メールマガジン

第118回2015.01.28

インタビュー:三島市産業振興部商工観光課 地域ブランド創造室長 小嶋 敦夫さん(下)

 部下のいない一人室長である「健幸」政策室長に任命された小嶋さんは、既存の計画とは一味違うアクションプランを市役所の若手職員を集めて策定した。まち歩きアプリにも取り組む。今までの「健康オタク」を対象にした健康づくりから、市民全体を巻き込んだ健康づくりへと発想を変えていく。


画像:小嶋 敦夫氏
小嶋 敦夫氏

稲継  23年の4月にひとり室長に任命されましたよね。

小嶋  はい。

稲継  で、何をやったらいいか分からないって、困った時ってどうされていましたか。

小嶋  いろいろ調べたりしましたね。健康づくり課の保健センターの中でやっている事業をいろいろ聞いたり、やっている事業に混ざって参加してみたり、あとは参加している人の話を聞いたりとか。

稲継  なるほど。いろいろリサーチをされていたということですね。

小嶋  はい。まず、変だなと思ったのは、言い方悪いですが、健康オタクのような方ばかりを相手にしているような状況です。事業をやりますと募集するじゃないですか。例えば、ウォーキング教室をやりますとか。

稲継  手を挙げる人は同じ人ばかりとかね。

小嶋  はい。筋トレの教室をやりますとか、食育の講座をやりますとか、来る人はいつも一緒なんですね。

稲継  なるほど。

画像:取材風景
取材風景

小嶋  でも、そういう方々って、健康にいいことをすでにいくつもやっている。

稲継  あと、そういう、何ていうかな、事業評価でいうと何人参加しましたっていう数には含まれますから。

小嶋  そうですね。

稲継  でも、同じ人だったら意味がない。だから、掘り起こしをしなきゃならないところですよね。

小嶋  はい。これまでは、アウトカムでなく事業量での成果指標だったんです。

稲継  なるほど。

小嶋  だから、その前までの健康づくり計画なんかの指標もそうで、何を何回やるとか、それって指標じゃない。ただ、手段としての事業量を書いているだけだとかいったら、凄く嫌な顔をされたりとかして。

稲継  なるほど。

小嶋  そんなのをちょっと調べていて。ちょっと違うんだろうなと。だから、自分も含めて健康づくりに興味のない層の人たちに、どうアプローチするかみたいなところを考えたら面白いのかなと、その時は思っていました。

稲継  サイレント・マジョリティといいますか。本来は掘り起こしをしなきゃいけないけども、あんまり見ないようにしていた人たちをどうやって振り向いてもらって、健康度、認識度だとか、そういうところを上げるかという、そういうところなんですね。

小嶋  はい。賛否あるかもしれないですが、思っている事があります。例えば、エコってそうじゃないですか。環境保護なんていっていた時代から、急に「ECO」って言葉になったとたんにブームになって、そういうことに気を使うのがかっこいいというか、知的な活動みたいな感じになって。動機は不純な部分もあるのかもしれないですけど、やっぱり全体を掘り起こすって、そういうことも大事なのかなって思っています。真新しさ、面白そうだとか、はやっている、おしゃれだからみたいな。
 僕が勝手に解釈している、筑波大学の久野先生がおっしゃられる「スマートウエルネスシティ構想」の「スマート」って「賢い」っていうふうに訳しちゃうと元も子もないんですけど、おしゃれ感とか、楽しさとか、そういうスマートさみたいなところを込めた言葉なのかな、なんていうふうに思ってやってたんですけどね。

稲継  なんか今お話を聞いていると、ひとり室長で放り込まれたら、普通の人はふてくされたり、落ち込んだり、メンタルヘルスになったりするのに、喜んで、なんか嬉々として取り組んでおられるような感じがしますね。

小嶋  まあ、自由にできる環境は面白いかなみたいなふうに思っていました。根が単純なので。(笑)

稲継  なるほどね。今、ずっと地域ブランド創造室のお話、それから健幸政策室のお話をお聞きしました。非常に、何ていうか、普通の役所の人のイメージとは、僕、違うイメージをお持ちしました。大学を卒業されて最初に就職されたのは役所じゃないとお聞きしたんですが、その辺のところをちょっと教えてもらえますか。

