メールマガジン
分権時代の自治体職員
第52回2009.07.22
インタビュー:交野市 企画財政室長 中 清隆さん(下)
中さんの言葉で、「'えん'卓」と呼ぶラウンドテーブル。'えん'は、ラウンドの円と同時に、人と人の縁を表している。『出会い』と『気づき』をキーワードにしているまちづくりラウンドテーブルは、交野市でどのような展開をしていったのだろうか。
稲継 それは、あるフォーラムで呼び止められて、「まず、やってくれ」と声かけられて始められたわけですよね。始められてどうだったんでしょうか。うまくスムーズに進んだんでしょうか。
中 その熱い思いの人が熱いうちに始めようという、それは成功しましたね。
ところが熱い人の関心っていうのは、当時はね、環境活動の方々の思いが非常に強かったんですね。30人ほど最初集まっていただいたんですが、月1回の会議が毎回、環境問題で終始するような状態で、他の話題へ広がらないし、「批判なしですよ」と言いながらも、やっぱり熱い思いがあるので...
あまり上手く運営できたとは言い切れないですね。話題が広がらないですから、環境活動の方々以外の人の参画がどうしても疎遠になりそうな雰囲気が何回か続きましたね。
稲継 それは何とか打開しなければならないですよね。どういうふうにされましたでしょうか。
中 これも『藁をも掴む』じゃないですが、私自身もどうしょうかなと思ったんですが、「これだけでも熱い思いの人が沢山いるんならば、あえてその他の話題と交えてするというよりも、それだけでの『場』をいっぺん作ったほうがいいのかな」という問いかけをしました。それに、やはり皆さんも賛同いただきまして、それで、始まって半年後のちょうど正月1月7日、まだ松の内のうちにですね、「環境活動ラウンドテーブル」というのを、別に1回設けたんですね。
それは環境活動の方々に手紙を送ったり、広報・周知したりして、またそれはそれで広く集めたんですが。そういう場を設けましたね。
稲継 それは、うまくいきましたでしょうか?
中 うまくいったのかどうかわかりません。ただ、要するに私自身も、あまりにもそれまでの話の経過が熱かったので、これを普通の井戸端会議でやるのは、おそらくまずいかなというか、それよりも来ていただいた皆さん自身がやっぱり何かを得ていただきたいなと思ったんで、KJ法的なワークショップを...
稲継 KJ法、川喜田二郎のKJ法ですね。
中 そうです。そういうワークショップをツールとして、当日のシナリオの中に用意しました。それで「正月のことなんで、2時間しか時間をとっていませんから、せっかく来ていただいたので、今日は、こういうツールでやってみませんか?」っていう問いかけを最初にしました。
「もう正直にいうと、みなさんに嘘をつきました。今日は井戸端会議じゃないですよ。私は、皆さんの熱い思いを大事にしたいのでこういうツールを用意しました。」と。
そのツールというのが、カードディスカッションなんですが、テーマ的には『初夢』と『福袋』というテーマを皆さんに見せました。
中 清隆さん
『初夢』というのは、何かといいますと、要するに夢を見るわけですから、来ていただいた方々が本当はどうなったらいいのかなという『夢』を自由に語っていただきたい、そういう機会をやっぱり大事にしたかったんですね。
グループディスカッションですから、3つか4つのグループを作って、それぞれで「どうあったらいいのかな」という『夢』を話し合っていただいて、それをカードディスカッションですから、分類整理していくつかの『夢』が出来上がったんです。
ただ『夢』をつくっただけでは、こんだけ熱い思いの人にとっては非常に不満でしょうから、次に『福袋』というのが来るわけです。『福袋』というのは、「開けてびっくり福袋」ですよね。袋の中に一杯ネタがあるということですね。だから、「では、皆さんは、この『初夢』に向かってどんな事ができると思いますか?自分達だったら、どんな事がしたいですか?」ということをたくさん出し合っていただきました。
それも同じくカードディスカッションしていただきました。そうするとグループごとにいくつもでますね。いくつもでますけども、そのうち、これもよくある分類ですけども、ペイオフマトリックスと言いまして、「効果的で簡単にできるものはどれですか?」という分類をしてもらいます。実感が難しかったり、効果的でなかったりしたものにとらわれているとなかなか大変なので、そういう分類を皆さんにやっていただいて、効果的で簡単にできると皆さんがおっしゃる部分、これを大事にしていただいたんですね。
そうして、会議の最後に、「せっかくこうやって皆さんが"効果的や""すぐに出来る"とおっしゃったんだから、やってみませんか?」というアナウンスで締めたんですね。そしたら、みなさん「やる」とおっしゃったんで。
どんなプロジェクトでもダラダラとやっても意味がないので、「じゃ、3か月後に会いましょう」と。「3か月後にもう一度、私はこの場の場づくりのお世話をさせていただきます。その時に、皆さん、グループごとに簡単で効果的とおっしゃることがどれだけ出来るか持ち寄って、皆さんでまた情報を交換しましょう」ということで、皆さんの意識が高かったんでしょうね、「分かりました」ということで、その場がお開きになって、3か月間、けっこう行政の人間も関わりながら活動をされましたね。
稲継 3か月後にいかがだったでしょうか?
