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第45回2008.12.24

インタビュー:宮崎県北郷町役場 早田 秀穂さん(下)

 広報統計係(2年)、税務課(1年)、県庁出向(1年)、社会福祉係(2年)、商工観光係(2年)と、それぞれ創意工夫をこらして取り組める仕事に従事したあと、総務課人事係で6年間、給与関係の比較的ルーティン業務に従事しておられた。この間、忸怩たる思いだっただろう。
 だが、その後、観光係でリゾート開発の計画に取り組み、次は、教育委員会の社会教育課で、国際交流センター(ふれあい交流センター)の建設建築や、社会体育を担当し、老人クラブ連合会や子ども会連合会、婦人会など社会教育団体と頻繁に付き合う仕事に携わる。イベントも数多くこなした。その後、消防防災係長を命じられる。町外在住者が就くポストとしては意外なポストであったが、早田さんはそこでも、消防団内の組織改革などに取り組むなど、積極的に町行政にかかわっていかれた。


稲継 消防防災係長を4年ほどやられたあと、次はどちらの担当になられたでしょうか。

早田 横滑りで現職である総務課長補佐に昇任となりました。内示をいただいた際は、正に'晴天の霹靂'でした。
 と申しますのも、現在も多くの市町村でそうであるように本町においても職員の人事異動というのは、密室の中で仕事ぶりとか業績評価ではなくて、好き嫌い、または、派閥関係や先入観等で動かされることが多いと思っています。
 さらに、本町のような小さい町では、町長の秘書課である総務課というセクションは、トップに気に入られた職員が多く集まる場です。私は物事をはっきりと言う人間ですから、当時の町長からしますと、どちらかと言うと反主流派の1人と言われていましたので、総務課の課長補佐とは私自身は想像もしていませんでした。
 また、本町の課長補佐職は管理職等であり、非組合員となります。総務課の課長補佐は総務係・人事係長を兼務し、他の課長補佐と比較しますと、ある程度の権限を与えられています。更に、決裁権的には町長・副町長・総務課長に次ぐ権限が付与されており、当時の町長、助役が私を総務課の課長補佐にするということは、大抜擢といいますか、一種の英断だったのではないかなと思います。逆に言うと人材不足かなとも思いますが(苦笑)
 ただ、人事異動により様々な課を経験したり、労働組合の執行委員長などを経験したことにより、北郷町の総務課人事係の職員の人材育成についていろんな疑問や不平不満を持っていましたので、やるべき目標はすぐに組み立てることができました。
 例えば私自身、研修に行くという機会は7年程度与えられていませんでしたし、研修を受講する人間もごく一部に限られていました。そのような不公平な面を改善しながら、職員の意識改革-まちづくりは、人づくり-をするために、頑張ろうと考えました。

稲継 その課の課長補佐兼人事係長兼総務係長ということですね。

画像:早田 秀穂さんの写真
早田 秀穂さん

早田  はい。法制執務、議会対策、区長会、給与、昇級、昇格、懲罰、秘書、町長のあいさつ文の校正・作成、そして、選挙管理委員会といった業務を部下3人の計4名で切り盛りしていますので、かなりの兼務職かなと思います。

稲継 一般的に考えると、そういうルーティンに入る業務がたくさんある中で、新しく人材育成についての方針を変えたいとか、あるいは制度を変えるというのはものすごくエネルギーが要ると思うのですけれども、どうでしたか。

早田 エネルギーが要ったということに否定はしません。実際、要ったと思います。ただし、今まで、いろんな疑問や不平不満があり、自分自身の構想を持っていましたから、現職となり色々な会合や研修で人材育成に関する講話や事例を聞くことが、新鮮であり喜びにも感じていました。「今、国・県は、こういうことを目指している。」「他の市町村は既にこういうことを実施している、実施しようとしている。」ということを知ることができましたので、それを是非持ち帰って、北郷町でも推し進めたいという思いの方が強く、今の仕事は大変やりがいのある楽しい仕事だと思っています。

稲継 この平成15年から総務課の課長補佐をやられた頃というと、ちょうど北郷町が合併で一躍有名になった時期でもあります。その辺の経緯とか少しおしえていただけないでしょうか。

