メールマガジン
分権時代の自治体職員
第100回2013.07.24
インタビュー:八尾市経済環境部環境保全課 課長補佐 岡本 由美子さん(下)
八尾市の岡本さんの後半部分である。
業務経験ゼロでシステムの開発や運用をすることに悩んでいたときに、上司から、「こういう仕事があるんだけど、誰かやらないか?」と言われ、「私がやります」と手を挙げて、オフィスソフトやウインドウズOSの研修に行き、その後、1人で庁内講師をすることになった岡本さん。
稲継 庁内講師をずっとやっていたんですね。
岡本 そうですね。自分が勉強してきたものを皆さんに伝達する担当をしたのに加え、その時にホームページを作る市町村がぼちぼち出てきた頃で、八尾市もできるだけ早いうちに市のホームページを立ち上げることになり、そのページを作る担当もさせていただきました。各課の担当者にやり方を伝えたり、一緒にページを作ったり。
稲継 外注ではなくて自分で作る?
岡本 外注ではなかったですね。
稲継 自分たちで作ったんですか?
岡本 全部自前で、作り方だけ皆さんに教えて。
稲継 市販のソフトで?
岡本 そうです、そうです。
稲継 自前で作ったわけですか?
岡本 そうです、ホームページを作る市販のソフトを利用してコンテンツはすべて手作りでした。
稲継 ホームページビルダーだとか?
岡本 ビルダーみたいな感じのホームページ作成ソフトで、各課でそれぞれ作ってもらいましたね。
稲継 市役所のホームページで、それはすごい(笑)。
岡本 ものすごい手づくりです(笑)。
稲継 (笑)
岡本 初期のものは手づくりで、10月1日の前日なんかは徹夜しました。9月半ばに結婚したのですが、新婚旅行から帰ってきた日に「出勤しろ」と呼び出されて、そのまま職場に缶詰のような状態で。
稲継 ああ、そうですか。
岡本 それぐらい苦労して立ち上げた覚えがありますね。その時、同時進行でFM局の立ち上げもやったので。
稲継 何のFM局ですか?
岡本 コミュニティFM局です。地域のFMの電波数に限りがあってあと1つぐらいしか立ち上げられないということと、八尾市の周年事業の中で新たなことをやろうというので、そのFM局の立ち上げというミッションもありまして。
稲継 それは仕事でやったわけですか?
岡本 仕事ですね。
稲継 趣味じゃなくて仕事で?
岡本 趣味じゃなくて(笑)、そうなんですよ。
稲継 仕事でやるって、情報政策課だから?
岡本 情報政策だからですね。
稲継 コミュニティFMも関係してくるんですか。
岡本 はい、そうですね。
稲継 大学を卒業して入庁したときにはコンピューターの前で泣いていた人が、2年半たったらホームページは作るわ、庁内講師はばんばんやっているわ、自分自身が相当変化していったということですね。
岡本 そうですね。今思えば、当時の人事担当の方には感謝というか。私は福祉の勉強しかしてこなかったので、システムは苦手だと思っていたものを得意なものにさせていただけたんですよね。しかも、新しいシステムが入った頃で、私以外は詳しく知っている人間は誰もいない状況で、しかも、庁内の職員に教えるという立場で。そうすると、各課からいろいろなことを聞いてくれるので、どんな仕事をしているかという各課の業務もわかりますし。
稲継 そうですね。
岡本 私を頼ってもらうことで、私のこともみんなに知っていただくことができて、自分にとってはすごくメリットがあり、とても充実した3年間だったと思います。
稲継 結果オーライでよかったですね。
榊原 結果オーライですね(笑)、はい。
稲継 その後、異動されるわけですね。どちらへ?
岡本 希望が叶って、平成10年に高齢福祉課に異動になりました。
稲継 希望して動かれた。ここではどういうお仕事を担当されましたか?
取材の様子
岡本 平成10年4月に異動したんですが、その時はまだ介護保険の制度ができていませんでしたので、当時は措置担当ということで。全てのサービスを受けていただくときは市の職員が判断をして介護サービスを受けていただいていた時代でした。その時に、特別養護老人ホームなどに入所する方の措置をする担当ということで、高齢者の面談に行かせていただいたり、その方はどこの老人ホームに入っていただくかというコーディネートみたいなことを3カ月だけやっていました。
稲継 3カ月だけというのは、どういうことですか?
岡本 平成10年の4月からやっと高齢福祉の仕事ができて自分の得意分野だと思っていたら、7月には誰かが介護保険の準備の仕事をしないといけないと。当時はすでに担当している職員もいたんですが、大きなシステムを立ち上げないといけない。介護保険というのは、システムで全ての業務を運用していく必要性があるので、どんなシステムを入れるかがすごく肝になるということもあり、「おまえ、システム得意だろう」と。7月に介護保険準備室勤務を命じられました。
稲継 なるほど。わずかの人数でこの準備室をスタートされて、いろいろとご苦労もあったと思うんですが、どうでしたか?
