メールマガジン

第12回2006.03.24

人事評価―1

「人事評価」という言葉に対しては、様々な反応が返ってくる。「人が人を評価すること自体けしからんことである」と大会でシュプレヒコールを繰り返す自治体の職員団体もあれば、逆に「わが自治体は人事評価すら導入できていない時代遅れの自治体なので、信賞必罰の評価制度を導入し、職員間の給与格差を早急につける」とマスメディアに熱く語る首長もいる。
 職員団体の執行部や、選挙で選ばれた首長はさておいて、一般の自治体職員は人事評価についてどのように感じているのだろうか。どのように考えているのだろうか。
 前号(2月号)の宿題(「人事評価について、あなたの考えることを自由にお書きください。一般論でも特定の自治体に関することでも結構です。」)に対して、多くのメールをいただいた。ありがとうございました。そのすべてを紹介することはとてもできないが、今回から数回にわたり人事評価を考えていく中で、いくつかのご意見を紹介させていただくこととする。
 今月号では、入庁して1年ないし2年の若手職員の方々の本音に近い声から紹介していくこととしよう。

Aさんの声―素朴な疑問
 まず、一般的な声としてP市のAさん(入庁1年)のメールを紹介しよう。

 第11回の宿題について私なりに考えたこと、疑問点を述べます。
人事評価は、うまくいけば、職員に対しては「いい評価をもらおう、仕事をもっと頑張ろう」というインセンティブを与えると思います。そして、組織にとっては、個々の職員の適性を把握し、適材適所の配置につなげることができると思います。これらは、ひいては組織の活性化につながると思います。
 ただ、職員には(経験が浅い私がわかっていないだけなのかもしれませんが)評価基準がどうなっているのか?適正に評価されているのか?わからないのが現状だと思います。
 例えば、自分の仕事は非常によくできるけれども、それを人に伝える、部下や後輩を育てるということができないような人もいます。このような人たちの評価はどうなるのでしょうか。(先生は自学の重要性を書いておられましたが、それだけでなく、職場での研修、もっと簡単に言って、職場での情報共有というものも、職員の能力を高めたり、組織を活性化するために重要な気がします。)
 このように評価基準というものがはっきりわからないので何とも言えないですが、職員の納得が得られるような制度でないとうまく機能するのかわからないです。
 ただ、きちんと制度を整えて、その評価結果をある程度処遇に反映させ、職員のインセンティブを引き出すことは大切だと思います。(P市役所、匿名希望Aさん)

 入庁したばかりの職員は、法律や本に書かれていることについての知識は豊富に持っていたとしても、当該自治体組織に対しての知識は少ない。「君は経験が浅いから何もわかっていない」と先輩職員はよく口にする。しかし逆に言えば、フレッシュな目で、何事も「何故」と問う気持ちを一番強くもっている人たちである。当該組織の人たちが、当たり前だと感じていること、この方が良いと思っていることも、一市民に近い素人職員(新規採用職員)が見た場合には、疑問に感じることも多い。

 「県庁の星」という小説・漫画・映画が話題になっている(皆さんにもご一読[ご覧]をおすすめする)。その中で、先輩職員(Y県庁のエリート職員・野村聡)が若手職員(工藤)に対して書類に目を通しつつ文章を修正するよう指導している場面がある。
 野村「・・・ここに対処例があるから。この場合は、これを使う。件(くだん)の結果は誠に遺憾であります、したがって前向きに検討いたします、だ。」
 だが後輩職員(工藤)にはすぐには理解できない。そこで、素朴な疑問を差し挟む。
 工藤「前向きに検討しちゃっていいんですか?」
 これに対して県庁のエリート野村は次のように答える。「検討するだけで実際はなにもしませんっていう意味だからいいんだ。・・・」
 野村の対処は県庁の中ではすぐれたものであると物語の中では措定されている。お役所仕事の典型を揶揄する視点がこの物語には貫かれている。
 ここで、工藤が差し挟んだ疑問は、日本語からいうと「前向きに検討する」ということは次のアクションが伴うはずだ、という推測からくるものであった。一市民の感覚、素人職員の感覚である。しかし、Y県庁で通用している用語の理解はそうではない。野村の「前向きに検討する、というのは実際は何もやらないこと」という解釈は県庁内では当たり前に通用している。ここに市民県民の感覚と県庁の感覚の大きなずれが生じている。でもこの場面を笑えない自治体職員も多くおられるはずだ。

