メールマガジン

コラム

名古屋大学宇宙地球環境研究所/横浜国立大学台風科学技術研究センター 坪木 和久

2023.09.27

台風に備える~科学的見地から~

 台風とは、北太平洋西部と南シナ海に発生する熱帯低気圧で、地表面付近の最大風速が毎秒17m以上に達したものをいいます。同様の現象として、地球上には北米周辺で発生するハリケーンと、インド洋や南太平洋のサイクロンがありますが、これらのなかで台風が最も数が多く強度も最大です。その理由は太平洋西部が地球上で最も暖かい海で、これらの低気圧は暖かい海ほど発生・発達しやすいからです。北太平洋西部の西端にある日本は、そのような海域に面しており、台風の影響を最も強く受ける地理的位置にあるのです。
 寺田寅彦は随筆「天災と国防」で、「日本はその地理的の位置がきわめて特殊であるために、(中略)特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命のもとに置かれている」と述べています。また、天災というのはある確率で必ず起こるのだから、平時からそれに対する備えをしておくことが最も重要であると述べています。さらに続けて、多くの人々が平時には災害に対する備えを忘れてしまうことを嘆いています。台風や線状降水帯による激甚災害の頻発する昨今、この随筆には自然災害についての考え方や防災について学ぶべき多くのことが書かれています。
 自然災害のうちの風水害の最も大きな原因は台風と豪雨です。一般社団法人日本損害保険協会は風水害等による保険金の支払い額を公表しており、その上位10位までのほとんどが台風による災害となっています。2023年8月現在で、第1位は関西地方に激甚災害をもたらした2018年の台風21号です。同地方に同様の災害をもたらした台風には、1961年の第2室戸台風、1950年のジェーン台風、さらに1934年の室戸台風があります。日本全体を見渡すと2019年の令和元年東日本台風、同年の令和元年房総半島台風、2018年の第24号台風などが記憶に新しく、さらに北海道でさえ2016年には3つの台風が上陸しており、大災害をもたらした台風は枚挙に暇がありません。
 さらに台風災害は今後さらに激甚化することが予想されています。現代では地球温暖化が進んでいることを誰もが肌感覚で感じることができるほどです。「気候変動に関する政府間パネル」の第6次評価報告書2は、人間活動が地球温暖化を起こしていることが明白であることを認めています。私たち現代の人々は気候の大変動時代に暮らしているのです。
 地球温暖化とは地球の気温が平均的に上昇することですが、それとともに大気中の水蒸気量も増加していきます。水蒸気とは物質としては水ですが、蒸発や凝結で膨大な熱を出し入れしますので、気象学では熱エネルギーとみなして、「潜熱」とよぶことがあります。激しい積乱雲も台風も、この潜熱で発生・発達します。地球温暖化に伴う水蒸気量の増加は、大気中の熱エネルギーが増加していることを意味し、その結果、積乱雲や台風はより激しいものとなります。実際、強い降水が増加していることは観測から示されています。
 この水蒸気の増加に加えて、海洋の温暖化がさらに大きな問題となります。暖かい海からエネルギーをもらって発達する台風は、海水温の上昇によってより多くのエネルギーを得ることになります。その結果、北太平洋西部の台風について、強い台風の頻度(または割合)が増えるとともに台風の最大強度が増大することが予想されています。また、日本に接近する台風の強度が増加していることが示されています。さらに私たちの研究では、今世紀後半になると、台風の中でも最も強いスーパー台風が日本に上陸することが、高精度の数値シミュレーションから示されました3
 このように過去から現在まで台風は日本に多くの激甚災害をもたらし、さらに地球温暖化とともに、台風のリスクの増大が予想されています。そのような激甚化する台風の防災において、最も重要なことは適切な避難です。しかしこれは容易ではありません。
 2018年に発生した西日本豪雨では、240人を越える犠牲者が発生しました。これを受けて日本の防災、特に避難に関する考え方が大きく変わりました。それまでは行政主導の避難でしたが、これでは国民の生命を守ることができないことが認識され、住民主体の避難という考え方に大きく転換されました。つまり風水害のときは自らがその危険を認識し、自ら避難行動をとることが求められています。
 これは行政の責任放棄ではありません。行政は住民が適切に避難できるように、適切な情報を分かりやすく提供するなどの支援をします。その一つが、西日本豪雨後に定められ、2019年の東日本台風後に改訂された「警戒レベル」です。そしてもう一つの重要なものがハザードマップです。
 警戒レベルはすでにかなり世の中に浸透してきており、豪雨や台風のときに発令されています。警戒レベル3で高齢者や要支援者の方は避難を、レベル4では危険なところにいる方はすべて避難をします。レベル5は災害の蓋然性が極めて高く、すでに発生している場合もあり、避難が間に合わない状況にあります。重要な点はレベル4と5では次元の異なる危険であることで、これを表すために4と5の間には「警戒レベル4までに必ず避難!」と記されています。この点を認識していただくことが、台風や豪雨などの風水害への備えにおいて非常に重要です。
 一方、ハザードマップとは「災害予測地図」または「被害予測地図」ともいわれ、浸水想定区域、浸水継続時間や土砂災害警戒区域などに加えて、災害時に必要な公共施設(警察署、消防署、病院、市役所など)の位置が記されています。重要な点は平時からそれを見て、洪水や土砂崩れの危険箇所と程度、避難所の位置、そこへの経路などを知っておくことです。豪雨や台風災害が切迫してからハザードマップを取り出して避難を検討するのでは手遅れです。ただし、災害の多様性・複雑性のため、ハザードマップには不確実性が含まれていることを理解しておくことも重要で、安全に余裕をみて利用することが重要です。
 地震と異なり台風は、接近や上陸をある程度予測できます。適切に避難すれば、少なくとも人命損失を防ぐことができます。それを具体的に実行するためにタイムラインという方法が近年導入されつつあります。これは「事前防災行動計画」と訳され、自治体などの大規模な避難を行う場合に作成されます。これは台風の上陸が予測された場合、上陸時刻を起点として時間を遡り、各時刻における作業や行動を決めておくもので、企業のような組織でも同様のものを作成しておくと効果的な防災につながります。さらに各個人においてもマイ・タイムラインを作成しておくとよいでしょう。
 個人、家族、行政、企業などそれぞれの立場での備えは異なりますが、共通していえることは、台風災害には平時からの備えが最も重要ということです。今後、地球温暖化とともに台風は激甚化し、災害のリスクは大きくなる一方です。そのような時代において、警戒レベルを十分理解していただくとともに、ハザードマップを平時から利用し、さらにタイムラインを検討することで、台風災害に備えていただきたいと思います。そして台風で誰も命を落とすことのない社会を皆で目指すことが重要です。

引用文献
 1.小宮豊隆編,寺田寅彦随筆集第5巻,天災と国防,岩波文庫(1948年)
 2.IPCC 2021: IPCC第6次評価報告書,第1作業部会報告書,自然科学的根拠
 3.坪木和久,2020:新潮選書「激甚気象はなぜ起こる」,新潮社,399pp