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第101回2013.08.28

インタビュー:亀岡市政策推進室 安全安心まちづくり課長 田中秀門さん(上)

「セーフ コミュニティ」とは、「すでに完全に安全な状態である」コミュニティではなく、「体系だった方法によって安全の向上に取り組んでいる」コミュニティを指す。
 安全安心なまちづくりというのは、どの自治体でも政策体系の上位に位置づけられてはいるものの、ただ漠然と「安全なまち」という目標を目指しているところも少なくない。セーフ コミュニティ活動が他の傷害予防のためのプログラムと異なる点は、コミュニティが主体となってプログラムを推進するという点である。また、事故や傷害を予防するためには、まず何が問題であるのかを明らかにし、その対策を講じ、その対策によって得られた成果を評価することが必要とされている点である。
 2008年日本で初めて国際認証を取得し、2013年に再認証取得を受けた、亀岡市の田中さんにお話をお尋ねする。


稲継   今日は京都府亀岡市におじゃまして田中秀門さんにお話をお伺いします。どうぞよろしくお願いします。

田中   よろしくお願いします。

稲継   最近、亀岡市で大きなイベントがありました。これはどういうものでしょうか?

画像:田中秀門氏
田中秀門氏

田中   WHO(世界保健機関)が推奨する、セーフコミュニティの再認証取得に合わせたKAMEOKA安全安心まちづくりフェスタ2013です。セーフコミュニティは、WHO(世界保健機関)が推奨する世界基準での安全安心なまちづくりというもので、ちょうど5年前(2008年3月)に亀岡市が国内で初めて国際認証を取得しました。この取り組みは5年ごとにチェックが入るわけです。この5年間で指標に基づいた取り組みができていたかを確認するために海外から審査員が来るわけですね。その審査が去年の10月にありまして、去年の11月に再認証は OK ですというご連絡をいただきました。その認証のセレモニーと市民参加のイベントを2月23日の土曜日に開催をさせていただいたところです。

稲継   そもそもセーフコミュニティとはどういうものでしょうか?

田中   セーフコミュニティは、もともとはスウェーデンが発祥地です。スウェーデンのファルショッピングという小さな町で、けがや事故が頻繁に起こった。その町の行政を含めて住民の方々たちが「原因は何だろう?」ということで、いろんなデータを調査・分析されてトレンドを見つけ出し、その解決のプログラムも住民参加型で実施された。そうすると、例えば、具体的な例としては子どもの自転車のけが、頭部を打っているけがが多い。それは何故だろう? 頭部を打っているデータが出てくると、ヘルメットをその町として義務化させよう、という市民ぐるみの活動をして、けがが30%ぐらい減少したとのことです。そういった活動にWHOが目を付けられた。
 WHOというと、人間の健康(ヘルスプロモーション)を基本的人権とした、国連の専門機関ですが、ヘルスプロモーションには外傷予防が大きなかかわりを持っている。そういう取り組みを事例にして、できるだけ防げるものは未然に防ぐということについて、市民協働という形の中で取り組むことによって、健康管理もプラス方向に動いていく。この取り組みを世界に広めていこうという取り組みが、セーフティプロモーションであり、それに取り組む自治体等をセーフコミュニティといいます。

稲継   なるほど日本ではあまり知られていなかったのを、亀岡市が先陣を切って取り組まれたのですね。それは何かきっかけがあったのですか?

