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第102回2013.09.25

インタビュー:亀岡市政策推進室 安全安心まちづくり課長 田中秀門さん(下)

 日本初のセーフコミュニティ国際認証取得の立役者、亀岡市の田中さんは、企画課にいた平成5年ごろから、市民とのネットワークをさまざまな形で築いていくことになる。異業種交流の交流会を立ち上げることをはじめ、取り組みは次々に広がっていく。


田中   イベントの仕事でお世話になった京都府職員の方たちから、企業発想を持った自治体経営を一緒に勉強しようと誘われて、異業種間交流の場に参加させていただくことになりました。
 まず、そのメンバー数名で民間の某経営者育成塾への入塾を求めようかということで入塾を申し出ましたが、結果は、公務員の入塾は認められないということを言われて、「じゃあ、自分たちでそれに代わるネットワークを作ろう」ということでプラットフォームを作り出しました。業務が終わってから、いろんな異業種の方と情報交換するということが、非常に私には大きな刺激になりましたね。

稲継   それの名称は何て言うんですか?

田中   京都地域経営哲学勉強会という長い名前です。民間の経営者や広告代理店社員、大学関係者、それに行政職員といろんなメンバーが集まり、それぞれの職場環境の改善策や、先進のまちづくり事例、当時のトレンド情報等、毎回テーマを決めて勉強会が開催されました。まだバブルも完全に冷え切っていない頃でしたので、水面下の民間プロジェクトの動向などの話を聞かせていただいて、日常業務では入手できない情報を得られる場でした。その時ぐらいから仕事がしやすくなって来たイメージはありますね。だから、分からなかったら誰かにピンポイントで聞けるということが、外に出て初めて分かりましたね。

稲継   なるほど。どんどんネットワークも広がり始めたということですね。

田中   そうですね。そこで広がるとまた広がってくるということですね。私はネットワークの皆さんに助けていただいたと思います。今もですが。
 ネットワークには、府の職員も多く参加されていて、色んな話をさせていただく中で、亀岡にかなりたくさんの府職員の方、また同年代の大学の先生が住んでいらっしゃることがわかりました。その方たちは市民なので、この人たちに亀岡市のまちづくりに、一市民として力を注いでもらえないか、ということで声をかけて、定期的に小さな意見交換会を始めました。そうすると、また、自然と府の職員の方とのネットワークが広まっていくわけですよ。今でいうアナログ版のフェイスブックみたいなものですかね。

稲継   割と企画課に行かれたころから、現在の取り組みに至るまでのネットワークができ、仕事の中身としても割とT字型というんですかね、π字型というのか、異動はあるけれども、大体同じ専門性の中で能力を発揮されているという感じですかね。
 今、ずっとお仕事の話を聞いてきたんですけども、田中さんは仕事以外にもいろいろなことやっておられると、ちらっとある人からお聞きしたんですが、そのへんのことをいろいろ教えてもらいたいと思うんですけど。

