メールマガジン
分権時代の自治体職員
第128回2015.11.25
インタビュー:奈良県川上村 川上ing作戦担当の皆様(上)
奈良県の東南部、吉野郡に川上村がある。明治22年に村域が確定して以来、村域はそのままだ。昭和の大合併時にも平成の大合併時にも村の存続を図ってきた。吉野林業の中心地で、昭和30年代のはじめには人口8000人近くを抱える林業の村だったが、昭和34年の伊勢湾台風が村の運命を変えた。この台風は全国で5000人以上の犠牲者を出し災害対策基本法の制定につながった台風であるが、川上村に源流のある吉野川(和歌山県に入ると紀の川)下流域での被害も甚大なものであった。
国は川上村の中心部の谷あいを水没させることになる多目的ダム(大滝ダム・国土交通省所管)の建設を決定する。すでに建設が始まっていた灌漑ダム(大迫ダム:農水省所管)とあわせて、500戸以上が水没することが予定された。
反対運動も激しかったが、結局村はダム建設を受け入れ、水没地域の村人たちは他地域への移転を余儀なくされた。徐々に村の人口が減少していった。
現在の人口は1600人を切っている。いわゆる増田レポートで消滅可能性自治体第2位にランクづけされてしまった。
この現状をどうするか。村役場の若手職員たちが立ち上がった。川上ing作戦である。
(写真左から)
伊藤康裕氏(総務税務課)
穴田真由美氏(教育委員会事務局)
大辻孝則氏(水源地課)
辰巳龍三氏(総務税務課)
稲継 今日は奈良県吉野郡川上村にお邪魔して川上村役場の職員の方々にお話をお伺いいたします。どうぞ、よろしくお願いいたします。
一同 よろしくお願いいたします。
稲継 はじめに、川上村役場のホームページを拝見いたしますと、川上ing(かわかみんぐ)っていうものが出てきて、見た人は一体何だろうなって思うようなホームページがありますが、まず、この川上ingというのを始めたきっかけを教えていただけたらなと思います。よろしくお願いします。
伊藤 川上ingという名前は去年ぐらいからつけたものです。平成25年の4月から活動していますが、それ以前、村長から「村営住宅建設を検討しなさい。」という指示があったことがきっかけでした。でも、なかなかそれを実行に移せなくて・・・。僕は今も財政担当なのですが、当時、住宅建設の財源措置について県庁へ出向きました。
県住宅課では「ハコ(家)だけでは誰も入らないよ。」ということを、ほぼ怒られるような形で教示いただき、「家を建てるなら、建てるまでの過程を大事にしなさい。建ててからの暮らしを創りなさい。村の中を見つめてどのような家が必要なのか。どんな暮らしができるのか。そういうことを考えた上で家を建設したらどうですか。」という話を聞きました。
二人で行ったのですが、当時、自分達が未来の川上村を創っていくんだ、と気持ちを一新したのを覚えています。すぐに二人で、「僕らは家を建てるために、村の暮らしを創るために、若手職員を集めていろんなことを議論していきたい。」と村長に掛け合いました。20代、30代の若手職員が10人ぐらい集まって、家のことを議論したり、仕事のことを議論したり、というのが川上ingチームの始まりです。〈川上ing作戦〉
その中には、例の県職員も参加していただき、村長の理解もあって専門家の支援を取り付けました。そのときは、まだ名前も何もありませんでしたね。
稲継 これは平成25年4月に発足したということですね?
川上村役場
伊藤 川上村が消滅可能性都市の第2位と報道された、いわゆる増田リポートの前から活動していました。もう一度村の中を見つめ直しましょう、ということで、よくやることなのですが、村の良し悪しを分析することから始めましたね。2週間に約1回、昼夜を問わず時間が空いたときに集まり人口増減や事業所分析を行い活動の基となるデータを集めました。それまではアンケートで済ませていたことも若手職員が集落へ出向いたり、直接村民の声を聞いたり、工場や商店で事業所の方の話を聞いたり、そういうことを仕掛けたのが始まりになるのかなと思います。
稲継 その始まるころ、平成25年4月ぐらいに、家を建てる、村営住宅を建てるというところから、きっかけとしてはそれで始まっていますけれども、そのころの川上村のおかれていた状況というのはどんなものだったのでしょうか?