田中   これは京都府からの働きかけが始まりです。私たちも最初に聞いたときには、何が何か分からなかったという状況でした。なぜ日本にこのセーフコミュニティという取り組みが入って来たのかというと、実は阪神・淡路大震災がきっかけです。
 阪神・淡路大震災では、6,500名ぐらいの方がお亡くなりになっています。今回の東日本大震災の時は津波で流されてお亡くなりになったケースが多いのですが、阪神・淡路大震災の場合の多くは圧死が原因でした。家屋が崩壊してつぶれて亡くなった。そして、ご遺体を司法医の方が検死をしなければならない、という作業の中で、当然、兵庫県下の医師のみでは足りないということで、京都や近辺から司法医さんが応援に駆けつけられました。そのうちの1人に京都府立医科大学の司法医がいらっしゃって、昼夜遺体の検死作業をされる中で、このご遺体は事前にもう少し何かをしていれば助かっていただろうな、という事例も見られて、何かこれを政策的に行っているところはないだろうか、ということでセーフコミュニティという取り組みを見つけられて、その本部のあるスウェーデンのカロリンスカ医科大学へ取り組みを学びに行かれた。そして、京都に戻られて、当初、京都府立医科大と京都府と立命館大学で研究会が立ち上がったということです。
 この取り組みが、実際の日本社会の仕組みに合うのだろうか、しかし、取り組み自体は素晴らしいものなので、京都でこの認証を目指す場合に、今、どれくらいのレベルにあるんだろうかということを確認するために、スウェーデンから審査員を招聘して京都の現状をテスト的に見てもらおうということになり、「亀岡市でその対応をお願いできないか」との依頼が京都府からありました。現市長就任以来、「安全安心」は市政の柱にしていましたので、自治会での活動や、ヒヤリハットマップ活動や登下校の子どもの見守り活動を行ったりしていましたので、「いいですよ。一度見ていただこう」ということで2日間来られました。その結果、「日本の安全対策はかなり進んでいますね。もう少しこの仕組みを上手くすれば認証に値しますよ」という講評をいただきました。「じゃあ、これを実際に取り組んでいこう」ということで、府と市と当初からの立命館大、京都府立医科大が連携して、この亀岡で国内初の認証を目指していこうということでスタートしたという経過があるのです。

稲継   具体的にどういう取り組みをしているということになるんですか?

田中   認証取得の場合は、最小申請範囲といいますか、対象は自治体単位、市町村や府となっています。まず、子どもから高齢者まですべての世代における事故、けが、それとかDV、 自殺、そういったあらゆる外傷やけがの原因を科学的な視点で調べ、その対策を行政や住民また企業、大学などが知恵を出し合って、それを未然に防いでいこうという取り組みなんです。そのためには、今、このまちがどういう現状にあるかを調べなければならないということで、警察署の事故や自殺者のデータや、消防署の救急車の搬送データ、一番苦労したのは、病院や、開業医さんへ受診に来られた方が、何故、どういった原因でけがをしたのかというデータ収集を1年間行ったことですね。
 どの世代でどの時間にどういうけがや事故が多いか、ということを全部データベース化していって、その原因を追究して、「じゃあ、これはどういうふうに解決していけるだろう」ということを市民の人たちと議論しあって、できる範囲のプログラムを作って実行していくことから始めました。

稲継   どういうプログラムを作っていかれたんですか?

