メールマガジン

第13回2006.04.26

人事評価―2

  前回は入庁1,2年目の若手職員の声を紹介しつつ、評価システムの序論的なことについて述べた。今回は、そもそも何のために人事評価をするのか、という根本的な所について考えていきたい。例によって、筆者の所に寄せられたメールの紹介からはじめよう(何か「生協の白石さん」っぽくなってきていますが、)

Cさんの声―いくつかの論点
 最初に紹介するのは、JIAMで学ばれた経験のあるR市のCさんである。

 入社以来7年間企画部門一筋の市職員で、JIAMの卒業生です。匿名での投稿お許しください。これまでの稲継先生のお話を読んで、同感を覚えています。
 「人事評価」というものを考えたときに私個人として思うのは、何を何のために評価するのか、ということと、評価者には、被評価者がどういう考え方で行動しているのかをできるだけ理解し、平等な基準で評価してほしいということがあります。
 人事評価をする際には、過去の働きによって現時点で組織にとってどういう存在か、という基準になるでしょうが、物事には裏表の見方があり、大半のことは一概に「良い」「悪い」という2進法的な切り方はできないと思われます。
 人材は均質なものではなく、個性や能力差があるのが当たり前です。組織にとっての評価基準は、組織にとって望ましい個性や能力といったものについて、過去の貢献度によって判断することが合理的かと思われます。しかし、その際、評価結果によって評価者間での処遇に差をつけることについては、その差をどの程度とするかについて慎重を要すると思われます。評価される側にとっては、個々人の差が、努力でその差を埋めることができないほどのものであるとき、劣る者は将来に希望を見いだしにくく、結果としてやる気を失ってしまうことがあるからです。(「希望格差社会」(山田昌弘2004年)を読んで)
 評価者の問題としては、評価者は全てを知り尽くした神様ではなく、職員個々人とのつきあいの程度は様々であるため、評価の材料の多寡があり、適切な評価がなされるのか、また、現在の管理職世代がこれまで自分がされてきた評価基準とは異なる評価をできるのか、能力の低いと思しき上司は能力が高い部下を純粋に評価できるのか、といった不信感はぬぐいがたいです。
 また、組織にとっての評価基準とは相容れませんが、人間は、自分の全てを否定されることは考えたくないものであり、個人の全てを肯定するわけにはいきませんが、「モノは言いよう」ということを配慮することが大切と思います。自分で分かっている悪い部分をことさら強調して指摘されれば腹が立つのであり、自分で分かっていないことを気づかせ、導いてくれる評価であってほしいものです。過剰な期待かもしれませんが・・・。
 そのほか、人材育成も関連するのですが、生き方についての価値観が転換している現在、仕事はそこそこで良く、プライベートも大切にしたいという人が増え、組織が個人に求めるものと、個人が仕事に望むもののギャップが今後ますます拡大する可能性が高まる中、やる気がある職員についてはそこそこの権限で非常に重い責任を担う中核的人材(いわゆる幹部候補生)として、仕事はそこそこでよいという職員は例えば単純労働に従事する人材として、育成のレールを分け、それぞれ異なる観点から人事評価を行うことが現実味を帯びてくるように思います。(完全な二極化ではないにせよ、市場化テストや公務員制度改革(短時間勤務職員等)などと併せ、自治体業務の再編と密接に関連するに違いないと思います。)
(R市役所・匿名希望Cさん)

 JIAMのどのコースを卒業された方なのか、文面からは判断つかないが、いずれにしろ、しっかりした考え方をお持ちの方だと拝察した。
 このメールには、いくつかの重要な論点が示されている。
 何を何のために評価するのか、過去の貢献度、処遇の差への反映への慎重姿勢、評価者の問題(評価能力、評価材料、評価基準)、そして最後は複線型人事制度の提案も含まれている。評価者の問題は、皆さんから寄せられたメールの中で最も多かった。前回も触れたが、次回以降も折に触れ検討していきたい。

