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第87回2012.06.27

インタビュー:豊島区保健福祉部 部長 東澤 昭さん(上)

 東京都豊島区の都営「西巣鴨」駅を地上に出てすぐのところに、廃校を利用した、アーティストのための支援センターがある。区の所有物であるが、その運営等はすべて、NPOなどに任せられている。そこでは、著名な劇団の舞台稽古がされていたり、無名の劇団の稽古や上演がなされたり、さまざまな形での利用がなされている。この場所は、芸術文化の一つの発信拠点となっている。
 自治体の仕事で、「芸術文化」が占める割合は、必ずしも大きくない。まして、昨今のような財政緊縮下では、真っ先に削減されていく予算の一つである。
 そのような状況下でも、いかに、地域の文化、日本の文化を守っていくか、育てていくかについて、真正面から取り組んできた、一人の自治体職員がいる。
 今日は、豊島区の東澤さん(前の文化商工部長、現・保健福祉部長)にお話をお聞きする。


にしすがも創造舎のオープンまで

稲継   今日は、豊島区保健福祉部長の東澤さんにお話を伺います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

画像:東澤昭氏
東澤昭氏

東澤   よろしくお願いいたします。

稲継   今日、お邪魔しているのは豊島区の庁舎ではなく、にしすがも創造舎という場所で、この場所がどういうところかお話しいただけますか。

東澤   ここは旧朝日中学校という閉校施設を演劇の稽古や地域の交流事業、子ども向けのワークショップ、それから演劇公演などを行う文化創造拠点に転用した場所で、平成16年8月にオープンしました。平成13年に廃校になり、一旦ある私立高校の仮校舎として貸し出しをしていたのですが、平成15年に返還されて当面の活用が決まっていないという、ちょうどその時期に私が文化デザイン課に異動となりました。

稲継   文化デザイン課長ですね。

東澤   はい。文化デザイン課は平成15年4月に初めてできた組織です。文化振興は通常教育委員会の社会教育課などでやっていますよね。

稲継   普通はそうですね。

東澤   もしくは、企画政策部門に文化国際化担当のセクションがあったりしますが、そういう区の中で分散している文化関係の仕事を統合して集中させるためにつくったのが文化デザイン課で、私が最初の課長になりました。話は遡りますが、ちょうどそういった組織改正をしようとしていた頃、東池袋の再開発地区に建設されるビルの中に劇場をつくることが課題となっていました。再開発ビルの保留床約6,000平米を豊島区が購入して、その中に図書館や区民が交流できるような施設、劇場のようなものをつくろうとしていたわけです。劇場の計画は紆余曲折がありまして、平成14年度末に出した計画が「こんな施設ではとても演劇に使えない」と地域の演劇人の方々の批判を浴びてしまい、白紙から見直そうというタイミングの時に私が課長になりました。実は私は、若いときからずっと演劇をやっているんです。

稲継   それはプライベートで?

東澤   もちろんプライベートですが、俳優なんです(笑)。

稲継   ああ、そうですか(笑)。(東澤さんに内緒で、 稲継がみつけた、俳優「流野精四郎」としての写真)

東澤   当時私は介護保険課長でしたが、「おまえ、少し演劇のことに詳しいだろうから、この図面を見て何が問題なのかを報告しろ」と副区長から声がかかったのが、きっかけです。そこで自分の観点から課題を整理したレポートを出しました。加えて、当時は学校統廃合で区内に11校ぐらいの廃校がありまして、それを何とか活用して芸術創造拠点にできないかというのが私の思いでした。というのは、豊島区には、戦前、昭和の初めから終戦間際にかけて、池袋の西側地区一帯(旧長崎村)にアトリエ付きの下宿屋がたくさんでき「長崎アトリエ村」と呼ばれていました。美術学校に通う学生や若い芸術家が集まってきて、芸術家村ができていたという歴史があります。平成6年に豊島区長崎にできた特別養護老人ホームの名前を「アトリエ村」としたぐらい、長崎アトリエ村というのは豊島区の歴史の中で大きなインパクトを持っていると思います。ただ集まるだけではなくお互いに切磋琢磨しながら作品をつくったり、夜になると池袋に繰り出しては立教大学の学生たちと交流したり、芸術論を交わしたりした。詩人の小熊秀雄がその様子を「池袋モンパルナス」と名付けました。そういった過去の歴史があるので、人が集まって交流し、お互いに刺激し合って新しい物を生み出していく、そんな場所、新しい未来のアトリエ村を廃校を活用してつくろうというレポートを提出したわけです。それが平成14年度の末で、そんなことがきっかけで平成15年度スタートの文化デザイン課長に選ばれたのではないかと思っています。

