メールマガジン

第40回2008.07.23

インタビュー:おおさか市町村職員研修研究センター 上浦 善信さん(上)

 自治体の研修所は、(1)各市がそれぞれもっている研修所、(2)都道府県レベルで市町村振興協会などがもっている自治研修所、(3)全国規模でおかれているJIAMやJAMP(市町村アカデミー)、自治大学校といった3つに大きく区分することができる。そのうち、都道府県レベルでおかれている自治研修所は全国でさまざまな形態をとっているが、今回、おじゃましているおおさか市町村職員研修研究センター(通称:マッセOSAKA)は、研究課を持っていたり、独自の取り組みをさまざま行っている非常にアクティブな研修所である。その副所長であり研究課長である上浦さんにお話をお聞きすることとする。


稲継 上浦さん、今日はお忙しいところ、おじゃまいたします。どうかよろしくお願いいたします。

上浦 こちらこそよろしくお願いいたします。

稲継 上浦さん自身、マッセOSAKAの副所長兼研究課長というポジションにおられる訳ですが、お聞きしたところ、もともとは池田市役所に入庁されて、その後マッセOSAKAにいわば転職された、そういうような経緯をたどっておられるようにお聞きしました。今までの職業人生を振り返るような形でお話をしていただきたいのですが、まず、池田市におられたころに携われていた業務について教えていただけたらなと思いますが、よろしくお願いいたします。

画像:上浦 善信さんの写真
上浦 善信さん

上浦  私は、昭和53年に池田市に入庁いたしまして、最初に配属されたのが、人事課職員係というところです。そこでは、社内預金、庁内報、健康診断、被服など職員の福利厚生を担当しました。一般の自治体では、あまりない社内預金という制度では、職員から預かった預金を安全かつ有利な方法で運用する方法について学び、庁内報では、紙面のレイアウトや写真の技術などを学びました。健康診断や被服も担当いたしましたので、ほとんどの職員の名前や顔を覚える事が出来ました。また、当時は職員向けの文化祭や体育祭があり、企画や準備に携わったことで、「段取り力」とか「スタッフの使い方」など学ぶことが非常にたくさんありましたが、残念ながら、市民の方との接点は、ありませんでした。
 その後、在職10年目に初めてもらった異動辞令は、任用や服務を担当する人事課人事係への内部異動でした。そこでは、特に採用試験や人事異動の事務が印象に残っております。採用の事務では、受付の時から受験生をチェックいたしまして、どのようにすれば、いい人材を見極めれることができるのかというようなことを考えておりました。
 そのなかで、伸びる素地のある人はなかなか分からないのですが、一緒に仕事をしたくない人や問題職員になるのではという人は、結構わかるなというふうに思いました。受験生のなかで事務担当者と態度と、役員面接での態度が、極端に異なる人もおりまして、事務担当者がみた「採用したくないリスト」を作成したり、受験生と一緒に、グループ討議会場や面接会場を準備したりして、その人たちの行動などを観察するという試みもしました。

稲継 受験生と一緒に面接会場の机とかを準備するんですか。

上浦 そうです。会場のセッティングを一緒にして、テストではないと思わせて、実は、行動を観察しているというということです。そんなことが印象に残っています。6年間人事係で仕事を経験した後、マッセOSAKAの立ち上げ時に、2年間派遣で参りました。

稲継 これは何年のことですか

上浦 平成7年のことです

稲継 平成7年にマッセOSAKAを立ち上げられたと。

上浦 そうです。平成7年、8年の2年間、マッセOSAKAで、仕事をいたしました。その後、池田市にもどりましたが、今度も、また人事課で、研修担当となりました。ここでは7年間研修の業務に携わっていましたが、再びご縁がありましてマッセOSAKAに2年間の派遣。その後、マッセOSAKAのプロパー職員になったということです。
 ずっと人事課ということもありまして、いろんな職場を経験したい旨、上司であります人事課長や、部長に申し出たのですが、もう少し辛抱してくれという状態が何度も続きまして、後に稲継先生にも御指導いただいて池田市人材育成基本方針を策定したときには、採用後10年で3職場ということを強く提案した次第です。

稲継 比較的長く人事課という仕事を経験しておられた。マッセOSAKAでも研修とか研究とかを担当しておられた。上浦さんご自身は外部的に客観的に定義づけするとしますと、人事のプロというふうに定義づけさせていただいたらよろしいのでしょうか。