中 う~ん。この評価はねぇ~。私も、多分参加された方も同じだと思うんですが、実績がほとんど上がらなかったですね。
稲継 それはどうしてでしょうか。
中 どうしてなんでしょうね。私も原因そのものはその場では皆さんと追求はしませんでした。
そこに来られている人は、非常に環境に熱い思いがあって、こうすべきだという強い信念があって、そういう人達の集まりですが、そういう人たちですら、実は効果的で簡単だと思うことが、それ程上手く実践出来なかったということに、皆さんは気づかれたんですね。
稲継 それは、大事なことですよね。
中 多分ね。私はそういう気づきが大事だと思いますね。というのは、今までは人に求めてこうしろという話がまかり通っていたのが、自分達自身も「いや自分達のこんな小さい活動もなかなか実現できないんだなぁ」ということに気がつかれたということは大事だったと思いますね。そういう『気づき』があったことは確かです。
ただ、私自身は、環境セクションの人間じゃないので、市民活動を支援するというのはありますが、これ以上環境ラウンドテーブルに関わるつもりはなかったんです。『場』をつくるというお世話をしてきただけで。
だから「皆さん自身がそういう気づきを得られたということをもって、私の役割はこの辺りで終わらせていただいてよろしいでしょうか。」というアナウンスをさせていただいたのがその日の最後ですね。
稲継 市民側への働きかけを、こういうラウンドテーブルの仕掛けということでやってこられたわけですけど、職員側、庁内への働きかけは、どういうふうにしてこられましたでしょうか。
中 ちょうど市民活動セクションから、ラウンドテーブル、環境ラウンドテーブルが立ち上がって、報告会の時ぐらいで、私は、人事異動で企画セクションに、-前に半分足を突っ込んでいたのですけど-完全に異動になったわけです。
私は、実は先程ちょっと言いそびれましたけれど、環境活動の人達が、最後、「私は抜けますよ」と言った時に、「せっかく私達はつながったので、これをなんとかネットワーク組織にしていきたい」というふうにして動き出されたんですね。
私は、その瞬間に、やっぱり『場』づくりは間違いでなかったなと。『場』づくりというのは、そこに参加した人が何かに気がついて、その外で動き出されるというこの価値があると感じたんですね。それ以来、確信犯的に『場』づくりを、精力的に進めましたね。
だから企画に移った時に、もうすぐ、企画という全庁的な調整組織なので、「全庁的に場づくりが出来ないか」と、ずっとイメージをそのままに1か月半程でまとめたのが、笑われる言葉ですけども、"バリューチェーン構想"という構想です。バリューというのは、当然カタカナで言えば価値、価値をつなげていこうという構想なんですが、バリューには、漢字を当てはめましてね、場の流れと書いて"場流"(バリュー)ですね。「場を使ってつないでいこうよ」ということで、いろんな所に場を作って行こうという自分なりに整理して、それを、もう馬鹿ですよね、全庁的に人を集めてアナウンスしたんですよ。別に市の政策でもなんでもない、担当課の一課長代理(当時)が、『場』をつくって行こうと全庁的にアナウンスした。
職員によるワークショップ風景
稲継 それは、若い人達がまちづくりのことを、あるいは協働のことをどうやっていったらよいのか職員同士で議論する場なんですか。
中 まぁ職員という肩書きは、どうせはずれませんよね。領域は職員という領域なんですね。そうするとまちづくりっていう話もありますが、仕事という話もありますね。それぞれの仕事のことも当然意見交換しますから、こっちはまちづくりというのをあえてかぶせてなかったので、仕事の延長上のいろんな話であるとか、情報交換がなされていったという形ですね。
稲継 いわゆるオフサイトミーティングですよね。
中 そうですよね。当時、私はカタカナはよく知らなかったですけど、今で言うとまさにオフサイトミーティングですね。
稲継 そういうことを企画セクションとして、仕掛けていかれたわけでしょうか。
中 仕掛けていきましたね。
稲継 普通、オフサイトミーティングは、研修担当がつくっていくようなシステムですけれども、交野市の場合は、全然違う所からオフサイトミーティングが始まっていますよね。非常におもしろい傾向だなと思います。
市民の方に対しては、ラウンドテーブルの『場』を提供する、それから庁内の職員の方には、オフサイトミーティングの『場』を提供するということで、『場』の提供をずっと今までやってこられたわけですよね。今までのやってこられたことを振り返って、これが良かった、あるいはここはこうすべきだったという事があれば教えてもらいたいんですけれど。