伊藤 住宅施策としては、空き家バンクで何軒かは入ってくれていたのですが、登録数も即入居可の空き家も限られ、村営住宅も満室が続き、「こっちに来たいんやけど住む所がないよ。」という声が徐々に出てきたところかなと思います。それで村長の方からも家を建てなさいという指示が出ていたのかなと思います。
稲継 自己分析をされた?
取材風景
伊藤 人口分布や世代別の転入転出の状況、人口推移や近隣町村の現状などを勉強のつもりで再度行いました。村の仕事については、業種はだいたい分かるのですが、村民の従業員は何人とか、売上げや将来の事業展開の考えなどを事業所へ出向いて話を伺ったり、困っていることを聞いたり、そういうことをデータ集めとして若手職員が分担して始めました。
その若手職員というのも、自分の業務を持ちながら、それとは別に活動を始めたということになります。消防防災や選挙、水道管理などの仕事をしながらこういう活動を始めました。
縦割りというか、課や業務の関係をなくして横軸で、みんなでつながって始めていきましょう、ということで、活動を始めていきました。
稲継 20代から30代の若手10人ということなのですが、若手だから、課を背負ってとかああいうのはあんまり...
伊藤 そういう意識はなかったです。とりあえず、若手職員で色々しようかという軽めでスタートしました。村長の認識はわかりませんが・・・。
稲継 なるほど、幹部会議とかになると、それぞれの課の利害が衝突する場面とかもあるけど、若手が集まった場ではそういうのはあまりなくて...
伊藤 なかったですね。
稲継 気軽にみんなで考えましょう、みたいな。
稲継 そういうスタートだったわけですね。
伊藤 はい、メンバーには課長も入ってないです。
稲継 そうですか。で、その後、どういうふうに活動は進めてきたのですか?
伊藤 その後、データ分析から生まれたのが、夫婦や家族で住む村営住宅はあるけど、単身者が住むところはない、ということで始めたシェアハウスの建設です。
これも事業所で「社員募集したいが、村営住宅は家族入居しか駄目だろう。」と言われたのがきっかけです。
仕事で後継者がいないのを何とかするとか、働く事業を拡大するとか、そういう話からうまれた川上ingツアーです。家も紹介するけど仕事も紹介する。村での暮らしそのものを紹介する。実際に事業所見学に行って、川上村では住宅だけじゃなくて、仕事も紹介させてもらいますよ、ということで、移住ツアーを組みました。
稲継 それが、仕事と住まいと暮らしですか。子育てとか、そういう方面にも発展していく。
伊藤 また村長登場ですが、「それをするのなら、福祉とか子育てのことも一緒に......」という指示が・・・。「今のメンバーでは、なかなか苦しいです」という話をし、去年からメンバーを増やしています。もともとは、課や業務を関係なしにやっていたのですが、福祉関連の課の代表も出てもらったり、主担当の方に入ってもらったりして、子育て福祉教育チームや家チーム、仕事チームをつくって活動しています。若手職員主体は変わらずです。
稲継 今日はその各班から一人ずつお越しいただいているのですかね。
伊藤 そうですね。辰巳君が家チームのリーダーです。大辻君は去年まで仕事チームのリーダーでして。穴田さんが子育て福祉教育のリーダーをしてくれています。
稲継 よろしくお願いいたします。じゃあ、家チームからいきましょうか? どういう活動をやっておられるのでしょうか?
辰巳 僕は家チームのリーダーで住宅建設をメインに考えているチームです。平成24年から始まっていて、そのとき事業所では仕事も多忙で求人も行っていました。しかし、川上村で住むところがないと。
住宅施策も今までのものがすべて家族をターゲットにした造りでした。それに伴い、当然条例や入居要件も家族や子ども連れがメインになりまして、若者世代の方の移住者を受け入れるハコがありませんでした。事業所では「川上村で住んで仕事をしたいという若い単身者がいても、住むとこがないから雇えないのです。」という話しも聞きました。この川上ingチームとして若者を川上村に呼ぶんだと。それなら、その若者を入れる、住んでもらう家が必要だ、ということでしたが、空き家にしても一軒家ばっかりですので、一人で住んでも大きすぎると。それなら若い単身者用住宅を建てなければいけないのではないか。
そこから取りかかりました。若者たちは今どういった家がいいのかな?どこにでもあるワンルームマンションがいいのか?色々検討していたのですが、都市部にはない田舎の川上村の特色をちょっとでも出した方がいいのではないか。知らない土地に一人で来て不安なこともあるから、同じ境遇の方が5人ほどでも集まってもらえたら不安も少しは減るかなと。その中で仲良くなれば、ちょっと田舎暮らしも楽しくなるのではないかとなり、若者シェアハウスでいこうか、という考えでいきました。
これは平屋建ての5人ぐらい住めるような形で考えていまして、今は設計も終わっていよいよ建設に向けて動いているところです。
稲継 場所はどの辺に?