画像:取材の様子
取材の様子

田中   私は、市内の保津町というまちに住んでいます。今から十年くらい前、この町の自治会運営が行き詰まった時期がありました。実は、この町は今も市内で少子高齢化率が一番高いのです。一つの小学校があって、私の小学生時代の児童数は、全校で300人ぐらいでした。それが今では全校で57人という状況です。約十年前、自治会の役員も高齢化になってくる。このままではまちづくりに新しい発想も生まれないということで、平成13年に当時の自治会長の方から、「今、この町に住んでいる若い世代のメンバーでこの町の先行きを考えてほしい」という相談がありました。私も相談を受けた一人として、「じゃあ、やっていきましょう。」ということで、町内の30代から40代の有志で、保津町まちづくりビジョン推進会議という組織をつくり、自治会長の諮問機関として位置付けていただき、言ってみれば、自治会で町の総合計画みたいなものを作っていくことにしました。この町は農村地域ゆえ、高齢化率も高いですし、市街化調整区域ですから家が自由に建てられない。基本的には3世代で住んでいる世帯が主流ですよね。そこでまちの長老といろんな議論をしますと、後継ぎの息子が市外の大学に行って都市部で就職して戻って来ない。一旦戻ってきても、すぐに便利な都市に出て行ってしまう。また、亀岡の市街地のどこかで家を買ったりマンションを借りたり買ったりして住んでいる。その原因はやはり思い通りに家が建てられない、都市機能を持ったまちづくりを考えてほしい。
 もう一つは、息子が嫁をもらうんだけど、すぐ出て行ってしまう。2人で出て行ってしまう。それは、当時下水道がなかった(既に整備は進んでいたが)。下水道のないトイレのところに嫁は来ない。そういうインフラ整備を君たちの若い目で考えてくれ、と言われました。しかし、子ども会活動やPTA活動とかいろいろな活動で、同世代の若い世代の主婦の方とかの話を聞きますよね。長老のいわれることも理解できますが、若い世代とのライフスタイルに大きなギャップがあることがわかってきました。若い世代の住民に聞くと、町には自然も豊かだし、自給自足ではないけど、農地もあるから食べることにも不便はないが、旧村以来のしきたりと役まわりが多すぎる。もうここまでは耐えられないという思いを持っていることがわかりました。また、3世代世帯が多く、嫁姑の関係で肩身の狭い思いもある。今は核家族化の時代のそういう家庭生活を送りたいということで、やっぱり出て行ってしまうのですね。
 だから、そういう事実があるのですが、長老は、やはり感覚が違うのですよ。長老と長男の嫁が対等に議論できる環境ではないじゃないですか。やはりこういった現状をしっかり目に見える形でみんなに示すことから始めようと思いました。
 これが私たちが作った「ふるさと保津ナビゲーション」という報告書です。
 ここにどういうアンケート調査をしたか。その結果どうするべきかをまとめています。町が好きか嫌いか。好きなところ嫌いなところ、口に出せない悩みを引き出して課題整理をしようという報告書です。
 それともうひとつは、JR亀岡駅北側に隣接する農地の区画整備事業が動き出す計画があり、17.2haの農地が市街地になることで、保津川を隔てて向かい側の保津町にも少なからず影響が出る。また、地権者は保津町の住民が大半だということから、町の思いとして、どういった整備を進めるべきかを市長に提案をしようという取り組みをしました。小学校の存続のためにも、子供も増えなければいけないということで、住宅環境の整備も必要だろうし、当然都市化のイメージはいるだろうと思いつつ、私たちは、やはり次代を担う子どもたちの意見を最大限に尊重しようというスタンスで計画づくりを始めました。そこで、子どもたちにどうしてほしいのかを、小学校の協力を得て、アンケート調査を行いました。私たちの予想はデパートができて、ゲームソフトとかをすぐに買いに行ける。私の息子も当時小学生でした。町にはコンビニはありませんから、非常に都市的な機能もほしいと当然思うだろうと思っていました。ということで、小学校からアンケートが返って来たときに、今のまま農地を残してほしいという意見がほとんどだったのです。

