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多文化共生社会に向けて

明治大学商学部教授 山脇 啓造 氏

第11回2008.02.27

多文化共生・国際交流・外国人支援

「多文化共生」が社会的に認知され、社会全体に普及していくと、その中身が大事になってきます。どんな言葉も幅広い層の人々や団体に用いられることによって、その意味するところが曖昧になったり、希薄になったりするのは避けがたいことです。そこで、筆者の「多文化共生」の定義を明らかにしておきたいと思います。それは、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認めあい、対等な関係を築こうとしながら、共に生きていくこと」です。

「多文化共生」は「多文化の共生」と誤解される場合が少なくありませんが、共に生きるのはあくまで人と人であって、文化と文化ではありません。「多文化の共生」というと、それぞれの集団には固有で不変の文化があるという前提に立ちやすいのですが、文化というのは固定的なものでなく、常に変わりうるものと考えたほうがよいでしょう。例えば、移民が受け入れ国の文化の影響を受け、次第に出身国とも受入国とも異なる独自の文化を築くのはよくあることです。また、移民を受け入れた国の文化も、次第に移民の文化の影響を受け、変容していきます。「多文化共生」は決して複数の文化が並存する状態を指すものではありません。

「多文化共生」としばしば混同される用語に「国際交流」があります。最近では、中身は変えずに国際交流事業を多文化共生事業と言い換える自治体や国際交流協会も少なくありません。しかし、「多文化共生」と「国際交流」には大きな違いがあると思います。「国際交流」は、外国との交流や外国からの訪問者との交流を指し、「ホスト」として「ゲスト」をいかに歓迎し、もてなすかという発想に立っている場合が多いでしょう。しかし、今求められているのは、外国人を「ゲスト」ではなく、地域社会の一員と認める視点であり、総合的な生活支援を行い、社会参加を促す仕組みづくりです。また、外国人の定住化が進むにつれて、日本の国籍を取得する人(民族的マイノリティ)が増えています。そうなると、「日本」と「外国」、「日本人」と「外国人」という二分法的な枠組みでは、新しい現実の理解ができないでしょう。新しい地域社会のあり方を考えるには、「国際」よりは「多文化」というキーワードがふさわしいと思います。

もう一つ、「多文化共生」と混同されやすい用語に、「外国人支援」があります。外国人にかかわる活動として、行政も市民団体もよく用いる用語です。多文化共生にとって、外国人の支援は重要ですが、その支援は外国人自身が日本社会で自立するためのものでなければなりません。すなわち、外国人も地域社会の構成員として、支援される対象にとどまることなく、地域社会を支える主体、すなわち地域づくりの担い手であるという認識が大切だと思います。国籍や民族などが異なっても、誰もが共に生きる隣人として、互いに支え合う関係こそが多文化共生の前提です。