稲継   なるほど。そのレポートを見た区長が「やってみろ」と。

東澤   面白いと思ってくれたのではないかと思います。閉校後、ここは普通財産となっていて、それを2つのNPO法人「アートネットワーク・ジャパン」と「芸術家と子どもたち」に無償貸与して事業を展開してもらっています。いろんな演劇団体の稽古場として貸した利用料での自主運営を基本としていますので、区がそれほどの予算を投入せずに運営できる仕組みです。私は以前からこの2つのNPOに関心を持っていました。別の閉校施設での地域開放事業で演劇やアート活動をサポートする仕事をされていて、その発表会などを私は見ていたんです。これまで見たことがないような斬新な新しい視点でアートに取り組んでいらっしゃるので、面白いな、何かうまく関係をつけられないかなと思い、紹介してもらった経緯があります。ちょうどその当時、豊島区では区民との協働を推進するため区民から協働事業の提案募集を行っていまして、平成15年9月に2つのNPOから提案を出していただきました。
 「アートネットワーク・ジャパン」は今の演劇状況の中で作品を創る場所である稽古場がないのが最大の問題だと捉えていまして、現在使われていない公有財産を活用して芸術創造環境づくりの拠点にするという協働事業の提案でした。一方の「芸術家と子どもたち」は、小学校の授業にアーティストを派遣して、子どもたちに芸術体験をしてもらうというコーディネートをしているNPOです。彼らはチルドレンズ・ミュージアム、つまり子どもたちが気軽にアートに触れたり、ワークショップをやったりするような場所として閉校施設を活用するという提案でした。両方の提案を組合せると、とても形がいいわけです。協働事業の提案を受けた後は、審査会にかけられ、所管課として文化デザイン課が話を聞きながら実現化に向けて協議するということでマッチングされ、半年以上かけてどういった事業展開ができるかを一緒に話し合いました。それが平成15年9月で、1年後の平成16年8月に「にしすがも創造舎」がオープンします。(にしすがも創造舎の概要

稲継   なるほど。

東澤   実際に運営ができるかどうかは冒険でしたが、基本的には施設を無償貸与する代わりに、光熱費、人件費などの運営費は自分たちで賄ってもらうというスキームにしました。ただ任せるだけではなく、区の文化政策である創造環境づくりや文化芸術拠点を整備するという方向に沿った運営をしてもらうという協定書を結んだうえで、使用貸借契約を締結しています。事業展開にあたっては常に区とNPOが話し合いを重ねながら様々な協働事業を実施しています。

稲継   なるほど。

にしすがも創造舎への側面支援

東澤   併せて、施設のオープンと同時に内閣府の地域再生計画に応募しました。ここは以前、国の補助金をもらって整備していますので、学校以外のものに転用する場合には補助金を返さないといけない。その返還を免除してもらうために、地域再生計画の支援メニューを活用することにしました。これが最初の申請で、文化芸術創造都市の形成計画を策定し、その中で「補助金で整備された公立学校の廃校校舎等の転用の弾力化」という支援メニューを使いました。その後も何度か申請しているんですが、次が平成17年、地域再生法が制定された後の初めての地域再生計画で、その時は「文化芸術による創造のまち支援事業」と、「地域再生に資するNPO等の活動支援」という2つの支援メニューを使いまして、活動に対する助成金をいただきながら様々な事業を展開しました。(地域再生計画の概要