小嶋  僕が、大学を卒業したのが平成5年でした。まだバブルの泡が多少残っているような時期で、同級生も名の知れた会社、テレビコマーシャルをやっているような企業にというような志向が強かったですね。自分も当時はそうでした。

稲継  なるほど。

小嶋  国際政治経済のゼミにいたこともあり、イメージ先行で海外の仕事がしてみたいなっていうのもありました。その程度の話で、家電メーカーに入社しました。海外営業なんてかっこいいなと。大阪の会社でしたけど、もう入社して1年したらすぐメキシコへ行けと言われました。半分研修、半分仕事というような海外要員作成プログラムがあって、同期で海外に17人程度行きました。僕はメキシコにそれですぐに派遣されて。

稲継  メキシコのどちらですか?

小嶋  メキシコシティですね。

稲継  どのくらいの期間?

小嶋  はい、2年間行っていました。だから、実質的な社会人デビューはメキシコみたいな感じです。新人は最初みんな電話恐怖症になるじゃないですか。

稲継  ええ。

小嶋  新人だから電話とらなきゃいけないけど、全然分からないので怖い。それが僕の場合はしゃべれもしないスペイン語なので、もうわけが分からなくて。そんなところからでしたね。

稲継  なるほど。

小嶋  仕事は非常に面白かったです。ただ、僕がいたのがメキシコだったこともあるかもしれないですが、やっぱり家族を連れて、海外駐在を繰り返す仕事って、イメージ的にはかっこいいし、経済的な待遇はいいけど、大変だなってあとで気づいたというか。

稲継  当時は単身で行かれたんですか?

小嶋  はい、単身で。やっぱり、周りを見ていると、だんなさんは会社があって、お子さんも学校があるけど、奥さんは家に閉じこもりがちで、精神的に追い詰められている方もいたりして。

稲継  多いですね。

小嶋  あとは、海外の子会社に日本人はそんなにいないので、若くても責任のある立場で行きますし、メキシコと日本は遠いということもあり、おいそれと帰れない。親の死に目にも会えないようなケースも目の当たりして。危篤じゃ帰れないんですね。
 僕にはそれがとても衝撃的で、やっぱり自分を育ててくれた親の死に目には会いたいと思うのが普通だと思うし、それが許されないような社内の雰囲気って嫌だなと思いました。その時は、嫌だなって自分は思っているんですが、これ、5年、10年したら当然と考えるようになっちゃうかもしれないなと思ったら怖くなっちゃったんですね。

稲継  なるほど。

小嶋  で、帰国して間もなくして会社を辞めたんです。次の当てもなく。

稲継  (笑)

小嶋  仕事が忙しすぎるので、じっくりこの先どうしようかっていうのを考えられる状況ではなかったので、とりあえず地元に戻ろうかなということだけは決めて。

稲継  もともと静岡の...

小嶋  三島市の隣町の長泉町の出身です。地元に、この地域に戻ってこようと。

稲継  なるほど。

小嶋  何も考えず辞めて、ちょっとゆっくりしながら、これからどうしようかなって考えていた時に、今までのキャリアをリセットしないとダメだなと思ったんです。

稲継  なるほど。

小嶋  民間企業なら、自分の今までのキャリアの延長線上で、海外要員としての採用だったら、多分、地場の会社でも雇ってくれるところはあるだろうとは思いました。でも、だったら辞める必要ないという話になるので、逆説的にまったくキャリアを見てくれない業種って何だろうって思った時に「あ、そうだ。公務員だ」って行き着いたんです。

稲継  なるほどね。

小嶋  それまでは公務員なんて考えたこともなかったんですが、決められたパイの中でシェアを得るみたいな仕事じゃない、プロセス重視、自分のまちをよくするみたいなのも面白いんじゃないかな、なんて思いまして。

稲継  なるほど。

小嶋  本当は最初から基礎自治体に入りたかったんです。当時、27歳だったので、そこから三島市役所に電話をして、「採用試験いつですか?」なんて。ばかな話なんですけど、そしたら「お年はいくつですか?」みたいな。

稲継  年齢制限に引っかかっちゃった。

小嶋  はい。当時、25歳がリミットだったんです。今は30歳なので大丈夫ですが。その後いろいろ調べたら、ぎりぎり受けられるのが県庁でしたので、一生懸命勉強して県庁に入りました。

