メールマガジン

第60回2010.03.24

インタビュー:農林水産省大臣官房政策課企画官 木村 俊昭さん(下)

「アイデアの宝庫」「実践力の達人」とも呼べる木村さんは、とうとう内閣府に引き抜かれ、全国を見渡した仕事に取り組むようになる。


稲継 東京に来られて、それまでは、仕事の舞台が-北海道全域のこともされていましたけれども-小樽に限られていたのから、今度は、内閣府の方で国全体を見渡す形で、しかし、地域再生の仕事を各地域に密着した形で、やられるという仕事に携わられることになりましたよね。
 何か違いみたいなものがありますか。同じですか。

木村 やっぱり小樽市で行政職員をやっていた時は、その地域内でどうしようかと。広域といえども後志管内だとか北海道の中の小樽の位置づけで、どうしようかという考え方を持っていて、部分最適化をかけているだけなんじゃないかと自分自身も葛藤していたんですね。本当に利よりも害の少ない政策を打てているんだろうかと。広がりが出ないことにすごく苦労していたんですね。いろんな事業をしていても、それに関わるのが、一部の地域の一部の人だけで、関わる人がごくわずかになってしまいます。例えば、本来、小樽でも、商工会議所の会員企業だけでも2千以上、事業所にしても1万ある中で、この事業やるとどれぐらいの人が関わってどれぐらいの人に派生してくるのかと考えたときに、余りに少ないと思うんですね。例えば、10社とか、15社という単位になっちゃいますね。これってすごい少ないですよね。2千分の10とかいう形になっちゃいますから。この少ないのを広げていくには、どうすればいいんだろうとずっと葛藤していました。
 そう考えてやってきたんで、国に来た時点で、各地域を回ったら、まさに各地域も同じ悩みだったということに気づいたんですね。だとしたら、もっと広い視野で見て、自分の地域の何かと、他地域の何かを結んで、たとえ、その何かが赤字だったとしても、そのことによって、赤字を黒字にできるかもしれない。今までは、1地域の中で、空き店舗どうしますかですとか、空きビルどうしますかと言っていた。そして、たとえ、そこに家賃補助を入れたとしても、家賃補助がなくなれば、撤退するということを繰り返して、何の解決にもなっていない。ただ観光客を入れさえすれば、企業誘致さえすれば、地域が元気になるということじゃないということに気づくわけですよね。そうすると、観光客をこれぐらい入れれば、関われる人がどれぐらいいて、そして、例えばおもてなしの心ということで短期的な教育をする、そこで求められている人材を高校、大学連携をかけて送り込んでいく、中長期的には、小学生、中学生のうちからそこで汗をかいて働いている人たちとの関わりを持たしていくだとかということを考えていったときに、自分のまちだけじゃなくてもちょっと広い視野で考えていくということが必要なんじゃないかということを感じていたもんですから、まさにそこを内閣官房、内閣府に来てから、これだと分かってきたんですね。
 例えば、野菜を作ってレストランへ供給しているところと、漁師で水揚げして市場へ供給しているところがあるんであれば、そことそこをつないであげれば、レストランとの契約に入っていけるじゃないかと。それはその地域ごとで考えている人たちは、考えつかないんですね。そのルート知らないんですよ。となってきますんで、そこを今度は、つないでいくという仕事がまさに今私のやっている仕事のひとつです。
 特に今、農水省ですから農商工連携を図って、それに水産、畜産も含めて、そこをどうやって元気にするかということを考えていく中で、1地域をずっと見つめてしまうと、なかなかそれを成し得ないということを、場を作って、あなたのところとあなたのところを結んでいくと、効果でますよねというようなことをやっています。それと、先ほどの利害の話でいうと、捨ててあるものを全部集めて、それを朝市に出したとすると、そこに最初から出荷しているところの値が崩れてしまったりすると、利よりも害の多い政策になっちゃいますから、そこを十分調整しながら、地域内を元気にするためには、どちらか違うところで出品する、あるいは、違うものに加工する、もしくは、3食食べるものじゃなくて、健康食品を作っていくだとかいう方向に変えてゆくこともできますし、旬のものをお互いに組んで提供するとかいうことを設計できるようになるんですね。そこが、まさに小樽にいた時と、こちらに来た時との違いです。

