メールマガジン
分権時代の自治体職員
第104回2013.11.27
インタビュー:高鍋町健康福祉課 課長補佐 守部 智博さん(下)
お年寄りのサーフィン、ノルディックウォーキング。お年寄りを元気にする取り組みで医療費抑制、介護費用抑制を目指す高鍋町。浮いたお金は子供の教育などに回す。お年寄り自身も、元気な生活を送ることができる。
このような取り組みを進める守部さんは、健康福祉課の仕事以外にも、高鍋のまちをよくしようと様々な取り組みをしている。自主活動グループを作って、海士町の取り組みや、やねだんの取り組みを学んで、地域おこしにも取り組んでいるという。
稲継 どういう形の地域おこしをされているのでしょうか。
守部 まず、先ほど申しましたように、非常に景観的に素晴らしい所ですから、この景観をやっぱり継続的に残していきたい。それから、高鍋温泉というのが、非常に経営がまずくて、お荷物的な施設になってきていました。高鍋湿原は、貴重なトンボや植物があり、非常に価値があるところですが、先ほどの縦割りではありませんが、温泉は第3セクター、四季彩のむらは農業振興課、湿原は社会教育課という事で、結局縦割りで全然リンクしません。ここを何とかリンクさせたいというのがあって、この3点セットでここを地域活性化したいという思いがありました。
一つは、宮崎県は早期水稲がほとんどですが、この四季彩のむらというのは、棚田が残っていて普通期水稲を作っています。だいたい宮崎は早ければ、7月、8月には稲刈りをして、盆前にはもうなくなってしまう。だけど、ここは実りの秋に稲穂があるという、宮崎では本当に珍しい景色があります。ただ、そうは言いながらも、景色だけではお金になりませんから、このお米をブランド化したいと思っています。ブランド化することによって、収入につながりますから、収入につながれば当然持続可能になります。ひとつ大きい目標が米のブランド化で、私たちも地域の方から田んぼを借りて去年からお米を作っています。
それから、ここの景観の中にアートをのせられないかというところで、田んぼアートというものをやっています。色米を使って、去年はハートのマークを描きました。こういうハートのマークにはLOVEという文字を入れて、このラブという文字に私達の地域愛というメッセージも込めました。
稲継 これは、株というのか、種というのか、それが違うから、こういうふうになるわけですか。
「四季彩のむら」の田んぼアート
守部 そうですね。いわゆる古代米というやつで、食用ではありませんが、こういう用途のために開発されたお米ということです。これは地域の方から提案がありました。10数年前にこれをやりたいということで四季彩のむらができた頃にやったそうですが、いかんせん知識がなくて失敗したみたいです。アートをやりたいなという思いが、グループの活動の中であり、その時にポーンと地域の方から「田んぼアートをやらないか」という話が出て、「それは何ですか」という話になり、田んぼアートの説明を受けたところ、まさしくこれがアートだということになり、普通のお米を作った横の田んぼで行いました。今年は昨年よりも大きな田んぼでやりたいと思っています。
四季彩のむらは、町がお金をかけてやっているのですが、高鍋の方すら知らなかったりして、やはり知名度も上げなければいけないということもあり、この田んぼアートを中心にしてアートフェスティバルというタイトルで、この集落の美しい実りの秋にいろんなイベントをやりました。
日中は田んぼアートを中心に、地域のアーティストの方が、この集落の中の神社の境内で、クラフト市、雑貨アートの市(いち)みたいな実演販売会をやっていただいて、そこに移動販売車も来て食事を提供していただきました。
夜には、この地域の集落道にキャンドルを2,400個ずらっと並べて、訪れた皆さんに散策していただきました。また、秋にはそばも作っており、そばの花がきれいですので、そば畑のあぜで、地域のミュージシャンの方にコンサートをしていただきました。
あとは今、全国各地でまちコンという婚活イベントが開催されていますが、四季彩のむらでどういう活動をしていくかという話になったときに、「まちコンってありますよね」とメンバーから意見がありました。そして「むらコンがやりたい」という話になり、「ただ、単に集まってコンパをしていただくというのでは、あまり個性がないよね」という事になりました。「じゃあ、ここには何があるか」と言ったときに、「田んぼしかないよね」という話になり、「じゃあ、田植えをしてもらおう」という事になりました。田んぼで田植えをしていただいて、温泉があるので、田植えで汚れた後温泉に入ってもらい、温泉内のレストランでコンパをするという、むらコンというのをやりました(笑)。
稲継 田植え体験を通して合コンをやるんですか(笑)。
守部 そうですね。
稲継 珍しい(笑)。最近、いろんな町役場や村役場が婚活に助力するということは増えつつあるけれども、この田植えというのは初めて聞きましたね。
守部 ないですね。おそらく全国でも調べましたけど、うちしかないと思います。
稲継 これは植える時に会って、収穫の時に会うということなんですか。
