メールマガジン
分権時代の自治体職員
第139回2016.10.26
インタビュー:水戸市市長公室交通政策課 課長 須藤 文彦さん(下)
水戸にJ2リーグ観戦に来るアウェイチームサポーターへの観光案内をボランティアで続ける須藤さん。高校時代から水戸市で「まちづくりの仕事」をしたいという思いを強くもっていた。入庁後、自主研究グループ、まちづくりの市民団体を立ち上げ活動を細く長く続けていった。コミックマーケットスペシャルの水戸への誘致、納豆食堂など。仕事では都市計画課、県庁出向を経て財政課に8年いたあと、市街地整備課に異動する。水戸駅北口のペデストリアンデッキに穴をあけてエスカレーターを通す(?)仕事をした。
稲継 穴を開けてエスカレーターを通すってどういうことですか?
JR水戸駅北口
須藤 そのエスカレーターは、地形的な制約があります。水戸駅の建物自体は低い土地にあって、町は少し高いところにあるので、駅前広場自体が傾斜しているのですね。そういう状況なので、階段でデッキに上るとデッキの途中でまた階段があるという構造になってしまっていた。非常に階段が多い、バリアがたくさんあるデッキだったんですが、中央のバス降車場でバスを下りた方が、水戸駅の改札口方面に向かっていくときに、かなり迂回(うかい)してデッキの階段を上らなければいけなかった。バス降車場にエレベーターはあったのですが、それほど輸送力もないという中で、バスを下りた人が、駅の改札口方面に楽に行けるような状況をつくりたかったので、エスカレーターの設置を優先的に施工することにしました。その工事に携わることができたのが、一番思い出深いですね。
稲継 先ほど偕楽園からバスで戻ってきて、北口にバスが着きました。2階に改札口があるので、どういうふうな動線を描くかは結構重要なポイントかなと思います。
須藤 そうですね。バスを降りたら駅前広場の車道を突っ切って、駅ビルの階段に向かうという危ない状態だったんですよ。それをやめさせるためには、ちゃんとしかるべきところを渡ってそこから上がるという、遠回りしてでもそっちの方がいいやという状況を作るには、エスカレーターとかそういう新しいものを作る必要があると思いまして、それはバスを利用している人でないと分からない感覚です。ですので、下りのエスカレーターがないのかとか、上りだけでいいのかとか、バスを実際に利用していないとそういうことは分からない。作った当初はエスカレーターに乗ってくれるかな、みんな相変わらず乱れ横断をして改札口に向かって行くのではないかなと少し心配したのですが、そういう装置を作るとそっちに流れて行ってくれる。みんなが車道を渡らずに少し遠回りしてエスカレーターに乗ってくれると、今でもシメシメと思いますね。
稲継 シメシメですね(笑)。ありがとうございます。ここに2年おられて、次に動かれた部署は?
須藤 次は建設計画課という部署に異動になりました。これはちょうどコミックマーケットを行った3月の直後の異動ということで、そこで課長補佐に昇進することになりました。
稲継 建設計画課って水戸市ではどういう仕事を担当していますか?