田中   まずは、まだ日本では行われていないセーフコミュニティを市民に理解いただくために、概要説明とあわせて、体感治安や事故や怪我の経歴を調査するための市内全世帯アンケートを実施し、モデル地域を指定して取り組みを始めました。亀岡の市域も広いですから、全ての地域を対象とすることは不可能だということになりました。亀岡は23の自治会で形成されているのですが、篠町という一番大きな自治会をモデルとして、その取り組みの結果を出して、他の自治会全域に広げていこうという手法を取りました。
 まずは、やはり行政主導で進めると、市民協働の趣旨が失われ、住民にやらされ感が出たり、持続性に対する不安も感じましたので、住民の方々を中心にして、住民発想での安全安心まちづくりプランを作ろうということで、最初は事故や怪我のデータを示しながらワークショップを開催しました。何度も夜にワークショップを開催し、事故や怪我予防策のみでなく、色んな地域の課題も住民の方々に出していただきながら、その町が目指すまちづくり目標を設定していただき、現状と目標の空間をどう埋めていくかを提案していただく。その実行に当たって、行政の役割、住民の役割、また、いろいろな研究機関、大学とかのそれぞれの役割をその時点で役割分担して進めました。
 具体的事例では、立命館大学のゼミが、高齢化社会の対策をテーマに、篠町でフィールドワークを行い、自治会役員に施策提案を行いました。その内容は、篠町における高齢者見守り活動を行ってはどうかという提案です。篠町は昭和50年代から宅地開発によって大きく人口が増加した町ですが、当時に転入された団地世帯は第2世代が独立し、高齢化が進み、あと10年すると独居老人世帯も増加する。学生たちは子どもの見守り活動のように、今後、高齢者の見守りをすることがいいという提案をしました。その時に自治会の人たちも、「それはそやな」ということで、じゃあ、その仕組みを作っていこうか、ということでまたそのシステムづくりのワークショップを始めていきました。
 もともと篠町は、独自の高齢者の見守りのプログラムを持っていました。それに声かけ運動を合わせました。自治会組織には隣組という一番小さなコミュニティがあります。当然、隣組ですから、隣三軒両隣の精神を継続させていこうということで、行政からの配布物を渡すとき、独居老人世帯と65歳以上の高齢者夫婦世帯には、ポスト投函ではなくて手渡しで渡していくことにしよう。そこで、例えば、「足が痛くて買い物にも行きづらくて困っている」とか何か悩みがあれば、自治会につなぐ。そして、自治会が社会福祉協議会につないだりして、専門的なサービスを提供するということで、そういった日常的にさりげなく見守れる環境、仕組みをつくり出しました。
 また、町内会で老人クラブのサークルとかありますよね。そういういろいろなサークルのところにも出かけていって、「最近、あの人の顔を見ないよね」ということがあれば、そこでまたそういう情報を基にして見守る。いくつもの監視の輪をかけたオリジナルの見守りプログラムを作りました。
 それで、最初は民生委員さんに当然了解を得なければならないということで、説明会を開催しましたが、バッシングを受けました。民生委員さんは、自分の担当の方々を回られるわけですが、民生委員さんが行かれて、インターフォンを押しても面会してもらえないということもあるのですが、「私たちは国から委嘱を受けて研修も受けて活動しているのに、素人ではできない」という意見もありました。「それは、決してそういうことじゃなくて、皆さんも高齢化が進むにつれ、活動が増加するから、地域も一緒になって皆さんの活動をできる範囲でサポートしていくんだ、ということで考えている」ということで、最終的に「分かった、分かった」となり、そこで信頼関係ができて、「じゃあ、やっていこう」となりました。今はその見守り活動の仕組みが全自治会に広がっています。
 だから、そういった議論をして時間をかけて出来上がったプログラムっていうのは、やはり継続性がありますからね。なかなかいいかな。
 ちなみにこのプログラムは、ふれあい・助けあい・支えあいのあいの文字からとって「あいあいネットワーク」と名付けられています。

稲継   例えば、高齢者対策でいうと、「命のカプセル」とかっていうのをお聞きしたんですが、これはどんなものなんですか?

田中   命のカプセルも今、高齢者世帯にはすべて配布をしています。

稲継   どういったものですか。命のカプセルは言葉だけではよく分からないんですけれども。

画像:命のカプセル
命のカプセル

田中   実はプラスチックの円筒で、大きく「命のカプセル」って書いてあります。この取り組みは、他の自治体もたくさん実施されています。どこの家庭にも冷蔵庫が必ずあります。通院歴とか病歴とか薬の処方の情報とかをカプセルに入れて、冷蔵庫に入れておきます。冷蔵庫と家の入口のところに「命のカプセルを入れています」という表示をしておくのです。そしたら、倒れられて、そこに救急隊が行って意識のない状態の時等に、その情報が即座に分かって早く病院に搬送できるということで、この使用件数も年々上がって来ていて、非常にうまく活用されている事例ですね。

稲継   今のは高齢者に対する取り組みなんですが、例えば交通安全とかあるいは学校における安全とかでいうとどういう取り組みがあるんですか?

田中   交通安全につきましては、特にセーフコミュニティで取り組んでいるのは、やはり交通事故の場合のデータを見た時に、子どもの事故と高齢者の事故がウエイト的にかなり大きいですね。子どもの事故であれば、その中で自転車の事故が多いというのは出ていますし、そういった意味から各小学校に出向いていって、自転車の安全教室を警察署と一緒に実施したり、ヘルメット着用の啓発も行ったりしています。一方で、高齢者には、75歳以上は免許の返戻という啓発もしますが、個人の権利があるのは大変です。ほかには、高齢者の安全モデル地区的なものを自治会単位で作って、そこに警察署と一緒に自動車教習所の協力を得て、反射材を使った夜間の事故予防教室等を行っています。

稲継   学校で何か安全対策をしていますか?

