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第41回2008.08.27

インタビュー:おおさか市町村職員研修研究センター 上浦 善信さん(中)

マッセOSAKA副所長兼研究課長の上浦さんは、もともと池田市の職員であった。人事課の中で様々な業務を経験したあと、大阪府市町村振興協会・おおさか市町村職員研修研究センター、通称、マッセOSAKAの創設に携わるため、池田市から出向となり、マッセOSAKAで勤務し、様々な経験を得られた。その後、池田市に、復帰することになる。上浦さんを待ち受けていたのは、その後、全国的に名物市長となる、倉田市長の矢継ぎ早の業務命令であった。


稲継 2年間のマッセOSAKAでの派遣期間を終えて、池田市へ戻られました。池田市へ戻られてからの仕事についていくつか教えてもらえたらと思うのですが、どのような仕事をその後やられたのか教えてください。

上浦 マッセOSAKAでの派遣を終えて池田市に帰りましたときには、市長が替わっておりまして、現在の倉田市長になっておりました。

稲継 倉田市長というと、現在、大阪府市長会会長をやっておられて、橋下知事とも結構テレビでバトルをしておられる市長さんで、非常にしっかりした市長さんですね。

上浦  元職員で、5期20年間市議会議員、そののち市長に当選という、池田市のことはなんでも知っているという市長で、仕事に関して、求めるレベルが高く、もとめるスピードも速いなと感じました。
 職員の意識改革を公約に挙げておられ、研修にも非常に熱心で、つぎつぎ指示されました。最初の指示は、4、5年に1回職員に研修機会を与えるような研修体系に変更すること。そして各研修に必ず市長講話90分入れること、これが条件でした。

稲継 必ず市長の講話を入れるというのが条件ですか。珍しいですね。

上浦 そうですね。日程の調整には、ずいいぶん苦労いたしました。最初の30分は、市長自身が行政にかける思いなどを話され、次の30分は、職員に、最近感じていることや市政に対して疑問に思っていることなどを発言させます。そして残り30分に、その質問などに答えるという形で、進めていかれました。ですから、所属長への不満ですとか窓口での些細なトラブルについても話すことになりまして、市長自身も職場の問題点だとか、職員の思いを把握できるチャンスになったというところです。

稲継 これが一つめの大きな指示ですね。

画像:さわやか応対マニュアル
さわやか応対マニュアル

上浦 次に「さわやか応対マニュアル」というものを作成するようにとの指示でして、人事課の職員だけで、簡単にできるかなとも思ったのですが、職員を巻き込もうと思いまして、各フロア、各施設から30名の研究員を選出いたしました。まずは、フロアごと、施設ごとの問題点を整理し、市民アンケートをとったり、各企業が実施する新規採用職員研修を受講したりして、民間の取組、役所の常識と民間の常識の違いを肌で感じたりして、マニュアルを作成したということであります。そして、マニュアルを作成し配布しただけでなく、作成する過程で、気づいたこと、例えば、わかりやすい案内表示への変更や記入しやすい申請用紙への変更など市民目線で気づいた改善提案もいたしました。また、完成したマニュアルをテキストとして活用し、階層別の研修もしました。ちょっとユニークだと思うのですが、職場ごとの研修を午後5時以降に実施いたしました。これは、職場全体で同じ内容のことが伝わるわけですから、効果としては、高かったかなと思います。

稲継 その「さわやか応対マニュアル」というのは、非常に分厚いですけれども、わかりやすく書かれているマニュアルですよね。これを作れという指示があって、作られたということですよね。他にも指示がでたということがあるのですか。

上浦 はい、官民共同研修という名前の研修なのですが、池田市内にあるダイハツ工業、池田銀行、それから(株)リコーといった企業と一緒に研修をしなさいとの指示がありました。企業感覚を学び、職員の意識を改革することが目的です。最初の3年間は、各団体の課長級6人ずつを集めましての集合研修を実施いたしました。最初の研修で結構学びがいっぱいありまして、民間の方は20分前に席につきまして、資料に目を通して、そして手洗いをすませて5分前に着席すると、こういう形ですね。

稲継 民間の方は、非常に準備を早め早めにやっているということですね。官の方はどうですか。

上浦 一方、官の方はぎりぎりまで廊下で雑談したり、たばこを吸ったりと、遅刻者まででる始末で、非常に恥ずかしい思いをしました。

稲継 受講者の態度自体に大きなギャップが見出せたということですね。

上浦 そうですね。まあ、討議に入りますと、自由闊達に実のある議論をいたしましたし、終了後の懇親会などは、特に官の方が活躍したというような印象がありました。2、3年はうまく運用できたわけですけれども、民間企業のメリットが非常に少ないということ。人選が困難であるということで、継続実施することに難色をしめされました。驚きましたのは、企業の方は、この官民研修に参加することによって、その方自身の本来受ける企業内研修の機会が減るというようなことでして。といいますのは、研修を受講して自分を磨くことは、ボーナスなどに反映されているらしく、社員から、研修機会が減るのは困るというようなクレームが出てきたそうです。また、企業の研修担当の方からは、この研修に参加することによって、金額にしていくらぐらいのフィードバックがあると考えておられるのか。というような問いかけを受けまして、民間の経営感覚、それから金銭感覚というのを、受講生以上に研修担当者が痛感しました。

