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コラム

京都芸術大学アートプロデュース学科 教授 山下里加

2021.04.28

「え、私が芸術文化の担当に!? ―行政職員のための、はじめての文化政策―」

 「文化芸術のことはわかりませんが‥」「アートは素人ですが‥」。地方自治体の職員と名刺交換する際、しばしばこんな言葉が添えられる。謙遜もあるだろうが、地方自治体における文化政策の難しさと期待、不安と意欲がないまぜになった心情が込められているように感じる。
 その一因には、文化芸術がもたらす影響が多様かつ広範囲になっていることがあるだろう。地方自治体と文化芸術・アートの関係は、2000年代に大きく変容した。それ以前は、文化芸術に触れる機会を市民に提供すること、学ぶことといった教育普及が行政の仕事だった。1990年代にピークを迎えたホールや美術館などの文化施設建設は、この時代の文化振興を形にできる直球の政策であった。しかし、2000年代に入るとハコモノ行政の批判もあり、それらの開館件数は激減する。入れ替わるように急増したのが、里山や街中でアート作品を展示する芸術祭や住民参加型のアートプロジェクトである。
 2000年に新潟県で「大地の芸術祭―越後妻有トリエンナーレ」、2010年に香川県で「瀬戸内国際芸術祭」が始まると、地方自治体が牽引役となった芸術祭が各地で開かれるようになった。"文化施設の外"という場所の変化だけではない。「大地の芸術祭」では54万人(2018年)、「瀬戸内国際芸術祭」には118万人(2019年)の来場者が訪れ、文化芸術が観光コンテンツの一つとして注目され始めた。さらに、住民参加型アートプロジェクトをきっかけとした地域資源の再発見やコミュニティの再生、移住者や関係人口の増加なども報告されるようになった。
 つまり、90年代以前の文化芸術は、それを享受する「個人に作用するもの」であったが、2000年代以降は直接には関係しない人も含めた「地域・社会に作用するもの」へと影響する範囲が拡大した。結果、文化芸術に対して多様な立場の人たちが多様な期待をかけるようになり、文化政策に携わる行政職員たちは難しい舵取りを迫られるようになった。
 難しさの一つは、人によって文化芸術の社会での位置付けが違っていること。そして、多くの人たちは、他者が文化芸術を自分とは異なる捉え方をしていると気づいていないことだと考える。
 図1は、筆者が学生とともに「文化」「芸術」から連想する事物を出し合い、整理したマトリクス図である。横軸に「マーケットがある(売買できる)」「マーケットがない(売買できない)」という経済活動を指標にし、縦軸には「個人が享受」「地域・集団に作用」という指標をおいた。
 この図を用いると、各人の文化芸術と文化政策の捉え方の違いが鮮やかに浮かび上がる。ある地域の伝統芸能を取り上げて学生と議論した例を紹介しよう。その伝統芸能は補助金を受けて公演を行っており、図1では「マーケットがない」領域に属する。その伝統芸能を「地域・集団に作用」するものとして捉えた学生(A)は、行政の支援を当然のこととし、積極的な介入を望む。たとえ直接に消費(享受)しない人が多くても、地域の誇りやアイデンティティ、社会包摂に寄与するものならばマーケットに任せるべきではないという判断だ。一方で、それを「個人が享受」するものと捉える学生は、歴史ある伝統芸能であっても一般の商品と同じく、個々の消費者(享受者)が判断する「市場」で評価することが公平であり、文化芸術の担い手に市場での価値を高める努力を強く求めた。行政が文化芸術を支援する、あるいは介入することに懐疑的であった。
 このように同一の文化事業、アート活動であっても、社会の中での捉え方が違うこと、さらには異なる位置付けができることを行政職員がまず確認、自認すると次の一手が見えてくる。
 前述した伝統芸能の場合、「地域・集団に作用」することを第一の意義とするならば、個人の楽しみに限定されている状況から、より多くの人々に作用するよう促す施策が必要だ。無料公演や学校への出張公演などでその伝統芸能を享受・鑑賞する者を増やす策だけでは足りない。直接には見聞きしない人たちを視野に入れて、この地域にその伝統芸能が「あってよかった」「あるのが当然」という気運を高めるよう働きかけていく施策が求められる。
 他方、「個人が享受」するが「マーケットがない」状況とみなすならば、マーケットで成立するよう行政が経営面で支援していく策が考えられる。さらに地域の産業や企業などとつなぎ、観客層の開拓や新しい活用を促すことも行政の役割であろう。
 つまり、文化政策とは、文化芸術の社会での位置付けを現状から移動させる手法だと捉えてみると、具体的な手の打ちようが見えてくるはずだ。文化芸術の担い手や専門家は、その質を上げることに長けているが、図1で表現された現状の位置から動かしていくことには不慣れである。「アートは素人」である行政職員だからこそできる文化芸術の生かし方がある。
 最後に。新型コロナウイルスの流行は文化芸術にも大きな影響を与えた。単に鑑賞や発表の機会が減ったということだけではない。これまで文化事業の評価の一つであった集客数や賑わい創出が揺らいでいるのだ。では、何を評価とするのか。どの方向に位置付けを移動させていくのか。行政職員に求められているのは、前例のない移動の行方を探すことだ。

図1