メールマガジン

第127回2015.10.28

インタビュー:出雲市斐川支所産業建設課 主任 勝部 宏樹さん(下)

 斐川町地域で古くから行われてきた役所と農協が一体となった農業推進体制。斐川町農林事務局は農業支援機関が一体となって農業政策の決定を行ってきた。また、この農林事務局から各農家への方針を提示する際に町内が61の振興区に分かれていてそこで集落単位の管理が行われているという。


稲継  この農業振興区の区長さんとはどういう人が任命されるんですか?

勝部  それは、各集落、3集落ぐらいが集まって1つの振興区になってるんですが、その振興区の中で決められた農家の方々の代表です。

稲継  先ほどの農林事務局とその区長会とが連携していろんなことを。

勝部  そうですね。

稲継  そして、なかなかほかの自治体ではあまり見ない。

勝部  そうですね、これはどういった仕組みですかって。JIAM研修所で事例発表させていただいたときも、他県の市町村職員の方々から一番質問も多いし、興味を持ってもらえます。「後から規約を送ってください」みたいな、受講された方から話をいただいたりする。ただ、話をしてみると、市町村合併、平成の大合併があったんですけど、その前は割とこういった仕組みが全国的には、旧市町村単位ではあったようなことも聞いておりまして、合併をすると母体が大きくなるので、なかなかこういった体制は広いエリアの中では取りづらいのかなと思います。たまたま、それを維持できているというところだと思います。

稲継  なるほど、農林事務局には、今でいう、斐川支所の...。

勝部  産業建設課は入っていますね。

稲継  産業建設課が入っていて、JAが入っていて、農業公社も入っていて、そこで県の出先も入っていますけども、それらである程度の意思決定をしつつ。

勝部  そうですね。

稲継  住民というか、実際に農業をやっておられる、区長会の方とも、連携をとって。

勝部  はい。

稲継  こちらのOKも取らなければ進まないので、連携しながらいろんなことを決めていく?

勝部  3ヶ月に1回、区長、補助員を集めて合同会議をしているんですよ。

稲継  全部で61人ですか。

勝部  いいえ。区長補助員も集まりますので、約300人です。主には米の生産調整だとか、そういった業務の話をさせていただく。また、よくアンケートを行政がとるじゃないですか。あれもほとんど、うちは農家に対するアンケートで郵送したことなくて、この農業振興区制度を使ってアンケートをとっていくんです。そうすると、回収率も9割以上になります。

稲継  そうですか。

勝部  直接郵送すると帰ってこないじゃないですか。それぞれ区長・補助員が責任を持っておられるので、末端の農家まできっちり下りていきます。僕らが伝えたい施策もそうなんですけども、伝わりやすいです。

稲継  面白いですね。

勝部  この組織はすごいと思いますね。

稲継  逆に事務局に農家の声も伝わりやすいでしょうね。

勝部  逆にそうです、そうです。

稲継  声がずっと上がっていくって感じですか。

勝部  そうです。これは大きいですね、距離感、それと責任ある立場にいらっしゃるので。

稲継  そうですか、いや、これはなかなか、面白いですね。

勝部  「自治会の区長さんと一緒ですか」ってよく質問されますが、本当にこれは、農業だけの専門の役ですね。

稲継  JAとしても斐川町に1個あるだけですよね?

勝部  そうですね。ただ、今年JAも合併をしてしまって、JAも島根で1個になったんですよ。だけど、これもまた、農協も面白くて、もともと個々の農協の成り立ちがあるので、地区本部制というのをとっていまして、JA斐川町がJAしまね斐川地区本部という形である程度の裁量権を持ちながら残っているので。

稲継  この支所の隣にありますよね?

勝部  そうですね。

稲継  あれがそのまま? 昔のJAがそのまま?

勝部  はい。斐川地区本部という形です。

稲継  面白いですね。で、それと、支所の産業建設課とそれから、農業公社が一緒になって、事務局体制はがっちりと今でも維持されている。

勝部  そうですね。だから、僕も斐川町役場時代から、合併後も同様に斐川地域の仕事をしていますので、どうしても出雲市全体のことを考えるよりも、斐川のことを考えるので。で、斐川、斐川という話しかしてないんですけど(笑)
 ただ、最近思うのは、やっぱり市としては1本なので、今の体制が良いのか、悪いのか、と言われたら、このままではいけないと思っています。斐川のいい体制や仕組みがあるのなら、それは出雲市全体に組み入れたり、逆に斐川に欠けている部分を出雲市全体の農業振興体制で補完したり。