田中   今、小学校でもいろんな学校の中でデータを取っています。校内地図に怪我をした場所や、危険と感じた場所にマーキングを行い児童と教職員が一緒になってのヒヤリマップを作ったりしています。
 また、公立の8保育所では、園内のけがとか擦り傷も含めて、保育所が全部データを取って、どこでどういうけがが発生しやすくて、その重傷度が高いのかというデータを2年ぐらい取っています。当然園児は1日のうち保育所で過ごす時間が長いですから、保育所でけがをする割合が高いのは当然ですが、その中でも遊具での怪我も多く、特にうんていからの落下での怪我が多く、骨折という重傷事例もあることから、全8保育所のうんてい遊具の現状と欧米の遊具の現状を対比させてみたのです。そうするとスウエーデンやドイツでは、下にウッドチップやクッションが敷き詰められており、遊具の安全対策が全然違っていることがわかりました。実際に、高さも保育所によってバラバラで、高さもある程度影響があったので、急遽クッションマットを全部その下に敷き詰めて、高さを全部ある程度低くしました。以後うんていでのけがはなくなってきた、ということです。
 ただ、それは結果論ですが、先日も数名の保育士さんと議論する中で、日常のデータっていうものが、自分たちの保育所の安全管理においてものすごく重要だということが分かったし、意識もやっぱり変わって来た、ということをお伺いしたときに、本当にこれは良かったなと思いました。

稲継   安全安心ということで言うと、けがとか病気予防が重要かと思うんですが、さらには、例えば自殺者が最近多いっていうことなんですが、そういうことに対する何か取り組みもやっておられますか?

田中   自殺に対する取り組みも行っています。自殺者数は、最近の中で今年初めて3万人を下回ったという状況ですが、亀岡市の自殺者数は人口10万人当たりのデータから言うと若干全国平均より低いかどうかというところです。だけど、過去のデータを見ていると、平成19年に一時27人がピークでしたが、今までは約20人前後という状況です。しかし、これは氷山の一角ですよね。以前は自殺者数のデータの取り方が警察署管内データだったのです。だから、他府県から亀岡に来られて亡くなられる方もここのカウントになります。そのかわりに亀岡の方が他府県で亡くなられた場合は他府県のカウントになります。それが一昨年ぐらいに市町村単位の数に変わって来ていますので、データの取り方も変わって来たのですが、それでも約20人近くの方が亡くなっているということです。
 その原因をまた追究すると、金銭問題、経済問題が要因となっていますが、最終的には鬱からの自殺というケースが非常に多いということです。自殺の対策というのは非常に難しくて、これから本当に力を入れなければならないと思います。今、私たちが行っているのは、早く気づいて早く専門的なところにつなぐ環境をどうつくるかというところですね。当然、我々の市役所もそうですが、事業所でのメンタルヘルスの状況はどうなっているのか、という調査もあります。亀岡の場合は、中小企業は小さな事業所が多いので、4年前に京都文教大学の産業メンタルヘルス研究所と一緒に事業所の調査をしました。その中で、事業主は必要性を十分に分かっているが、どうしたらいいのか分からない、というお悩みを持っておられるという現状がわかりました。そういったことから市として相談員を去年から専属で1人採用して相談窓口を設けています。特にゲートキーパー養成講座も力をいれています。

稲継   ゲートキーパー。

田中   いかに早く異変に気づき、それをどう医師や専門機関に伝えられる人材の養成研修として、市職員や地域の社会福祉協議会等に出て行ってゲートキーパーの養成に取り組んでいます。まだまだこれからですがね。
 先ほども話しましたが、基礎調査として行った全世帯、3万数千世帯のアンケート調査を行いました。その中で特に成人男性に「あなたは健康だと思いますか」という質問をしました。それが、曲線で言ったらちょうど30代後半から40代、50代中盤までが非常に下がるのです。「健康とは思わない」と。それが60歳になったら急に健康だという人が増え、それから曲線でずっと上向きました。この曲線が、実は自殺者数のクロス集計の傾向と同じ曲線だったのです。おそらく社会のストレスとかいろいろな金銭問題があるのがその時期ですね。60歳という節目は、定年を迎えてストレスから解放されることと、第二の人生に向けた期待感の表れだと分析しています。セーフコミュニティは、データを元にした根拠・エビデンスを重視することが非常に大きなポイントになっています。そういったことをいかに科学的に皆さんに説明できるかっていうことが非常にセーフコミュニティの素晴らしいところだと思いますね。

