メールマガジン
分権時代の自治体職員
第107回2014.02.26
インタビュー:新庄市 商工観光課 主任 齋藤 一成さん(上)
駅前商店街がシャッター通りとなってしまっている地方都市は数多い。政府も中心市街地活性化のためにさまざまなメニューをつくり補助金を投入しているが、なかなかうまくいっていないところも少なくない。そうした中、地方公務員がNPO法人を立ち上げて取り組む事例が散見されるようになってきた。
山形県新庄市では、100円商店街の取り組みがNPO法人によってはじめられた。これは、一つの商店街を一店の巨大な100円ショップに見立てて、各店頭(店の外)に100円コーナーを設置するという事業である。会計は各店内のレジで行う。これにより買い物客は必然的に店内まで誘導される形となる。初めて入る店内で新たに購入意欲がそそられる場合がある。また、専門店だからできる在庫処分も可能となっている。いわゆる100均ショップでは陳列不可能なレベルの掘り出し物も出てくる。
この100円商店街はその後全国に広がっていくこととなる。
今回と次回は、その中心となってこられた齋藤さんにお話をお伺いする。
稲継 今日は山形県新庄市にお邪魔しまして、齋藤さんにお話をお聞きします。どうぞよろしくお願いします。
齋藤 お願いします。
稲継 今日は、新庄市の七色という喫茶店のようなところで齋藤さんにインタビューをさせてもらっているんですが、ここはまずどういうところでしょうか?
齋藤一成氏
齋藤 ここはそもそも空き店舗だったんですが、その空き店舗対策を兼ねながら、飲食業をやりたいと夢を見ている方々のインキュベート機能も持ったお店です。最近はワンデイシェフという言葉が出て来ましたが、曜日単位でシェフが替わって、お店をやるための練習みたいな場所であり、日替わりシェフのお店と言ったほうが早いかもしれませんね。
稲継 では、日替わりシェフのお店に今、お邪魔しているわけですね。
齋藤 そうですね。
稲継 齋藤さんは今どういう立場でここにおられるんでしょうか?
齋藤 このインキュベート施設を運営しているのが、NPO法人のAMP(アンプ)という団体です。その NPO法人の理事長という立場で、今日はここを使わせてもらっています。
稲継 この AMPというNPO 法人があとで出てくる100円商店街とかいろんなことをされているわけですが、まずそのAMPの立ち上げ、そしてどういう活動をしてこられたかということについてお話をいただけますか?
齋藤 今でこそ NPO 法人ですが、最初は2~3人の本当に小さな任意団体だったんです。そもそものきっかけは、進学や就職で地元を離れて首都圏等で生活をしていた比較的若い方々が、どうしても家庭の事情とかいろんな事情で地元に帰ってこなければならない。そして10数年ぶりに地元に帰って来たときに、自分がいた頃と比べて、かなり地方の疲弊が進んでいる。そこからは自分の将来も含めた不安が始まるわけです。その当時、われわれは独身ですから、このままこの町で結婚して自分の子どもをつくって生活していくことに対し、ものすごい不安を抱えていました。まして、われわれが小さい時の地元の街に比べ、まだ見ぬ自分の子供達が見る町はかなりすたれても来ていますし、こんな状況の町を残していいのだろうか。何かをしなくてはいけない、という思いから NPO を作って、活動をしていったという経緯になります。
稲継 何かをしなければならないというみんなの思いは共通なんだろうけど、何をしたらいいかがまず分からないですよね。
齋藤 そうですよね。
稲継 その辺はどういうふうに話し合いをしていかれましたか?
齋藤 当然、何かをやろうと思えば、比較的いろんなアイデアとかイベント的なものは出るんですよね。でも、それをやって、その後、それがどうなるのという議論になったり......。ですので、最初に2~3人が集まって何かやろうと言ってから、初めて行動を起こして目に見えるアクションになるまでは、やはり半年以上かかっていましたね。その当時は事務所もなければ、資金も全くありませんし、公園のベンチから始まっていろんな金のかからないところで(笑)。
稲継 雨が降ったら大変ですね(笑)。
齋藤 そんなところでも、今考えると、かなり熱い子たちだったなあという感じで、いろんな議論を本当に毎晩深夜まで語るような活動があって、いろんな事業がそこから、ポツリポツリと出始めた感じはあります。
稲継 なるほど。ポツリポツリと出た中に実現していくものがありますよね。その一つが100円商店街ということだったんですか?
