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コラム

滋賀医科大学 臨床看護学講座(成人看護学)教授 宮松直美

2021.11.24

健康寿命延伸に向けた取組と地方自治体の役割

 「人生100年時代」といわれる長寿国日本ですが、その平均寿命は明治大正時代には40歳台前半、昭和の時代に入り第二次世界大戦前に漸く40歳台後半と1)、近世から戦前まであまり大きな変化はありません。しかし戦後、栄養状態や衛生環境の改善、医学の進歩、医療制度の整備等により様々な疾病が克服され、平均寿命が急速に延伸し、1980年頃には平均寿命世界一の長寿国となりました。こうした人口・疾病構造の転換は日本だけでなく多くの先進国で生じており、「疫学転換」と名付けられました2)。この転換理論から、人類は外傷、感染症、脳卒中・循環器疾患、悪性新生物が主要死因である時代を経て、21世紀後半には老衰が主要死因、「老化の遅延・減速」が重要な疫学転換となると指摘されています3)。この(生物的・社会的)老化の遅延・減速とは言い換えれば健康寿命の延伸であり、健康寿命の延伸が社会全体の大きな課題です。
 日本では健康寿命の指標として「日常生活に制限のない期間の平均」もしくは「日常生活動作が自立している(つまり、要介護2以上になるまでの)期間の平均」が用いられており、いずれも「人が困難なく、健康的に、生活を送ることができる期間」を意味していると考えてよいでしょう。この健康寿命の延伸のためには、①日常生活に制限を来しうる疾病や障害の発生を予防すること(一次予防)、②疾病や障害の発生を早期に発見し適切に治療・管理して、できるだけ生活への影響を小さくすること(二次予防)、③疾病や障害が発生しても、社会の中で自立して生活できるよう残存機能の維持や環境調整を行うこと(三次予防)が重要です。さらに近年は一次〜三次予防に加えて、0(ゼロ)次予防、健康行動を支える環境づくりも重視されています。国民全体の減塩を推進し脳卒中死亡率を低下させた英国では、健康と福祉を改善させるための方法として、「自尊心・自信・個々の責任の強化」、「より健康的な行動とライフスタイルの促進」に加えて、「健康的な選択を容易にするための環境」を挙げています4)。この住民の健康的な選択を容易にするための環境づくりを身近な例で考えてみましょう。
 健康寿命の延伸のためには、要介護の主要かつ予防可能な原疾患である脳卒中の予防が重要です。住民が運動や食事などの生活習慣をより健康的にすることで、糖尿病や高血圧などの基礎疾患を予防あるいは管理して、脳卒中の発症予防を目指します。この予防対策の戦略には2つの方法、ポプレーションアプローチ(集団全体への働きかけ)とハイリスクアプローチ(ある一定の基準に該当するハイリスク集団に対しての疾病リスクを低減させるための働きかけ)があります5)。生活習慣のうち運動を例に挙げると、ポピュレーションアプローチでは住民全体に対する運動促進キャンペーンとして、ハイリスクアプローチでは肥満や基礎疾患を保有する住民への保健指導として、「週に3回は運動しましょう」「今よりも1日10分多く歩きましょう」などのメッセージを発信することでしょう。しかし住民が運動習慣を形成し、持続させるためには、居住地域が運動を選択し継続するのに適した環境である必要があります。遊歩道があるか、街灯は十分か、運動に対する好意的な雰囲気が醸成されているかなどを考えてみてください。職域での環境整備と生活習慣改善キャンペーンの効果を検討した介入研究では、5年間で事業所従業員の脂質プロファイルが改善することが示されました6)。物理的な環境は一度作り上げると長期間活用できるため、その効果は持続的です。一方、好意的な雰囲気の醸成は、短期間で効果を得ることはできませんが、地道な取り組みにより住民の中に深く根付いてゆきます。こうした環境を住民全体に届けることは自治体にしかできません。また、これらの環境づくりは一次予防だけでなく、脳卒中に罹患して障害を持った人々のリハビリテーションや要介護状態の予防、次世代を担う子どもたちの健康行動の形成にも有用でしょう。
 ある県で行政が主体となり実施した脳卒中に関する啓発活動は、地域の企業やメディア、小・中学校が参画する取り組みとして大きく発展しました。活動の中では児童生徒に対して、脳卒中予防の健康教育や、家族が脳卒中を発症した際のバイスタンダー(その場に居合わせた人)としての判断と対処についての教育が行われ、授業を受けた児童生徒だけでなく保護者の知識も向上するという波及効果が得られました7)。また、県による啓発活動を契機に地域での脳卒中予防活動が活性化し、脳卒中に関する知識の向上が長期に持続することとなりました。今後の脳卒中発症率・死亡率の低下が期待されています。
 住民の健康を守る取り組みは、健康や医療に関する部署のみの課題ではありません。健康行動の形成と持続には、住民が払う努力を理解し、その努力をできるだけ小さくするための環境づくりに自治体全体で取り組むことが不可欠です。住民と自治体が今後の人生100年時代を健康・健全に迎えるため、今こそ皆で種をまく時です。

1) 厚生労働省. 第22回生命表(完全生命表), 2017
2) Omran AR, The Milbank Memorial Fund Quarterly 49: 509-38, 1971(reprint)
3) 金子隆一. 人口問題研究66: 11-31, 2010
4) HM Government. Healthy Lives, Healthy People: Our strategy for public health in England. 2010
5) Rose G, Int J Epi. 14: 32-8, 1985
6) Naito M, et al. Atherosclerosis 197: 784-90, 2008
7) Matsuzono K, et al. Stroke 46: 572-4, 2015