辰巳 村の中心部の近くです。もとは村の施設がありました。老朽化していてそれも撤去する予定がありましたので。田舎らしいシェアハウスというのを出したいのです。図面で分かると思いますが、部屋は5部屋です。リビング、ダイニングがありますが、真ん中に土間があり、玄関を入って裏の勝手口に抜ける空間になっています。土間を特色として入れたいな、ということで、かなりぜいたくな造りになっています。これを一つの目玉にして募集していきたいなと考えています。
稲継 土間のところまでは、土足で入ってくるのですね。
辰巳 そうですね。玄関はアスファルトで土間コンをして、そこに靴を脱いで、入っていきます。昔の川上の家もそうですが、だいたい土間があって釜戸があってという家にして、昔の文化や暮らしというのをちょっとでも残したいなと。これが結構費用もかかるので、こんなことなら、あと1部屋造れるのではないか、というような話もあったのですよ。
稲継 財政の発想はたぶんそうですね。
辰巳 たとえ土間があったからといってどれだけというのもありますが、やっぱり少しでも田舎のゆったりとした生活をしてもらいたいな、ということで、あえて入れさせてもらっています。
稲継 計画を立てていかれる段階で、難しいなと感じられたところは、どういうところですかね。
辰巳 そうですね。土間も大変でしたが、何しろ、シェアハウス自体、村でも造ったことがないですし、僕らは見たこともないですから。
稲継 どこかに先進事例はありましたか?
辰巳 いえ、なかったですね。自分達の発想です。
伊藤 今、先進事例として調べているのですが、行政ではなかなか...。
稲継 ないですよね。民間でドラマのタイトルになったぐらい、
辰巳 そうそう、ドラマがありましたね。
稲継 あれは民間のシェアハウスが舞台になっていました。役所がやるシェアハウスって、ちょっと僕は聞いたことがないです。よく思いつきましたね。
辰巳 どこから出てきたのか、覚えてないのですが、川上ing会議の雑談から出てきたと思います。若い子が集まってみんなで話をする中で、やっぱり若者を呼ぶのなら、どんなのがいいかなという話で。それを実現させるのも苦労ですが、集落とのコミュニケーションや村民とのコミュニティがない都市部のワンルームマンションが川上村にあっても地域から浮きますしね、景観にも合わないし、そぐわないし。まあちょっと変わったことをしたいな、というのもありました。もう結構前の話で、少し覚えてないところもありますが、それがやっと形になってきました。
川上らしさ、というんですかね、田舎の暮らしをどうやって出すか、というのが難しかったです。結局、都会と同じものを造っても、うちでは意味がないのかなと。吉野杉の産地で、川上産材をふんだんに使いたいなというのもあるし、予算的に上がってくるのがありますので、どこで妥協するかなど、いろいろ考えながらやりました。何度も何度も図面も描き直してもらって、やっと合議がついてきたのかなと。結局、誰が何の目的で住む家かという、ターゲットをどこにおくかが難しかったです。
稲継 20代から30代の単身者ですか?
辰巳 川上ingチームでは、それを狙っているのですが、庁内ではもっと幅広くてもいいのではないか、という意見もありました。そんな議論をしているうちに単身の次は、家族の家も今後計画的に建てていくということも考えながら、今、動いています。シェアハウスと並行にこの建設計画が今年出来上がり、来年はまた調査や、村民の話を聞きながら、各集落とも相談して、色んな意味の色んな家を建てたいなという動きでいます。
稲継 ワンルームマンションですと、人を収容するにはいいのですが、そこにはコミュニティはなかなかできない。朝仕事に出て、仕事が終わるとコンビニで買い物をしてさっさと家の中に入ってしまう。同じ建物に住んでいる人と交流する場面はなかなかない。しかし、川上村がつくろうとされているシェアハウスだと食事を作るときに話をしたり、食材を融通しあったり、ちょっと醤油貸してとか、食後に居間で話をしたり、朝、土間でちょっと立ち話をしたり、そういうのは生まれる。これは発想としてとても良いと思うのですが、行政的には前例がないからいろいろ批判もあったと推測できますが・・・
辰巳 この土間はかなり・・・。
稲継 言われました?
