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コラム
関西大学社会安全学部特別任命教授 工学博士(京都大学) 河田 惠昭
2024.05.22
地域振興で忘れてはいけない地域文化の創成
まず、まちづくりの具体例として、私が勤務する大学がある大阪府高槻市と住民である大阪府守口市について紹介し、結論としての地域文化の重要性に言及したい。
人口約35万人の中核市である高槻市は長期的には人口が逓減するものの、ますます住み心地の良い『まち』に変わりつつある。15年前に、中心市街地に立地するJR高槻駅周辺の大規模工場の移転に伴って、国土交通省、高槻市、大学の間で将来計画が話し合われ、その結果に基づいて、跡地にタワーマンション2棟、病院、学校が立地し、現在は周辺の旧戸建て住宅地での集合住宅の建設が進んできて人口減を緩和している。
この成功の原因をもう少し掘り下げると、再開発では、まず病院は2棟の総合診療とリハビリテーションをめざす大病棟を有し、患者と家族にとって便利な立地である。大学構内には、小、中、高等部と学部・大学院を有し、約2,400人の児童・生徒・学生が安心で清潔な通学路を登下校している。もともと、阪急電鉄・高槻市駅とJR駅とは近接し、2つの百貨店を有する中心市街地の核を形成してきたが、この再開発が成功して、朝からにぎわいのあるまちへと変わってきた。当地は通勤・通学にも便利で、道路交通網も良好である。しかも、将棋ブームの最中、待ち遠しかった関西将棋会館が間もなく竣工し、恒例のジャズ・フェスティバルも活況である。また、中心市街地に隣接して歴史公園(甲子園球場の約5倍)が位置している。市北部に拡がる中山間部は、緑豊かで湿潤な自然環境を提供している。市民は休日に、市外に出かける必要がまったくないほどである。防災では、2018年大阪北部地震に際して、勤務校の学生諸君が2人一組になって、各家庭を訪問してボランティアの御用聞きを実施するなど、市の防災行政推進に協力している。
つぎに、人口約14万人の守口市は、高槻市と同じく人口は逓減傾向であるが、世帯数は漸増傾向にあり、少しずつ住み心地の良いまちに変わりつつある。筆者は、令和3年度を初年度とする10年間の第6次守口市総合基本計画策定のための審議会の委員長に就任した。長期にわたる大阪府防災会議の委員で、そこでの仕事を当時の守口市長と市の幹部が評価されたからである。通常、この種の委員長は建築系の学識経験者が就任するが、東日本大震災以降のまちづくりでは、大半の被災市町村で失敗し、また、全国のコンパクトシティづくりも難渋しているので、信頼性が薄くなっているのである。この審議会では、計画の実現を願って、キャッチコピーまで準備した。『いつまでも住み続けたいまち守口』である。審議会は20名で構成し、6名は市議会各派の議員であり、公募で3名の市民代表も加わっていただいた。
守口市は、もとは企業城下町であったが、現在は企業市民税が当時の12分の1に激減し、貧乏市になってしまった。しかも、大阪市に隣接しており通勤に便利であったが、老朽木造密集市街地が拡がり、悪い居住環境が継続していた。守口市は大阪府下の市町村でもっとも早く幼児教育無償化を実現したので、その直後には転入人口は増えたが、幼児の就学期にさしかかると大阪市に転出する世帯が続き、結局増えなかった。市内の公立小学校の教育レベルが高くなかったからである。そこで、居住環境を総合的に良くする施策を展開する形で、今後の10年間努力することを議会とともに合意した。毎回の審議会には、事案に関係する部局の職員の同席をもとめ、委員の質問には関係部局の意見を述べていただくことを徹底した。つまり、審議会の進行が学習過程となったのである。たとえば、市の職員の半数近くは市外から通勤するという実態が明らかになった。これでは人口は増えないのである。市の北東部には高速道路と国道1号線の結節点に、地下鉄のターミナルとモノレール駅がつながり、総合的な超大型のショッピングモールが立地している。また、北西部の淀川左岸一帯は広大な自然環境に恵まれ、かつての小さな町工場・町家群がマンションに置き換わってきている。中心部の旧密集市街地では、公園を中心とした再開発によって、大型の遊具設置・スポーツセンターを中心とする総合化に衣替えし、休日には子育て世帯や児童・生徒が市外に出ていく必要を少なくする努力を継続している。そして、環状の幹線道路沿いの旧小規模製造施設地帯には、大型の施設群の誘致に成功し、そこへの通勤客の増加が顕著である。市域を貫通する京阪電車の通勤・通学時の混みようは、大阪市域から遠い沿線ほど満員状態であり、守口市などでは、短時間かつ快適である。この実態は沿線の住民にはよく理解されていない。将来、南海トラフ巨大地震が起こった場合、同市は震度6弱であっても格段の被害は発生しないし、津波浸水も起こらないので、特別の対策は不要である。通常の地域防災計画の推進によって対応できる。
さて、東日本大震災からの復興まちづくりは、総じて成功したとは言えない。この原因は阪神・淡路大震災から生まれた『創造的復興』を誤解しているからである。"創造的"とは目標が時代とともに変わるということであって、固定したものではない。コンパクトシティづくりも、開始に当たって、ゾーニングによって目標を固定するというような間違いを犯している。まちづくりとは、事業の過程を示す言葉であり、結果はそれに伴うものである。地方創生でも、総花的な「まち、ひと、しごと」の重要性が挙げられているが、もう一つの要因が欠けており、これが致命傷になって失敗の連続である。それは「地域文化」の継続的な振興である。私たちは「科学(客観性)」を信奉するあまり、この重要性を忘れている。ここで紹介した高槻市と守口市は、前者は無意識に、後者は意識して、新たな地域文化創成に継続的に挑戦しているのである。