齋藤 そうですね。
稲継 これはどういうきっかけで生まれましたか?
100円商店街の様子
齋藤 うちの NPO は、とかく「商店街の活性化の為の団体だよね」と言われるんですが、決してそうではなくて、地域を元気にしていきたいということから始まったんですね。その企画した第1弾というか、その最初の企画がたまたま100円商店街だったというだけで、決して商店街に特化しているつもりはないんです。
ここ新庄市は人口3万8,000人の小さい町ですし、どこの地方都市でも同じかとは思うんですが、夕方7時にもなれば商店街のお店は全部閉まっちゃって、人も歩いていない。すたれた商店街だと特に、ショーウインドウの中に飾られている商品が何年も回転してないようなお店があったりするわけです。そういうお店があるのであれば、商品を回転させる意味でも、在庫処分、セールをやったらいいんじゃないかと。でも、在庫処分のセールと言われても自分自身ピンと来ないんですよ、私自身は商売人ではありませんから。しかしその分消費者側の視点がかなり強いので、われわれが小さい頃にスーパーでやられていたような100円均一コーナーの方のイメージが強かったんですね。「在庫処分というのは、100円均一コーナーみたいな感じがいい」という話をしたら、その時に一緒に歩いていたスタッフは、「いや、100円じゃなくてもいいんだけども、せめて2~3軒がつながって、そういう在庫処分のワゴンセールをやったら、かなり集客力があるんじゃないか」「いやいや、待て待て。2~3軒なんて言わないで、例えば、商店街にある全部のお店が100円のワゴンを出したらすごいことになるぞ」と。今でこそ100円商店街がこんなに大きくなっちゃって、それにだんだん引きずられるようにこっちも勉強しなくてはいけなくなって、それで最近は詳しくなって来たんですが、その当時は商業活性化については全くのド素人なわけです。「これはひょっとしたら日本で初めてかもしれないよ」という話から、やったら本当にたまたま初めてだったというところがあって、100円商店街という事業になっていたんですね。
稲継 100円商店街というのは、日を決めて、その日に各商店の前にワゴンを作ってもらって、はぎれだとか何か不要品だとかそれを1個100円で置いていただく。そこにお客さんが来て、それを買いに商店の中に入っていって、レジで払う。そのプロセスで他のいろんな商品を見て、それもついでに買っちゃうみたいな、購買意欲をねらったんですね。
齋藤 そうですね。
稲継 これは商店街の方々の受けとかはどうでしたか? 最初に協力してくださいましたか? そこが最初に気になるところなんですけども。
齋藤 いや、全く見たことも聞いたこともない事業ですから、やはり納得していただくまで、結構時間がかかりました。私は日中は市役所で勤務していますから、私が1軒1軒回ることはまず不可能なので、商店街の中の副理事長であったり、販促部長の方々にお話をしたら、その方々はピンとくるものがあって、その方々がメインで説得に回っていただきました。1軒1軒回るのはそのお二人にお任せして、商店街の中の役員会ですとか、総会、理事会などの会合があるときには私が行ってお話をして、両面から説得に当たったことはありますね。
それと、今だから言える笑い話もあるんですよ。補助金を使っていないという体質は結果的には良かったんですが、やはりその当時はズブの素人ですから、補助金が欲しくて、国の補助事業であったり、県の補助事業などにも結構手を挙げたんですよ。でも、手を挙げても、見たことも聞いたこともない事業ですから、全く誰もかまってくれないんですね。でも、やっぱり衰退していく商店街をそのままにすることはできない。では、金がないならないなりに、いろんなアイデアや体で稼ぐとか足で稼ぐ。補助金を申請して駄目だったんで、いろんな方法で何とかやろうということで、1年目に100円商店街をやったんですね。そして、2年目に補助金の公募があったんで、もう1回補助金を申請したんですよ。そしたら、「AMPさん、補助金がなくてもやれているじゃないですか」ととんでもない扱いをされまして(笑)。
稲継 なるほど。なくてもできていた(笑)。
齋藤 まあ、世の中の方々は、やはり100円商店街と言われてもピンと来なかったのは事実でしょうね。だいたい、どんなイベントや事業を実施するにしても、うちでは報道関係の皆さんにプレスリリースとしてファックスを入れたり、メールを送ったりするんですが、だいたい普通にご理解いただけるレベルのイベントでしたら、差し込んですぐぐらいのタイミングで「どんなイベントなんですか」という反応が来るんです。しかし、この100円商店街に関してはたったの1社も反応がなくて。俺の中ではすごく面白いと思っているんですけど、俺1人がそう思っていたのかなみたいな感じで、すごい勘違いなのかなと焦ったことはありましたね。
ただ、第1回目の100円商店街の1週間前に東北の地方紙の河北新報さんが、ちょうどA4用紙1枚ぐらいの原寸のでかい記事をドーンと掲載してくださったんですよ。そしたら、そこからYahoo! JAPANのトピックスにいきまして、そこから一気に全国に広がって問い合わせとかが来ましたね。
稲継 そうですか。それが第1回の直前のことですね。実際に開催されて、どんな感じになりましたでしょうか?