稲継   こういうメニューはそのつど探してこられるんですか。

東澤   ええ、そうです。その当時、文化デザイン課はそんなに人数がいなかったもので、私が一生懸命......。

稲継   課長が何かないかと探していたんですね。

東澤   そうです。何とか財源を確保できないかと思って探しました。平成18年3月に使ったのが「日本政策投資銀行の低利融資」という支援メニューです。これが必要だったのは、実は体育館なんです。それまで体育館は稽古場としては随分活用されていて、規模の大きなものとしては最初に、日生劇場で上演された蜷川幸雄さん演出の『ロミオとジュリエット』の稽古に使っていただきました。
 蜷川さんはこういった場所の大切さをよく理解されていましたし、この場所をすごく気に入っていただき、「ここでぜひ公演をやりたい」ということも言ってくださいました。運営しているNPOの人たちも、ここで創った作品をこの場所で上演したいという希望を持ち始めていたところでした。ただ、そのためには体育館を劇場として使用できるように造り替える必要があります。区として助成金を出せる財政状況ではありませんでしたので、NPOに融資を受けてもらい、その資金で改修することにしたわけです。オープン時にも、もともと学校の体育館には空調がないので夏場の稽古はネックだったのですが、NPOが独自に資金調達して空調設備を整え、それで稽古ができるようになったという経緯がありました。それに加えて今度は、体育館の屋根に雨が降っても音がしないようにするとか、客席を組むためのしつらえなど、劇場として使用するための改修工事を行ったわけです。

画像:体育館の屋根
体育館の屋根

 融資の話のきっかけは、当時内閣府の企画官だった岡本さんという方が、地域再生計画の認定を受けた後、「にしすがも創造舎」の活動に大変興味を持たれて、親身に相談に乗ってもらったりしていたのですが、劇場化したいという話を聞いて日本政策投資銀行の方に声をかけてくださったようなんです。日本政策投資銀行の担当の方は、本当に融資が可能かどうかというリサーチのために、東京中の劇場や演劇の稽古場の状況をヒアリングして調べまくったようです。今では、演劇に一番詳しい金融マンだと自負するくらい、あちこちいろんなところをリサーチして、融資の承諾を得るまでこちらの立場で相当動いてくださいました。投資銀行の規模からすると微々たる額に過ぎないと思うのですが、地元の金融機関である巣鴨信用金庫と日本政策投資銀行が1,500万円ずつ融資するという協調融資でした。ただ、投資銀行からはいろんな条件が付いて、区としてもっとバックアップできないのかということで、例えば、融資する以上は、単年度ごとだった契約期間を5年ぐらいの長期にしてくれないと、返済が......。

融資についても東奔西走

稲継   返済計画が立たないですよね。

東澤   そうです。計画が立たないということで、庁内の会議で契約更新までの期間を5年間に延ばす承諾を得ました。それからもう一つ大きな要素として、融資にあたって区が金融機関と損失補償の契約を結びました。法律では債務保証が禁止されています。損失補償がその抜け道に使われているとの議論もあり、今ではなかなか難しい手法だと思いますが、そうやって区としてバックアップする態勢をとりました。区がそこまでやってくれるならと日本政策投資銀行にも融資を認めていただきました。両金融機関ともNPOに融資するのは初めてということで、当時新聞等でも大きく報道されました。
 その後は区として特別な手当をしなくても、地元金融機関とNPOはいろいろ協力関係ができているようです。例えば、このNPOは様々な助成金を受けて事業展開をしていますが、そうした助成金の多くは清算払いなので、支払いのためのつなぎ資金については、巣鴨信用金庫が現在も融資してくださっています。

