパソコンを買ったりだとかして、庁内LANにつなぎだしたんです。そのころは、庁内のLANにつないでいるパソコンは、個人の持ち込みパソコンだったんですが、後ほど、それが問題となって、公有パソコンに全部置き換わっていったんですけれども。

稲継 なるほどね。

小林 20万も30万もする機械を、使い出すというきっかけにですね、コミュニケーションツールがあるという、コミュニケーションに対して人の持つ欲というか...。

稲継 そうですね。コミュニケーションを取りたいというインセンティブがあるんでしょうね。

小林 それがために、大金をはたいてパソコンを買ってくるというコミュニケーションというものの持つ力はすごいんだなと、建築課にいるときに、そういう経験をしました。

稲継 建築課におられたのは平成9(1997)年から1年くらいですか。平成10(1998)年に異動になるんですね?

小林 そうです。

稲継 次は、どういう職場になりましたでしょうか。

小林 次はですね、今の職場と直結する、当時、事務管理課といっていたところです。

稲継 事務管理課ですか。今の名称は?

小林 今は、情報推進課です。

稲継 情報推進課ですか。ここでは、どういうお仕事を最初はされましたでしょうか。

小林 電算の情報管理系の業務で、当時は、国保、国保税、年金、福祉関係を担当しました。

稲継 ここで、いろんなことをはじめられたというふうにお聞きしたんですけれども、どのようなことを小林さんは考えて、どのようなことを始められたかということを説明していただけますでしょうか。

小林 今の課に配属されて3年間ぐらいは、従来の情報管理系の業務をずっとやっていたんですね。その一方で、建築課時代から引きずってきたいろんなコミュニケーションツールだとかGISの仕掛けだとかも引き続きやっていました。
 それから庁内からインターネットにつながるようになりまして、そのときに、ホームページをリニューアルしようという話が出てきたんですね。それで、そのときにホームページ検討委員会という組織が立ち上がったんですが、それに、技術担当みたいな形で私もメンバーに入りました。それが平成14(2002)年くらいです。

稲継 平成14年ですか。

小林 それから、ホームページだとかに関わりだしたわけですね。そのときにですね、検討の中で、庁内のインターネットにつながるので、サーバも自前のところに置こうかということになりまして、その中で、行政サービスのためのホームページ、いわゆる行政サイドのものを作るのと、その一方で、コミュニケーションのツールとかおもしろいんで、その力を地元でも活かせないかなという話も出て、いわば、地元の情報交換ツールみたいな感じで、"ごろっとやっちろ"みたいなサイトも一緒に作ろうということで、2本立てで動きはじめました。それから、"ごろっと"の方のシステム構築担当みたいな形でですね、今に至っています。

稲継 この"ごろっとやっちろ"というものはどういうもので、どういう中味なのか、ちょっと読者にもわかりやすく説明してもらえますか。

小林 当時、インターネットの中で、安心してコミュニケーションをとれるツールというものがなかなかなかったんですね。
 例えば、"2ちゃんねる"だとかそういったものはありはしましたけれども、そういった場所で、地元の話題を安心して書き込めるかなといえば、そうじゃないんじゃないのかと。だとしたら、安心してコミュニケーションできるプラットフォームを作ろうよという話になりまして、そんな中で、当初は電子掲示板をベースにですね、それにカレンダーだとかそういったものを付け加えながら、一番最初の"ごろっとやっちろ"ができました。そのサイトの中で、地元のいろんな話題がつながればいいかなと。
 そのときはですね、実は、地元...冒頭申しましたが、あまり八代のこと好きじゃなかったというお話をしましたけれども、地元のいろんな情報が見えてくるようになると、すごく地元が楽しくなってきたんです。逆にですね「やりがいがあるかも」ってなったんです。それから、いろんな企画に取り組み始めたんです。どういうことをやれば、市民の人が寄ってくるのだろうかとか、ですね。そういうことから、開発だとか運用を始めたんですけれども。