須藤 建設計画課は、道路事業や河川事業などの建設部門の総括的な部署で、経理関係も全部ここで担っていました。道路の計画部門も全部そこで所管していました。そこで、経理を担当することになって。私は都市を形作る事業をやりたかったので、経理という仕事自体はやりたくはなかったんですよ。財政課の経験があるということで、せっかく事業部門に配属されても経理関係の仕事を任される可能性が高いだろうなと思っていたら、市街地整備課という事業部門に異動して、経理という仕事はほとんどない状態で「ああよかった」と思ったんですけども、その後配属された建設計画課というところでは経理担当の課長補佐ということで「いよいよ経理か」と思っていました。
そこで、東日本大震災に遭遇いたしまして、ここの庁舎も被害を受けました。ここはもともと沼地があった場所で、震災によりかなり液状化現象があって、道路もかなり傷んで、車がろくに通れない状態でした。橋梁は沈まないので、橋はそのままの高さなのに周りが地盤沈下したために段差が生じてしまい、橋を渡ることができない。車を通すために土嚢で段差を埋めて応急処置をしたり、地震直後はそういうひどい状態でした。
そこで発生した業務が、災害復旧工事、緊急的な災害復旧をどういうふうに回していくかというところで、「自分の出番が回ってきたな」という感じがして。通常の建設部の業務の中で、予算を執行して工事を行うとか、そういうルーティンワーク的なところでない、プラスアルファの部分で、これだけの膨大な災害復旧工事の発注を裁いていけるのかという、ある種のイレギュラーな状況が発生しましたので、そこで経理的な能力が少しは役に立ったのかなと思っています。
稲継 東北三県の岩手、宮城、福島の震災のことはよく報じられる一方、茨城県はあまり全国的には報じられることが少ないんですが、実際は相当な被害があったということなんですね。
須藤 とにかく東北三県の被害自体が甚大すぎて。茨城でなくても、例えば千葉も湾岸部での液状化とか、相当な被害が各地であったと思うんですが、茨城も相当な被害があったという中で、建設部という部署にいて、少しでもそういう部分でお役に立つことはできたかなとは思っています。
稲継 これは、異動されてほぼ1年経過する、直前ぐらいに起きたことですよね。
須藤 そうですね。
稲継 たぶん、それを境に仕事量が極端に増えたと思うんですけれども、どんな生活になりましたか?
須藤 建設部の職員は、地震直後の数ヶ月は24時間体制でした。通報を受けて緊急的な対応をしなければいけないということもあって、交代制で泊まり込みをしていた時期もありました。庁舎の隣にあった市民会館の使えるスペースに無理矢理入り込んで、そこを執務室にするみたいな、そういう状況でした。そこで、現場調査を行った人たちが帰ってきて、図面に修繕すべき箇所を書き込んで、また、指示を出す人がいて、出動していくとか、そういった繰り返しでした。そういうところをやって、建設事業者さんも協力していただける状況が確立してきたことによって、災害復旧工事の発注のスタイルができて、どんどん工事を執行することができるようになり、数をこなしていったという感じです。
稲継 今、この取材が2016年の6月で、庁舎が全部仮庁舎に移動していて、元の庁舎は完全に取り壊されたと。
須藤 更地ですね。
稲継 更地になって、これから建設していくということですね。
須藤 そうですね。
稲継 これはいつ頃完成でしょうか?
須藤 あと2年後には完成して、夏ごろには入居できる予定です。今からちょうどあと2年ぐらいですね。
稲継 2018年夏ぐらいですね。震災で被害を受けてから7年間ですね。
須藤 そうですね。すぐ建て替えなければ、ということもあったと思いますが、結局設計とか、そういった手続きをやっていると時間がかかってしまうということで。今は庁舎が方々に分散しているので、訪れる市民の方に相当不便をかけているところで、申し訳ないと思います。
稲継 完成すれば、また一つにまとまりますよね。
須藤 そうですね。
稲継 さて、平成22年に建設計画課に異動されて、1年後東日本大震災があり、その後もあと2年ぐらいおられたわけですね。この建設計画課に3年ほどおられて、次はどういう部署に?
須藤 次は、地域振興課という部署に行きました。当時の希望として、公共交通の仕事に携わりたいと思うようになりまして。
稲継 どうしてそれは希望されたのですか?
須藤 市役所に入って17年くらいが経っていまして、残りの年数を考えたときにこれも17年くらいだな、ちょうど折り返しだなと、そのようなことを考えたんですね。そのときに、市民活動とか勉強会での活動とか、そういったところでは、結構成果を出していたのではないかな、と思うのですけれども、そもそも市役所に入ってどういう仕事をしたかったかいうと、都市をつくっていくという仕事をしたかったわけです。その本業のところで何一つ成果を挙げてないや、と思ったときに、残りの時間は限られているなと思ったんですね。
それで、水戸に今一番必要なのは何かということを考えたりしたときに、道路をバンバン作って都市問題が解決できるという状況ではないと。福祉関係の予算がどんどん必要になってくるという中で、都市を大きく変えていくものが何だろうと考えたときに、公共交通かな、と考えまして、それに携わってみたいということで希望を出したところ、平成25年から地域振興課に配属となって、そこで二つ特命をいただきました。
稲継 二つ。どういうものでしょうか?