稲継 なるほど。

画像:農林水産省
農林水産省

木村 私は、自分の地域のものをより多くの人に食べていただく機会を作りたいだとか、それによって、喜んでいただいて所得を上げるということを考えてきたんですけれども、今度は、それが実は、この地域とこの地域が一緒になればとか、この取組とこの取組が一緒に組み合わせれば、もっと良くて、それで、これによって、誰かが害を受けるということが少ないというふうに考えが及ぶようになったということですね。

稲継 じゃあ、いくつかのその地域の調整役というか調整弁というか、モデレーターというか、翻訳者というか、なんて言ったらいいんでしょか、仲人役というか、そういったことを、今、やられているわけですね。

木村 はい。あとは、大学を場にして、例えば、今で言えば、農水省の政策を、学生、大学院生だけじゃなくて、地域の人達にもそこに集まっていただいて、しっかり知っていただくという機会を作っていくとかいうことですね。
 というのは、今までは、国が政策を作って、法を作って、制度化して、それに予算をつけて、その予算を実施するというのが、仕事だと思っていたんですけれども、実はそれは、戦略的デザインなしには、仕事ではなくて作業に過ぎなくなると気づくんですね。

稲継 そうですね。

木村 というのは、そういったことをやっていって、でき上がりましたって言っても、少しの人しか関わっていないということになってしまいます。となると、先ほど少しお話しましたが、全体最適をかけるために、この地域をどうするのかというのがあって、そのときに、このメニューがあれば、この時期に使えるというものであって、これが、すべてだという形でやってしまうと、どうもおかしな方向に行くということになっちゃいます。
 ですから、観光客さえ来れば元気になるんだと、観光施設をいっぱい作って頑張った夕張が、いきなりダメになっちゃったのは、それはそうですね。どれだけの人がそれによって関われるのかとかということをしっかりデザイン設計していないと、そうなっちゃうわけですよね。
 そういったことからも、やっぱり、それがすごく大切だなあと、まさに感じています。

稲継 内閣府から農水省に移られたのは、今度は、農水省の方から声がかかったと理解すればいいんですか。

木村 「来ませんか。」と言っていただきました。

稲継 そのときは、小樽市に戻るということは考えずにそのまま農水に行こうと思われたのですか。

木村 「そろそろ戻っておいでよ。」と言われていましたんで悩みました。市長に相談したんですが、そのときに考えたのは、私がどこの立ち位置にいるのが一番いいのかということなんですね。例えば小樽にとってあるいは北海道にとって、どういうお手伝いをどこの時期にできるのかということがあって、農水省であれば、農林水産振興という北海道にとって、最も大事なところに関わって行けるので、その分では、「農水省にいくのかどうするか、最終的に自分で決めろ。」と言うんであれば、「私は残りたい。」という話をしたんですね。

稲継 今、生活としては、ほとんど東京と、あと、あちこち回られるということですが、小樽に帰れるというのは、それほどないという感じですか。

木村 小樽に帰るのは少ないですね。

稲継 ご家族は、今、小樽におられるのですね。

木村 私の親も家内の親も小樽で、それからお墓も全部、小樽に持ってきちゃっていますから、それから親戚も居ますし、娘も小樽商科大学に通っていて小樽に住んでいますから、そういう意味では、もう小樽が故郷というか地盤になっています。ですから、将来は、もちろん小樽に戻るつもりです。

稲継 小樽に原点がありつつ、今は霞ヶ関で、全国を見渡すような感じで、いろんな所のバランスを考えながら、あちこち飛び回って調整役をやったり、いろんなことをやっておられるわけですが、日々、やりがいを感じておられるんじゃないでしょうか。