稲継 そういう人たちは、どういうことをやれば寄ってくるんですか。例えば...。

小林 最初はですね、最初のシステムのときは、実は、寄ってこなかったんですよ(笑)。

稲継 システムだけがあったんですね。

小林 少し時系列で説明しますと、平成14年にシステムができました。そして、平成16(2004)年くらいに1回、リニューアルをするんですけれども、この間というのは、システムは作ったんだけれども、地元の人がなかなか集まってこないという問題を抱えていました。
 どうして来てくれないのかなっていうことを、いろんな通信ログだとかそういったものから分析したら、どうも地元の人は情報を知りたがっているんじゃなくて、その情報を登録した人が誰なんだろうということを気にしているということがちょっと分かってきまして...。

稲継 情報を登録した人が誰なのかを気にしているんですか?

画像:八代市役所
八代市役所

小林 "ごろっとやっちろ"は、コミュニケーションツールなんで、いろんな情報が流れているんですけれども、例えば、「このラーメンおいしいですよ」っていうラーメンの情報が登録されたとしますよね。で、他の人はその情報を見るのですけれども、この人たちって、実は、ラーメンの情報を知りたいんじゃなくて、「これ書いた人が誰なの」っていう情報が知りたいんですね。要は、この人とつるんでみたいという、そういうところが見て取れたんですね、ログから。ならば、掲示板とかに頼るよりも人をダイレクトにつなげられるような仕掛けというものが必要とされているんじゃないかなということで、それで、人と人とをつなげるようなサービスをやろうということになり、リニューアルをして、今の"ごろっとやっちろ"になりました。

稲継 具体的には、これは、人はどのようにつながることになるんですか。

小林 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)といわれるものなんですが。

稲継 mixiとかですね。

小林 そうです。基本的にそういうものを地元に適用するというやり方でですね、人がちょうど見えるような形です。

稲継 誰がこのことを紹介しているのかとか、誰の日記だとか、そういうことも全部分かるような形で、八代版のSNSを作っていくということですね。

小林 リニューアルの当時、mixiだとかGREEだとかいろんなSNSがあったんですが、そのSNSの特性を分析してみると、それまでのインターネットは透明性の高いインフラだったんですけれども、そこに、ちょうど実社会の社会的なしがらみを持ってこようみたいな、そういうものなのかなという風に思ったんです。

稲継 なるほど。

小林 そういう印象を受けてですね、このSNSの仕掛けというのは、むしろ人のいる社会とかぶせないと上手く機能しなんじゃないかという直感的なものがありまして、SNSってもともと地元でやるべきものじゃないのかと。地元で運用してみようということになったんですね。

稲継 なるほど。わたしもmixiでごくわずかの人数でやっていますけれども(笑)。本当に知っている人としかなかなかやりにくいし、匿名性の高い人で、しかも場所の離れた人とだとあまり効果がないですね。

小林 範囲が広がっていけばいくほど匿名性の高い社会と変わらないですよね。むしろ、緩やかな壁を作っておいて、その中で、運用するというのがSNSのいいやり方じゃないのかなということなんです。

稲継 なるほどね。市域という割と限られた中での、人が見えるというか、可視化する中で、あの人がこういう発言をしているとか、こんな店を紹介しているだとか、こんな日記書いているだとかで、お互い知り合って、最近失われている社会的なつながりを回復するようなそういうツールということなんでしょうかね。

小林 そうですね。それを運用し出して、また、八代が好きになって、そしてまた、人付き合いがわーっと増えてきて。八代ってなんかおもしろいことやっているなって、目に見えるようになってきて、サイト構築した恩恵がちょうど自分に返ってきたようなそんな感じもします。
 人がつながって、地元が見えてくるようになってくると、普段つまらないと思ったことが、なんだか違った視点から見られるようになりました。そういったことが、なんか楽しいなと感じられるんです。

