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コラム

執筆者:関西学院大学ビジネススクール教授 石原 俊彦

2017.07.26

地方自治体が有する基金21兆円の正体とは ?

 安倍晋三首相は5月11日に開かれた経済財政諮問会議で、地方自治体の基金見直しなどを通じて、地方の行財政改革を加速するよう関係閣僚に指示された。この会議では民間議員から、財政調整基金など自治体の基金残高が21兆円にのぼり、地方交付税や地方創生関連など、国からの交付金が使われないままとなっている可能性があると指摘された。地方代表の山田啓二京都府知事(全国知事会会長)は、5月31日に首相官邸で開催された「国と地方の協議の場」でこの点に言及し、「頑張ってお金をためたら『余裕がある』と言われる。それでは地方はやる気をそがれてしまう」と発言された。山田知事の発言は、政府内の議論をけん制されたものだと報道されている。国と地方で見解が真っ向から異なる21兆円もの基金。その本当の正体はいったい何なのか。

 基金の正体を解明するヒントは減価償却にある。自動車を100万円で取得。耐用年数が5年とすると、毎年の減価償却費は20万円となる(定額法で残存価額ゼロ)。減価償却費は、企業会計でも自治体会計でも費用として認識される。減価償却費は、人件費や光熱費とは異なって、実際には支出の伴わない費用である。収益が100万円の現金収入の場合、減価償却費と人件費がそれぞれ20万円とすると、最終の利益は60万円となる。しかし、会社に残るお金は60万円ではなく80万円となる。これが減価償却費を「非支出費用」と称する理由である。

 貸借対照表(バランスシート)を作成すると減価償却の累計額が必ず計上されている。これは企業でも自治体でも同じである。減価償却累計額は、減価償却費(たとえば20万円)の累計額(5年間であれば100万円)のことをいい、その金額は減価償却の結果、企業なり自治体の内部に留保される「現金あるいは現金が運用等されて形を変えている他の資産」(以下、留保分という)の合計額(100万円)と一致する。企業は減価償却累計額と同額の留保分を財源として、耐用年数到来時に、古い資産を廃棄して新しい資産を取得することができる。この発想は新地方公会計改革で最も大切なポイントである(必ずしも浸透しているわけではないが)。

 筆者は、山口県内市町の課長補佐級職員を対象とする研修で、山口市、岩国市、周南市の職員に、三市の減価償却累計額と基金のデータ(平成27年度)を集めてもらったことがある。三自治体ともに減価償却累計額は約2000億円。基金の残高は120億円から280億円である(平均すると200億円少々)。インフラや施設を新設(取得)する際の財源毎の構成割合をかりに平均的に「地方債:補助金:一般財源=5:2:3」とすると、三市は2000億円の減価償却済資産を更新(新規取得)するために、手元の内部留保資金として約600億円(2000 x 30%)の基金等を確保する必要がある。

 三市の現状は、いずれもこの水準を大きく下回っている。この不足分(留保分のショート)は、将来、インフラや施設(公共施設等)の更新・大規模補修のために内部留保すべき財源を、適正規模(地方自治法第2条15項)を超えた(過大な)資産形成や、過大なソフトサービスの提供に充当した結果、生じたものである。この傾向は、日本全国の自治体に一般に垣間見られる傾向であって、もとより、三市だけの問題では決してない。それゆえ、自治体で留保されている基金等を行財政改革の財源として取り崩すことは、得策ではない。

 日本全国の自治体の減価償却累計額の合計は、約200兆円を超えると推計される(普通会計ベース)。上記の30%という財源充当割合を加味すれば、自治体が抱える基金の残高は60兆円以上あってもおかしくない。自治体の21兆円の基金は、留保分としてインフラや施設の更新財源として全額を位置付けても、著しく不足していることになる(約39兆円)。21兆円の基金は将来への余裕資金ではない。直近に迫る公共施設等の老朽化対策に不可欠な事業のための財源なのである。この"わずかな"基金を「使わないで残している」と誤解してはならない(残しておかねばならない財源なのである)。

 この議論を理解するためには、基本的な(日商簿記検定3級あるいは大学学部2回生程度の)会計学の知識が必要である。自治体にはこれまで会計リテラシーを有する職員を養成する人材育成が十分に展開されていない。地方公営企業である水道や病院事業等の職員の一部に会計知識を有する職員は存在するものの、自治体本体の政策施策の立案(=戦略の構築)、あるいは、事務事業の具体的な展開(=戦術の展開)において、会計リテラシーがもっと活用されるべきである(今回の経済財政諮問会議への説明もまた然り)。

 岩手県北上市、奈良県の奈良市や天理市では、職員の自主的な活動を契機に簿記の素養をもつ職員が育成されている。また、前下関市長の中尾友昭氏は、現職時代に下関市役所簿記学校を設立し、下関市職員に積極的に簿記資格の取得を啓蒙された。財務省(金融庁)や総務省のキャリアと称される官僚のなかにも、学部は法学部、しかし、簿記の資格(なかには日商簿記検定1級)を取得済の職員が少なくない。国家公務員が留学する欧米の大学院(たとえば、ハーバード、スタンフォード、LSE)では、十分な数値分析能力を身に付けるという趣旨から、徹底的に統計学や会計学の素養が叩き込まれる。論理を展開するにせよ、制度を比較するにせよ、行政サービスをデザインするにせよ、数値による分析能力は必須であり、官僚のなかには非常に高度な会計リテラシーを有する者もいる。

 経済財政諮問会議が提起した21兆円の基金問題について、政府と地方自治体の間の無用な対立を避けるため、説明責任を果たす際の有用なツールとして会計リテラシーを活用することが重要である。「21兆円の基金は、地方自治体が貸借対照表に計上している減価償却累計額の相手勘定である。もしこれがなければ、インフラや施設の更新が不可能になる」。「減価償却累計額は、地方自治体が実施予定の公共事業額であり、政府はこの金額を参考に、自治体への建設補助のあり方を政策立案すべきである」。会計の知識があれば、21兆円の基金問題は、こうしてすんなりと決着をつけることができる。

 自治体関係者が会計知識を身に付ける格好の資格がある。地方監査会計技能士である。英国勅許公共財務会計協会CIPFA日本支部では、英国勅許公共財務会計士CPFA資格(資格取得者の大半は公務員)の日本版として、地方監査会計技能士の資格を2014年に設けた。現在では500名を超える地方監査会計技能士が活躍している。約300名は日本国内の地方自治体で勤務する職員・議員・首長である。地方監査会計技能士の第9次資格認定は現在、受付中である。自治体関係者の会計リテラシー向上のため、一人でも多くの資格認定申請が期待されるのである。

http://www.cipfa.jp/lgaatnintei.html