木村 いろんな方々にお会いしていろんな場面を体験させてもらっていますから、自分にとってすごくありがたいと思いますし、あわせて、一緒にやっている人達が高まってくれるということでは、非常にありがたいなと思っています。
 どこに行っても、目標は、さっき言いましたものから、変えていないんで。この間も、鹿児島の"やねだん"の豊重さんという方も、「キーワードは"子供"と"文化"だ。」といっていました。私は、昭和59年に役所に入る前の昭和57年58年ごろからずーっと産業文化というのをしっかり育てて発信していくということと、未来を担う子供たちをしっかり育成していくということを大事にしてきたという意味では、同じなんです。その"やねだん"というのは、10年前からスタートを切っています。

稲継 "やねだん"について詳しく教えてください。

木村 インターネットで、ひらがなの"やねだん"で検索していただいて、アクセスしていただいたらいいんですが、鹿児島のある小規模集落-260人ぐらいの小規模集落のことです。その集落では、土を作って、畑を耕してサツマイモを作って焼酎や味噌を作っているんですが、地域内の260人が結束して、行政の力を一切借りずに自分たちで頑張ろうといって、スタートを切って、内閣府の総理大臣表彰を受けました。自分たちですべてやっていて、ボランティアはあり得ないということで進めていっている地域づくりの代表格ですね。

稲継 そうですか。

画像:木村 俊昭さん
木村 俊昭さん

木村 そこのリーダー格の豊重哲郎さんが、「キーワードは"子供"と"文化"だ。」といっていたんです。
 年間4百万円~5百万円ぐらい稼ぐんですよ。それで、そこの方針は、ボランティアはないということです。豊重さんご本人もボランティアではないし、視察に行ったら1万円いただきますよと。ボランティアはありませんから。それで、260人110世帯あるんですが、110世帯には、1世帯あたり1万円のボーナスを出して、関わった人には、しっかりボーナスを出しますと。また、その収益で、寺小屋を作って子供たちを育成するというように地道にやっているんです。
 この間も、韓国のホテルのオーナーから"やねだん"で作った焼酎が欲しいということで、10月15日に"やねだん"の皆さん方20人が行ってきたそうです。それで、1,500本を2回送ってくれと言われたということで、結構、収益が上がるんじゃないですかね。

稲継 すごい量ですね。

木村 そこでは、地域の野菜作りを地道にやっているんです。
 もちろん、地域の基盤整備とかは、行政の手を借りないってことはないんでしょうけれども、補助金をもらって、自分たちの地域活動に回していくだとかいうのは、一切ないですね。ゼロで地域振興を進めているんですね。

稲継 役所の予算はなくてもできることが沢山あるってことですね。

木村 そういうことです。

稲継 今日は、いろんなお話を聞かせいただいたんですけれども、今、年に講演会を何回くらいやっておられるんですかね。

木村 平均すると、月12本ぐらいあるんですかね、多分。多い時には15本とか...。

稲継 月12本ぐらいやられて、交換される名刺の数もかなり多いんではないですか。

木村 そうですね、年に、4、5千は超えているんじゃないですかね。大体4、5千人と言っているんですけれども。

稲継 それにしても、息継ぐ間もないんじゃないでしょうか。

木村 土曜日、日曜日はほとんどないですね。内閣官房に来たときから、ずーっと続いています。小樽にいた時も、講演に行ったりしていたんですが、そのときは、努めて土曜、日曜に講演をお受けするようにしていました。
 今は、正式に依頼が来ますから、それで、受ける、受けないを判断します。もっぱら、公のところから来ない限り、受けないようにしています。