早田 はい。あまり良い方での有名ではありませんが・・・平成16年17年の2年間に4回の直接請求、2回の住民投票、そして最後は14名の町議全員と町長のリコール合戦、そして出直し選挙を経験しました。
 順を折ってお話しますと、平成15年-私が課長補佐に昇任した時代ですが、平成の大合併が声高らかに叫ばれていた頃-に県南2市2町での任意合併協議会が発足しました。
 しかし、任意協議会の協議の結果は、日南市以外の3市町が自立の道を選択し、合併にはいたりませんでした。
 16年になりまして、北郷町と南郷町の住民グループの1回目となる直接請求を受け、両町議会は法定協議会設置に関する臨時議会を開催するも、自立派が多かった本町議会が否決。その否決を受け、今度は、住民グループが、法定協議会の設置の是非を問う住民投票の実施を求める住民発議を経て、平成16年の7月に「法定協議会の設置の是非を問う住民投票」を行いました。結果は、法定協議会設置が過半数を超え、1市2町での法定協議会が設立されました。
 次に、合併の賛否を問う住民投票を求める直接請求の動きがあったのですが、署名収集活動開始直前に当時の町長が、自分の方から住民投票をすると決められ、17年の2月に「合併の是非を問う住民投票」を行いました。開票の結果、合併賛成が2町とも過半数を超えたため、自立の意向が強かった北郷町及び南郷町の町長でしたが、住民投票の結果を尊重しなければならないということで、県知事立ち会いで3月に1市2町の合併調印式を行いました。
 調印式の後の手続きとして関係3市町の議会の議決が必要なのですが、日南市、南郷町の議会は、住民投票の結果や県知事立ち会いの調印式という事実を当然尊重され、合併関連議案は可決されました。しかし、当時の北郷町議会は合併推進派と自立派が同数であった上に、たまたま議長が合併推進派だったものですから、採決の結果、7対6という1票差で合併関連議案をなんと否決、合併が破綻してしまいました。このような事例は、県知事立ち会いのもとの調印式が終わった団体では、全国でも北郷町が初めてじゃなかったのかなと思います。

稲継 うーん、聞いたことがないですね。

早田 その結果、合併推進派グループが合併関連議案を否決した自立派の議員をリコールするための住民請求の手続きに入りました。すると、今度は逆に、合併関連議案を否決した自立派の議員の一部が、「住民投票の結果は尊重すべきであるが、地方公共団の最終意思は議会にある。議会が判断をしたのになぜリコールか。」、「一旦否決をした合併関連議案を、臨時議会により2回も審議させた合併賛成派の議員の方こそ議会制民主主義を冒涜している。」という論理のもと、今度は合併賛成派の方々をリコールするという住民グループを作られ、署名収集活動に入ったのです。
 また、当時の町長も自立派の議員を説得しなかったという理由により、合併推進派グループは町長のリコールを問う住民投票実施のための署名収集活動も併せて行いました。一人ひとりの議員さん、つまり14名の議員と町長、計15名をリコールするための住民投票の実施を求める全国初の事例ではないかと思われる直接請求活動が始まりました。
 結果的には、さまざまな動きがありまして、まず、合併賛成派の方々が町政を混乱させたということで自ら辞して行かれました。残った自立派議員は議会解散の道を選択され、町議会議員が一人もいなくなるという状況になり、結果的に出直し選挙を実施しました。
 もし、このまま住民投票を行っていれば、有権者一人につき投票用紙が15枚配付されるという想像を絶する選挙を執行しなければならなかったと思います。現職に就任し、これから様々な人事制度改革、人材育成もやりたかったんですが、それを一時中断せざるをえないという状況に陥りました。