 一市民の感覚に一番近い職員、素人職員ともいえる新規採用職員が感じたこと、考えたことは、実は組織改善にとって、極めて重要な内容を含んでいることが多い。このメールのAさんもまた普通の感覚、素朴な感覚で疑問を呈している。
 メールから察するところ、P市においては、評価基準の公開がなされていないようである。総務省の全自治体調査(第18次公務能率研究部会報告参照)によると、全国の自治体のうち人事評価制度が導入されているのは3分の1の団体に過ぎない。導入済み団体のうち、評価基準が公開されているのは35%のみである。つまり、全自治体のうち、評価基準が公開される形で人事評価が行われているのは、1割に満たないのである。大部分の自治体は、評価基準を明らかにしないまま、昇格者・昇任者を決定している。本人や周囲の人間にはその理由がわからない。いやわかっているのかもしれない。○○について優秀である。△△で業績をあげた。地域のボスに顔がきく。××市長の親戚である。などなど。
 しかし、素人職員にはそのような事情がわからない。だから疑問に感じることも多い。本来、人事評価制度は透明性、公平性がなにより求められる。そのためには、評価基準の公開は不可欠な要素である。
 Aさんはまた、「自分の仕事はできるが部下や後輩を育てることができない人」との表現をしている。これは担当者としては優秀だが、管理者としては無能で、人材育成の能力の欠ける管理職を指している。
 人事評価に際しては、評価区分を設定して、一般職員に対するもの、監督職クラスに関するもの、管理者クラスに関するものと分けた上で、管理監督職については部下の指導育成の能力についてのウエイトを大きくする必要がある。
 全体としてAさんは、基準が明確で納得性の高い評価制度を整備した上で、インセンティブを引き出すためには人事評価が必要であるというご意見を持っておられる。実は、JIAM又は私の所へ寄せられた意見に、人事評価そのものに反対する意見はほとんどなかった。どのような条件のもとで、どのように導入するかという点が問われているものだと考えられる。

Bさんの声―上司の役割
  評価者の評価能力や評価情報の把握に関する疑問も多くの若手職員からいただいた。次に紹介するのは具体例をあげて指摘してくださった、入庁2年目のQ県庁のBさんの「ぼやき」の入ったご意見である。

 9月に当課主催の大規模なブロック大会がありました。近隣各県から約1,000人が集まり、2日にわたって講演や分科会を行いました。私はその大会の会計事務と講師接待を担当しており、2日とも会場を走り回って対応していました。1日目が無事に終了したのですが、その日の夜はまさに戦場。うちのグループの担当職員は1日目にあった分科会報告(2日目に配布予定)を作成したり、打ち合わせやらでてんやわんやしていました。かくいう私も、会場使用料が急遽必要なことが判明して、その計算や手続に追われ、ようやく一息ついたのが午後の10時でした。1日中走り回っていたこともあり疲れ切っていた私は、その日はそこで帰宅しました。
 2日間の大会も無事終了し打ち上げ会場でのこと。上司が一言私に言い放ったのは、「1日目に10時に帰るとは何事だ!みんな忙しくしていたのに、なぜ手伝わなかったのか!?」という怒りのこもった言葉でした。上司にとっては私が午後10時に帰宅したのが全くもって意外だったようなのですが、私にしたら昼間の働きを全く見ていなかったのかといいたくなりました。怒りと悲しさがこみあげてきました。・・・
 私がその時痛感したのは、「上司は職員の仕事ぶり全てをゼッタイ見ていない(見られない)」ということです。なのにどうやって評価するのだろうか、なぜ評価できるのかと疑問を感じました。先程の事例で、「Bさんはもっと体力があり、できたはず」と思っていてくれているのならまだしも、「全然働いていないのになぜ手伝わずに帰るのか」と思われているなら抗議したいです。でも、実際、抗議ができる場がないですし、誤解されたまま評価されていたとしたらとても悔しいです。
 他人の目から評価されるということは仕事の進行管理や成果を明確にするためにも大切ですし、良い評価をされれば励みにもなるので必要なことです。でもどう評価されているかわからなければ逆効果になると思います。もっと評価の経緯をオープンにすることと、上司と部下が真っ向から向き合い、評価についてきちんと話すことが今の公務員の人事評価に欠けていると思います。
(Q県庁・匿名希望Bさん)

 この事例は、大会終了後の打ち上げ時における上司の部下に対する発言であり、人事評価制度に基づく「評価」とは正確には呼べない。しかしながら、職員本人の受け止め方は、評価シートに基づく評価あるいはそれ以上のものだったかもしれない。
 全国の自治体で人事評価制度を導入済みの団体は3分の1だと先ほど紹介したが、そのうち、評価面接をしている団体は22%に過ぎない。つまり既導入自治体のうちの5分の1しか、評価に関しての上司と部下との間でのコミュニケーションの機会を持っていないのである。
 評価を何のために実施するのか、色々意見があるだろう(詳細は、4月号で検討する)。ただ、評価というのは上司と部下との間の重要なコミュニケーションツールの一つであることは間違いない。評価制度を導入するに際しては、評価者と被評価者との面談の機会を設けることが望ましい。
 このように書くと、「そのような場を設定すると、とても管理職がもたない。有能な管理職ならまだしも。。。。」という答えが必ず返ってくる。
 しかし、部下の評価に関して説明責任を果たせない管理職は、管理職不適格者である。ついては、部下の管理、指導育成が管理職の職務の重要な位置を占めており、彼ら自身が評価される際もこれらのウエイトが高くあるはずである。その能力を欠如する者は、管理職としては失格であろう。ラインの管理職からはずすか、あるいは、降格処分をすべき場合もあり得る。不適格な管理職を据えておくことは組織にとってマイナスである。つまり、住民にとっても非常に迷惑な話である。

 次回は、そもそも何のために人事評価を行うのかという点について考察を進めていくこととしたい。