稲継 ああ、平日は...。

木村 平日もそうですが、土曜、日曜、祭日もそうです。一度、個人的な集まりに来てもらえませんかと言われて、それをやっていると、キリがなくなっちゃうんです。すべて公のところから公文書で依頼をいただくということにしています。
 それで、講演をお受けしたら、ただ単に講演だけをして帰ってくるってことはないんですよ。必ずそこで農商工連携をやっている農家の皆さんとか、漁師の皆さんとお会いしたり、地域金融機関の各支店長の皆さんとお会いしたり、地域の大学の皆さんとお会いしたりするんです、例えば、この間もそうですが、山口に行ったら、山口大学へ行って学長さん-今、山口大学の学長さんっていうのは、農学部出身ですから、学長さんとお会いして、農商工連携、それから農業高校と大学の農学部の連携といったことの話合いをしたりだとかしてきます。ただ講演をして帰ってくるんではお互いに「ああ、.いい話を聞いた。」とかで終わっちゃいますんで。そうじゃなくて、しっかり話合いの場を作っているんです。お会いをして、場を作って、そこで今後どうするかという話合いを将来していくというようなことを、それぞれのところで動きとしてなってくれればいいなというようなことを言っています。

稲継 よくまあ体が持ちますね。

木村 私も不思議なんですけれども、どこも別に悪くないんですね。

稲継 それは素晴らしいですね。それだけ活発に動いておられる公務員も、民間人もそんなにいないんじゃないでしょうか。予定を聞いているだけで、目が回りそうですね。

木村 それだけじゃなくて、今、大学院に籍を置いてもいます。

稲継 えっ。そうなんですか。

木村 ええ。修士号はすでに取っているもんですから、博士号を取ろうと思っています。それで、論文博士というわけにもいかないんで、在籍していまして、土曜日の午前中は、大学院に行っています。
 大学院に行き出したのは、ずっと文系で考えていた発想だけではなくて、理系要素を入れるという発想が必要だなと思ったんです。例えば、デザイン最適だとか、そういう発想が必要だなと思ったからです。システムデザインという発想は、まちづくりにすごく必要なんじゃないかとずっと思っていたもんですから、いざ、勉強していると、たしかに応用できる部分があるもんです。ちょっと文系ではない理系要素を入れるような形でのまちづくりの新たなシステム関係ですとか、それを今、研究しているんです。

稲継 じゃあ理系の大学院に行っておられるんですか。

木村 慶應義塾大学大学院の博士課程で勉強中です。

稲継 SFC(湘南藤沢キャンパス)ですか。

木村 日吉のシステムデザインマネジメント研究科です。そこの委員長をやっておられる狼先生のところに入っています。最初、入ったときには、「面白いですね。」と言われました。

稲継 面白いですよね。

木村 狼先生は、宇宙工学をやっている先生です。
 まちづくりというと、計算だけでそう簡単にはいかないんですね。そこに人が絡んできたりしますから。そんな中で、最適化をどうかけてくるかということに関しては、今、学んでいることのすべてが使えるわけではないですけれども、手法としては使えると思ったもんですから、そこを学んでいるんです。

稲継 向学心もあるし、行動力もあるし、すごいですね。

木村 今、論文を早めに書きなさいと言われているんですけれども、論文を書くよりも前に、1月には本を出すことになっています。また、4月には、学術書を単著で出そうと思っています。戦略的システムデザインの関係で、どう地域マネジメントするかという、自分自身の考え方を2月ぐらいまでまとめて4月に出す予定です。この本については、出版社は、もう出してもいいですよと言ってくれているんです。以前にも、早稲田大学大学院の藤井先生や片木先生と一緒に共著で出しましたが、今回のそれも、共著の中で1章を書くという形です。

稲継 すごいパワーですね。1月に出される本は、ネットで拝見したら...。

木村 「「できない」を「できる!」に変える」という本です。原稿はもう書き終えて、出版社に出しています。
 その本は、190ページくらいですけれども、1時間か1時間半ぐらいで読めちゃうんじゃないですかね。簡単に、わかりやすく書いています。失敗もいろいろしましたんで、そのことについて書いています。小さい時のことも書いています。父親にこっぴどく怒られたことですとかですね(笑)。