守部 それをやろうとしましたが、これで現実を味わったといいますか。私達はそういうイメージで、米も実っている間に恋も実ればいいな、という思いでやりました。途中、交際されたりとかもあったみたいですが......。その間、思いが途切れないように、米の状況とかを毎月写真にして、参加者に送って、「秋が来たから来てください」みたいな感じで送ったところ、男性の方はおおむね「じゃあ、やります」と来ましたが、女性の方はゼロでした。それで、いろいろと婚活されている方に聞いたら、「そんなもんだよ。女性は」という話になりまして、「ああ、そうなんだ」と僕らがふられたみたいな感じで落ち込んで。
稲継 そうですか(笑)。
守部 ただ、1回目のむらコンは非常に評判が良かったので、また今年度についても、田植えのむらコンはやっていきたいな、というふうには思っております。
稲継 なるほど。こういういろんな活動を通じて、守部さんが代表をされているこのグループの若手の職員、若手の人たちもいろいろ、こういう取り組みがあるんだとか、こういうことができるんだという、彼ら自身の能力というか、やる気が上がって来たと考えたらいいですか。
守部 そうですね。非常に成長しますね。私たちの役所の仕事というのは、前任者のやり方があったりして、よほどの思いがあったりしたら別ですが、能力がなかったりすると、自分でゼロから作っていくという仕事はそんなにはありません。しかし、私たちのグループの活動は全くゼロからです。大きな方向性としては、ある程度私の方からこれをやりたいという話はします。例えば、こういうパンフレットを作って欲しいという話をすると、「すごいな、これは」とびっくりするようなものを作ってくれます。それとか、何かをやると言った時に、この田んぼアートにしても、パソコンできちんと設計図を作って、きちんと段取りして取り組みます。結局、そういう機会を与えれば、若い職員もきちんと育つということを実感しています。普通の仕事を見ていても、ここで学んだことが非常に活かされているなというのが、2年やって感じますね。
稲継 普通、各自治体は研修担当を置いて人材育成とかいうことをやっているわけですが、それが非常に重要なことだと私は思っていますけど、このグループの場合は全然、役所とは別の組織というか、アフターファイブと土日で取り組みをやっているうちに、だんだん職員の能力も育成されて来て、それがまた仕事にフィードバックされていく。非常にいい循環になっているなと今、お聞きして思います。今後このグループはどういうふうにやっていこうと思いますか。
守部 一昨日、四季彩のむらの総会があって、1年間の活動を四季彩のむらの方々が総括されましたが、本当に1年前はぎくしゃくしていました。総会に私は出席していませんでしたが、1年前は本当にののしり合ったりとかしていたのが、この前行ったら、私たちが1年間こういう活動をして、やっぱりいろんなメディアにも取り上げていただいて、四季彩のむらの方々もやっぱりいいところなんだ、というところを再確認し始めて、非常に前向きになって来ています。
さっきの健康福祉課の話に戻りますが、ここは今の高鍋町というか、今の日本が直面しているいろいろな問題が凝縮されている集落です。まず、高齢化の問題です。総会の中でも、5年後10年後に集落はどうなるのかというご意見も今、出ています。あとは米のブランド化という産業振興の部分、それから先ほど言いました高鍋温泉と高鍋湿原、四季彩のむらという行政の縦割りの壁があって、うまくPRできない。
そういういろんな問題がここに凝縮されていると思っていますので、どのレベルで成功というかは分かりませんが、きちんとお金も稼げるようになって、後継者も育つようになって、なおかつ高鍋温泉の経営も上向いて来て、高鍋湿原も教育的な価値もある素晴らしい資源として、子どもたちの教育にも非常に役に立ちます。そういうふうなことで、ここが成功してそういう部分で加勢ができれば、これはきっと高鍋町全体に波及できると信じています。ここでまず、そういういろんな問題をクリアして、少しずつ広げていこうと思っています。
この隣の地区の方も四季彩のむらがだんだんにぎわっているのを見て、自分たちも何かやりたいみたいな感じで、何かできるよという意見もいただいていますので、今年は少しずつ広げていこうかなと思っています。そういう風にやっていくと、あれもできるよ、これもできるよという形で、地域の中からだけでなく、地域外の全然関係のない方からもいただいていますので、非常にありがたいと思っています。これが高鍋町全体に波及できるようなものになっていけるといいな、と考えているところです。
稲継 結構、新聞なんかにも取り上げられていて、四季彩のむらの人にとっては、誇り高き取り組みですよね。
守部 そうですね。
稲継 それを新聞で見た他の地域の人も、「うちでも何とかならないだろうか」というそういう良い方向での波及効果が生まれてきてね。それが高鍋町全体に広がると、とてもいいですね。
守部 そうですね。
稲継 ありがとうございます。今のお仕事とそれから今、取り込んでおられるグループのお話をずっとお伺いしてきたんですけれども、そもそも守部さんは、役所に入ってずっと健康福祉課におられたわけじゃないですね。財政にもおられたとおっしゃいましたね。入庁されてからの経歴といいますか、どういう仕事をしてこられたか、教えてもらえますか。まず、最初は?