齋藤 企画段階では、これは絶対に当たると自分では疑いもしなかったんです。ところが周りの皆さんの反応を見ると、正直、自分でもだんだん自信がなくなってくるというか、正直やばいのかなと思っていたんですけども、第1回目をやった時には、マスコミの皆さんのお力添えもあって自分の想像をはるかに超えるぐらいの人出が当日ありました。
なにより一番大きな違いは、これまでの商店街の活性化事業というのは、どうしてもにぎわいの創出とか、イベントとか、そういうカラーが強かったんです。しかし、100円商店街でそこに集まっている方々というのは、「明確に物を買う」という意思を持って集まった集団なんですよね。それを感じた瞬間、鳥肌が立つというか、やはり感動したのはまだ覚えていますね。
稲継 感動された。
齋藤 感動しましたね。自分が企画したくせに(笑)。感動してしまいました。(笑)。
稲継 その結果、当初、河北新報が宣伝的なものを打ってくれたわけですけど、実際に100円商店街をやると、いろんな取材も来て、普及していったと理解したらいいんでしょうか?
齋藤 そうですね。
稲継 いろいろ新聞が取り上げてくれて、それが定着して行くことになるんですね。その後、定期的な開催になっていくんですか?
齋藤 定期的な開催にもなって行きますし、露出すればするほど導入地域も増えていくことになります。
稲継 定期的に開催することについて、当初参加しなかったけれども、私も入れてちょうだいとか、そういう商店も増えてきましたか?
齋藤 そういうのはありますね。あとは具体的な手法になってくるんですが、例えば、商店街が複数あった市街地などは、初期の頃は、その商店街単位でアンテナを張っていらっしゃる方が多くて、ダイレクトに電話をいただくケースが多いんですよ。それで、その町にお伺いすると、「うちの商店街で100円祭をやりますよ」と。だいたい皆さん「試験的にうちがやるから。もし良かったら後からみんなでやろうよ」と、周囲の商店街にお声がけされるんです。でも、日本全国たったの1カ所を除いて、先にやられた商店街に後から「やっぱり入れて」と言えないんですよ。唯一違うのは大阪市内だけです。
稲継 そうなんですか。
齋藤 「うちもまぜて」という感じは大阪だけです。それ以外は、後から入れてというのは全くないものですから。
稲継 ああ、そうなんですか。それはプライドだとかそんなもんですか?
齋藤 たぶんそんな感じですね。でも、商売人がプライドで飯食えるか、という気持ちがあります。ですから、そういう時は、最初から実行委員会を作ってしまえと。1個の商店街組織ではなくて、もう横断的にやってもやらなくてもいいので、委員を全部出してもらって、で、地域全体の経済力を上げるような感じの実行委員会を作って、いつでも参加しやすい体質を事前に仕込んで、起動させるパターンが最近では多いですね。
稲継 そういう形でどんどん回ってきたわけですよね。この新庄市だけではなくて、全国いろんなところで、熊本だとかあちこちで100円商店街というのがブームになっていく、その火付け役になったわけですよね。
齋藤 そうですね。
稲継 その後、割と視察とかもお見えになったりしたわけですか?