須藤 一つが、公共交通体系の整備促進担当。もう一つが、水戸ホーリーホックというJ2クラブの、ホームタウン推進担当。この二つ、まったく毛色の違う、公共交通とスポーツ振興のような、この二つの仕事をやれという特命の副参事になりまして、これは、私しかできない仕事だということを思いました。
といいますのも、水戸ホーリーホックをどうやって盛り上げていこうかということは、実は政策研究会でかつてさんざん議論していたことでした。どうやったらスタジアムが楽しくなるかとか、そういったことはみんなであれこれ言いながら考えてきたということがあったので、それを実行するだけという状況でした。
一方、この公共交通というジャンルは、Jリーグとまったく関係のない分野ですけれども、これも市民活動の中で勉強して、公共交通のことをやらなければいけないということがだんだん分かってきた時期でしたので、その二つの仕事で同時に携わることができるというのは、私にとってはかなりのターニングポイントで、ようやく出番が回ってきたのかな、という気がしました。
稲継 ついに来たか、ということですね。実際にどういうふうに仕事を進められましたか?
須藤 ホーリーホックのホームタウン推進という業務に関しては、職場の方もかなり協力的にしていただきましたが、まず観客数を増やしていくということが一つありました。これを説明する「紙芝居」を用意しました。パワポじゃないんですよ。 「Jクラブファンからまちのファンへ」という、これは昨年1月に岐阜で行われたJリーグ関係自治体等連絡協議会で発表した内容です。問題意識として、ホーリーホックというクラブは、全国的に見てもそんなに人気のあるチームではないので、観客数がとても少ない。その当時ホームタウン推進の業務に携わるようになった直前のシーズン、2012年シーズンは年間で8万3千人、これ、2試合ではない。浦和レッズとかだとたった2試合で8万人に達することもあるでしょう。水戸の場合は21試合で8万人ですから、平均して4,000人弱というとても少ない人数になります。それを増やそうというのですが、でも、よく考えると、月に2回試合があるわけですから、では水戸で月に8,000人を集めるイベントがほかにあるんでしょうか。しかもポイントとしては、そのうち1割程度は、アウェイのお客さんです。この方たちは呼んでなくても水戸に来てくれている人達なので、こういうところにもっと力を入れるべきではないか、と考えました。
きっかけは、私が地域振興課に異動した同じタイミングで、私の同期が水戸観光協会に出向したことです。その彼が異動直後の4月16日に私のところに来て、「アウェイゲートを何とかしたい」と。「どういうこと?」と訊いたら、せっかく水戸に来ている人たちに対して何のおもてなしもできていない、と。切符をもぎるスペースしかない。売店すらない。
稲継 なるほど。
須藤 何もない。これは観光協会としても何とかしなければいけないと思う。ちょっと一緒に何かやろうよ、と言いに来てくれたんですね。それは、4月に異動して16日ですから、2週間くらいで彼は私のところに来てくれて、「何かやろうか」と。「何やる?」と。続けてやらなければいけないから、続けられることをやろうということで、ターゲットとしては、Jリーグのサポーターを分析すると、どこへでも太鼓やダンマクを持って行くコアサポーターがいる。コアサポーターは必ず来てくれるので、私たちはそのコアサポーターの周辺の人をターゲットにしようと。この人たちはどういう人かというと、自分のところのホームゲームはできるだけ行っているんだけど、たまにはアウェイにも行ってみたいと思っている人たち。こういう人たちに水戸に来てもらい、水戸の町のファンになってもらいたい。水戸のサポーターにヒアリングしたところ、「たまにはどこかにアウェイの試合に行きたいと思うときにどこに行く?」と行ったら「長崎」とかなんです。観光で行きたいなと思うところと絡めていくという考えの人がとても多いということが分かったので、やはり水戸という場所も相手チームのサポーターにとって、行ってみたいなと思うような選択肢に上らなければいけないと思いました。
