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コラム

上智大学法学部 教授 北村 喜宣

2023.07.26

超然二題 行政現場の風景に想う

 行政法を講じる大学教師は、「こうあるべき」という法的知識はそれなりに持っているけれども、行政現場の実情には疎い。かくいう私もそうであり、そうであるがゆえに、自分の「常識」とは異なる実務運用に接すると「目が点」になってしまうこともある。最近、2つの事案を知り、法治主義とは何だろうか、自治とは何だろうかと、それぞれに深く考え込む経験をした。
 この文章の読者の多くは、自治体職員であろう。皆さんにとっては「常識」の範囲内の現場風景なのかもしれないが、私の驚きをお伝えしたい。

【ケース1】
 2023年3月に制定されたA市の太陽光発電施設設置規制条例である。この種の条例それ自体は、以前から制定例がある。A市条例に特徴的なのは、「地域住民等」(事業区域の境界からおおむね30メートル以内の区域に土地若しくは建築物を所有する者、居住する者など)について、「署名による同意を得なければならない」とするとともに「当該同意を証する書類を市長に提出しなければならない」とする。そして、同意が得られていないときには、「許可をしないものとする」というのである。許可なきままに工事を進めると停止が命ぜられ、従わなければ過料に処される。過料とは罰則であるから、結局、同意取得が法的に義務づけられている。
 この仕組みは、明らかに憲法違反である。暴力団条項非該当、資力要件や技術的基準の適合といった許可基準は、自分が頑張れば何とかクリアできる。しかし、同意という「他人の気持ちの確保」はいかんともしがたい。また、同意しない理由には制限がない。結果的に不可能を強いることになり否定原則に反するというのが、憲法学や行政法学の「常識」であり、異論を見ないといってよい。A市条例には、勧告という、行政指導に従わない場合に過料に処すというように、法学者がみれば仰け反ってしまうような規定まである。
 これらの点については、住民説明会において、さすがに市民から指摘された。これに対して、市役所職員は、「びっくりと言われても仕方ない」としつつ、法制課からもいろいろ指摘はあったが、住民の意思を十分尊重するべきという「市長の強い意思」で施行すると答えたようである。A市条例は、2023年6月から施行されている。

【ケース2】
 行政現場における行政手続法コンプライアンスの低さが指摘されていることに対応すべく、B市の法制担当者がある企画(行政リーガルドック)を立てて実施している。とりあえず、同法5条にもとづき審査基準の設定・公表を求めたところ、法的義務であるにもかかわらず、これが拒否されている。
 理由として示されたのは、以下のようなものであった。私の「常識」にもとづくコメントも入れてみよう。「審査基準を設定することで原課の裁量権行使が制限され、個別具体的な事案に対応できなくなる」(⇐的確な裁量権行使を実現するための作成であり、申請者に予測可能性を与えるという趣旨なのに)、「ある程度の知識や経験ができた時点で対応すればよいのであり、そうした状況にない現在、わざわざ作成・公表する価値が見いだせない」(⇐行政がどう思うかではなく、申請者のためにする作業であるのに)、「審査基準がなくとも原課職員が市民の話を真剣に聞いたうえで公正に処分するのだからわざわざ作成・公表する必要がない」(⇐自己満足の極みであり、適正な手続によらなければ妥当な結論は出てこないという制度の意味が理解できていない)、「たとえ審査基準を作成・公表しないことが違法とされて敗訴したとしても、それは法律や裁判所がおかしいのであり、不運な交通事故に遭ったにすぎない」(⇐...言葉がない)
 B市の法制担当者は、「いい給料をもらって定時に帰れるから公務員になったのに、こんな仕事をさせられて残業をするのはまっぴらだ」という声を面と向かって浴びせられたらしい。

 局面の次元は相当に異なるが、いずれのケースも、唯我独尊。自分がよいと考えれば、まわりが何といおうと聞く耳を持たない現場である。市長であれ職員であれ、憲法の尊重擁護義務はあるし、法令遵守義務はある。これは、政治的信条や仕事への真面目さにかかわらない、およそ公務員を名乗るならば従うべき最低限のマナーである。それさえできないなら、市民の税金で仕事をする資格などなく、辞職していただくほかない。どんなものだろうか。