岡本 そうですね。福祉に来て初めてで、どんな雰囲気なのか、何をしているのかもよくわからない状態のまま、今度は新たに介護保険ということで。せっかく市民と窓口で話せる仕事ができるようになったのに、また内勤になってしまったなということもありました。取りまとめをする管理職の職員が1人と担当者2人という形で、場所もなくて(笑)。
稲継 場所がない?
岡本 執務室は、他の課の協議スペースの一部をお借りする形です。だから、自分たちの所属する高齢福祉課とは違う場所で、3人だけで、コピー機とパソコンが1台ずつあるだけでスタートしました。
稲継 それが平成10年7月ですか?
岡本 はい。
稲継 細々とスタートしたけど、翌年度には本格的にやることになって。
岡本 そうですね、はい。
稲継 平成11年に大規模になるんですね。
岡本 一気に20人以上の職員が配属になりました。その前の段階、準備室のときに、これだけたくさんの人員がいるとか、住民異動との関係で1階、2階あたりに場所がいるということで、そのときに総務課の担当者や自分の高齢福祉の所属長などにすごく苦労してもらいました。私の意見をすべて尊重してくださって。
稲継 (笑)。
岡本 「2階がいるなら場所を空けなきゃ。じゃあ、どこかの所属は外に出ないと」ということで、今私が所属している環境保全課が当時、庁外に出ることになりました。当時は、そこまでしないといけないぐらい大きな制度のスタートでした。毎日、毎晩のように「いつまでにこれをやらないといけないんです」と訴えていましたね。あとは、システムを立ち上げるための予算を補正予算であげてもらいましたが、自分が管理職の立場になって初めて、当時の所属長は大変な思いをしてくださったんやろうなと。
稲継 そうですね。
岡本 1億円以上の予算をあげて、半分も執行しなかった覚えがあります。今になれば、大変なことだなと思います。システム業者を決めるのにプロポーザルという提案方式で、当時、私の記憶では庁内でやった例はなかったんですが、どうにかいいシステムを安く導入したいということで、2日間かけていろいろな業者にプレゼンテーションをしてもらい、それを審査してもらう仕組みをつくり、業者選定しました。当時はまだまだ随意契約も多かった時代でしたが、予算よりかなり安い金額で、中身も充実しているものを選ぶことができました。そのことを当時の上司にものすごく褒めてもらえたことを今でも覚えています。
稲継 予算要求も大変だったろうし、定員確保の要求も大変だったろうし、場所の確保の要求も大変だったろうし粘り強い交渉をした結果、平成11年4月にはかなり大規模な介護保険準備室が立ち上がりました。
岡本 そうですね。
稲継 この準備室ではどういう仕事をやられることになりますか?
岡本 当時は、当然そのシステムを導入して運用開始するためにいろいろなテストを実施していました。それと、平成12年度から制度が本格的に稼働しますので、大きく措置という時代から今度は契約という形に変わります。
稲継 保険ですよね。
岡本 はい。介護保険の制度が導入されるということを、高齢者やそのご家族にわかっていただかないといけないので、とにかく説明会の毎日でした。どんな制度なのかと、いろいろな人にいろいろな機会で話をする。できるだけわかりやすいマニュアルやパンフレットを作って、民生委員、各自治会、いろんな場に持っていき説明させていただく。制度がスタートしていないので細かいところや私たちもわからないところもあるんだけど、とにかく今、制度の中で明らかになっているものを「こんなふうに変わるんですよ」と。「地域のケアマネージャーさんが計画を作らないとサービスを受けられないんですよ。この人と契約しないといけないんですよ」という説明をして回っていました。当時、課のメンバーで協力しあって100カ所以上行ったと思います。
稲継 国は法律や通達をつくれば済みますが、実際の啓発活動は現場でそれぞれの対象者に対してやらないといけないと思うんです。いくらテレビで宣伝しても、皆さんは自分のことだとはなかなか感じられない。
岡本 そうですね、はい。
稲継 それが、現場で話をすると、「じゃあ、うちのおばあちゃんはどうなるんだ?」という身近なことにつながっていくので、私は現場での説明会は非常に重要なことだと思います。ものすごく体力を使いながら苦労しながら繰り返していかれたんでしょうね。
岡本 そうですね。
稲継 介護保険の制度がスタートして、この準備室の名前が変わるんですね。
岡本 そうですね。介護保険課に変わります。
稲継 平成12年から変わられたと。
岡本 そうですね。
稲継 ここでは、どういう仕事をされることになるんでしょうか?
