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分権時代の自治体職員
第18回2006.09.27
職員研修―3
職員研修所の役割
自治体職員研修所は、創設以後、今日に至るまで種々の努力を積み重ねてきた(第6回連載参照)。現在ではその設置形態や研修内容、研修体系は、自治体によってかなりバラエティに富むものとなっている。
頑なに20年前のプログラムをそのまま継承している自治体もあれば、時代環境の変化に敏感に対応してプログラムの中味や研修体系についてかなり大胆に検討し見直しをしている自治体もある。
なかには緻密な研修体系を作成して、各研修を積み上げることによって、職員の能力開発を行っていくと明記しているものもある。各研修ごとに1頁以上の説明が書かれ、研修の目標として「政策形成能力の習得」とか、「××知識の習得」などと書かれていたりする。これを作成する過程では、ニーズの汲み上げや所属との交渉など、多大な苦労があったことが想像できる。
他方で、受講生の側は、名目的な研修体系プログラムの能書きには納得していない。各所属の側からも、「忙しいのに研修に職員を出している余裕はない」などと不満の声を向けられ、挙句の果ては、毎回同じ職員(実は、所属にとっては不要な職員)を送り込むような場合すら見られる。「研修マニア」と呼ばれる職員が幾度も研修所に来る一方で、殆ど研修を受けていない職員がいるなどの散らばりも見られる。
真剣に自治体職員の能力・資質を考え、日々努力を重ねる研修担当職員にとって、上記のような役所全体の雰囲気の中で自らの業務を遂行することは、どこか虚しさを覚えることすらあるだろう。
ここで、少し発想を転換してはどうだろうか。
人は自学で育つ。何度も繰り返しているように、分権時代の自治体職員の能力開発には、「自学」が重要である。人が育つプロセスの本質は、本人の自学のプロセス、自ら学習する自学のプロセスである。人材育成のために周りの人間が行い得ることは、その「自学」のプロセスに刺激を与えることにすぎない。厳密にいえば人は育てられない、育つのを助けることができるだけである。
人事担当としては、そのような刺激を与える人事管理諸制度に配意することができる。職場で人材育成にあたる職場リーダーは、仕事の与え方などを通じて、本人の自学を刺激する機会が豊富にある。人は、そうせざるを得ない状況に置かれたとき、もっともよく学び、自己変革を遂げるものである。自学促進のための状況を現出する立場にある人事担当や職場のリーダーは、そのような状況をつくるという「取り組むべき目標」が明確である。
これに対して、研修担当者としては、自学刺激の結果が目に見える形でなかなか現れないことから、いつも忸怩たるものを感じておられることと推測する。何とか、自治体の人材育成を進めていきたいのだけれども、重要な所は、人事担当の取組如何で大きく変わってくるため、自らの所掌範囲を超えてしまう。研修担当者としては、自分たちができる範囲でいかに能力開発や意識変革を起こそうかと苦しむことになる。しかし、数日間の研修で能力開発や意識変革を起こすことは難しい。
そこで、研修担当者としては、それは、土台無理な話であると、開き直ってみてはどうだろうか。ある特定の業務知識についての伝達を行うことはできる。しかし、研修所研修で能力開発をすることは不可能だと考えるのである。
職員研修・企業内教育に関して様々の書籍や論文が出されている。筆者もそのようなものに数多く接してきた。研修・企業内教育による能力開発について、コンサルタントに多額の費用を投じて立派なプログラムを作っているものも数多くある。その解説書も数多く書店に並んでいる。しかし、そのような中で最も説得力があると感じたのは、伊丹敬之・加護野忠男両氏による記述である。
彼らは次のようにいう。
(研修所)研修の意義は、大別して3つある。第1は業務知識の伝達である。第2は、研修の場で集まった人々の間の人的ネットワークの形成である。人々が知り合うことに意味がある。第3は、研修をうけることが一種の儀式で、それに参加できることがインセンティブになっているという意義である。新任管理職研修の意義の大半はそれであろう。それは昇進の祝いの正式な儀式のようなものである。
では、研修の建前としての目的としてよくいわれる「能力開発」や「意識変革」についてはどうだろうか。研修で意思決定能力が開発できたり、顧客志向に意識が変わったりすれば、それは手っ取り早い企業革新の方法のようにみえる。しかし、それには限界がある。もちろん、研修に費やす時間の長さにも関係があるだろうが、たとえ1週間のカンヅメ研修をやったとしても、経営の意思決定能力の開発や意識改革がどの程度できるか、疑問である。
彼らの指摘することを自治体に置き換えて考えても同じである。1日や2日の研修で「課題解決能力」や「課題発見能力」が飛躍的に向上したり、「政策形成能力」が身についたり、住民志向へ意識変革ができたりするのであれば、それは誠に望ましい革新的出来事であるだろうが、現実問題としてそのような手っ取り早い能力開発・意識改革は望みにくい。
彼らは続けて言う。
つまり、よく考えられた研修体系・カリキュラムであれば、(「魔法の短時間トレーニング」のような研修効果を期待できないとしても)「重要な3つの意義のあること」が可能である。
その3つのこととは何か。