稲継   なるほど。ありがとうございます。その最初の認証を受けた時に田中さんはその仕事を担当しておられたんですよね。

田中   はい。そうなんです。

稲継   今までずっとこのセーフコミュニティの仕事をやってこらえたわけではなくて、途中で異動しておられますよね。

田中   そうですね。最初セーフコミュニティに取り組んでいて、その後2年間市民協働課にいて、今、安全安心まちづくり課で、またセーフコミュニティを担当しています。

稲継   市民協働の部署ではどういうお仕事をされたんですか?

田中   市民協働課では、NPOやまちづくり活動団体のサポートセンターの開設や、生涯学習推進計画と市民協働推進計画の策定が主な業務でした。亀岡市は昭和63年に「生涯学習都市」を宣言しています。一生人間は学習だと。だから、行政もそうだけど市民の方々も一緒に学びながらまちづくりをしていきましょうね、というのが概念です。「カレリアかめおか」というかなり大きな生涯学習施設がありますが、当時から、公開講座や研修の機会などの生涯学習機会を、他の自治体に比べてもかなり強く推進してきた経過があります。私はその当時生涯学習を担当していました。現在は、生涯学習が市民協働という課に名称変更しています。生涯学習と市民協働の両方に行っています。私は、生涯学習を強く進めてきたことがバックボーンとなって、今回のセーフコミュニティの取り組みも進めやすかったと思いますね。住民の方々もそういう学習というか、まちづくりに関する関心度というのは、やはりある程度浸透はしていて、地域に入っていっても行政という壁がなく、対等な立場で入っていけるというのは、やはり亀岡市が生涯学習を進めて来た延長線上の成果かなというふうには思いますね。

稲継   セーフコミュニティを立ち上げてから今のお話を伺いしたんですが、そもそも田中さん、入庁されて最初に配属されたのはどういう職場でしょうか?

田中   最初の配属は、課税課の固定資産税係で4年間土地と家屋の評価と課税業務を担当しました。それから京都国体があって亀岡市の開催種目の運営を担当をしていました。

稲継   固定資産税係におられて、何か思い出に残っているようなことってありますか?

田中   固定資産税係の思い出ですか?

稲継   特にないですか? もともと公務員になろうと思ってなられたわけでもないんですか?

田中   そこも微妙ですね。私は就活というのはしてないんですよ。もともと大学のときにレストランでアルバイトを長くしていて、どちらかというと飲食店関係の経営者になりたいという思いを持っていたのは確かです。ところが、これは個人事なんですけれども、父親は京都市内で着物の金箔職人をしていました。

稲継   金箔職人。

田中   金箔や銀箔を使って着物の菊模様や波模様に最後に装飾をする職人です。日本人の着物離れが響き、京都の西陣も大きな打撃を受けました。その当時、仕事が減って父が悩んでいたことを今も覚えていますね。だから父親としたら私に安定職を求めていましたね。家計は母親も支えてましたから、当然母親もそれを求めて、そういう勧めもあって受けるだけ受けようかと。ただ、企業への就活は正直言って行っていませんから、集中して公務員試験の勉強ができたというのが、今私が行政職員でいることですね。しかし最後までどちらかを選ぼうと考えていましたね。

稲継   じゃあ、どちらかというと安定を求めて公務員に入ったという......。

田中   そこのレストランの経営者が、熱心な社員教育をおこなっておられました。お客さんへの感謝とか、そういう気持ちをどう持つかとか、そういった道徳教育を我々アルバイトにもされていました。少し前に亡くなられたところですけれども。私がそのレストランでアルバイトをしているときに、宴会があるじゃないですか。宴会でいつも遅くて、閉店の時間が過ぎても宴会が続くのが意外に公務員か教職員の方が多かったですね。単純ですが、公務員にはなりたくないと思っていました(笑)。