稲継  なるほど。先ほど、ちょっと農地集積のことをおっしゃっていましたけど、いったいどういうものなのか、もう少し素人でも分かるように教えてください。

勝部  これは斐川町を上から見た航空写真ですけれども、あれを見ていただくとお分かりだと思うんですけど、北部は大半が水田で、平地が7割ぐらいありまして、周りを1級河川の斐伊川という川で囲まれていまして、山というのは南側に少しあるだけです。どちらかというと完全に平野の町だということで、田んぼの大きさを見ていただくと、田んぼの1個1個が割と大きいというのが分かると思います。
 恵まれた農地を持っていますが、今の農業情勢を考えると、田んぼというのはどんどんやめて、離農して、誰かに作ってもらいたいという人が多く出るわけです。農業を辞める地主さんが、その後作ってもらう農家を決めるのに、あの人は前から知っている人だからとか、信頼できる人だから頼みますとか、農家に直接頼むとその頼まれた農家は、いろんな場所のバラバラの農地を借りて農作業をやるようになります。そうすると、経営農地が虫食い状態となり、結果的に農地の受け手側にとっても作業性や生産性が上がりません。国の方も今、この「農地集積」に力を入れていますが、それを10年前から斐川町はやっているんです。
 いわゆる農地の「白紙委任」という言い方をしているんですけど。

稲継  白紙委任?

勝部  地主さんから農地の受け手は誰でもいいですよ、という契約をいただいて、それを農業公社がいったん借り受けて、それを受け手の農家に面的に集積するように再配分します。この担い手マップを見てもらうと、担い手ごとに色がついているんですけど、色ごとに固まっているのが分かると思うんです。これを白紙委任によって可能にしています。これは、地主さんが直接、受け手側と交渉してしまうと、色がもうぐちゃぐちゃになってしまう。これを調整しているのが、農地集積です。

稲継  これは斐川支所と農業公社と一体となって、進めていくということですね。

勝部  そうですね。

稲継  先ほどの、農林事務局でしたっけ? あそこが主導権を握っている。

勝部  そうですね。

稲継  その白紙委任を受けた後に、どういうふうに割り振るか、パズルのピースをはめるかというのは、誰の仕事ですか?

勝部  農業公社です。私も農業公社の仕事もしているので。

稲継  ああ、そうなんですか。

勝部  はい。農地集積をシミュレーションする「マッピングシステム」というのを持っていまして。

稲継  マッピングシステム?

勝部  これはパソコンの画面を映し出したものです。離農された方の農地をどの担い手に貸すかというシミュレーションをまずパソコン上でするんですよ。大事なのは、農地の受け手側が、地主さんから直接農地をもらえないので、じゃあ、自分は今度どのくらい面積をもらえるのか。経営規模を拡大することが一つ売り上げに直接つながるので、皆さん、シビアになるんですけど。だから、担い手同士に貸し出す面積のバランスを取りながら、なおかつ色ごとにくっつくように農地を調整していく。それができるシステムを、地図システムを持っていまして、これで事前に事務局でシミュレーションをして、それを受け手側の農家に、「これでやります」という流れで持っていきます。

稲継  これは、各農家に任せていたら絶対にできない話ですね。

勝部  できない話ですね。これが今、国が進めようとしていることで、強い農業経営体を育成する、攻めの農業のキモなっているところなんですけど。

稲継  平成24年ころから、国の農業政策が変化してきたと。担い手への農地集積に焦点を置かれてきたとお伺いしたんですけれども、人・農地プランとか、農地中間管理事業、国のこういった事業に出雲市の斐川支所の方でどういうふうに適応されていったのか、その辺の所のお話を聞いておけたらな、と思います。

勝部  こういった国が今進めている白紙委任の仕組みによる農地集積「農地中間管理事業」は、10年前から先ほどの農林事務局の中でやっていましたし、あともう一つ、国が進めている「人・農地プラン」というのは、地域や集落で、人と農地の問題を話し合いしましょう、というのがテーマなんですけど。集落で今後の農地の維持をどうしたらいいか、っていうのを話し合って農地を流動化させるというのが国の考え方なんですよ。これも「斐川町農業再生プラン」という形で既に10年前に取り組んでいました。
 これら過去の取り組みを継続させる形で、国の現在の政策、支援策と連動させています。

稲継  国としての取り組みが本格化するかなり前から人・農地プランの前身になるようなことを既に斐川町がやっておられた?

勝部  似たようなことをやっていましたね。

稲継  始めておられたということなんですね。なるほど。これって、農水省にとっても国にとっても、こうやっているというのは、やや驚きを持って?