そこでおもてなしブースというのを作りまして、まずできること、観光協会にできることということで、イベントのときに麦茶を振る舞うという、誰でもできる、量をかせげるということをやろうと。
あと、二つ目は、対戦相手の地元の銘菓、水戸のお土産品を売りつけるのではなくて、相手チームの地元のお菓子を取り寄せて売るということ。これは何を狙っているかというと、「向こう側(水戸サポーター側)で売ればいいじゃん」とみんな言ってくれます。そこで苦笑いとコミュニケーションが生まれますね。で、岡山のチームが来たらきびだんごを岡山の人向けに売るのです。そうすると、「なんでここで売ってるの?」と必ず笑います。それを狙っています。これがリッツカールトン流のおもてなしだ、とこじつけまして、「言葉にされない要望や願望を汲み取ることをもって、小さな驚きや悦びを生み出す」と、そういうような高い志を持ったブースを、今も継続してやっています。 そういう変なことをやって・・・、
稲継 いや、変なことじゃないと思います。そういう人たちにとっては、すごくおもてなしを受けていると感じるでしょうね。
須藤 そうなんですよ。私は例えば長崎での試合を見に行ったときに、水戸の銘菓なんかを売っていたらうれしいなと思ったんですよ。もし、自分だったら笑っちゃうなと、面白いなと。きっと買っちゃうだろうと。そういうことを思ったので、わざわざ、そういうことをやっています。
稲継 なるほど。
須藤 あと「アウェイ水戸に行こう」というリーフレットを作りまして。「アウェイ」という言葉は、Jリーグファンなら分かる言葉なんですよね。水戸での試合のときに来てねと言っているんです。これを持って山形に行って「何月何日、水戸で試合ですよ」とシールを貼って配って、「わかったわかった行くよ」、なんて言われたり。
そして、みなさんのほしい情報はたった3つだけだと分かりました。ご当地グルメとお土産とスーパー銭湯。遠くから来て、ひとっ風呂浴びて応援して、またひとっ風呂浴びて帰ると。そういう行動パターンになっているのが分かったので、その3点に絞った変わった観光リーフレットをつくりました。
さらに一歩進んで「アウェイ水戸グルメサポート」という、そのリーフレットを持っていれば、お店でサービスが受けられますよ、割り引いたりしてくれますよ、というものです。
次には、勝利の願掛けツアーというのをやってしまいました。これは、いろんな人から怒られるかなと思いました。水戸のサポーターから「相手チームの願掛けとは何事か!」と言われるかとは思いましたけれども、そういうことではないんです。ただ単にアウェイサポーターに喜んでもらいたいだけです、ということで実践しました。水戸には弘道館という観光名所がありまして、そこの鹿島神社には武の神様がおられて、勝負ごとに御利益がある、ということでご案内します。ただ、ここで私がお参りするところまで同行すると、政教分離的にどうなのかとか、ややこしい問題に発展しますので(笑)、ここに連れてくるだけです。あとは自由にやってくださいと、そういうスマートな取り組みです。
ツアーでは「日本一の梅酒で乾杯」ということで、水戸のおいしい梅酒を振る舞いまして、ここで乾杯とします。ここで得られた新たな気づきとしては、梅酒は使えるアイテムだなと思ったことです。梅酒は特に女性に人気でした。水戸の偕楽園は梅の名所だというところから、梅酒のメッカだということを言っても、さほど嘘ではない、ということになると思います。こういうツアーを試合開始前の時間に行いました。そしたらこういう取り組みを評価してくれる人がいて、J2シーズンの特別賞をいただいたりすることができました。 昨年からは、水戸は梅酒で勝負できるということに気づきましたので、お菓子を集めたのと同じようなやり方で、ご当地の梅酒を水戸に取り寄せてずらっと並べて、それを飲んでいただくことにしました。そうしたら、横浜FCのサポーターなんかは試合なんかそっちのけで、ずっと梅酒を飲んでいました。3月に開催する水戸での全国梅酒まつりのプロモーションという形にして、大阪のチームが来たら、大阪の梅酒を取り寄せ、静岡のチームがきたら静岡の梅酒を取り寄せると。水戸に試合に来ることが楽しみだ、と思える状況をつくっていくことを考えています。 続けて、自治体間の協力体制というのは必要ですね、ということで、例えば水戸の観光パンフレットを送っておいて、我々が行けないときには配ってもらうとか。スタッフを獲得することも必要ですねとか。3点目は、ツアーを商品化していくと。最後は、続けるためにやっぱり無理はしないと。そういうことが必要ですね、ということで発表を終えて、それが昨年の1月でした。今年からおもてなしツアーは茨城交通の路線バスツアーの商品として展開されています。