岡本 平成12年に介護保険制度の運用開始になりますが、最初は保険料の徴収が国の制度の中で先送りされたこともあったので、介護認定や介護給付からのスタートでした。ですから、平成11年度には前倒しで認定が立ち上がって、そのシステム運用などで関わり、平成12年度には給付が始まって実際にサービスを受けていただくので給付の担当をし、その次の年には保険料が立ち上がったので保険料を担当し、毎年立ち上げるところの業務担当の係に配属されて仕事をするという形です。
稲継 なるほど。毎年違うことをやらないといけないというのは、それなりに大変だったでしょうね。
岡本 そうですね、はい。大変ですけど、おもしろかったです。何か新しいものをつくるときには、採用年とか役職は関係ない。いかにしっかりと制度の中身を見て、いかに前向きな提案をするかということにかかっているので。
稲継 なるほど、なるほど。前例がないからね。
岡本 そうなんです。
稲継 新しくつくりあげていく仕事ですよね。それはおもしろいですよね。
岡本 はい、おもしろかったですね。様式もゼロから自分で作るんです。どこの市よりも早く作ればそれを真似してもらえたり。
稲継 スタンダードになるんですね。
岡本 そうなんです(笑)。だから、自分たちがスタンダードを作れると。システムも早めに決めたのですが、「こういうシステムで、こういうのがいいよ」となると他の市町村が同じシステムを入れることもあります。そうすると、同じシステムを入れている市町村のつながりができて。そこで、業務改善の提案を一緒に取り入れてもらうことで経費もすごく削減できますし、いろいろなノウハウが入ることでこなれたシステムになるのでメリットがありますね。
稲継 なるほどね、それは素晴らしいですね。
岡本 そういう経験がなければ、今の自分はいないと思います。とてもいい経験をさせていただきました。
稲継 介護保険課におられるときに、当初お話に出てきた大改正に取り組んでいくということにつながるんですね。
岡本 はい、はい。
稲継 経歴で言いますと、最初の話がずっと続くことになりますが。
岡本 はい。
稲継 高齢者福祉課地域包括支援センターにおられた後の話ですが、どこに異動されましたか?
岡本 地域包括支援センターには3年間いて、試験を受けて管理職になったタイミングで、平成21年度からは今の環境保全課に異動しました。
稲継 今の環境保全課では、どういうお仕事をしておられますか?
岡本 福祉がすごく長かったのでそこから一転して環境政策の仕事になるんですが、具体的には環境に関する計画を策定することや、その実践をしています。特に、地球温暖化対策に関する計画作りをしたり、市民に対する環境啓発を行ったりしています。特に、福祉から環境に行ってびっくりしたのは、市民だけではなくて事業所や、大学とか、市民団体などが幅広くつながっているということとその業務の範囲の広さですね。しかも、子どもたちに対する環境教育の部分もあれば地域の方の日常生活に関わることもあり、幅広い年齢層を対象にしている。八尾市では、いろんな分野で活躍するいろんな年齢層の方々とネットワークを組んで、一緒に環境改善をやる協議会の活動がありまして、その運営にも関わっています。配属されてすぐの年には、路上喫煙に関する条例も作りました。
稲継 そうですか。あれはけっこう大変だったでしょう?
岡本 大変でしたね(笑)。
稲継 現場で反発する人も出てきたり。
岡本 そうですね。いろいろな関係課と調整をしながら、ゼロからきちんとした条例を作ることも初めての経験でした。各市町村でモラル、マナーの部分を条例にしていくことが本当にいいのかという悩みもありましたし、市としてのルールをどこまで設定するのかということではものすごく悩みました。
稲継 規制の領域がプライベートの領域まで入っていいのかどうかということなんでしょうね。
岡本 そうですね、はい。でも、環境に来て知ったのは、ぽい捨てされたたばこを現場で拾っている方がたくさんいらっしゃるという事実です。毎日声に出さずにそういう取り組みをしている方々がたくさんいらっしゃるのにたばこのぽい捨てをする人は一向に減りません。さらに、啓発をしてもなかなか減らないところを、どのように無くしていくのか。そこで市民と一緒に取り組んでいくということに意義を見出していきました。ですので、「路上喫煙マナーの向上を市民とともに推進する条例」という名前なんです(笑)。
稲継 その名前はすごいですね(笑)。
岡本 はい、そうなんですよ。
稲継 路上喫煙防止条例ではないんですね。
岡本 防止条例ではないんですよ。市民の皆さんと一緒に地域のことを考え、一緒にマナー啓発をやっていくし、ルール作りをやっていきましょうという条例です。環境問題の解決は、市民のみなさんとフラットにつながることで実現に向かっていくものだと思っています。今は地球温暖化対策の部分がとても大きな割合を占めていて、最近はその一環として、再生可能エネルギーの普及促進に関わる部分が多いですね。
稲継 特に3.11以降のエネルギー政策で言うと、いろいろな意見が飛び交っている中で、クリーンエネルギーなどに対する市民の意識も変わりつつありますよね。
岡本 ありますね。
稲継 変わりつつあるけど、さらに啓発活動をしなければいけないとか、そういったイベントも結構やっておられるんですか?