辰巳 予算も限りがありますし、地元産材の平屋建てだとどうしても坪単価が...。
稲継 上がりますよね。
伊藤 でも、最終的には自分達の思うような形に最後まで押し通しました。
稲継 若い人たちの力が強かったんですね。
辰巳 「これまでそんな高い住宅は建てていない。」という話もありました。ハード面でもソフト面でも、問題が多かったですが遅くなりながらでも一つずつ考えて考えて、何とかやれました。これから建てていくと同時に、今後の課題として運用の仕方、家賃、電気代、共益費、そういったものを来年の4月までに条例に結んでいかなければいけないです。
稲継 条例を制定しないといけない。村議会で検討しなければいけない。
辰巳 まだ途中の段階なのです。今、ちょうど。自治体の若者シェアハウスの事例があまりないので苦労しています。
稲継 ないですよね。
辰巳 似た環境を探しながら、チームの勉強会を兼ねて先進地視察に行きたいなと、探している段階です。来年度入ってすぐにでも募集をかけていきたいなという流れでいます。
稲継 若者の単身者用のシェアハウスの公営住宅というのは、聞いたことないですね。
伊藤 これも村外出身の若い役場職員が、川上村で一人暮らしをしていて、かなり寂しい、帰っても一人でご飯を食べるのもツライ、という声もヒントになっています。ここで若い子が5人集まって、共同で生活できたら、不安も少し取り除かれるのかな、ということも加味されています。
知らない土地に来て、一人で単身生活をするというのはやっぱりちょっと寂しいし、仕事から帰って食事を作るのは疲れるとか、それで結局村を出て行かれた方もおりますので、それを共同でできたらというのもあります。
稲継 若い人たちが新しく入って来てくれて、シェアハウスとして動き出すと、かなり注目される存在になりますよね。テレビの取材なんかあったりするかも。
辰巳 入居者募集は頑張ろうなと思いますが、それも仕事チームがツアーをやっていますので、仕事を紹介しながら、シェアハウスを建てますよ、という案内も今からしかけています。今のところ単身者のツアー参加はありませんが、そういった方にも紹介できるように、チーム同士一緒になってPRしていきたいなと思っています。
稲継 ありがとうございます。仕事チームご担当の大辻さん、よろしくお願いします。
大辻 話は、きっかけみたいな形に戻ります。仕事のことでちょっと考え始めたのが村の中でどれだけ仕事があるのか、実際、村民がどこで働いていて、事業所にはどこから働きに来ているのかというのも見ながら、村の現状を把握する、働き場の分析をしました。結果、村民が村内で働いている割合はほぼ75%で、意外に村の中で働き口があったんです。しかし村の若者が出ていく一つの主な理由として、働く場がない、と言います。同級生の9割は出ていってしまっているなかで僕自身も役場に就職しなかったらどうなっていたか分かりません。ですので、村内に若者が働く場がどれだけあるのか、調べてみようと。
事業所には求人しているところもある。でも、現状やっているのだけど自分の代で廃業する、というところが半数以上ありました。下にグラフがあります。中には事業を拡大したいとか、現状維持だが、継ぎたい人がいれば、継いでもらいたいという声もありました。そういう事業所や、廃業予定の中にも村民の生活を支えている職業というのがかなりあったのです。食べ物を売っているところや、ライフライン、ガス、灯油とかを扱っているところです。そこをどうにかして残していけるようなことを考えようというのが、きっかけにありました。 でも何もかも一気にできるかというと、そうでもいかないと思ったので、まずは、求人している事業所に、村外から移住してもらって、そこに勤めてもらう。村でも、空き家バンクや村営住宅に空きがあると募集していましたが、PRもせず、情報が外部へ届いていない部分もあるので、仕事とくっつけて、職と住をダブルで紹介しながらツアーを組み、求人を募集している事業所をめぐって、住宅を紹介するというツアーを企画しました。第1弾は26年の2月にしました。
そのときは、20代の単身者が3名、来てくれました。募集期間が1カ月ぐらいしかありませんでしたが、京都と大阪と静岡から若い男性の3人の方が来られました。結果、定住ということはなかったのですが、反省を踏まえて、また去年の8月に第2回をしました。
辰巳 8月、夏だったな。
大辻 試行錯誤でも夏にもう一度やってみようということで、集落の散策とか、同世代の村民との交流会も混ぜさせてもらいました。そのときは、4家族で、小さいお子さんも来てくれました。そのときに、来られた一つの家族が、つい先日こちらに移住したのです。
稲継 そうなんですか?