稲継   なるほど。

田中   それで、よくよく考えると、顧客ということを考えたときに、公務員になった場合、「住民って顧客と考えられるな」という思いが持てたんですね。だから小さなエリアの中で、飲食だけのサービスをして人に幸せを感じていただくより、他にももっと幅広いサービスができるかもしれないということが、いろんな本を読んでいて感じだしていた時期ですね。合格したときは亀岡市役所で頑張ろうと決意しました。

稲継   で、最初が固定資産税係。

田中   税がどういうふうに課税されていくかというプロセスが分かるので、固定資産税は土地と家屋などの建物、償却資産もありますけれども、それまで気にもしなかった建築資材の知識や、土地の評価基準であったり、普段見ることのできない、個人の所有物件を見て、建築に至った経過を伺ったり、不動産情報等そういった意味で非常にいい勉強をさせていただきました。

稲継   その後は、国体。これはまさにイベントですよね。そこでどういう仕事を担当しておられましたか?

田中   国体では当時、私は主には輸送交通というもので、他府県から多くの選手が来られますよね。その選手・役員や観戦者の輸送のプログラムや、交通安全と駐車場の運営プログラムを担当しました。競技をいかにスムーズに運営するかは、輸送交通にかかっていると言われ、プレッシャーはありましたね。警察署との毎日のような折衝でした。だから、勤務時間の半分ぐらい警察署の交通課に通っていましたね。もともと私は体育会系の人間なんで、ずっとバレーボールをやってレフリー生活も長かったので、国体はラグビーとバスケットボールが協議種目でしたが、ある程度体育協会の関係で顔見知りの先生方もたくさんいてくださって、いろんな面で助けていただきました。

稲継   国体が実施されるまではおられた?

画像:亀岡市役所
亀岡市役所

田中   国体の大会が一応終わるまでいて。

稲継   その次はどういう?

田中   その次から下水道課という。

稲継   下水道課。全然、また、畑違いですね。

田中   そうですね。国体終わってすぐに年度途中異動です。

稲継   年度途中異動?

田中   12月だったと思います。

稲継   そこではどういう仕事の担当をされたんですか?

田中   下水道整備をしていくときに、亀岡の場合は、面積1㎡でいくらという整備の一部個人負担金を徴収しています。受益者負担金というのですが、主には受益者負担金の賦課というか、賦課作業と徴収作業と。後は決算と完全に予算管理系の仕事をしました。
 まあ、そこで勉強になったのは、一般会計じゃなくて企業会計システムを採っていますので、貸借対照表とか企業会計の仕組みっていうのが学べたのは、非常に僕にとっては良かったですね。だから、大きな役所全体の管理をする財政課という部門がありますけれども、そういう小さな範囲で大体のお金の流れとか、予算の仕組みとかを全部勉強できますから、非常に良い経験をさせていただきました。

稲継   下水道課にはどれくらいの期間いらっしゃったのですか?

田中   3年8ヶ月です。 

稲継   次は?

田中   次は企画課というところにいきました。企画課というのは総合計画とか、組織機構とか、亀岡市全体の調整ごとをするセクションですよね。そこで、最初やはり感じたのが、当時はまだインターネットとかないじゃないですか。 

稲継   それは何年のころですか?

田中   平成5年。 

稲継   平成5年。ああ、まだですね。

田中   情報を入手する手段は新聞やテレビ、電話やFAX、書物を読むとか。京都府の動きとかも全く分からないという中で、それぞれがあまり情報のない環境でした。今もそうかもしれませんが、行政の縦型社会が残っていた時代かなと私は思っていましたね。企画課で印象深いのは、周年事業のイベントを担当することになって、いろんな住民の方の参画をお願いする中で、市民の皆さんと一緒に仕事をしていく重要性を痛切に感じました。いい勉強をさせていただきました。当時は市民協働という言葉はなかったですね。
 その後、イベントの仕事でお世話になった京都府職員の方たちから、企業発想を持った自治体経営を一緒に勉強しようと誘われて、異業種間交流の場に参加させていただくことになりました。


 セーフコミュニティ国際認証を取得した亀岡市の立役者は、安定を求めて公務員を選んだという。ただ、入庁前から、住民が顧客であるという視点は持っていた。そして企画課で、市民と一緒に仕事をしていく重要性をさらに痛切に感じることとなる。その後、田中さん自身、市民とのネットワークを広げ、また、自ら地域活動に入り込んでいくこととなる。