稲継 ああ、そうですか。
須藤 私はそれに添乗しているという。
稲継 茨城交通のバスに市の職員が添乗している。
須藤 そうです。
稲継 それは、何かややこしい問題になりませんか?
須藤 人事課にも相談しまして、まったく問題がないと。無報酬で行うということですね。それは、特定の企業に対する、利益誘導ということには一切ならないということですので、それは、大手を振ってやっているところです。この取り組みで考えて来たことは、茨城交通という民間企業の路線バスのツアーという形になって続けられるのが正解なのかなと思いますので、私の体力、気力が続く限りは続けていきたいなと思います。ただ、無理はしないということです。
稲継 いや、最初の方で平均4,000人を切っていたと。それが最近はどれくらいの数ですか?
須藤 最近はどんどん増えてきていまして、平均4,000人切っていたところが、5,000に迫るところまできています。それは数年前までは、なかなか考えられなかった数字というところです。
稲継 アウェイの席が1割、400弱だったのが、ちょっと増えてきた?
須藤 アウェイ席にいる人達はもうちょっと少ない数字なんですけども、それだけじゃなくて、メインスタンドにアウェイサポーターの方がいらっしゃいますので、そういったところを含めると目算でも1割ぐらいは遠方から来ているだろうと思います。トータルの数は増えていますので、アウェイから来ている方も増えている、って言えるのではないかなと。
稲継 なるほど。
須藤 この取り組みは3年ぐらいになりますので、そうしていきますと、「また、来たよ」という方がいます。「去年ツアーに参加して、面白かったのでまた来ました」と。長崎のサポーターの方で「行こうかどうか迷ったけど、ここはおもてなしが面白いから来たよ」という人がいたりして。そういう声を聞くと、続けていてよかったな、間違っていなかったなと思います。
稲継 遠方から来られた方は日帰りということがないので、必ずここに泊まってください、ですよね。そうすると、水戸市内に宿泊費が落ちたり、食費が落ちたりと地元の経済にもプラスになりますね。
須藤 なっているはずです。そうすると、今日のような夏の時期に偕楽園をご案内するときに、梅の花は当然なくて、梅の実がなっているぐらいの季節ですけれども、そこにご案内するときは、2月3月に来たことを想像して、リハーサルです、という言い方をしています。で、そのときには、こういうルートをたどって、偕楽園本来の楽しみ方を体験してくださいね、ということで、比較的楽しんでいただいていると思います。
稲継 2つの特命があったと。それは公共交通体系の整備促進とホーリーホックの推進だと。先ほど茨城交通がツアーを作り始めたりといったことも含めて、いろいろ軌道に乗り始めたような気がします。
須藤 いろいろやってきたことがつながってきたなという実感があります。その後、平成27年度から交通政策課という部署が立ち上がるということになって、私が配属されまして・・・、
稲継 初めてできた課に課長としての配属になったということですね。
須藤 まだ2年目ということで、ここでは今のところ具体的にこういうことやったぞ、という成果の数自体は少ないんですけれども、将来、水戸が交通の面で一流だと言われるようになるために、準備をしているところです。
稲継 就職して17年目のときに、定年退職まであと・・・、
須藤 あと17年だったんです。
稲継 じゃあ何をしようかと、そう思ったのは今から3年ちょっと前ですね。残り14年弱あります。
須藤 そうですね。
稲継 何をやりたいですか。やはり公共交通?