稲継   NPOを巻き込みながら旧朝日中学校をどう活用するかを考え、実際に動き始めてからはメンテナンス、融資について東澤さんが奔走されていたということですね。

東澤   もちろん私1人ではなくチームで動いていたわけですが、横からアドバイスをしてくれた先輩もいました。この融資の件で、区側の態勢が整わず、かなり行き詰まって悩んでいた時期があって、当時の総務部長にいろいろ話を聞いてもらったりしていました。総務部長自身は区の公有財産管理運用の責任者で、閉校施設をNPOに貸し付けて文化拠点にするということに必ずしも賛成の立場ではなかったと思いますが、「商工部長がNPOへの融資の仕組みづくりに関心を持っているようだから相談してごらん」とアドバイスをしてくれまして、商工部長の所に行ったところ、金融機関の融資担当者と調整してくれたり、すごく積極的に動いてくださって、一気に道が開けました。

稲継   NPOの認知度が徐々に高まりつつあった頃ですよね。

東澤   そうですね。豊島区は熱心に区民との協働事業をやっているほうだと思います。私どもの高野区長は「とにかく行政だけが勝手にやっていても区政はうまくいかない。区民と一緒にやらないといけない」ということを絶えず言っています。豊島区では初めての民間出身の区長で、しかも古書店業から区議会議員、都議会議員、そして区長になった方で、常に「街の人の視点に立て」ということを私たち職員に対して粘り強く働きかけています。民間、区民、NPOが手を結んで一緒にやっていく事業をどんどん広げていた時期でした。

稲継   そういう区長がいて、しかも文化に造詣の深い東澤さんがおられて、いろんな条件がマッチングして、にしすがも創造舎ができたということですね。

東澤   そうですね、はい。

稲継   その後、今はNPO法人が運営していて、中の改装などは?

施設の概要

東澤   この玄関ホールはカフェとして使われていますが、建築家の遠藤幹子さんが空間設計されました。ご覧になったように、校庭の向こうに花壇がありますが、あれは「芸術家と子どもたち」が地域の方々と一緒に緑化や野菜づくりなどのグリーン・プロジェクトをやっている場所で、そこで採れた葉っぱにうまく色づけをして壁の装飾をするというワークショップをやりながら、みんなでつくっていった部屋です。

稲継   先ほど、蜷川さんの稽古場として体育館が使われたということですが、主にどういう方がどのように使われることが多いんですか。

東澤   体育館は大がかりな商業演劇などの稽古場として使われることが多いです。その利用料によって施設全体の運営費の大半が賄われています。一方で、校舎棟の教室は、若くてあまり資金力のない劇団に貸し出されています。

稲継   なるほど。

東澤   若いアーティストを育てることをこの施設の大きな目的にしていますので、こちらは安くお貸ししています。もともと規模の大きな学校ではありませんから教室数も少なく、こちらの利用料だけでは運営できません。体育館からの収益が大きく、それで全体の光熱費や人件費を賄っている状況です。今も大掛かりなミュージカルの稽古が入っています。

稲継   校舎も先ほどから、外国人、若い女優さんなどいろんな方が出入りされていて、にぎやかに使われていますよね。

東澤   そうですね、今日も稽古などで使われています。土日だと「芸術家と子どもたち」が子ども向けの絵本の読み聞かせや親子が参加するワークショップなどをやっていますので、もっとにぎやかです。この場所も今日はお休みですが、普段はカフェになっていますので稽古に来た方がここでお茶をしたり、ご近所の若いお母さんたちが子どもを連れて来て交流の場になったり、さまざまな展開ができていると思います。
 今この施設はNPOに無償貸与したうえで運営してもらう方法をとっていますが、いろいろ考えたんです。事業を委託する方法、指定管理にする方法、無償貸与で展開する方法と3つの選択肢があると思いました。考えるうえで大きかったのは、公の施設にしてしまうと公平性を担保しなければいけないということで、それだと1つの団体が同じ月に使える回数が制限されます。

稲継   そうですね。

画像:にしすがも創造舎特設劇場(元体育館)
にしすがも創造舎特設劇場(元体育館)

東澤   演劇をしている若い人たちにとって最大の悩みは稽古場の確保です。みんなジプシーのように重い荷物を背負って、毎日違う集会室や公民館のような場所を移動しながら稽古をするのが大変なんです。それではよい作品も生まれません。ここでは半年ごとに利用劇団を募集して、選定されたところが最大1カ月占用できるという仕組みになっています。そういうことが公の施設にすると難しいので、いまの方法を選びました。

