メールマガジン

コラム

大津市歴史博物館 学芸員 寺島 典人

2023.10.25

日本のモノ・文化財の伝存―円珍関係文書の、ユネスコ『世界の記憶』登録から―

 近年、インバウンドと称して諸外国から多くの観光客が来日している。彼らの目的は様々だが、古き良き日本の古文化に興味を持っている方々がそのなかに多く含まれるのは、外国人でごった返している京都駅の様子をみれば明らかであろう。そもそも日本人にとって、身の回りに神社や寺院があり、古いものがそこら中にある光景は、特に珍しくも感じない。が、実はそれは世界的にみれば当たり前のことではなく、極めて稀有なことであることはほとんど知られていない。というのは、世界には古代文明の宝物などといった世界的な至宝は各地にあるが、実はそれらのほとんどが発掘品であり、後世のある時期に土の中から見つかったもので、伝世品は少ない。ところが日本の場合、古代から人種や王朝がほとんど変化していないため、宗教や文化が替わらないことから、結果的に古いものが多数伝世している。とはいえ「古いものを伝え残す」ことは簡単なことではなく、いかに大変な労力の必要なことであったか。その一端を知るための典型的な実例として、大津市園城寺町の園城寺に伝わる智証大師円珍文書について、今回紹介してみたい。
 園城寺は、7世紀に創建されたのち、9世紀に比叡山延暦寺の第五代天台座主、智証大師円珍によって、天台別院として中興された古代寺院である。その円珍は、嘉祥5年(853)から天安2年(858)の約5年間入唐求法し、様々な文物や情報を請来した。円珍の時代はすでに遣唐使船が派遣されておらず、国費留学ではない身分の円珍は、国内出発地の太宰府から公験(公式証明書)を発給されたのを皮切りに、唐の各役所で証明書や通行証の発給をその都度申請して許可を得なければならなかった。その唐国内での役所とのやり取り時の許可申請書の案文(下書き、手控え)の数々や、実際に発給を受けた、唐国内における長安までの関所の通行許可証である「越州都督府過所」と「尚書省司門過所」などが、実は現在も園城寺に現存している(すべて国宝)。
 この「過所」は、唐の国内ビザ付きパスポートといった性格を持つもので、世界最古級のパスポートとしても知られている。「越州都督府過所」は、その時円珍がいた越州の役所が、円珍が都の長安に向かう際に発給したもの。片道切符だったようで、帰りは長安にある唐王朝の中央省庁・尚書省が発給した(「尚書省司門過所」)。どちらも、関所(潼関と蒲関)の役人が通過を許可した旨が記されており、実際に円珍が関所を通過した時に使用されたものであることが明らかである。特に後者は、唐王朝の中央省庁が発行した公文書の原本であり、現存するものがほとんどない中、世界的にみてもすこぶる貴重なものとして著名である。円珍は命を懸けて唐(新羅)の商船に乗り、荒波を超えてこれらを日本に伝えたのであった。
 さて、これらの円珍の古文書・典籍類は、帰朝後は比叡山延暦寺に施入され、円珍の住坊(山王院)に保管された。そこは「後唐院」とも呼ばれ、円珍の木像(智証大師坐像・御骨大師 国宝 園城寺蔵)とともに安置され、円珍の業績を顕彰する聖域の体を成していた。ところが、993年に延暦寺は分裂し、円珍派は比叡山を下りざるをえなくなり、園城寺を拠点として円珍の木像や文書類もともに移された。延暦寺(山門派・円仁派)と園城寺(寺門派・円珍派)の骨肉の争いは止むことは無く、園城寺は10回以上も延暦寺に焼き討ちに遭い焼亡した。一方、園城寺には、円珍の遺物を最優先で避難させるシステムが出来ていて、これらは危険の度に救出されてきた(宇治の三室戸寺に逃がすことになっていた)。そのようななか、南北朝時代の戦乱時に、円珍文書が一式略奪されたこともあったが、園城寺はその所在を探し出し、約百年かけて買い戻している。これらをみると、彼らの円珍の遺物に対しての執念はいかばかりかであったことか、想像に難くない。園城寺としては、円珍に関わる寺宝を信仰・宗門のよりどころとして聖遺物視し、何よりも大事なものとして伝え残してきたのである。その後も、秀吉による闕所(寺院機能停止)や第二次世界大戦後の混乱(農地改革)などと、実に多くの危機を乗り越えてきている。まさに奇跡と努力の連続の果てにより、円珍文書は現存しているといっても過言ではない。現在、各地に伝存している文化財の多くについても、同様に長期間において、強く残そうとしてきた社会や人たちがあったからこそ今目に出来るものばかりで、決して偶然ではないのである。
 なお、令和5年5月、園城寺と東京国立博物館(園城寺旧蔵)の円珍関係文書は、ユネスコの「世界の記憶」に国際登録された。「世界の記憶」は、記録物への認識を高め、保存やアクセスを促進する目的で始められたもので、アーカイブとしての利用が求められている。その内容が世界的に貴重というだけでなく、その伝来の歴史こそが世界の記憶遺産にふさわしいものとして評価されたわけである。その反響は大きく、特に中国からの問い合わせが多いと聞く。中国では保存できなかったものを日本の寺院が長年残してきたのであるから、日中友好の時空を超えた架け橋となることも期待されている。
 現在、少子化や過疎化により檀家制度は崩壊し、さらには自治体やコミュニティの文化財に対する理解不足によって、日本人の「古いものを伝え残す」という特殊な能力、伝統は、もはや風前の灯火で急速に失われつつある。インバウントの来訪者が、数十年後に訪問した時に観るべき古いものが日本に残っているのかは、実は心もとない状況である。今回のユネスコ「世界の記憶」登録が、将来に向けての伝存と活用の一つのモデルケースとなるのかどうか、今後の文化財の保存と活用について見守っていきたい。