稲継 というのは、早田さんは、選挙管理委員会の書記長補佐もやっておられるわけで、15本のリコールの投開票の準備もされていたわけですよね。

早田 はい。結果的には議員全員が辞職されましたから、17年8月に町長・町議の出直し選挙を実施し、全国初の有権者1人に15枚の投票用紙が配布されるというリコール騒動は回避されたのですが、まず大変だったのが、2つの住民グループが収集された署名の数が膨大であり、その審査にかなりの労力を要したことです。北郷町の有権者数は約4千5百人ですが、集まった署名は合計2万6千人。4.5倍の署名が集まり、その審査には法令で期限が定められており、平常業務もこなしながら、各課総動員で連日連夜2時から4時頃まで署名審査の事務を遂行したことが一番記憶に残っています。
 さらに、様々な状況の変化、つまり報道機関各社から「混沌たる北郷町」、「迷走の北郷町議会」という連日の報道に応じて、議員の方々が一人ひとりと辞職されていかれました。辞職されますと住民投票にかけられる議員の数、つまり、投票用紙の数が日々変わっていきます。  また、町長も住民投票実施前に辞職されており、町長と辞職した議員に係る出直し選挙と、辞職していない議員の解職の是非を問う住民投票の実施と、一時は3種類の選挙を想定しなければならない時期もあり、当然住民もなかなか理解できない事態となっていましたので、町内26会場での地区説明会も実施しました。
 また、総務課は町長の秘書課であり町長を守るべき職責でもありますが、選管は情に左右されることなく厳正に粛々と事務を処理しなければなりません。リコール・解職が決まったわけではありませんが、解職の是非を問う住民投票を実施するか否かの署名審査中における町長をはじめ数多くの議員さん方との人間関係の難しさも体験しました。この面でのプレッシャーやストレスは言葉ではなかなか表現できない辛いものがありました。

稲継 非常に大変な合併騒動があって、まあ、それはいったん白紙になって、おさまったわけです。その、やや落ち着いたところで、いろんな人事制度改革に取り組まれ始めたわけですね。どのような取組をされましたか。

早田 一番ありがたかったのは、出直し選挙の結果、現在の町長が当選をされました。現在の町長は、元職員・元町議で、かなりユニーク・行動力あふれる方です。職員との会話を好まれる方ですので、私が考えていることを、まず、聞いていただく、聞いていただくことによって町長自身が判断をしていただいて、正しければ、「GO」という指示を明確にだしていただくということで、非常に現町長になり改革のスピードは上がったのかなと思います。

稲継 具体的にその改革というのはどういうものでしょうか。

画像:早田 秀穂さんの写真
早田 秀穂さん

早田 まず、遅まきながら、職員の人材育成方針を策定できたということですね。策定をするにあたりましても、自分だけの意見ではなくて、職場の有志等の意見を聞きながら、策定できたということ。ですから、よくあるのが、一方的に人事サイドが物事を作り上げて、それを職員に強制するというパターンが多いかと思いますが、そういう制度じゃなくって、職員の意見を聞いた方針が構成できたと思います。
 私自身もなかなか参加する機会を与えていただけなかった職員研修についても、向こう3年間の派遣計画を作り職員に周知をしました。初めての試みでしたから、当時は職員の間でも話題となったようです。さらに、受講する職員のモチベーションを少しでも高めるため、庁内LANを使って職員一人ひとりに「研修の目的や期待」といったメッセージを添付するように心がけています。
 また、町長は職員との対話を好まれるという面をお持ちですから、これまで職員研修の復命は主管課長経由の総務課長までの決済であったものを、平成18年度からは全て町長決裁と改めました。職員数の少ない本町だから実施可能な事例だと思いますが、受講する職員も町長からの質問を想定して研修に臨みますからある程度の負荷がかかりますし、町長も普段あまり会話をする機会のない若手職員や保育士といった出先機関の職員と会話ができて喜んでおられるようです。
 さらに、町長は人材育成に限らず施策全般において「何が必要で、何が欠けている。」、「課題は何で、解決のためには何が必要か。」というように、筋道を通し町長の納得さえ得られればある程度職員がやり易い環境を創られます。例えば私自身が人事評価制度に興味を持ち、研修を受けたいと考えた際も、「まちづくりは人づくりから始まる。」、「人材育成こそ町の発展の即効薬。」など持論を述べさせていただき、当時、研修の予算はなかったのですが、町長の特別旅費を使ってJIAMで一昨年8月に開催された「人事評価制度の構築と運用」に参加することができました。このセミナー参加した約50名のメンバーと意見交換をする中で、いかに九州が、宮崎が遅れているかを認識することができました。そして当時は人事評価制度というのは、「職員の中に不公平、差別を持ち込む制度」という誤った推測や解釈がなされておりましたし、実際国・県の説明も単に給料や勤勉手当に区別をつけ、管理するため制度というレベルであったと記憶しています。受講できたことにより人事評価制度とは公平公正かつ人材育成のための制度であるということを強く認識することができました。そして受講後は土日を費やして復命書を作り上げ、町長自身も私の復命書を約1日がかりで読んでいただき、「是非これは取り組め」ということで、当時(平成18年)、宮崎県では一団体も人事評価制度に取り組んでいる団体はなかったと記憶していますが、構築委員会の立ち上げなど制度構築のスタートをきることができました。