稲継  なるほど。

小嶋  で、県庁で、最初は熱海の土木事務所が配属地で。用地買収を。

稲継  当時の用地買収って、バブルが崩壊したあとの、つるやホテルが潰れたとか、そんな時期ですよね。

小嶋  はい。もうメチャクチャでしたね。リゾート開発に失敗したとか、そういうところに道路を拡幅したいので買いたいと行くと、抵当とかべたべたくっついていて、実質上の権利者は別にいるみたいな話も多くて。

稲継  なるほど。

小嶋  損切りするのを先送りにしたい、とりあえずは塩漬けにしておきたい企業とかも多いなか、一部切り売りしてくださいっていう話だから、価値がここで確定しちゃうのは迷惑だというような反応ばかりで。

稲継  なるほど。

小嶋  そういった調整、交渉ですね。

稲継  なるほどね。そこに2年ぐらい?

小嶋  2年いました。当時は異動のサイクルは3年だったので、もう少しその仕事をすると思っていたところ、急に呼ばれて、「おまえ人事交流で市町に行く気あるか」と聞かれまして、「自分の住んでいる辺りの自治体で、商工業振興みたいなセクションであれば行ってみたいです」みたいなことをいったら、三島市役所に派遣されることになったんです。

稲継  それが三島市とのきっかけですね。

小嶋  そうですね。

稲継  最初は「受けられますか?」って電話した時だけれども。

小嶋  はい。(笑)

稲継  まあ、2回目のきっかけだけどね。

小嶋  はい、そうです。

稲継  三島市にお見えになって、商工観光課ですか?こちらではどういうお仕事をされましたか?

小嶋  商工観光課は、当時、県の大きなイベントが目白押しだった時で、伊豆新世紀創造祭、東海道四百年祭っていうイベント、電通さんが入ってくるような、そういう大規模なイベントがありました。それらの市町担当をやったりしていました。

稲継  なるほど。

小嶋  例えば、三嶋大社に「なんでも鑑定団」を呼ぼうとか。そんな仕事をして1年間。

稲継  で、1年経った段階で県庁に普通は戻るところを戻らずにそのままいついちゃったわけですか。

小嶋  はい。

稲継  これはどういうことで?

小嶋  1年目の秋ぐらいだったかな。上司の方々から、もう1年いればという打診をしてくださって。僕も悩みましたが、年食ってから県庁に入っていますから、早めにいろんなところを経験してキャッチアップしたほうがいいんだろうなって思い、楽しかったけど帰りますっていう話をしました。で、その時の雑談の中であまり覚えてないんですが、ずっといられるなら別ですけどね、みたいなことを冗談めかして言ったらしいんです。

稲継  商工観光課の上司の方々に?

小嶋  ええ。それで、ああ、1年で帰るのかなんて思っていたところ、人事課長さんが来られて、「三島市役所にずっといたいとか言っているらしいけど、本当か?」って。でも「そんなこと言ったって無理じゃないですか」と。

稲継  なるほどね。

小嶋  そんな話になって、制度上、身分を切り替えちゃうことは...

稲継  地方公務員法上は可能だと。

小嶋  はい。それをみんな知らないだけだと。例えば、国や県から副市長さんとか来られる時は、戻る前提のようになっているけど、それは片道切符でもいいし、下っ端でも制度は使えるんだという話をその時に聞いて、その気があるならそういうかたちで手続きを進めるからと。

稲継  なるほど。

小嶋  当時、助役さんがちょうど県庁から来ていて、県庁の交流の担当の課長さんが同期だっていう話をあとで聞いたんです。そこでうまく話をつけてくれたということで。今でも、とても感謝しています。

稲継  なるほど。

小嶋  それも縁なんですけどね。

稲継  縁ですね。それで、県庁派遣はとれて平成13年からは正式に三島市職員に。

小嶋  はい。

稲継  最初の4年間ですか。新設の再開発の担当室におられたというふうにお聞きしたんですが。

小嶋  僕は身分が切り替わっても、そのまま商工観光課の仕事を続けると呑気に思い込んでいたんです。でも、ふたを開けてみたら、新しいセクションが出来るんでそこに行けと。