守部 まず、最初は、もともと大学が農学部にいったものですから、農業振興課に2年配属されて、いわゆる米の転作とか、そういうのを担当しました。本当に訳も分からずやっていたというところですね。その後に企画の方に行って7年間広報をさせていただいて。
稲継 広報ですか。
守部 今、思えばその広報というのが、結構原点といいますか、いわゆる行政広報というのは何なのだろうというところをそこで学ばせていただきました。ただ、単に何がありますとか、何がありました、それから町の予算はこうですよとか、そういう話を最初のうちはやっていました。広報担当は孤独な存在で、一つの自治体に1人、大きい市になると2~3人ですが、やはりメインの担当は1人なので、どうしても役所の中で1人しかいない。相談する人間も前担当者とか元担当者になってしまって、非常に寂しい仕事でした。
そういう時に、他の市町村の広報担当の方とのネットワークがありまして、その中での交流を通して、行政広報とは何だろうと思ったときに、やっぱり地域の元気な方を紹介して地域が元気になっていくという取り組みをしていく。
確かに定番的な記事もありますが、やっぱり地域の元気を発信しなくちゃいけない、というのがありまして、それがやはり広報の、なんて言いますか、3~4年ぐらいして気づきまして、それからいろんな地域の元気な方や献身的に介護されている方とか、教育のこととか、そういったことを取り上げていって、広報は何となくこういう仕事じゃないのかということが、少し見え始めてきました。
あとは新聞社の方ともよく交流させていただきましたが、やっぱり行政というのはPR下手だと思います。行政の仕事はやって当たり前ですが、メディアを活用するということは、広報同様大事なことではないかなと。メディアの方とのかかわりが広報のときにあったものですから、それが今、非常に役に立っているということがありますね。
稲継 広報に7年におられて、次は?