稲継   ほおー、今のまま。

田中   子どもたちは、自然のままの環境を残してほしいとの回答が95%だったのです。私たちはその結果を見て青ざめました。確かに環境教育が進んでいるということもあったと思いますが、やはりそういうことを言ってくれたっていうことに非常に感動しましてね。だから、今ある緑を残し、環境にやさしいまちづくりをしていくべきだということですね。
 私たちの組織は地域の住民20名が「駅北開発を考える」「保津川河川敷活用を考える」「保津町全体を考える」と3つのグループに分かれて活動を行いましたが、思いをビジュアル化したいがパースが書けないとか、じゃあ、それを作るのにどれくらい費用がかかるのだろうか。データの分析について、どうしたらいいかノウハウがないという壁にぶつかりました。しかし、そういった専門的な人材は外から入れようということで、いろんなネットワークを通じて知人の建築家とかに入ってもらったり、半数ぐらいは地元のメンバーなんですけれども、半数は町外・市外のメンバーでまちづくりをおこなってきました。
 だから、先のアンケートのお話をしましたよね。アンケートは700ぐらいの世帯に1軒に2枚。1枚は長老が書いてください。もう1枚は他から嫁いでこられた若い世代の奥さんに書いていただくこととしました。なぜかと言えば、他町からの転入者は他町と保津町を対比できるじゃないですか。根拠をもって世代間の価値観や思いの違いを示せると思いました。その結果、若い主婦世代の感じる、しきたりや役まわりの多さに対する不満が多いのは一目瞭然の結果でした。そういった結果を長老に見せて、「実は、若い世代はこう考えている。だけど、すべてをなくすのは駄目だけど、やはり改善していく必要はありますよね」ということで、初めてそこで理解を得られる。なかなか時間はかかりましたけども、私はまちづくりの非常にいいモデルケースができたんじゃないかなと思っています。
 今は、ビジョン推進会議を母体としたNPO法人を設立して、自治会のホームページの運営や、保津川すいたん農園プランとかを作り出して動いています。

稲継   保津川すいたん農園プラン?

画像:保津町水端農園プラン
保津町水端農園プラン

田中   はい。

稲継   これは何ですか?

田中   先ほど、保津川を挟んだ向かいのJR亀岡駅北側の区画整備事業の話をしましたが、この一帯の農地は地元の農地組合法人が花畑にしていたのです。春は菜の花、夏はひまわり、秋はコスモスが一帯に咲いて観光客も訪れる非常に素晴らしい景観ゾーンでした。しかし、区画整備事業によって花畑が継続できなくなってしまうということで、それを保津町内で再現しようということがきっかけです。町の目の前の保津川下りには年間30万人の観光客が来ている。30万人すべてとはいかないが、この花畑へ足を運んでもらって、お金も落としていただいて、雇用とか町の経済が活性化していくようなスポットをつくっていこうということで、水端(すいたん)というのは水際とか、そういう部分のことなのです。このプランは町独自のプランです。本来、行政が仕掛けてここまで仕上げるのは莫大な時間と経費がかかると思いますが、これは任意の団体、町としてのプランニングでやっていますから、いわば新しい公共のモデル事業になっていると思います。自らのまちづくりを自らが色んな人々の協力を得て進めていく。どうしても不足する部分を行政や企業に支援を求めていく仕組みが動きだしています。だけど、まあここまでできるのに10年掛かりますね。

稲継   そうですか。気の長いというか、気を落ち着けてというか。

田中   まあ、これまでまちづくりを手掛けてきて、今思いますが組織の立ち上げから、住民アンケート、そしてプランニングとプロジェクト実施まで10年かかりましたが、急がず10年かけて良かったと思いますね。

稲継   いわゆる、昔の自治会単位ですよね。自治会単位でここまで市に対して総合計画の提案をしたりとか、あるいは自治会の中の用途地域の規制みたいな、自主規制というんですかね、そういうことを考えたりとか、何かすごく新しい形の自治会、何と言うんですかね、こういうのは?

田中   本来の自治のありかたじゃないでしょうか。

稲継   まさに一つの村役場みたいな、そういう新しい行政主体がそこに誕生しているような、そういうイメージを何か持ちますね。

田中   個々に見ますと、この中ではいろいろな面白い事業が展開しています。

稲継   どんなやつですか?