須藤 はい、交通という手段で、まちを劇的に変えていきたい。つまり、定年まであと14~15年しかない中で、今から道路1本作ることだってできないと思うんです。一方で、今の水戸のまちの現状というのは路線バスが、かなり走っている状態なんですね。
稲継 この地図はどういうふうに見たらいいのでしょうか?
須藤 ちょっと細かいのでイメージとして見ていただきたいのですが、水戸駅を中心にバスが走っているんですが、この水戸駅から大工町というエリア、そこまでの区間は1日1,800本走っています。片道900本です。
稲継 私の乗ったバスも数珠つなぎになっていました。
須藤 渋滞を起こしているくらいです。その1,800本のバスというのはつまり片道900本です。山手線でさえ300本ですから。京浜東北線を足しても600本。
稲継 そうなんですか。
須藤 山手線の3倍走っている。当然、輸送容量が違いますけれども、そのくらいの本数で、明らかに過剰に走っているという中で、これをどうやって、走ってないところに再配分できるか、ということが鍵だと思います。そういうことができれば、より快適に行きたいところに移動できるようになって、まちがもっと便利になっていくはずです。この路線網をどういうふうに組み替えていくか、ということなんですが、バスの本数別に表した図を模式化すると、水戸駅を中心に放射状に走っている路線がほとんどだということが分かります。それをこういう形に交通の結節点を設けて全部が水戸駅に行くということではなくて、場合によってはここで折り返すことによって、郊外の本数を例えば現状の2倍に増やして行くとか。乗車機会を増やすことができれば、お客さんも増えるかもしれない。主要な交通結節点に辿り着ければ、そこから先はたくさん走っていますから、乗り換えて水戸駅にアクセスできる。そのときに乗り換えという行為がものすごくストレス、面倒くさい、となると思うので、どうやって、乗り換えのストレスをなくして、乗り換えていただく状況をつくるか、というのが今、まさに平成28年度にやっている検討作業です。これは全国でもなかなかうまくいってない。できれば、みんな目的地まで直通で行きたいはずです。だけど、みんなが直通で行くことを目指すと、そこで混雑する。時刻が遅れるなどの問題は解消しない。乗り換えてでも得られるメリット、それは何なのか。それは、全国的に答えはないという状態です。そこで水戸ならではの答えを見つけていくということが当面の鍵だろうと思っています。
稲継 可能性としてはどういうのがありますか? 結節点のところに商店、あるいは休憩所を置くとか、または乗り換えた方が安くなるような運賃体系にするとか。
須藤 そうですね。エコバックがなぜ普及したのかを考えたときに、レジ袋が有料になったことがあると思うんですね。環境のためにエコバックを使っているというよりも、5円で売っているレジ袋にお金を払うのは嫌だという心理が働いて、みんながエコバックを持つようになったと思うのですね。ですから、普通に考えられる政策だと、乗り継いだら運賃が割り引かれる、ということで、どこでもやられていると思うんですが、割引だけでは足りないのかもかもしれない。
稲継 どこでもやっていますか? あまり知らないんですけどね。
須藤 乗継ぎ割引のサービスというのは地方都市に結構見受けられます。例えば、ここまで200円、ここまで200円、で、乗り換えると400円になってしまう。もともと直通で、途中で降りなければ300円なのに、乗り換えることによって200円+200円になって400円かかっちゃうと。そういうことになった場合、その乗継ぎ割引で、100円割り引いて、乗り換えずに直行した場合と同じ値段にします、という取り組みをやられているところがありますね。
稲継 でも、それでは乗り継ぎをするメリットってあまりないですね。250円になればいいかな。