稲継 "ごろっとやっちろ"を平成14年くらいからちょっとずつ試行していって、平成16年くらいに本格的にリニューアルしてから、みんなが見出したと。

小林 そうですね、もともと、平成16年までは掲示板主体だったんです。平成16年からはSNS主体で動き出したということになります。

稲継 "ごろっとやっちろ"は、稼働してもう6年くらいになるんですね。うまくいっているというふうに評価してよろしいんでしょうか。

小林 う~ん、結構、問題も起きてはきているんですけれどもね。

稲継 問題点はどういうところが...。

小林 えーっとですね、"ごろっと"を使わなくていいような状況というのが生まれてくるようになってきたんですよね。要は、人の付き合いはどんどん増えるんですけれども、友達になってしまえば、べつに"ごろっと"を使わなくても、携帯電話でやりとりをやったり、そういうことが多くなってくるんですね。

稲継 せっかくシステムがあるのに、システムを使わずに携帯電話を使って直接電話したりして...。

小林 そうです。そっち方が楽なんで。冒頭にも言いましたが、もともと私、ものぐさなんで分かるんですけれども、面倒くさいというのがあると、皆さん寄ってこないんじゃないかなというような気がするんです。

稲継 なるほどね。

小林 その面倒くささを排除しないとということが、今の課題ですね。

稲継 あと、伝言板やSNSとかでしたら、"荒らし"というか変な情報が入ったりとかするといった問題があると思うんですが、"ごろっとやっちろ"では、そのあたりはどうなんですか。

小林 広報広聴課の方で、チェックをやっています。匿名性が強くなってくると、そういう、それこそ"荒らし"だとか増えてくるんですけれども、ただ、地域SNSに関して言えば、社会的なしがらみをインターネットに持ってくるような感じなので、お互い、あの人はあの人の友だちだというのが分かっている状態であるので、そういうことって起きないですね。
 まあ、"ごろっとやっちろ"でも、年に1回ぐらいは起きます。ただ、その起きるレベルというのも、違反にかかるか、かからないかぐらいの微妙なところでの発言とかですね。なので、SNSの適用する範囲を広げすぎるとそういうちょっとした問題が頻発するかもしれません。逆に狭めていけばいくほど、たとえば家庭内SNSとか作ってもそういったところで情報が流れるかといったら、流れないですよね(笑)。広げるのか狭めるのかのちょうどバランスのところで、地域でやるというのがちょうどいいんじゃないかなと。そんな中で、誹謗中傷だとか、お互いの目を気にするのでなかなか起きないです。

稲継 顔が見えるか見えないかぐらいの距離間というのか。

小林 いや、見えているんですよ、おそらく。

稲継 人って顔を思い浮かべるとそんな無茶な発言をしませんものね。

小林 そうですね。あの人が見ているとかですね。

稲継 その人を直接知らなくても、少なくとも、自分を知っている誰かが見ているという目はありますよね。

小林 そうなんですよ。広域でSNSをやられていると、そういうところってやっぱり顔が見えづらかったりとかするんですよね。でも、見えづらいことが悪いことかといったら、別に悪いことではないんですよね。そういう環境が好きな方もやっぱりいらっしゃるんですよ。匿名性が強い環境なんだけれども、居心地が良いという方もいらっしゃるんで、そういう違いのあるSNSとどう絡んでいくのかということですね。
 八代のSNSに関していうと、バランスをとるということを、おそらく、参加される方それぞれ、空気を読まれて参加されているんで、居心地のよい環境ができているのかなと。人の目が気にならないと何でも言えちゃうんで、程よく人の目が気になるような、そういう社会というのが、地域SNSのあるべき姿かなと思ってます。

稲継 そいう意味では、2ちゃんねるの状況とだいぶ違いますね。

小林 いや、あれはあれで否定はしないですけれども。あれが必要な方もいらっしゃる。実際、インターネットでいろんなことをざっくばらんに言えるのがおそらく2ちゃんねるなんですよ。それとは別にちゃんと安心して会話ができるプラットフォームがいるよねということですね。だから、両方ないとおそらくバランスがとれないかもしれないですね。2ちゃんねるは2ちゃんねるで使われて、安心できるところは安心できるところで使われて...。


 次号に続く。