勝部  そうですね、だから、当時国からもかなり視察もありましたし、財務省の主計官も来られましたし。

稲継  主計官も来られましたか、そうですか。やっぱり、みんな自分たちが、霞ヶ関が机上で考えてこうなったらうまくいくかなとか、でも、シミュレーションもできないし、実験もできない。でも、すでにやっているところがあるじゃないか、という、これはぜひ知りたくなりますよね。

勝部  その中で、国の方といろんな話をさせていただいたのは、すごく良かったと思っています。

稲継  こういった先進的な、国から見ると先進的な取り組みをすでに始めておられるので、こういうのは、もっと全国的に報告してくださいよ、みたいなそういう話もあったかと思うんですけど。

勝部  それが、ちょうどそのときに農水省の方からお声がけをしていただいて、時事通信社が大規模なセミナーをするということで、それは農業広範にわたってのセミナーだったんですけど、農業の六次産業化とか、あとは有機農業とか。その中に一つ攻めの農業の視点から農地集積をテーマにやりたいという話がありまして、で、どうでしょうかと聞かれまして。私も場が場だけにすごく悩んだんですが、課長にも相談したら、「やってみろ」という話だったんで、やりました。
 その資料作成が大変で、こういった過去の経緯をまとめた資料が当時なかったので、夏にセミナーがあったんですけど、それをちょうどお盆休みの1週間ぐらいかけてパワーポイント資料を作成したのは、一つ自分の中で過去の経緯を含めた農業関連の整理ができて良かったなと思っています。
 最初、会場に行ったときはすごくびっくりしたんです。こんな広い場で発表したことはなかったんで。

稲継  どれくらいの人数ですか?

勝部  300人ぐらいいたし、同じステージには農林水産大臣もいましたんで。

稲継  えっ。大臣ご本人も同じステージで?ちょっとドキドキもんですよね。

勝部  ですね。でも、そこでいろんな話をさせていただいたのは、内容というより自分の中の自信というか、決して私だけがやってきたことではないので、斐川地域で過去取り組んで来たこととか、そういったことを全国の市町村職員が主に対象だったと思うんですけど、伝えることができたのがよかったな、と思っています。

稲継  その資料作りは大変だったと思うんですけど、資料作りを作る過程で、今までのような卒業論文というか、取りまとめ、総合理解ができたのでは?

勝部  自分がやったことだけじゃなくて、過去の先代がやってきたことも含めて、自分の中で整理できる良い機会でした。

稲継  それをまとめられて、かなり緊張する場で報告されるというのも、これも非常に大きな経験ですね。

勝部  経験になりましたですね。ちょっと場違いかなとも思ってたですけど、もう、引き下がれなかったんで。

稲継  なるほど、そういうところに一度お出になると、いろんなところから、「うちでもちょっとしゃべってくれ」とか話がかかったりするんですけども、他の県とかも行かれたり?

勝部  そうですね、千葉県とかお声かけをいただいて、ちょうどこれを聞きに来られていた方がいて、その方のところにお邪魔をしてお話をさせていただきました。

稲継  他の県、先ほどの立志塾では、この島根県内の市町村職員や県の職員が関わる話があり、これは、工業分野を見に行くということだったんですが、農業分野で島根県以外の農業のことを知る機会は今まであまりなかったんですよね?

勝部  なかったですね。

稲継  千葉県なんかに行かれて、何か感じられたことはありましたか?

勝部  本当に農家の方々の考え方が全然違うなと思いました。農家の方々とお酒を飲む場を千葉県庁の方につくっていただいて、で、夜いろんなお話ができたんですけど。

稲継  どのように違うんですか?

勝部  やっぱり強気というか。東京に近いので。全国的に農業情勢が苦しいのはあるんですが、ちょっと違うなと思ってですね。米も庭先に商社が買いに来る。で、米の生産調整をしてないんですよ。要するに、国の政策に従ってない。従わなくても農業経営ができる。

稲継  ああ、そうなんですか。

勝部  でも、あれはやはり、首都圏に近い地域の特徴なんだろうと。私たちの地域の農家で、じゃあ首都圏への直接販売というのは物流のことを考えたらコスト面で不可能なので。田舎なので消費地に遠いです。どうしても、国の政策の中で補助金をもらいながら運営していかざるを得ない現状がある。

稲継  そうすると、そういう需給バランスでいうと、千葉県の農家の方と島根県の農家の方、斐川地域の農家の方とやっぱり考え方は変わってこざるを得ないんですね?

勝部  そうですね。

稲継  それをサポートする役所のスタンスというか、関わり方も相当変わってこざるを得ないでしょうね?

勝部  はい、だと思います。千葉県庁の方とお話を当時したんですが、県庁の方も苦労しているというか、僕らの悩みとはまた別の悩みというか、どうやって全体をコントロール、という言い方はおかしいですけど、支援をしていこうかという支援の中身が、私どもが悩んでいることとはちょっと違うと思って聞いていました。

稲継  ありがとうございます。今、直面しておられるような課題や最近考えておられることは?