上浦 そういうことをいわれるとちょっと困ります。たまたま経験しました職場が、そのような所属が多かったというところです。人材を育成するのは、研修担当者や人事担当者ではなく、日常業務を通じてOJTをする職場の上司の役割が、とても重要です。職場風土や上司の影響は、非常に大きく、初めて配属された職場や上司が、公務員人生を左右するぐらい重要ではないかと思います。管理・監督職の人には、部下を育成するのは、自分の仕事だとぜひ認識してほしいと思います。

稲継 池田市役所で16年勤務されてから、マッセOSAKAの立ち上げの時にマッセOSAKAに派遣出向されたわけですけれども、今も少しふれられましたが、ここで人材育成に携わる機会を得られた。そのときのことについて少しお話しいただけますでしょうか。

画像:マッセOSAKA 映像研修広場の写真
マッセOSAKA 映像研修広場

上浦 当時、私は人事担当でしたので、マッセOSAKAに派遣する候補者を5、6人リストアップするよう指示されました。人事担当部長が、各部長と交渉したわけですけれども、なかなか了解が得られなかったというのが現状です。可能なら人事課から派遣してもらえないかというような要望もありましたので、自ら派遣されることを申し出たということです。派遣者を決める各部長との人事ヒアリングでは、結局、職員を育てるという発想よりも使い勝手の良い職員を手元に残して、使いにくい者あるいは問題職員を他部局へというような傾向が強く、これは、制度として、5年以内には必ず異動させなければならないというようにするなど、任用管理、職場管理をふくめた人事システムを作っていかないとだめだなと、そういうことを感じたわけです。

稲継 やはりどこの組織でもどの上司でも優秀な部下を手元におき、優秀でない部下を外に出したがるという傾向があるんですが、それは池田市でも強く存在していたということですね。

上浦 その当時10年以上同一職場という職員が、かなりたくさんおりました。人事課内もそうですし、財政課にも収入役室にも10年以上の職員がたくさんいたというのが現状でした。

稲継 マッセOSAKAで初めて研修の仕事を担当されましたが、そこで感じられたことを少し教えて下さい。

上浦 はじめて、大阪府内市町村の研修担当の方とのおつきあいが始まったわけですが、風土の違いというのを非常に感じました。30万以上の都市もありますし、小規模市町村もあります。規模によっても違いますし、地域の風土によっても違うという、その辺は驚いたところですね。

稲継 驚かれた風土とは具体的にたとえばどういうようなものがありますか。

上浦 研修担当自身が熱心で、組織を活性化して、人材を育成しようというところと、そうでないところ。研修所という組織があるところと、研修の専任担当がおらず給与計算から研修まで担当しているところなどがありました。やはり、研修所と名前をつけて専任でやっているところと、そうでないところとでは、予算や事業内容、担当者の意識など、かなり大きな差があったと思います。

稲継 大阪府内の市町村だけでなくマッセOSAKAの中に大阪府の市町村課と深いつながりがあるわけですよね。マッセOSAKAで大阪府市町村課の雑誌である「自治大阪」を発行しておられるということもあって、府の職員との交流というものもかなりあったと思いますが、その辺いかがですか。

上浦 やはり大阪府の市町村課の職員から教えられることは非常に多く、一人ひとりの能力が高いということもありますが、自己啓発意欲というか、自らが一生懸命勉強しようという意識や問題意識が、市町村職員とは違うなと結構刺激を受けた次第です。

稲継 そうやって築かれた府の職員あるいは他の市町村の職員とのネットワークですが、徐々に大きくなっていったんでしょうね。

上浦 そうですね、私にとりまして、これは、大きな財産です。若い職員には、自分の組織以外の人との交流機会を自らが作るようにアドバイスしておりますし、池田市では、国とか府に派遣するような制度がありますので、ぜひ手を挙げるようにとも勧めているところです。

稲継 2年間立ち上げのときにマッセOSAKAにおられたわけですが、その中で一番印象に残っておられることには、どのようなことがありますか。

上浦 なにもないところから作っていったわけです。研修の仕事の経験がありませんでしたし、スタートに当たり、恥じない組織を作らないといけないという思いで、いろんな研修を受け、実施する研修や講師情報が、府内市町村の参考になるように、がんばったこと。そして、同じ釜の飯を食べた仲間というのでしょうか、そのとき一緒に苦労した人たちのことです。一生付き合える仲間ができたなと、そういうことでしょうか。ふりかえると、うれしい経験ですね。

稲継 組織とかの立ち上げ時の苦労とか大変なものだと思いますので、その苦労を共にした仲間というものは、分かちがたい強い結びつきを持つものだと思います。


 次号に続く。