稲継 それは何か悪いことしてですか。

木村 友だちとサロマ湖に行く時、私の自宅にまず泊まって、朝の5時に出発するんですね。そして、その時に、仲間と約束するんですね。その約束事というは、途中でパンクしようが何があろうと自力で帰ってくるということです。それは、強く生きようということでやっていたんですね。
 ところが、帰りに、本当に友だちの自転車がパンクしちゃったんですね。パンクしたのはわかっていたけれども、私たちの誰が1位になって帰れるかって競ってましたんで、その友だちをほったらかして、私が先頭になって、ダーと帰って来たんですね。すると、父親がいて、6人しか返ってきていない私たちを見て、「1人どうしたんだ。」と聞くんで、「1人パンクして歩いていると思うよ。」と言ったら、「何を馬鹿なことをやっているんだ。」という話で、こっぴどくしかられましたね。「お前ら友達だろう。」という話ですね。「そういうことで、本当の親友なのか。」という話になって、結局、友だちを探しに戻りました。「お前、パンク修理ぐらいやれよ。」とその友だちに言いながら、歩いてきたんですけれども、その友だちは、「金がないから押しているんだ。」とか言っていましたね。
 そういうこともありましたし、学芸会のときに、クラスで劇をやったんですが、失敗して台無しにした友人がいるんですよ。それで、みんなが、「お前さえいなければ、うまくいったんだ。」というようなそういうムードになったんですね。そのことを家でしゃべったら、いきなり、「お前は何様なんだ。」と怒られちゃったりとかですね、いろいろとありました。

稲継 厳しいお父さんだったんですね。

木村 ただ、唯一ありがたかったのは、母親は、父親のことを絶対悪く言わなかったということですね。父は、平成3年に56歳で逝去しましたけれども、母は、父のことを決して悪く言うことはなかったですね。

稲継 若くして亡くなっていますね。

木村 家族にとってそれがきっと大事なことなんだろうなと思います。「お父さんのようになっちゃだめだよ。」とか言うのを、よく聞くことがありますけれども、それは1回もなかったですね。かえって、「お父さんのようになんなさい。」と言われていました。
 それと、弟がいるんですけれども、「あなた方のことを一番思っているのがお父さんだ。」とずっと言い続けてくれたから、まあ、感謝するといえば、そういうところですね。そういうことって大事だなあと思います。だから、私は、今、娘がいますけれども、家内のこともそうですけれども、決して、人の悪口は言わないで育てることができたということは、そういうことです。
 悪口を言ったら、モチベーションが下がるんですよ、周りもです。

稲継 そうですね。

木村 いつも。ゾロ目の日に100人ぐらい友達が集まりますし、また、1,500人くらいのメーリングリストをやっていますけれども、その中では、けなし合う人なんていないんですね。私は、そういうのは、大嫌いなんで。人をけなしても、「それじゃ、どうしたいの」という話になっちゃいますんで。
 大事なことは、どういうふうに高めあうかということですんで、そこをしないで、あいつがどうのこうのとか、あるいは、何が悪いこれが悪いとか言っていても、何も変わんないじゃないですか。それじゃあどういうふうに改善しようとするんですか、ということだと思っています。お互いモチベーションを高めるという方向で行こうよというのがすごく大事だなとおもっています。
 職場に入って最初に思ったのは、この人なんでこんなにいない人の悪口を言うんだろうということですね。「今日は来てないけども、あいつはどうしようもないな」とか言っているんですね。それだと、来てない時に、自分もそういうふうに言われているかと思うじゃないですか。そうすると、モチベーション下がっちゃうんですね。こんなところ飲みに来たくないと思っちゃいますね。この仲間と2度と飲みに来ないぞとなっちゃいますよね。そこはやっぱり、よくよく考えないといけないなと感じるし、そうありたくないと思っているので、私なんかは、「いない人を褒めよう。」と、よくやっていますよ。「彼、あるいは、彼女、今日来ていないけれども、本当に頑張ってくれているなあ。」と言っていますね。そしたら、聞こえてくるんですよね。