勝部  そうですね、農地集積が進んだが故の副作用をどう解決していくか、ということです。現在の私たちの地域では、集積システムが確立されているので、離農希望者の農地は、農業公社が受け入れて、それを担い手に斡旋する仕組みを持っています。
 この結果、地主さんはどんどん離農ができるんですけれども、一方で、逆の見方をすれば、どんどん地域を支える農家は減っていきます。それが工業と一番違うところだと思うんです。
 工業は、自社の経営を考えると、例えば、工場の効率性が悪ければ、コスト削減を目指し他の工場と統廃合をして、移転をするとか、様々なことを考えられるんですけど、農業というのは、いくら農地を担い手に集積をしてコスト削減を図っても、その担い手農家というのは、そこにある土地に行って農業をしないといけない、作る人を変えても土地は動かせませんから。そうすると、コスト削減の概念がちょっと違う。農業は、その集落のつながりとか、地域コミュニティの維持とか、そういった多面的な役割があるんで、単純に産業としての農業だけを考えて行くとどんどん地域が廃れるんじゃないかと思っています。
 離農する農家を「土地持ち非農家」と呼んでいるんですけど。そういう人たちをどう農業に繋ぎ止めるか、かかわってもらうか、「担い手と土地持ち非農家の協力体制の構築」というのを大きなテーマとして考えています。
 土地持ち非農家も、昔は農業をされていたわけで、農業というのは、地域の行事、神社の秋祭りとか、収穫祭とか、普段の生活に密接した役割も持っています。はたして、農業というものを、すべて担い手農家に任せてしまって終わりでいいのかと。
 なかなか難しい課題ですけど。

稲継  なるほど。今のことも含めて、どういうふうなことをやっていきたいと思っておられますでしょうか?

勝部  これまでお話してきた中身と一緒なんですけど、とにかく現場の方々との話し合いを進めていくのがすべてだと思っているので、国がいう「人・農地プラン」もそういう方向だと思いますし、市町村としてもそうだと思いますけれども、住民の方々がどう思っているか、農家の方々がどう思っているか、というのを聞いて、その中から解決策を見いだしていきたいなと思います。

稲継  なるほど。ありがとうございます。
 今日は出雲市の斐川支所にお伺いして勝部さんに主に農業のことをお伺いしてきました。最後に、このメルマガは全国の市町村職員の方が多く読んでおられます。皆さんに何かありましたら、一言、いただけたらなと思います。

勝部  私は、これまで住民、特に農家の思いや考えを直接聞き、それを吸収しながら、施策を展開することにやりがいを感じてきました。
 実際に市町村職員はいろんな部署があって、様々な役割があると思いますが、その町、地域を良くしたい、発展させたいという思いは、どの部署でも一緒だと思います。私も含め、職員全員が住んでいる町をどうしたいのかを真剣に考えるようになれば、市町村職員は、一番地域、現場に近く、住民ニーズを一番知れることが特権なので、必ず良い方向に進むのではないかと、それがすべてじゃないかと思います。

稲継  はい、力強いメッセージをありがとうございました。どうも、勝部さん、ありがとうございました。


 国が今進めている白紙委任の仕組みによる農地集積「農地中間管理事業」は、斐川町地域では10年前から農林事務局の中でやっていた。また、国が進めている「人・農地プラン」のテーマである、地域や集落で人と農地の問題を話し合いしましょう、ということも「斐川町農業再生プラン」という形で随分以前から取り組んでいた。
 農地をどうするか考える仕組みを作るという点においては、出雲市斐川町地域は最先進地域の一つにカウントしていいだろう。勝部さんのお話の中では、常に「私一人ではなく先輩や同僚の導きの下で」という言葉が繰り返し出てきた。チームとして取り組んできたことが、いま、全国から注目されている。

稲継裕昭


【取材後記】
 勝部さんへの取材のあと、レンタカーを運転して出雲市斐川町にある「出西窯」という窯元を訪ねました。出西ブルーと呼ばれる鮮やかな瑠璃色のお皿はとても美しく、手ごろな価格で購入できます。
 ここの登り窯が見たかったのですが、販売所にあるテレビ画面にくぎ付けになりました。
 数年前にNHK教育テレビの「心の時間」がこの窯元を特集していてその番組を流していたのですが、その中に、「衆縁に生かされて」という言葉が出て来ました。昭和22年に共同体方式で窯元をはじめた10人ほどの人たちが大切にしてきた言葉だそうです。

 それぞれを生かし合う温かい集団の願い。無自性(おかげさま)の生活。

 チームで仕事をしているのだというこの地域の人たちの根強い思想が勝部さんの言葉にも種々出てきていたような気がします。

出西窯については、出雲市観光協会HP
https://www.izumo-kankou.gr.jp/1697

NHK教育テレビの番組については
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-361.htm