稲継  なるほど。

小嶋  ヤオハンさんが経営破たんして、野ざらしになっていた商業ビルが商店街のど真ん中にあったんです。そこを何とかしなきゃいけないっていう話だったんですが、ほかのテナントを入れる話も頓挫し、ずっと空き店舗になり、それにつれて商店街も空き店舗が増えつつあって。当時の市長がこれはまずいぞと、そこを何とかするプロジェクト室をつくるんだといって。その時も上司と2人だけで。その上司がまた強烈な方で。(笑)

稲継  やり手の人ですね。

小嶋  その方と2人で、とにかく何とかしろと言われて。僕らが担当として引き継いだ時は、まだリニューアルを模索しているような段階でしたが、それはもうないだろうっていうのを話し合って決めて、もう建て替えよう、再開発をしようっていう話で、権利者調整を。

稲継  そこが一番大変ですよね。

小嶋  そうですね。約6割の持ち分をヤオハンさんが持っていて、その他全部で7名ぐらい地権者がおられました。1年目で権利者調整をして、2年目で廃墟ビルを壊して、3年目、4年目で超高層の複合ビルを建てました。

稲継  すごく早いなっていうイメージですけど

小嶋  はい。あんまり誰も評価してくれないですけど、多分、全国で多分一番早い再開発の事例です。

稲継  むちゃくちゃ早いですよね。

小嶋  法定の再開発じゃないですけどね。優良建築物等整備事業っていう再開発に近いような補助メニューがあって、それでやっても、権利者調整からスタートして4年で完了というのは多分一番早いと。

稲継  普通は10年かかって、20年置いておこうって。長いところでは50年とかありますけど。

小嶋  そうですね。三島にも思うように事業化が進んでいない地区もあります。

稲継  それはすごく評価されるべきです。

小嶋  やはり上司がすごかったんですね。僕はただ引きずり回されているだけで、どちらかというと迷惑を被ったほうですけど。(笑)

稲継  でも、そのパワーをやっぱり学ばれることになりましたよね、身近でね。

小嶋  はい。民間ではそういう上司が普通でしたので、そういう意味では別に違和感はなかったんですが、周りから見ると、やっぱりすごく異質な人で、相当強引だし、リスクも取るタイプの人だったので。

稲継  線の細い部下だったら潰れていたかもしれませんね。

小嶋  そうかもしれないですね。

稲継  なるほど。そこに4年おられて、その再開発に成功しましたけど、その次に課税課に移られるんですね。

小嶋  はい。

稲継  普通の役所の仕事ですよね。

小嶋  はい。4年も再開発をやって、へとへとなんだろうと気を使ってもらったっていうのが1つ。あとは、多分、僕を矯正しようと思ったのかもしれません。

稲継  矯正っていうのは、市役所仕様にしようということですか?

小嶋  はい。特異な上司に4年もつけていたので、このままだと糸の切れた凧みたいになっちゃうって思われたのでしょう。市役所っぽい仕事も経験させたほうがいいなということで。当時の再開発なんて100万円以下なんてもう端数みたいな、市役所では特殊な仕事なので、やっぱりそこから急に課税課に移ると、1円も合わないとまずいみたいな話で、ギャップに驚いて。僕としては逆にそっちを知ってから再開発をやりたかったなと思いました。そうすれば、もう少しディテールを大事にしたんだろうなと。

稲継  なるほどね。

小嶋  ただ、課税課では、僕、あんまり役に立つことができなかったですね。電卓がうまく打てないんですよ。だから、計算すると毎回違う数字が出ちゃったりして、もう全然駄目なまま終わりました。

稲継  そうですか。で、秘書課に行かれると。秘書課って、これは、市長、副市長の秘書の仕事っていうことですけど、どういうことを?

小嶋  これも矯正プログラムの一環で、目上の人にはちゃんとした口を利きましょうだとか。(笑)そういうことだと思うんですけど。

稲継  なるほど。

小嶋  この6年間を、僕は「暗黒時代」と呼んでいるんですけど。(笑)

稲継  じゃあ、その、17年、18年は課税課で、19年から22年が秘書課、その6年は、何ていうか、雌伏というんですかね、伏せておられた。それで健幸政策室ができた時にぼかんと羽ばたきだしたと、鬱積したものが。

小嶋  鬱積。はい。そうかもしれないですね。

稲継  で、先ほどお話しいただいた、ひとり室長だけれどもいろんなことを考えて、しかも既存の保健センターのプロジェクトは、特定の顧客だけを対象にしているので、市民全体から見るとごく少数だったと。そうじゃない人たちが健康になるにはどうしたらいいかとか、いろいろそういうようなことを考えられるようになられたわけですね。