田中   ここにはちょっと写真がないのですが、水車を復活させました。もともと、この町には10基の水車が町内を流れる川沿いにあり、米をついたり、粉を引いたりと水車の町ともいわれていたことから、保津町のシンボルとして平成の時代の水車を造ろうということになりました。30㎏のお米をふむのに約40時間かかりますが、水車米の味は格別です。一部販売も開始しています。
 もう一つは、これは6次産業化っぽい分ですが、地域の柚子や小麦を使ったジャムやクッキーや地サイダー等の販売を実際に開始しています。また、町内の社寺仏閣や地名や小字、神話の地とかあるところの160ヶ所ぐらいに看板を建てているんですよ。看板には携帯のQRコードで簡単な説明情報が入手できるようになっています。一例ですが、その中に、急こう配の竹藪を抜ける、昔ながらの非常に細い坂道があります。この坂道の入り口に「甲斐性坂」という看板が立ててあります。というのは、なぜこういう名前が付いたかというのはQRコードで簡単な説明は携帯で見られます。昔は、この急な坂道を、米俵を肩に担いて家にまで上がれた人は、「ああ、やっと一人前の男になった。甲斐がついた。」ということで甲斐性坂とよばれているのです。これらの看板に多くの説明書きをしないのには訳があります。子ども達がこの看板を見て、家で「お父ちゃん、あそこに甲斐性坂って書いてあった。」ルビを打っていますから。「あれ、何なん?」と聞いたときに、まあ、おそらく若い世代の親には分かりません。「おじいさんに聞いてみぃ。」と、そこでお爺さんがそのいわれを孫に伝える。そこで家庭内の3世代の交流が生まれて、家族の絆ができるという仕掛けです。160か所のいわれを今は本にしています。その本は、毎年地元の小学生が卒業していくときに、自治会からの贈呈品として贈呈しています。

稲継   子どもたちが地元に愛着を持ってくれるのは非常に大きなことですね。

田中   そうです。三つのコースを作って、160箇所を地元の郷土史家や教員OBの方々が、小学校の総合学習で子どもを連れてめぐって、いわれとかを全部ティーチングされています。また近年市内外から集団でハイキングに訪れることが増えています。その方たちも看板を見て、自治会の方に「この本を売っていただけませんか」との問い合わせをいただいています。なかなか住民発想のまちづくりは面白いです。

稲継   面白いですね。

田中   何が面白いかというと、スピード感と意思決定の早さなんですね。

稲継   やっぱり役所とは違いますか?

田中   全然違いますね。ごく最近、長野県にセーフコミュニティの仕事で行かせていただくことがあって、とある町の町長さんが元企業役員の方なんですね。

稲継   小布施町ですか?

田中   小布施じゃなくて、僕が言っているのは、箕輪町です。もともとエプソンの役員をされていたと伺っています。夜に一緒食事をさせていただいた時に、その経歴を知っていましたから、「行政に来られてギャップなかったですか?」って言ったら、「意思決定の遅さには...」っておっしゃっていました。「企業では考えられない」ということです。そういうのは一気に塗り替えられないですけどね。やはりそうなのかなと思ったときに、セーフコミュニティの例も含めて、地域の安全、安心ではなくて、いろいろなまちづくり全体をそこで議論するまちづくりのツールとして考えて私は使っていますので、そういった地域が意思を持って取り組み出すと、非常に意思決定の早い、自分たち独自のまちづくりが可能になってくるかなと思いますね。