中 そうですね。結構、『場』というものは、運営が難しいのは難しいんですね。井戸端会議ですから、ただ自由に話をしましょうとほっておくとマンネリ化しちゃって、常連さんの『場』になっちゃうんですね。そこに、いかに新しい人を呼び込んでくるかという、新しい風を入れるということに結構、苦労しましたね。
だから、私が、地域のまちづくりラウンドテーブルで意識した、特に市民活動時代に意識したのは、自分自身が口コミで営業しながら、あるいは窓口でいろんな問題をガァーと言ってこられた市民の人に、「それならばラウンドテーブルっていうのがありますよ。そこで一緒に話しません?」というふうにどんどんラウンドテーブルに新しい人を呼び込みましたね。
職員のラウンドテーブルの方は、来てるメンバーに「まぁみんな他のメンバーを呼べよ」と、出来るだけ新しいメンバーの参画を呼びかけましたね。
テーマが、毎回、仮に何度も繰り返し同じテーマであっても、顔ぶれが変わっていくでしょ。そうすると『出会い』も起こるし、また違う『気づき』がおこるということで。『場』というものの不思議さというのは、同じことを話していても、同じ人間、同じ瞬間というのはないので、その都度、ある程度、新鮮さが保たれるということ。その新鮮さを保つために、口コミで広げるという事は、結構いい営業ですよね。ただ逆にいうと自分には、そういう営業ツールが手に入ったということで...
稲継 営業ツールですか?
中 はい。営業ツールが手に入ったということで、市民の人と接していても、職員と接していても、引き出しが出来ているので、少しそこに余裕があります。
自分が受けきれないとか、この人自身の思いが強いときは、そういう営業ツールをご紹介して、「一緒にしませんか?」というふうな所を持っていることの自分の中の強みみたいなものはありますね。
稲継 ラウンドテーブルの創設を中心として、中さんにお話をお聞きして参りました。
最後に全国の皆さんに向けて、何かメッセージのようなものがありましたら、お願いしたいと思います。
中 そうですね。ランウドテーブルっていう『場』をつくるということは、『出会い』と『気づき』を大切にするということに尽きると思いますし、いろんな人と出会う、色んな人に気づくということは、共感力が養われていくと思うんですよね。私は協働の中で共感力というのは、すごく大事だと思うんですよね。
稲継 共感力ですか。
中 共感力ですね。共に感じていく力っていうのは、すごく大事だと思うので、そういう意味では、『場』をつくるには、大したテクニックも何もいりませんから、取りあえずつくって、いろんな人と出会う機会を持って欲しいなと思っています。
もう一つ、これは、自分が今やっている作業の宣伝になるのですが、新しい総合計画を作ろうとしていまして、それの最大のテーマは『夢語り』です。『夢』を市民の人と、今、つくろうとしているんです。夢も未来形でなくて、未来の夢を現在形で語りたいなと思っているんです。それによって、すごい実現力を共感できればいいなと。
計画に対する今の時代の限界があると思うので、むしろ『夢』を一緒につくる、これは『場』と一緒なんですけれど領域を大事にしたいがために、『夢』という領域をまず一緒につくりたいなと思っています。だから、私は『夢』という領域が出来たら、次にそれを動かす『場』という仕組みをつくりたい。これもここ1、2年の間で、できれば『場』という仕組みをもっと本格的にいろんな所に仕掛けていきたいなと思っています。
だから、『夢』と『場』を大切にして、そして、この協働の時代の新しい共感力のあるまちづくりというのをやっていきたいなと思いますね。
まぁ皆さんも、私がやっている程度のことは、どの自治体でも、どの職員でもできると思うので、私のような凡人でできることですから、スーパースターを意識しなくて全くいいので、是非、身近にやっていただけることなので、やっていただければいいかなと思います。
稲継 今日は、どうもありがとうございました。
環境問題がテーマになると、多くの市民がそれぞれ一家言を持っている。わいわいがやがや、井戸端会議をやっていても日が暮れてしまう。今までは自治体に要求だけしていた市民も、自分達自身がプレイヤーになると、「いや自分達のこんな小さい活動もなかなか実現できないんだなぁ」ということに気がつくことになる。ラウンドテーブルは、気づきのツールとしても機能している。
「私がやっている程度のことは、どの自治体でも、どの職員でもできると思うので、私のような凡人でできることですから」との何気ない締めくくりの言葉があった。
しかし、中さんが「やっている程度」と謙遜されるようなことが、全国の自治体ではなかなか実現していない。交野市で可能となったことの要因として、やはりキーマンがいたということを指摘しておく必要があるだろう。