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コラム
近藤 麻実(秋田県自然保護課)
2024.03.27
急がば回れのクマ対策-正しい知識と地道な努力でよりよい暮らしへ-
秋田県において、2023年はクマの出没もクマによる人身事故も極端に多い年でした。当県はもともと全国でも事故の多い県であり、過去10年間の被害者数は年平均11.2人ですが、2023年はそれを大幅に上回る70人となりました。このうち、本来のクマの生息域である山林内で事故に遭った方は9名のみで、ほとんどの方が散歩中や農作業中など、日常生活の中で事故に遭っています。人の生活圏における事故の背景には、事故件数よりずっと多い出没事案があります。人身事故が多発した2023年の9~10月は過去にないほどの出没がありました(図1)。
2023年秋の極端な大量出没を引き起こした大きな要因は山の食物不足と考えられます。ブナ、ミズナラ、コナラはすべて大凶作~凶作、ヤマブドウやサルナシについてはデータは無いものの、山岳ガイドや狩猟者の話によると実りが悪かったようです。クマは多様な食物を利用しており、何かが凶作でも他の食物で代替しますが、2023年は様々な食物資源の凶作がそろってしまったため、食物を求めてクマの行動範囲が例年以上に拡大したと考えられます。また、2023年は未熟なスイカやリンゴが食害されるなど、夏から普段と異なる挙動が見られていました。この原因は分かりませんが、高温と少雨による乾燥が山の食物資源に影響を及ぼしていたのかもしれません。いずれにせよ、様々な悪い条件が重なった年だったと推測されます。
一方、2023年の極端な出没にどうしても目が向きがちですが、クマの大量出没は2000年代初頭から繰り返されてきました。また、平常年であっても、出没件数や捕獲数は年々増加傾向にあります。私たちは過去からの変化を広い視点で見て、現状を正しく把握する必要があります。この20年間で変わってきたのはクマの分布です。過疎化が進み、耕作放棄地になった土地や人が撤退した地域は、クマの生息域の一部になります。また、農業の大規模粗放化により農地から人の気配がなくなったり、空き家の増加や住民の高齢化により放置される果樹(庭木)が増えたりするなど、人の生活圏内部までクマが入り込みやすくなっています。これらの結果、人とクマが隣接・重複しながら生活するようになってきました(図2)。クマの分布拡大の背景にある人の社会の変化は、全国共通の問題です。人口減少社会においては、秋田県に限らずどの地域でも、いつ・どこで・誰がクマに遭遇してもおかしくないという状況になる可能性があります。
こうした中、行政がすべきことは、状況を的確に把握すること、正しい対策を発信すること、住民が実施する対策をサポートすることだと考えます。出没が多いと、「クマが増えすぎだ、箱わなを追加購入すべき、もっと捕獲すべき」というような声が聞かれますが、捕獲は対症療法に過ぎません。行政も住民も、まずはこの認識から改める必要があります。例えば、電気柵などで守られていない農作物があればクマは代わる代わるやってきますし、箱わなの危険性を学習したクマはいくらわなをかけても捕獲されません。クマの個体数"だけ"では出没の多寡を語れないのです。そもそも出没させない、原因療法が必要です。
クマが出没する原因は、「食べもの」と「通り道」です。クマが通ってくる可能性のある農地は電気柵で囲う、廃棄作物やゴミは放置しないなど、人の生活圏内でクマにオイシイ思いをさせないことが対策のひとつです。また、クマは人目を避けて行動するので、クマの通り道になるような薮を見通しよく手入れするなど、クマが利用しづらい環境づくりも重要です。こうした日常的・継続的な対策は行政だけではできません。住民一人ひとりの対策も欠かせないため、クマの出没原因や正しい対策など、行政は広く発信して理解を求め、住民と一緒に取り組んでいくことが求められます。そのためには、行政が正しい知識や対策技術を身につける必要があります。秋田県では令和2年度から専門職員を採用し、県内各地で市町村職員や地域住民に対して普及啓発や対策指導を重ねてきました。こうしたOJTに加え、令和5年度からは市町村職員を主な対象とし、基礎編・応用編からなる体系だてたクマ対策人材育成研修も開始しました(図3)。鳥獣対策においては、AIやICT、ドローンなどの華々しい新技術への期待が寄せられがちですが、電気柵の設置や、誘引物の除去、薮の刈り払いなど、地道な対策が基本中の基本であり、それらをおざなりにしては出没や被害は減らないでしょう。テクノロジーの活用も必要ですが、大事なのは人であり、地道な対策です。当県でも、地道な対策にしっかり取り組んでいる地域では農作物被害や人身事故を防ぐことができています。
クマの対策では「何頭捕獲できるか」が至近的な目標にされがちですが、対策の目標は「これからもこの地域で、住民がよりよく暮らしていく」ことのはずです。この上位目標に向かって、自然保護行政だけでなく、農林や防災、生活安全、教育などの多岐にわたる分野が協働し、住民とも協力しながら対策を進めることが重要です。
図1 秋田県におけるツキノワグマ目撃件数
秋田県警に通報された件数の集計値。
図2 市街地付近に設置したセンサーカメラで撮影された画像
人とクマが同じ空間を共有していることがわかる。
図3 人材育成研修(電気柵の設置実習)