須藤 10円でも安いということがひょっとしたら大事かなという気がするし、一方50円だと引きすぎかもしれないとも思うし。でも5円でも10円でも安い、という状況をつくることができるかどうかというのが、一つ成功の鍵かなと。待合所など乗り継ぎスポットの設備が充実することも必要だと思いますが、そういうことじゃなくて、運賃でのメリットを出すと。それで回収できるものなら、大きなちゃんとした施設を作るよりもお金をかけなくて済むのではないか、ということを思います。行政だけの力ではまったくできないので、バス事業者さんと協力させていただきながら、うまく考えていければというところです。今年1年が勝負という感じです。
稲継 水戸エリアは1社でやっているのですか。
須藤 4社です。ですから、1社の方が「うん」と言っても足並みがそろわないとできないということもあります。そこら辺は非常に難しいところでして、とにかく足で稼ぐということですね。バス事業者さんに通い詰めて、信頼をいかに得られるかというところが肝要だと思います。「役所の言うとおりにやってください。うまくいかなかったら、補てんしますから」とかいうことでもないと思います。「そういうことならやってみよう」という、一緒にやれるというパートナーシップが組めるかどうか、ということだと思います。
稲継 私が乗車したのは平日の昼間だったので、乗車人員数はいずれのバスにもそう多くはなかったのですが、それをある程度まとめると、それなりのメリットがバス事業者にもあるのかなと思ったんですけれども。
須藤 今の運輸業界では、運転手不足というのが、労働問題的にも深刻になっているという状況があります。今のような運行スタイルが、長年積み重ねられてきた形だとは思うんですけれども、それが労働環境的にも理想的なのかどうかというのは、私はまだ調べが足りない部分があります。求人ということ自体が難しいのだとすると、少ない運転手さんでいかに効率良く運行していただけるかというのが、産業としての運輸事業が成り立つかどうかという試金石になるのだと思います。行政にお付き合いいただいて交通をやってください、ということではなくて、きちんと稼げる産業にしていくという観点がどうしても必要だなと思います。
水戸の場合は、幸い人口がまだ減っている状況にはなっていなくて、当然将来的には減るわけですが、今のところ人間はいると。ただしバスには乗らないという状態です。人口の塊である30代、40代の世代が車じゃなくても、バスに乗ればいいから、と思っていただける状況を今のうちから作っておくことができれば、今後高齢者が急増する局面を迎えても一安心だということが言えます。その急増する高齢者とは、まさに私たち自身です。私たちが歳を取ってからでは遅いというふうに考えています。明確な危機が訪れたときには、もう水戸には交通事業者が存在していないかもしれませんので。
稲継 将来の公共交通を見据えて今は何をする必要があるのか。それはちょうどずっと関わってこられた仕事とも色々と関わりのあることだし、それから仕事以外で関わってこられたことから得られたヒントもたくさんあるという中で、今の方向性を述べていただきました。ありがとうございました。
今日は、水戸市にお邪魔しまして、須藤さんにお話をお伺いしてまいりました。最後に全国の自治体の職員の方に何かメッセージがありましたら、よろしくお願いいたします。
須藤 今年3月に策定した「水戸市公共交通基本計画」の最終年度である8年後には、水戸市が大きく生まれ変わっていると思います。公共交通の姿が大きく変わって、画期的な状況を作り出せているはずです。8年後には「水戸は公共交通の分野で一流だ」と言われる状況を実現していきたいと思いますので、それは本当なのかどうかということを、ぜひ確かめに来ていただきたいです。
稲継 ありがとうございます。最後もまたセールストークが入りました(笑)。たくさんの人に水戸に来ていただきたいなと思います。今日は須藤さんにお話をお伺いしました。どうも、ありがとうございました。
須藤 ありがとうございました。