小嶋  はい。

稲継  なるほど。いや。非常に面白い。面白いといったら失礼だけど、普通の市役所の職員の方とお話ししているとなかなか聞けないような話がたくさん聞けますね。このメルマガは、主な読者層は県とか、市町村の職員の方々ですね。一般市民の方も誰でも見られる状態になっていますけども、多くは市の職員ですね。

小嶋  はい。

稲継  自治体職員の方の中には、小嶋さんのような思いを持っているけれどもなかなかそれができない、つまり矯正プログラムの中に入り込んじゃっている人が僕は圧倒的に多いと思うんです。でも、そういう人たちも自分たちがもう一歩踏み出したいと思っているけれど踏み出せないで、その辺を行ったり来たりしている人、結構いらっしゃると思うんですね。その辺の方に何かメッセージを最後にいただけたらなと思います。

小嶋  僕は、ちょっと回り道をしていますが、最近よく聞くスーパー公務員、自分がそういうふうになれないからっていうのもあるんですけど、なんかそういう人が生まれちゃう組織ってなんか違うんじゃないかと思うんです。僕なんかまだまだですが、それでも「市役所の人っぽくないね」とか、「公務員っぽくないね」って散々言われてきました。恥ずかしながら、そんなこと言われると喜んでいたような時期もありましたが、最近はむしろそういうふうに言われる公務員社会って何だろうみたいにすごく思っていて。じゃあ、どうしたらいいかっていったら、日々の仕事の中でどんな小さいことでもいいから変えられることってあると思うんです。ただ、役所の仕事って多分7割、8割は変えちゃうとむしろまずい部分で。

稲継  ルーティンなんですよね。

小嶋  ルーティンもあるんでしょうけれど、残りの2割、3割のところは、昔からそうだからというだけでずっと来ているだけのものがあったり、やり方を変えたほうが良かったり、いっそのことやめてしまうべきものもあるだろうしっていうところを、小さなことでもいいから何か探すといいと思います。家電メーカーにいた時に面白いなと思ったのは、ここにあるのをこっちに置いたほうが作業効率よくなるみたいなことを、四六時中考えている生産管理の人がいたんですね。それと同じで、例えばここにゴミ箱があるとみんなけつまずくからこっちに置こうよでもいいと思うんです。そういう小さな、イノベーションといったら変ですけれども。

稲継  :いや、イノベーションですよ。

小嶋  そういう小さな改善というのを一つ一つ...。そこにあるのが当たり前と思っちゃうとやっぱり何も始まらないので、そういうできることからやっていくといいのかなって思うんです。

稲継  :なるほど。

小嶋  すごく最近思うのは、バブルが弾けて以降からすごく優秀な子が市役所にもいっぱい入ってきているんですね。彼らはすごく賢い。でも、やっぱり何か小さなことでもいいから変えられるところを、自分の立場でやろうっていう癖をつけないと、「おれはやるぜ、いつか、何かを」みたいな、プライドばかり大きくなってしまいます。
 でも、そんな風に思っているだけでは、きっと永遠に「いつ」も、「何か」も来ないと思うんですね。その場、その場で変えることだけが仕事じゃないですけど、評論家にならない、当事者として問題意識をもつ。で、実際に批評するだけじゃなくて、自分でも何か小さなことでもアクションを起こすみたいなことができるといいなと思っています。

稲継  なるほど。いろいろ含蓄深い言葉だと思います。おっしゃること僕いちいちストンと胸に落ちました。ありがとうございました。
 今日は、三島市役所にお邪魔して、小嶋敦夫さんにお話をお聞きしました。どうもありがとうございました。


大学を卒業して民間企業にまず就職した小嶋さん。メキシコシティ勤務を経て地元に戻りいったん県庁に転職した。人事交流で三島市役所商工観光課に着任したが、縁あって身分切り替えで三島市職員となった。その後、さまざまな経験をされた。
「評論家にならない、当事者として問題意識をもつ。」「自分でも何か小さなことでもアクションを起こす」「日々の仕事の中でどんな小さいことでもいいから変えられることってあると思う」小嶋さんの発する言葉は、その経験と重なって、とても含蓄のある言葉となっている。