環境フェスティバルの様子
岡本 そうですね。イベントは本当にいろいろな機会を通じて実施しています。地域の方がされるイベント、地域のお祭りや八尾河内音頭まつりでは当課で啓発ブースを出させていただくこともありますし、私たち自身が協議会を主体とし、かなり大規模な環境フェスティバルを開催したりしました。できるだけ子どもさんに知っていただく、子どもさんがいらっしゃるようなご家族に参加してもらえる機会、研修会やイベントの機会なんかをたくさんつくっています。
稲継 そうですか。ところで、岡本さんには、JIAMに出講いただいて、「学習する組織」について話をしていただいたことがあるようですが。
岡本 はい、そうですね。
稲継 これは、何について話されて、どういうきっかけで呼ばれることになったんでしょうか?
岡本 もともと当課の人材育成マネージャーをしていたときに、市瀬先生が講師をされた「ワールドカフェ」研修を受講して、とにかく声が大きくて目立っていたと思うんですけど(笑)。
稲継 (笑)。
岡本 そこで先生と「今、こんな業務をやっているんです。環境保全課はけっこうおもしろい課なんです」というお話をするきっかけがありました。うちの職員にはどんどん研修を受けてもらい、自己啓発にも取り組んでもらっているのですが、そのような話をする中で、「そんなおもしろいことをやっているんだったら、一度事例紹介を」ということで先生が講師をされる時に私も呼んでいただいて、JIAMで八尾市の環境保全課の話をしました。小さな取り組みですが、職員同士でしっかりとコミュニケーションを取りながら新しい事業をおもしろく実行していくという事例を報告しました。
稲継 全然違う自治体の方の前でしゃべるという経験はどうでした?
岡本 そうですね。もともと私は話をさせてもらうのは好きなので、高齢福祉とか介護保険の事例もいろいろなところで発表をさせていただいたのですが、こういう組織のお話をするのは初めてのことでした。私からすると小さなことで、大きなことをやっているつもりは全くないんですが、「こんなことも、あんなこともやっています」という話をすると、「へぇ、すごく参考になります」とか、「これならうちの職場でもすぐにやれます」とものすごくいい反応をいただいたので、こんなことでいいんやなぁ(笑)と逆に教えていただきました。職場に戻ってからも「みんなのやっていることは、すごくみんなの参考になったみたい」と持って帰ることもできたので、すごくいい機会でした。
稲継 なるほど。ありがとうございます。今日は岡本さんにお話をお聞きしてきました。最後に、このメルマガはいろいろな自治体の職員が読んでおられますが、自治体の職員の皆さんに何かメッセージがありましたらお願いしたいと思います。
岡本由美子氏
岡本 そうですね。今日、お話しした内容は参考になったかどうかわかりませんが、とにかく私自身はずっと前を向いて走ってきたというか(笑)。
稲継 前を向いて(笑)。
岡本 そこにある現状に、これでいいかな? と立ち止まったことが一度もなくて、こういうところを変えたらおもしろいんじゃないか、こんなことをやったら、あの人と一緒にやったらもっといいものができるんじゃないか、これをすると誰かが喜んでくれるんじゃないかという視点でずっと関わってきたんです。そうやって前向きに取り組むことで、マイナスや裏目に出るようなことは全然なくて、新しくいい仕掛けがたくさん作れたという経験があります。私は家庭では小学生の母親でもあって、家のことも色々やらなきゃいけない。でも、どんな立場にあろうが、どれだけ忙しかろうが、常にずっとアンテナを張りながら新しいことに取り組んでいく、いろんな立場で経験したことを生かして、新しい視点を入れていくということは、自治体の職員には絶対に必要だと思っています。特に若い人にはそういう気持ちを持ってもらいたいですね。一緒にみんなでどんどんいいものを目指して作っていけたらいいと思います。
稲継 はい。今日はどうもお忙しいところありがとうございました。
岡本 ありがとうございました。
どこにでもいそうな普通のタイプの自治体職員の岡本さん。実は、常に前を向いて走り、道のないところに道をつくってきた。手上げで庁内講師、ホームページ立ち上げに参加、地域包括ケアシステムのさまざまな取組、環境課での学習する組織のムーブメント。。。
その行動力と、人のネットワークを構築しまとめる力は尋常ではない。
分権時代の自治体職員の1つの像がここにある。