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コラム
関西学院大学商学部教授 川端 基夫
2019.12.25
訪日観光客の目から見た日本-価値はどこにあるのか-
近年の急増している訪日観光客の消費を、地域の活性化に取り込みたいと願う自治体が急増している。しかし、現実にはその恩恵になかなか預かれないところも多くみられる。自慢の観光スポットや特産品に訪日観光客がなかなか目を向けてくれないといった嘆きも耳にする。
その原因は、日本人と訪日観光客との間の「価値観」のギャップに潜んでいるように思える。要するに、同じものを見ているのに、我々日本人と訪日観光客とでは、その「評価ポイント(価値のありか)」が大きくズレていることに気が付けていないのである。2つ例を挙げて説明してみたい。
1つ目は、日本の居酒屋に対する評価である。居酒屋といえば、日本では低価格で酒が楽しめる店という点に価値がある。メニューには酒の肴になりそうな多彩な料理が揃っているが、一品あたりの量は少な目で、価格も安い。それゆえ、いろんな肴を食べながら美味しく酒が飲めるのである。
今から20年ほど前、ある有名居酒屋チェーンが香港に出店をした。メニューも味も日本とまったく同じにし、本格的な日本の居酒屋というコンセプトでの出店であった。しかし、店が開店すると思わぬ事態が見舞った。まず、店は連日満員にも関わらず酒がまったく注文されないのである。日本では売り上げの60%以上を、酒の売り上げが占める。酒は利益率が高いので、料理の部分で多少の出血サービスをしても利益が確保できるようになっている。ところが、香港では酒は売り上げの1%からせいぜい4%程度しか出ない。また、客層も日本とは大きく異なり、若い女性のグループ客が多くを占めたのである。
香港の消費者から見ると、日本の居酒屋という業態は、珍しい日本の料理が少量ずつ小皿で注文できるレストランと映ったのだ。居酒屋のメニューといえば、揚げ出し豆腐、エノキのベーコン巻き、シシャモ、小エビのから揚げなど、通常の日本料理店では食べられない珍しいものが満載だ。もちろん、刺身、寿司、天ぷら、鍋料理、ラーメン、さらにはパフェなどのデザート類も充実している。しかも、居酒屋ではすべての料理が写真で載せられているので、誰でも簡単に注文できてしまう。
また、案外知られていないが、そもそも中国系の人々は食事の際には酒は飲まない。飲食店に入ればすぐにビールを注文し、酒を酌み交わしながら食事をするのは、日本人と韓国人くらいであろう。中国人といえば強い酒(白酒など)を大量に飲むイメージもあるが、それはあくまで宴席や客人をもてなす場でのことであり、普段の食事では飲まないことが多い。
かくして、若い女性がグループで訪れ、テーブルいっぱいに珍しい日本料理を並べてみんなでソフトドリンクを飲みながら楽しくおしゃべりをする光景が居酒屋の店内に広がったのである。そこには、サラリーマンが愚痴を言いながら同僚と酒を酌み交わす姿はない。その居酒屋チェーンは、その後、中国大陸や東南アジアにも進出したが、結果は同じであった。
つまり、日本では気軽に安く酒を飲める点に価値があった居酒屋であるが、アジアでは多彩な日本料理が少しずつ楽しめるという新しい価値が見出されたのであった。この価値のありかのズレを理解すると、訪日観光客の目に街角の居酒屋がどのように映っているのかも理解できる。近年、居酒屋で訪日観光客のグループを目にすることがあるが、彼らにとっては、居酒屋はあらゆる種類の日本料理をリーズナブルに楽しめる最高の店であり、食の好みが違う者同士が一緒に行っても、各自が好きな日本料理を注文して食べられる便利な店だと映っているのだ。
2つ目は、豚骨ラーメンに対する評価である。以前、上海に住む中国人に対して、「日系のラーメン店で豚骨ラーメン、味噌ラーメン、醤油ラーメンの3種類が同じ値段で食べられるとしたら、どれを選ぶか」というアンケート調査をしたことがある。インターネットで100人余りの回答があった。
その結果は、豚骨ラーメンが7割を占め、以下味噌ラーメンが2割、醤油ラーメンが1割であった。圧倒的に豚骨ラーメンが支持されたのであるが、その理由を尋ねると「最も日本らしい」からだというではないか。ラーメンはもともと中国から入ってきたものであるが、中国の湯麺は透き通ったチキンスープであり、あの白濁した豚骨スープは中国には存在しない。豚骨ラーメンは日本から入ってきたものなのである。したがって、豚骨ラーメン=日本というイメージになるらしい。
中国では豚肉の人気が高いことが知られるが(中華料理でも多くが豚肉を使う)、とくに豚の骨から時間をかけて煮出したエキスが入ったスープというだけで、猛烈に食べたくなるようだ。つまり、彼らにとって、豚骨ラーメンはスープにこそ価値があるのだ。したがって、麺は残してもスープは残さない。対して、日本人はラーメンを麺料理としてとらえるので、麺は伸びないうちに急いで食べるが、スープは残すことが多い。したがって、「替え玉無料」というサービスは、日本人には歓迎されるが中国人観光客には無意味なものとなる。実際、麺が無料ならスープのお代わりはないのか?と尋ねる中国人も居るようだが、スープをお代わりさせるとラーメン店側は赤字になるので無理なのだそうだ。
さて、なぜ訪日観光客がわが町の自慢の観光スポットや特産品に興味を示してくれないのか。その答えは、このような価値観のズレ、価値のありかのズレにあるのかも知れない。日本人の価値観を訪日観光客に押し付けず、彼らの琴線に触れる価値はどこにあるのかを、今一度、頭を柔らかくして考えてみてはどうであろうか。