大辻 その人の就職先は、僕たちが思い描いていたところなのです。村では吉野杉を使った伝統文化が結構あるんです。箸作りであったり、樽丸作りであったりいろいろあるんですが、その方は箸作りに興味を示されました。まさしくツアーのときに、箸作りを見学され、ツアーが終わってからも単独で2度ほど足を運んでくれて、箸作りをやってみたいと。その箸屋さんもやりたい人がいれば技術の提供はいくらでもするということを言ってくれたので、今、家と工場も新たに自分で借りて、進めて行く計画になっています。
その伝統事業の継承とかもそうなのですけど、これから進めていきたいなと思っているのが、アンケートの中でもあったのですが、廃業予定の事業所への支援です。都市部から入ってくる人たちとか、また、川上で育って、出ていった方たちとかでも、とにかく若い人たちに川上村で何か事業を興せるような形のものを支援していきたい。というのが、これからの課題にはなります。
稲継 いずれ廃業したいと4割の方が答えられている。これはどういう産業の方々ですか?
大辻 バラバラではありますが、製造業が多いです。林業の盛んなところではあるのですが、廃業したいという方がほぼ65歳以上の高齢な方ばかりなので、継ぐ人もいないし、実際にもうからないというのが結構あるようです。辞めようかなという後ろ向きの意見の方が多いですね。
稲継 さっきの割り箸ですか。箸の話でいうと、今やっている人は将来的に廃業したい。若い人がいたら技術伝承した方がいいと考えていた。
大辻 そうです。
稲継 他方、そういう仕事をやってみたいなと思う人が、村外にいらっしゃった。それを川上ingというのか、田舎暮らし応援、川上ingツアーでマッチングを事実上はしていると。それで、定住してくれた。そういう流れですね?
大辻 そうですね。
稲継 それは、村役場としては、川上ingツアーをやっただけの形が見える成果が出たという。すごいことですよね。
大辻 そうですね。そこまで本当に結びつけられるかどうか、かなり不安はありましたが。
稲継 そうでしょうね。
大辻 一組でも自分達の取組みでそういう実績ができれば、これから僕たちのやる気にもつながりますし。
稲継 そうですね、0か1か全然違うと思いますね。
大辻 そこで成功例ができれば、また次につながるのかなと感じています。
稲継 最初の1個目が、呼ぶ方も来る方もみんな不安ですよね。一つできちゃうとどんどんルートができて、流しやすくなると思います。
大辻 そうですね。村内の事業所でそういう実績がでると、廃業したいという方の思いも変わってくれたらな、というのもあります。
稲継 いずれ廃業したいと考えておられる4割の人たちの半分ぐらいが、「こんな人が欲しいのですが、どこかにいないかな?」と求人を出して、それを村役場の方から仲介する形で、どこかから人を呼んでくるという形がうまくつながれば素晴らしいと思います。住む所もこれからできていきますし。
最後に今後の予定を。
大辻 今後は起業支援や、ツアーも3、4カ月に1回ぐらいは続けていく予定です。ツアーで事業所を回るところも固定化されてきているので、そこをもっと掘り起こしていって、いろんな職を紹介できるような形にしていきたいです。家の方もシェアハウスを目玉にしていますので、人を引きつけられるような魅力をつけていきたいなと思います。
稲継 ありがとうございます。最後になりましたけど、穴田さんに暮らし、子育て福祉についてお話をお伺いしたいと思います。
移住してくる単身者に向けた村営住宅「単身者向けシェアハウス」。公営住宅としてシェアハウスを作るという発想は、若い世代でないと出てこない。しかも、玄関から裏口に抜ける土間がある村の家を意識した造りになるという。川上村に若者の流れを。
空き家や村営住宅の情報発信だけでなく、求人している村内事業者(林業、製造業、宿泊業等)と協力して、仕事と住宅をセットで紹介することも進める。仕事を継続できない事業者と、仕事を求める村外の人とのマッチング。住居も含めての総合マッチングである。行政が営業をしているように見えるが、それも重要な村の仕事である。