17年勤務したところで、残りの17年の仕事はどうしていくか。市民活動や研究会での活動はある程度成果が出ていたが、仕事ではどうか。そもそも市役所に入ってやりたかった仕事はまちづくり、都市をつくっていくという仕事だった。本業で何も成果をあげていないという焦り。残りの時間は限られている。
須藤さんはそう感じたというが、残りの役所人生で何をやるかを明確に描ける人は多くないだろう。また、人事異動は自分の意のままにならないのが通例である。
しかし、須藤さんはその強い思いを希望として出し続け、それがかなう。特命として与えられた仕事に嬉々として取り組むことになった。「これは、私にしかできない仕事だと思いました。」「ようやく出番が回ってきたのかな。」迫力のある言葉だ。普通の人には言えない。
これまでの経験も活かしつつ、「アウェイゲートの充実」「対岡山の試合できびだんごを水戸で売る」「アウェイ水戸に行こう」「勝利の願掛けツアー」「梅酒のメッカ」など次々に繰り出して、水戸の試合に行くことが楽しみだと思える状況をつくっていった。
現在は交通政策課長としてバス路線の再編に取り組む。8年後といわず、ぜひ一度水戸へ。
取材後記:
筆者は関西に住んでいた期間が長かったため、日本三名園である岡山の後楽園や金沢の兼六園にはこれまでそれぞれ3,4回訪れる機会がありましたが、残る一つの水戸の偕楽園は訪れたことがなく、今回はじめての訪問となりました。
偕楽園は、江戸時代の天保13年(1842年)に水戸藩第9代藩主徳川斉昭公(江戸幕府第15代将軍徳川慶喜の実父)により、領民の休養の場所として開園されました。「衆と偕(とも)に楽しむ場」として開設されたことから、「偕楽園」と名付けられたと解説にありました。
偕楽園全景
偕楽園には100種3,000本の梅が植えられ、かぐわしい早春を告げてくれるそうですが、私が訪問したのは残念ながら初夏でしたので、イメージしながら散策し、須藤さんの言葉を借りれば「リハーサル」をしてきました。梅の花は咲いていませんでしたが、広大な庭園の散策は心を癒してくれました。なんでも、都市型公園としては、世界で2番目に広いらしく(1番目はニューヨークのセントラルパーク)、全部歩くには時間が足りませんでした。http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kairakuen01.html
偕楽園を見学したあと、路線バスに乗って水戸駅につき(ペデストリアンデッキを貫通するエスカレーターでJR自由通路まであがって、線路の反対側に位置する)水戸市役所へ行って須藤さんにインタビューをしたわけですが、取材を終えると丁度5時半ごろになっていたので、須藤さんと一緒に近くの居酒屋で一杯ということになりました。
乾杯のあとあてをある程度食べた頃に、須藤さんがやおら紙芝居道具を取り出して、大阪バージョンの紙芝居を始めてくださいました。私が大阪出身ということをどこかで調べて用意してくださったようです。セレッソ大阪がやってきた時に、サポーターの方たちにお見せしたものだとおっしゃっていました。最後には「頑張ってJ1に上がってください。二度と会えないかも知れませんが応援しています(笑)。」と結ばれています。かつてJ1だったセレッソ大阪のサポーターたちにエールを送る心温まる紙芝居でした。
JIAMからはいつもメルマガ担当の方が録音機器などをもって来てくれて取材のロジをしていただくのですが、今回来ていただいた鹿島さん(北海道東神楽町から派遣)の派遣元も須藤さんは把握しておられました。「コンサドーレ札幌」用の紙芝居も持参してくださっており、それも披露してくださいました。一つの紙芝居は50枚ほどのA3の紙から構成されており、かなり重いものに見えましたが、居酒屋で我々2人に見せるためにわざわざ2種類のものをご持参してくださっていたのです。
おもてなしの精神が半端ではなく、本当にまた水戸に来たいと感じた夜でした。
このコーナーは、稲継氏が全国の自治体職員の方々にインタビューし、読者の皆様にご紹介するものです。
ご意見、ご感想をお待ちしています。(ご意見、ご感想はJIAMまで)