稲継 それを痛感されて、若干の変更を加えられたのですか。

上浦 そうです。その後は、各団体一人ずつ、月2回、6か月議論し、市政に提言するという研究会形式に変更しました。これは、実際に来ていただく時間にしますと多いのですが、人数は減りました。市長の前で、市政に提言できるということで、企業側も、こころよく、参加してくれまして、「商店街の活性化策」や「ISOを宣言しないまちづくり」など、提言をしてくれました。現在は、職員だけで実施する研究会にゲストスピーカーとして招聘しています。たとえば、OJTマニュアルを作る研究会ですとか、人材育成基本方針を策定する研究会などで、各社の取組などを発表していただき、参考にさせていただいているということです。

稲継 市長からいろいろな指示があって次々に改革に取り組まれたわけですけれども、お聞きしたところによりますと、市長インターンシップというものが存在して、これが結構ユニークだと思うのですが、それは、どういうものでしょうか。

画像:上浦 善信さん
上浦 善信さん

上浦 これは、政治家や行政職員を志す学生が、市長に2週間同行し、市長の仕事振りや行政の仕事を学ぶという制度でしたが、若い職員の中から、われわれも参加したいという要望で実現したものが、「市長同行とびあるき研修」といいます。1週間程度、市長に同行しますので、市内行事を始め、部長会議や、予算査定などの場も経験できます。また、各部課長が、決裁をはじめ、重要政策課題などを説明する場面に、同席しているわけですから、職員にとりましては、いい刺激や勉強になったと思います。

稲継 職員の方も参加できているとのことですが、普通の学生が市長にひっついて回るというインターンシップですよね。なかなか全国的に珍しいと思うのですが、もう少し詳しく教えていただけますか。

上浦 市長は、学生の頃から、政治家をめざされていましたが、このような機会はなかったので、将来、行政を担う人を育てたいという思いで、市民や学生を対象に募集したのが始まりです。同行する学生は、各種行事に市長に同行し、大勢の市民の前で、挨拶もさせられます。また、市長が、池田市のホームページを通して自分の思いや昨日の出来事や今日の予定などを毎日発信している「市長とびある記」コーナーにも、感想を書かされます。

稲継 これは、学生が2週間なら2週間、ずっと市長につくわけですよね。すべての会議に出るわけですよね。これ、ちょっと普通では信じられないのですけれども。トップで意思決定する場面にすべて立ち会えるわけですよね。それは、大きな経験ですよね。

上浦 そうですね。貴重な体験だと思います。人事異動の打合せ場面に、さすがに職員は同行させませんでしたが、学生の場合は、職員の名前もわかりませんから、同席させたというようなこともありましたね。

稲継 なるほど。
 池田市に戻られて、7年間人事研修担当として、倉田市長のもとで、いろんな指示をうけながら、いろんな改革を進められたわけですけれども、その後、再度、マッセOSAKAに出向されることになるわけですが、その辺の経緯、そして、その後取り組んでおられることについてお聞かせ願いたいと思います。

上浦 マッセOSAKAは、ちょうど10年を機会に、2代目の所長として、大阪大学大学院教授の齊藤慎先生に就任いただきました。マッセOSAKAのスタッフは、府内市町村から輪番で職員を送り込むことで運営してまいりました。派遣計画表というものがありまして、何年にはどこの市が派遣するということが、決まっていたわけですが、10年を機にマッセOSAKAも変革していこうということになりまして、輪番制を団体公募制に変更し、マッセOSAKAに職員を送り込み、マッセOSAKAでスタッフとして働くことで、そのノウハウを各団体に持ち帰っていただく。そして、核となってがんばっていただこう。こういう変革の時期に、私も再度派遣となったということです。
 新しく生まれ変わるため、スタッフの人員や事務分担を見直し、文章校正能力やパソコン技術などが堪能な派遣社員を活用しながら、市町村から来たスタッフは、研修や研究事業の企画に集中するといった環境が整うようになりました。ですから、仕事に関連する外部セミナーなども制限なく受講することが可能です。大阪府内の市町村が人材育成戦略の場として、マッセOSAKAに派遣してくれれば、うれしいなと思っているところです。

稲継 派遣されてきた職員が、各市町村に戻って、核となる人材となっていただいたらこんなにすばらしいことはないですね。


 次号に続く。