稲継   この自治会というか、保津町でクールベジタブルだとか、あるいはカーボンマイナスプロジェクトとか。

田中   実は、保津川すいたん農園プランも、カーボンマイナスプロジェクトと連動させています。この体験農園はすべて炭を土壌改良剤として活用した農法を行っています。このプロジェクトは、2008年にスタートしました。これは、今、立命館大学と京都学園大学と龍谷大学と亀岡市と4者で協定を結んで進めている新しいプロジェクトなのです。
 基本的には、カーボンマイナスですから、炭素を減らすプロジェクトっていう意味なのですが、地域の未利用バイオマス、間伐材でもいいのですが、特に放置竹林が地域に悪影響を及ぼしています。里地にも浸食して、そこに有害鳥獣が住み着いて農作物を荒らしたり、電波障害を起こしたり、厄介者になってきています。その放置竹林を伐採して、竹を燃やすのではなく炭にすることで、炭素固定します。その炭を土地改良剤として農地に使っていくということです。基本的な考え方は、石油とかガスとか化石燃料を掘り出して燃料利用して、二酸化炭素を発生させることがカーボンプラスですね。それを燃焼させたCO2が大気中に回っていて、植物が光合成を通じて、炭素を蓄えて酸素を出す。これはカーボンニュートラルという話です。
 今、政府では、化石燃料を掘り出す量を過去の量から目標年次を定めて25%減らそうということを言われていますが、しかし、逆に考えると75%掘り続けるよ、ということなのです。だから、掘り出す量を減らしても大気中のCO2は減らないという理論です。モデルフォレスト活動で、山に木を植えようという活動も起きていますけど、木は1億年も生きません。40~50年でしょう。仮にそのまま放置して倒れる、腐り、酸素と結びついて燃焼しますから、幹にたまっている炭素は全部はき出してしまう。だから、一向に減らない。根本的に減らすのは、バイオマスの時点で炭素という形で凝縮させて、それを農地の土壌改良として埋設しようっていうことです。掘り出した分を炭というものに替えて地中に戻していこうというのがこのカーボンマイナスという理論なのですよ。
 実際にこれはいろんな研究もされていますが、COPの中では炭を埋めたからCO2がオフィシャルに減りましたよ、というところまではいってないのです。亀岡での取り組みを学術的な見地から成果を出す中で、COPの議題に挙げていただくような取り組みに変えていこうと思っています。また、炭を活用した農地で育てられた野菜等の作物を、環境にやさしい野菜としてブランド化していく。それで、これを地産地消で、市内で優良な安全な野菜の提供することと、その野菜を学校給食に取り入れて、環境教育と食育教育の教材を開発したりしながら、その地域内にも広めていっているという、一つの大きな農村活性化の社会システムなのです。排出権取引制度の活用も視野に入れています。炭は重さが量れますから、土中隔離した分量を、確実にCO2換算しやすいわけです。だから、その分を都市部における企業などに提供し、資金を都市部から農村部へ還流させようと思います。こういった社会の仕組みをうまくつなぐことで、高齢化で疲弊化しつつある農山村の活性化をしていこうというプロジェクトです。
 企業数社には、CSRの観点で、出荷野菜に広告として社名を入れていただき、プロジェクトへの賛同を得ています。市内のスーパーでは、特設コーナーを設けていただき、実際に今20名の専属農家が一定のルールに基づいた炭素埋設農法で作物をつくって販売をしています。非常に好評でして、先日2店舗目に出店しています。
 これも一般陳列商品より高く売れるのが理想ですが、同じ値段だったら絶対に買います、ということで買っていただいて、ほとんど今、毎日売り切れの状態です。単に炭素を農地に埋めてCO2削減をするだけではなく、一つのミッションを共有しながら、農業者や、行政、大学、企業がマルチパートナーとして関わる社会のシステムがこれからの時代には必要だと思います。
 私たちの取り組みが、「低炭素杯2013」で環境大臣賞(地域活動部門金賞)をいただいたところです。

稲継   これは保津の取り組みではなくて、亀岡市の取り組みですね。

田中   そうです。たまたま実験段階で広大な農地が必要だったので、保津の農事組合法人とお話をさせていただいて、4haの農地を提供いただき、炭を埋設した農地の土壌の分析や、連作障害調査などの実証実験を行ってきました。今も実験は継続していますが、数年間実験をしていきた結果、炭の有効性と作物検査によって大丈夫だということで、実際にその農法で作っていただける専業農家、若い人を含めて市内全域で作っていただく組織として亀岡クルベジ育成会を結成し、育成会がスーパーと直接契約をして、商品を販売しています。