高鍋町役場
守部 財政に行きました。いわゆる予算を組むところですが、さっき申しましたように、平成18年に本当にお金がなくなって、これはどうしたものかとなった時に......。「財政改革推進計画」というものを作って、どうしても住民の方にも負担を強いることになり、住民の方にこれを直接説明し「こういう計画を作りました。じゃあ、負担をお願いします」となると、きっと住民の方は、それはお前たちの給料が高いからだとか、お前たちが無駄な事業をやって来たからそうなった、というふうになると思いました。そこで、こういうまずい話をどう住民に伝えようかと思った時に、地元の宮崎日日新聞の記者さんに、これを見せて、今申しましたように、「どうしても、私たちがそれを住民の方に言うと、絶対にそういうふうになりますから、新聞の記事のフィルターを通して、第三者的に書いていただけないですか」という話をして、5回連載していただきました。「高鍋町の財政危機」という大きな紙面で。そうすると、やはり住民から反響があり、役場職員も新聞に出たということで、「これは大変だ」っていうことになりました。職員は裏で私が動いているということは知らないものですから、「宮崎日日新聞で取り上げられているよ」とショックを受けていました。また、その時に、一番びっくりしていたのが、町の監査委員さんです。「なんであんな記事が出たのか」みたいな感じで。結局、自分の監査がうまくいってないからだみたいな話になって。住民の方もこれを見て、自分たちもやっぱりまずい部分があったな、ということになりました。
そういう取り組みをしながら、最終的に私が財政課を異動する時には、何とか基金を取り崩さずに、予算が組めました。これは本当に私も予想できませんでした。予算を作ってみて、そしたら基金繰り入れが0となり、桁を間違っているのではと思いましたが、それが最後の年になりました。住民の方や職員と一緒に、厳しい行革をやってきましたが、職員も意識が変わって、本当にヘビーな仕事でしたが、何とかクリアできたのかなというのがありました。
稲継 なるほど。何とかクリアして、それで財政課から今の課に移られたということですね。
守部 はい。
稲継 今、お話をお聞きしていくと、何か原点が広報の担当だったことがすごくあるのかなと。
守部 そうですね。
稲継 それが財政改善は非常に大変な話なんだけど、マスメディアに出ることによってそれを後押ししてくれたというのは、それも新聞社とのつながりができていたというお話ですね。今、取り組んでおられる、さまざまな希望のまちづくりも、いろんなメディアで取り上げてくれることによって、地元の人もやる気が出てきて、ほかの地域からも注目されるということで、いろんな部署に動いていかれたけれども、現在の仕事やら現在の職務以外の活動においても、広報をしていたというのは非常に原点にあるように思いますが、このへんはどうですか。
守部 そうですね。やはり広報ですから、初対面の住民の方とかに、飛び込んで取材させていただいたりとかして、そういうところで基本的に福祉の仕事もそうですし、希望のまちづくりもそうですけど、やはり現場主義だというふうに思っています。現場に行ってこそだと思っています。どうしても役所にいると役所の中で仕事をするのが仕事だということで、なかなか現場に足を運ばないことが多く見られます。
広報の仕事は役所の中で作っているわけにはいきませんので、とにかく現場に行かないといけないということで、現場主義というのを学ばせていただきました。今の福祉の仕事も、希望のまちづくりもそうですが、やはり現場に課題もあるし、現場にこそ希望もある。小さい町ですが、地域によって、住民の人間性も違いますので、その場所に行って五感を使って感じることで、いい仕事といいますか、いいまちづくりができるということを、学ばせていただいたのはやはり広報ですね。
稲継 ありがとうございました。今日はいろいろとお話を聞かせいただいて、私も非常に面白かったです。最後にこのメールマガジンは、全国の市町村職員の方、それからそれ以外の方もたくさん読んでおられます。特に職員としてあるいは開発をしているグループの代表として、全国の自治体の職員の皆さんに何かメッセージがあれば、お願いしたいと思います。
守部智博氏
守部 確かに高齢化の問題もそうです。厳しいと思っています。私自身で解決できる問題でもないと思っています。けれども、原点は地域の住民の方を幸せにすることが、僕らの役人の仕事だと思っていますので、そうしたときに、あまりツールにこだわりすぎるとかえって断念しちゃうことがあります。役所に入った時の志というのは皆さん一緒だと思いますが、それが役所の縦割りとかの壁にぶち当たってしまって、だんだん動きづらくなるっていうのが現実だと思います。でも、大きい志を忘れることなく、逆にそこにツールをぶら下げていく、そういう活動というか、仕事をしていただきたいと思っています。
私たちが元気じゃないと、地域も元気にできないですし、根っこにあるのは、やはり子どもたちです。子どもたちに希望を残せるようなことを、私達はやっていかないと、そこに挑んでいかないといけないと思っています
私たちの活動が、少しでも参考になると嬉しいですし、役所が変わればまちが変わると信じていますので、小さいチャレンジでもいいので、そういう人たちが増えていけば、間違いなく日本は変わると思っています。私達もそういう気持ちで全国の皆さんと頑張っていきたいと思っています。
稲継 今日は高鍋町の守部さんに、お話を聞きしました。どうもありがとうございました。
田んぼアート、むらコン(田植え合コン)、四季彩のむらへのさまざまな働きかけ、グループを引っ張る守部さんの取り組みは興味深い。ゼロからのグループの活動が、新聞紙面をにぎわすまでになった。
広報課では、新聞記者を動かして財政危機を住民に周知する。仕事も、仕事以外のグループ活動でも、常に、「大きい志を忘れることなく、そこにツールをぶらさげていく」ということを実践している分権時代の自治体職員である。