稲継 そうですね、陰で褒めるとね。

木村 そうすると、本人は気を良くするんですよね。「今度、飲み会に出なきゃ。」と思うんですね。出るともっと褒められるんじゃないかと思ってね(笑)。そうしていかないと高まらないんですよね。チームワークで仕事をやっていますから。1人だけが高まってもらっても、周りが高まんないと力を発揮できないんで、そこを、すごく大事だなと思いますね。

稲継 そうですか。すごく多忙な中、今日、インタビューにおつき合いいただきまして、本当にありがとうございます。

木村 ありがとうございました。

稲継 このメルマガは、主に自治体職員の方が見ているんですが、最後に2つお聞きしたいんですが、一つは、これからの抱負みたいなこと、もう一つは、全国の自治体の職員の中で、変わろうと思うんだけれども、前例が重くのしかかって、変われなくてもがいている職員の方が、沢山いらっしゃると思うんですが、その方に対するメッセージ、この2つを最後にお聞かせください。

木村 これからも変わらず産業、文化等を、しっかり世界に向けて、発信できるような地域づくりに関わっていきたいっていうことと、地域内では、その地域を将来、リーダーとなって支えてくれる子どもたちが大事ですから、担い手をしっかり育成していくということをお手伝いしていきたいと考えていますね。
 あわせて、公務員を目指している、あるいは、公務員の方々に申し上げたいのは、「できない、できない。」と言っていたら、何もできないんで、ちょっとでもできる可能性があるならば、やってみようよということで、しっかり挑戦する、トライするということが、重要だと思っているんですね。
 すると、そのためには、自分の職場の中の人たちだけで、つき合って終えるということではなくて、幅広く、趣味でもいいんですけれども、いろんなことを通じて、知り合う機会を自分から作るということをして、ネットワークを張っていくということが、実は、すごく重要なんです。1人では、限界がありますから、その時に、どういう人と、どういうふうに一緒にやっていけば、よりそのことが、早く、もしくは、効率よく達成できるのか、または継続進化できるのかなということを考えていかないとなかなか成り立たないなあという気がしますね。
 それと、あわせて、さっきもちょっとお話しましたが、ディスカッションパートナーというか、自分がこういうときに話をしたいという相手、ただ、相談だと重いので、ちょっと会話をすることによって、自分も気づくし、相手も、ひょっとしたら気づくかもしれない、それで、「ああ、そうか、こんなことで、悩んでいたのか。」と、「こういうところで、こうすればもう少し改善されるかもしれない。よくなるかもしれないな。」というような気づきを与えてくれる自分と同年代、あるいは、下でも上でもいいんですが、そういった方々との交流を持つということが、とても重要なことです。私も、もちろんいろんな方々と交流を持っているんですけれども、そういうのが大切だなと実感しています。
 あとは、私が思うのは、出会った人に、どれだけの礼状-メールでもいいんですけれども-とかを書いて、どれだけの間、一緒につながっていけるかということが、すごく大事だなと考えています。特に同じ出身の人たちとのネットワークというのが、ない方っていうのが、結構多いんですよ。盛んにやっているところもありますけれどね。例えば、都道府県ごとで、そういうネットワークがあるのかもしれませんが、そういうつながりだとか、今、特に大切にするべきじゃないかなと、私は仕事をやっていく上で、ずっと思っています。

稲継 今日はどうもありがとうございました。

木村 ありがとうございます。


 「無償で」という条件と、「講演だけではなく、必ず話し合いの場をつくる」という条件とで、月に12本から15本の講演をこなして、全国を飛び回る木村さん。その合間を縫って、大学での講義を引き受け、また、自分自身も後期博士課程の大学院生でもある。今年はとうとう単行本も出された。
 いったい、どこにそのような時間があるのかと不思議に感じる人もいるだろうが、直接彼と会って、次から次へ話が飛び出すのを目にすれば、「この人ならそれも可能だ」と思えてくる。そういう力が木村さんにはある。
 分権時代の自治体職員がここにも一人、確かに存在する。