齋藤 そうですね、今でもやはり多いですね。
稲継 そうなんですか。
齋藤 今週の土曜日が実は100円商店街なんですよ。
稲継 あっ、そうですか。
齋藤 今回は青森県から約20人弱ぐらいの方が視察に入って来ていますし、あとは「直接話を聞かせて」という視察もあれば、開催現場で見ていると、これは絶対に関係者だよなっていう感じの人がいます。スーツを着てカメラを持って見ていました。よくある絵ですから。
100円商店街というのは、商店街の単純な活性化事業だけじゃなくて、自然人口減少地域においては、交流人口の増加という部分も大きく作用してくる事業です。どこでも商店街の衰退は頭を悩ませているはずなんですが、その商店街というもの自体は新しくはなくて、昔から存在したわけです。当市では、本当に秀でれば観光資源にも十分になり得るというものを認めてくれていまして、交流人口の増加という部分でも、最近かなり大事にしていただいています。
稲継 最近は、かなり協力的になってきている?
齋藤 そうですね。
稲継 しかし、補助金は受け取っていない。
齋藤 100円商店街事業だけでなく、NPO法人AMPの運営も100%に近いぐらい、事業費収入で運営しています。
稲継 AMPの活動は商店街の活性化だけじゃないとおっしゃっていましたけど、ほかに例えばどういう活動しておられるんでしょうか?
齋藤 例えば、結構いろいろあって、例えばトナカイ急便という事業がありまして、われわれスタッフがサンタに扮して、小さい子どもにサンタを配達するんですね。
稲継 サンタを配達する?
「トナカイ急便」で子どもたちが
プレゼントを受け取る様子
齋藤 サンタクロースを配達する。プレゼントは親御さんが準備していただいて、家の前に、「何とかさんですか?NPO-AMPです。今、ご自宅の前にサンタがいますので、お子様には気づかれないように、プレゼントを持って出てきていただけますか」と。それで受け取って、親御さんを帰して(笑)。事前にはそのお子さんの名前から性別、年齢、あとは、親がサンタに代わって言ってほしいメッセージなども全部いただいていますので、サンタさんも一歩入った瞬間に、「君は○○君だね」とすぐに分かっちゃうわけですよ。やはりサンタさんは常に見ているんだ、という子どもの夢を大事にするようなこともやっていますね。小さい子ども向けなので、全く商店街の活性化とは関係ないこともやっています。
稲継 でも、すてきなことですよね。
齋藤 ありがとうございます。
稲継 サンタクロースがいるって、何年生まで信じているか分からないけど、信じている子にとったら驚きですよね、本当にサンタさんが来てくれるってね。
齋藤 なので、対象年齢も「就学年齢前の子ども」としかしてないんですよ。兄弟がいて、上の子が小学校にいって、下の子が幼稚園になった場合、判断に迷いますが、そこはやっぱり親御さんにお任せしています。自分の子どもの夢を壊したい親はいませんしね、そのご家庭がよいのであれば喜んできますよと。「うちは、もう卒業だね」と言われたら、それはそれで「ありがとうございました」という感じですね。
ただ、それもAMPをやってからですから、8年9年はやっていますので、去年、職務体験にきた子どもで、「僕、サンタに来てもらった」という中学校3年生の子がいました。
稲継 そんなに大きくなって(笑)。
齋藤 あと2~3年すると、子どもに夢を届ける、というサイクルがちょうど1周しはじめるのかな、というのをやれたらすごくすてきなことだなと思ってワクワクしています。
稲継 私はここに来る前に、この市内をブラブラ歩いていたんですけど、小学校2年とか3年の小さな子どもに、「こんにちは」って声をかけられるんですよ。すごく驚いたのは、東京とか大阪では小さな子どもに「こんにちは」って声をかけられるってないことなので。
齋藤 (笑)ないですね。
稲継 しかも笑顔でこっちを向いて自転車に乗っている子とか、キャッチボールをしている子がこっちを向いて「こんにちは」って声をかけるんですよ。これはこの辺の特徴なんですか?
齋藤 いや、特徴っていうほどじゃないですね。俺もこの前どこかに行った時に、言われてびっくりしましたね。やっぱり、逆に首都圏なんかは、知らない人から声をかけられるのも、声をかけるのも駄目みたいな感じなんですけれども、この辺とか地方に行けばまだそういう風習が残っているみたいですね。
稲継 いいですね。(笑)びっくりしたけど、とれもうれしかったです。AMPでトナカイ急便、商店街の活性化をやりました。他にはどういうことを?
100円商店街が順調にスタートし、全国的にメディアにも取り上げられた。トナカイ急便という子供たちの夢をかなえる事業を始めた。AMPというNPO法人は少人数ながら様々な活動を展開することになる。
(以下、次号に続く)