稲継   市役所の職員でありながら、どう見ていてもいろんなところに登場しておられるので、非常に驚かされます。非常に活発に本業のみでなく、地元の自治会といいますか、保津の取り組みとかいろんなことをやってこられて、非常に積極的に地域へ飛び出しておられる公務員だと思います。
 自治体の職員の多くの方がこのメルマガをご覧いただいています。自治体の職員の中には、私も何か一皮むけて何とか飛び出したいとか、あるいは地域貢献をしたいと思っておられる方もたくさんおられるんですが、その一歩を踏み出せないでいる人もおられます。その方々に何か最後メッセージなどありましたら、お願いしたいと思います。

画像:田中秀門氏
田中秀門氏

田中   そうですね、よくそういったことも聞かれますが、一つは自分の住んでいるまちに愛着をいかに持てるか、ということが私は非常に大事だと思いますね。だから、その愛着を持てる町を公務員として、一住民として二つの立場から、どういう形で社会貢献をすべきかということを問いかけた時に、自分に何ができるかということになろうかと思います。だから、最初は自分の得意な分野でもいい。スポーツが得意であれば、その地域の少年スポーツ活動にかかわっていくとか、建物の中から出ていって、現場の声を聞いて、それに合ったような形で自分ができる社会貢献活動をしていくっていうのも私は一つのスタートかなと思います。だから、私もあちこちと今も出て行ったりしていますが、やはり議論することによって、そこで悩みとか思いとかが分かって、一緒にお話しする中で信頼関係ができていく。やはり信頼関係を作るか作れないかで、やがて自らの仕事を動かすときに、非常にスムーズに動かせるケースがあると思います。ただ、失敗といいますか、トラブル的なものは発生するかもしれません。けれども、それは逃げずに、自分の思いを持っていれば、それは住民にも伝わると思いますので、そういったことを乗り越えることによって、非常にやりがいというものが生まれてくるのではないかなと思います。
 だから、今、行政改革とか地方分権とかいろんなことを言われて、意識改革っていうのは非常にどこの役所でも行革のプランにもみんな書いてあるわけです。でも、行動改革がなぜ抜けているのかと。

稲継   行動改革。

田中   意識を変えるだけでは何も変われないし、変えられないと思います。気づきをどう行動に移すかっていうことがなければ、やはり外に出て行くこともできないということ。そこは勇気かなと思いますね。だから、こういったメルマガとか、いろいろなNPOとか、私は3つのNPO活動に関わっていますが、そういうところに足を運んで、いろいろな情報を聞いたり、その中で自分が関わりやすい、得意な分野を選んで出ていって現場を学ぶということが、一番大事かなと思います。

稲継   今日は亀岡市の田中さんにお話をお伺いしました。どうもありがとうございました。

田中   ありがとうございます。


 市役所内だけでなく、様々な人たちと異業種交流などを通じてつくっていったネットワーク。セーフコミュニティ認証成功の背景には、その人脈も大いに役立ったに違いない。
 仕事に打ち込むだけではなく、住んでいる地元の活動にも積極的に従事しておられる田中さん。ふるさと保津ナビゲーションの報告書を作成し、地元をどうするかというアンケート調査を(業務ではなく、私的時間を利用して)実施し、保津町水端農園プランを作成するといった地元密着型の計画を、一地元民の立場から作成し、実行してきている。水車の復活、QRコードによる地元情報の提供、カーボンマイナスプロジェクトの推進、など、次々に一町内会がやったとは思えないほどの事業が目白押しである。
 田中さんの最後の言葉、意識改革だけでなく、行動改革が伴わないといけない、というのは、田中さんだから断言できることだろう。多くの一般の自治体職員は、行動改革まではたどり着けないことも多い。しかし、今、分権時代に求められているのは、「考え、調査し、行動する職員」である。田中さんの取り組みに共感できる人が多く出てくることを期待する。