メールマガジン

コラム

執筆者:跡見学園女子大学観光コミュニティ学部教授 鍵屋 一

2018.03.26

自学で道を拓く -大学院での学びから大学教員へ、そしてライフワークに生きる-

 自分で動いているか、それとも他のものによって動かされているかということは大きな分岐点で、人間の脳はそれをすごく敏感に区別します。人間の目には、風に舞う木の葉と、空中を飛ぶてんとう虫は全く違う存在に見える。それは脳にとってすごく重要な違いだからです。茂木健一郎『科学のクオリア』

 

大学院にとりあえずチャレンジ

 板橋区役所職員として40歳を迎えた時、漠然とした不安感に取り付かれてしまった。商工部門で働いて、面白いように補助金が取れるのだが、どうも行き当たりばったりだ。何かが違う。そんな気がしてしょうがない。そういえば、自分の人生もこんなふうに、その場しのぎできた。

 何か、しっかりしたものが欲しいと思っていると、法政大学大学院が社会人向けに夜間政治学修士課程を始めるという小さな記事が目に留まった。だが受験料だけで3万円、入学したら初年度が100万円、2年目が70万円。共働きではあるが、小さい子どもが2人いて、住宅ローンも組んだばかり。とりあえず、受験する、しないに関係なく卒業証明書や受験動機などいろいろな書類をそろえてみた。後から考えると、これが重要だった。重い決定をする前に、作業レベルの雑務をすませておく。すると、作業に引きずられずに、純粋に利害得失だけで決定ができる。

 ところが、利害得失を考えると、家族との時間やお金などの害や失は計算できるが、利と得は計算できない。修士をとっても家族や役所に評価されるわけでもなく、もちろん給料も上がらない。最終日に、ふと「これを逃すと大学院で学ぶことは2度とない、貴重な経験を逃すのはもったいない」と思い直し、ぎりぎりで、郵便局に願書を持ち込んだ。

基本を楽しく身につける

 基礎的な知識が欠けている段階では、自分の関心分野に限らず、幅広く基本を学ぶことが重要だと思う。(斉藤孝『座右のゲーテ』には、人類の良き資産を継承することの大切さがこれでもかと説かれている)。しかし、広く学ぶためには時間と継続的努力、そして忍耐が必要だ。

 怠け者の私が、楽しく努力を継続できたのは、社会人向け大学院のおかげだ。たとえば政治学はとても幅が広い学問だが、世界の歴史、宗教や思想、産業などを踏まえながら、世界や日本で政治がどのように行われてきたのか。この延長上にどんな姿が想像できるのか。言葉にはできなくとも、感覚として理解していく。素晴らしい先生がいて、志を同じくする仲間がいて繰り返し議論を重ねることで、自らのバックボーンが形成されていく。

 専門でもないのに長く続けた研究に憲法がある。2007年8月には、五十嵐敬喜先生と大学院の仲間とで7年間にわたる研究の成果として「国民がつくる憲法」を出版することができた。まさに継続は力なり、と実感する。

常識を疑え

 私たちは、学生時代の知識やマスコミ報道で先入観にとらわれている。しかし、常識はしばしば、現実と異なっている。私自身が大学院で学んだことでは、次のような例がある。

 常識:「民主主義の原理は多数決である」

 現実:民主主義は人類が発明した革命的な制度である。敵を倒すため武力で相手をやっつけるのではなく、武力を使うことなく多数を得ることで勝敗を決することができる。ただ、歴史的には多数決原理を優先し、感情に任せた愚かな決定がなされることも多かった。民主主義は多数を得ることそのものよりも、手段としての議論により、より良い方策を生み出すことにその真髄がある。また、多数決が万能であれば、たとえば少数者の権利を迫害するなどの弊害が伴う。他人の辛さ、悲しみを自分の辛さ、悲しみと感じる人間性を民主主義は求めている。

防災に生きる

 2000年に防災課長となったとき、自治体職員向けの良いテキストがなかった。そこで、編集者に相談して地域防災の本を書くことになった。その著書が「地域防災力強化宣言」で、2005年度の法政大学地域政策研究賞優秀賞に選んでいただいた。

 著書が出てからは、原稿依頼が増えたり、国の委員会などにも呼ばれて、ますます深く防災を考える機会が増えてきた。防災課は4年で異動したが、福祉事務所、契約管財、地域振興と職場を移っても、法政大学大学院兼任講師をさせていただきながら、研究を継続しNPOなどで実践していた。

 2011年3月11日、東日本大震災が発生した。4月から福祉部長だったが、志願して危機管理担当部長を兼務させて頂いた。新たな方針を立て、地域防災計画を見直し、担当課と防災課に協働して実務マニュアルを作成してもらい、150本のマニュアルすべてに手を入れた。政策の窓が開いている時間は短い、この機を逃してはならないと必死で作業した。

 その後、議会事務局長に異動したが、跡見学園女子大学が新たな学部を立ち上げる機会に声を掛けていただき、定年2年前に退職して大学教員になった。この間、京都大学の林春男先生のご指導で、博士号をいただいた。こうしてみると、人生の大きな転機は、人とのご縁によってもたらされることを実感する。

 防災研究、実践を続ける中で、政府、自治体の政策だけでは、国も地域も十分な防災力の向上ができないことを痛感した。地域住民、民間セクターを問わずあらゆる組織、国民が本気になって備えなければ、南海トラフ巨大地震や首都直下地震で国が潰れてしまう。

 主張するだけでなく、行動が必要と考え、仲間とともに2016年11月に、一般社団法人福祉防災コミュニティ協会を立ち上げた。会長には障がい者福祉に詳しい浅野史郎元宮城県知事に就任していただいた。福祉部門が特に災害に弱い実態があるからである。ほかにも、防災教育やマンション、地域防災などのNPOや一般社団法人の理事を5つほど兼ね、防災をライフワークとして走り回っている。

変わらずにあり続けるためには変わらなければならない

 現代では社会の変化は非常に大きく、しかも加速化している。自治体職員が現状に留まることは、自治体が時代の流れに遅れることを意味する。では、どうするか。職員が学び続け、変わり続ける以外にないのではないだろうか。

 最後に、自学を志す人にダーウィンの言葉を捧げたい。「最も強いものが生き残るのではない。最も賢いものが生き残るのでもない。生き残るのは変化するものである。」