 Cさんの意見の中で、「気づかせ導いてくれる評価であってほしい」という箇所に目がとまった方も多いと思う。

 実は、人事評価を何のために行うかという点については、正反対のアプローチがあり得る。「育成の論理」と「選抜の論理」の二つの側面である。前者は、能力や仕事ぶりを評価して、それを被評価者にフィードバックすることによって従業員の能力開発を促進すること、後者は、昇給・昇格に差をつけて従業員にインセンティブを与え、人件費を効率的に配分することである。
 公務員制度改革に関連して、声高に叫ばれるのは,「これまでの年功的な人事管理は甘く,処遇にメリハリがついていない。従来のやり方をあらため,能力・実績主義を徹底し,評価を厳しくして,評価の良い者と悪い者との間に,賃金やその他の処遇の格差を大きく付ける必要がある。信賞必罰が重要である。」というものである。
 この考え方からは,「人事評価=差をつけること」という大前提がおかれ,給与との短期的連動(短期的業績給:PRP[これについては稲継裕昭『人事・給与と地方自治』東洋経済新報社,2000年,第7章を参照のこと])が至上命題になる。組合はその導入に正面から抵抗することになる。上の「選抜の論理」を進めようとする職制側と、それに抵抗する組合側という対立構図が描かれる。
 自治体を対象とした調査でも、「民間企業では、処遇(特に特別昇給や勤勉手当)にメリハリのある格差をつける動きがあります。こうした格差のつく評価についてどのようにお考えでしょうか」という質問に対して、「評価により処遇の格差をつけるのが当然である」という回答は県で68%、市で77%と圧倒的な多数であった。つまり、大多数の自治体においては、評価により処遇の格差をつける必要があると考えており、逆に、格差をつけるのでなければ、評価をしていることの意味がないと考えている自治体も多いと推測できるのである。
 しかし,そもそも組織にとって,職員の間に差を付けるためだけの評価には何の意味もないはずである。なぜなら,人事評価は,組織業績をあげるための1つの手段に過ぎないからである。組織業績は,構成員がどれだけ能力を向上させ,それを発揮してくれるかにかかっている。そのための種々のツールの1つが人事評価であるにすぎない。

 ここで、読者からのメールのひとつ、埼玉県所沢市の畑中武さんのメールを紹介しよう。

畑中さんの声―フィードバックの重要性

 人事評価制度について簡単に述べさせていただきます。
 まず第一に評価制度は必要である。
 労働の対価として給与が支払われる以上、それに値する働きであるかを明らかにする必要があるからです。また、結果のフィードバックが業務の改善、モチベーションの向上につながるためです。
 そうすると、次の2点を検討する必要があります。
 1 報酬水準の妥当性
 2 フィードバックの方法
 地方公務員の報酬水準は人事院勧告に準拠することになりますが、職位間の格差が少ないことや自然昇給(この言葉いいですね)という運用は、労働への対価としての意味が薄らいで(ほとんどなくなって)います。
 また、成果主義としてボーナスへの格差の導入が盛んなようですが、私自身はボーナスへの導入の効果には疑問をもっています。なぜなら、ボーナスはある一定期間における業績を反映するもので、職員のがんばりで結果が短期的に左右されるような仕事は一部でしかないと思うからです。
 また、プラスの評価をボーナスに反映させるとしても、公務員の仕事は利益を生むものではないので、その原資をどうやって確保するのかという疑問もあります。財政状況の厳しい自治体が、他のサービスを削ってボーナス原資を確保したとすれば、市民の理解は得られないでしょう。
 次にフィードバックについてです。先生が書かれた人事異動の人材育成効果についてはまったく同感です。
 そして人事評価のフィードバックはそうした職場での人材育成という視点からなされるべきだと考えます。
 むしろこちらをメインに考えたほうがいい。同じ仕事の質を次年度にどれだけ向上させるか、中長期的にその職員の能力向上にどのように影響するか、などを意識した上司と部下のコミュニケーションツールとして位置付けるべきです。
 所沢市では人事考課の結果は公表しないと規則で定められており、本人へのフィードバックもしてはいけないものという雰囲気があります。また、フィードバックしようにも評価基準を所属長が設定できずに差がつけられないという事態に陥っています。制度はあれども何のための制度なのかという目的や戦略がまったく考えられておらず、人事制度について勉強すればするほど絶望的な気持ちにさせられます。
 以上簡単ではありますが書かせていただきました。JIAMのメルマガこれからも読ませていただきます。それではお元気で。
(埼玉県所沢市・畑中武さん。氏名・所属の公表についてはご本人の了解を得ています)

 畑中さんのご指摘は評価制度の本質を言い当てている。実務を十分に知った上で他の組織の調査や勉強も熱心にしておられることが推測できる。(評価制度の導入を検討する人事課職員の方々には、みな畑中さんのように研究熱心であってもらいたいものである。)

 畑中さんも指摘するように、人事評価の目的の重要な部分は,能力や仕事ぶりを評価して本人にフィードバックすることによって職員の能力開発、人材育成に役立てるという点が占めている。「選抜の論理」も結局は、選抜することが、個々の従業員のインセンティブを刺激しそれが組織効率をあげることにつながるということが根拠となっていると考えられるのである。

 次号ではこの点について説明を加えるとともに、人事評価についてさらに議論をすすめようと思う。