稲継 それで、今、さまざまな制度改革に取り組まれていると同時に、お聞きするところでは、今度、合併というものに、取り組んでおられるということですが、その辺の経緯とどうなっているのかというのをちょっと教えていただけますでしょうか。

早田 結果的に本町に合併推進派の町長が当選したことにより、改めて日南市の方から合併をしたいという打診があり、昨年5月に3首長発議により合併をするという記者会見を行われ、今年3月には県知事立ち会いのもとの合併調印式や3市町の議会での合併関連議案可決と、来年3月30日の新日南市誕生に向けカウントダウンの状況となっています。
 基本的に人事評価制度の構築もすすみ、各種シートもできあがり、これから、課長級の評価訓練だとか、職員周知という段階まで来ていたのですが、合併事務の方に追われるということが現実化してきました。さらに、昨年4月の人事異動で新しく来られた総務課長が、病気で入院を半年間されたという状況もあって、自分自身も首が回らない状況となり、結果的には合併という流れ、業務多発によって北郷町の人事評価制度は見送りになりました。
 合併という現実の業務に追われ、人事評価制度の構築が出来なかったことはもちろん、昨年公示直前に合併を理由に、新たな試みである2次試験でプレゼン試験を実施する予定でした職員採用試験が実施できなかったことは、今でも悔しい思いでいっぱいです。ただ、人事評価制度に関しては、「急いで構築しなくてよかったのかな、運用しなくてよかった。」と思う点が2つあります。1つ目は、合併をしますから仮に今年、試行を実施できたとしても新市になりますと北郷町にはない病院職や様々な現業職があり、それらの職種に対応した制度を改めて構築しなければならない。今年試行したとしても、その試行の結果があまり反映されなかったのではないか、という点です。
 2つ目は、早く作り上げたいと気が焦っていましたので、既に構築・スタートされていた団体・先進地事例的な評価シート等をいただいて、それをブレンドする、模倣する手法を若干使っていました。今、改めて自分が作り上げた評価シート等を見てみますと、「困難な業務を処理し」とか、「相当な経験を有する」という表現を随所に使っています。「それ、いったいどういう業務?」、「どういう経験?」と聞かれたら、自分自身が答えられない評価ポイントや着眼点を記載していましたので、改めて、見やすい、分かりやすいシートを、再構築すべきだと考えます。
 実際、合併の段階で、調整方針の中には、現在、人材育成方針があるのも本町だけですし、人事評価制度の構築に係る検討委員会や職員研修をスタートさせたのも本町だけですので、「北郷町の例を基本に新たに構築する」と、担当者間で申し合わせています。私自身がどのセクション・ポストに配属になるかは不明ですが、本町がこれまで取り組んできた基礎資料を元に合併後、すぐに取りかかれるのかなと期待をしているところです。

稲継 新市において北郷町で今まで培ってきた経験を生かしていこうということになるわけですね。
 今日は、北郷町の早田さんに、合併の取組で非常にお忙しい中、わざわざお越しいただきまして、お話をうかがいました。どうもありがとうございました。


 総務課の課長補佐兼人事係長兼総務係長という長い肩書きは、肩書きだけではなくて実際に様々な責任が伴っている。人事係長としての採用や異動の原案作成の責任者、人材育成の責任者、合併協議に様々の形で携わる責任、住民投票や出直し選挙があれば、選挙管理委員会書記長補佐として実質的に選挙を取り仕切る責任も伴う。
 おそらく、殆ど休日返上で走り続けておられるに違いない。そんな中で、人材育成基本方針を策定し、次に、人事評価制度を構築しようときわめて前向きに考え、取り組んでこられた。
 新しい合併により、来年3月に北郷町は合併して日南市となり、従来よりも大きな組織の職員となるが、早田さん自身は従来の取り組み姿勢で突き進んでいかれるに違いない。
 また、近いうちにお会いしたいと強く感じた。