稲継   なるほど。

文化政策で重要なこと

東澤   文化政策で一番重要なのが、文化行政の教科書にも載っていることですが、「発表する場」、「交流する場」、「学習する場」の3つがうまくリンクして循環するような仕組みをつくることだと思います。これまでは、ただ単に発表会のための会場の貸し出しだったり、行政が企画した生涯学習の講座を聴きに来てもらうだけだったりと、3つの要素を同時に展開できる場所がなかなかつくれませんでした。それが、こういう場ができて初めて実現した好例になっているのではないかと思います。

稲継   東京近辺でこのような取り組みをやっているところは、私は聞いたことがないんですが。

東澤   ここが先例になって、結構出てきています。

稲継   そうですか。

東澤   新宿区でも、こちらの半年後ですが、日本芸能実演家団体協議会が淀橋第三小学校跡施設を活用して「芸能花伝舎」という施設を開設して運営しています。敷地内には新国立劇場の演劇研修所も入っています。それから東京都が、旧都立日本橋高校を改修して「水天宮ピット」という舞台芸術の創造拠点を平成22年にオープンしたり、そういった動きは各地に出てきているようです。

稲継   そのいろんな動きの先駆けが、ここですよね。

東澤   そう思います。

稲継   廃校を利用しようというアイデアと、お金の引き出し、役所の決められた財務規則の中でのややこしい話のクリアや、頭の固い役人の説得など、先駆けてやったことがどんどん広がっていったということですね。

東澤   はい(笑)。

稲継   ありがとうございます。にしすがも創造舎のほかに、文化デザイン課長としてどのような仕事をなさいましたか。

東澤   文化デザイン課長として最初に取り組んだのは、豊島区文化政策懇話会の事務局として提言をまとめるという仕事です。その前年、平成14年はちょうど豊島区が誕生して70周年という記念の年でした。そのとき私は全く違うセクションにいましたが、区では、文化を中心とした記念事業を展開しようとしていました。財政状況の厳しい時期だったのでお金はかけずに、従来から区民が取り組んでいるイベントや地域のお祭りに「70周年」という冠をかぶせて、年間を通じて展開するという、豊島区が文化のまちづくりに取り組む大きなステップになった年でした。その平成14年に区では文化政策懇話会を立ち上げました。座長に資生堂名誉会長の福原義春さんをお迎えし、専門部会の部会長を埼玉大学経済学部・後藤和子先生にお願いして、本格的に豊島区の文化政策のあり方を議論していただきました。福原さんは銀座の方ですから、はじめは「なぜ地縁もない私が豊島区で座長をするのか?」と相当に渋られたようです。福原さんがなかなか受けようとされなかった最大の理由は「行政は計画を作るのはいいが、作ったらおしまいで何も実現しない。時間の無駄であり、自分はそういうものにはもう関与したくない」ということだったそうですが、区長は「いただいたご提案は必ず実現します」と大変な熱意で口説いて、福原さんもその真剣さに打たれたと仰っています。
 私が文化デザイン課長になったのは、懇話会がスタートして半年たった時期でした。翌平成16年1月に提言をいただいたのですが、その中には「質の高い芸術文化創造環境の整備」とか「文化の担い手、推進者等の人材育成」といった、今に生きている提案がありました。それらがこの場所で実現しています。
 人材育成の面では、区長の発案で「としま文化フォーラム」というのを立ち上げました。塾長には、当時東京芸術劇場の館長で、シェイクスピア全作品の翻訳で知られる小田島雄志先生をお願いしまして、そのフォーラムのスタートしたのが平成16年5月です。今ではゲストにお迎えした文化人も延べ100人を超えていて、ちょうど昨日(5月7日)、100回記念の文化フォーラム(としま未来文化財団からリンク)が開催されました。昨日は、東京芸術劇場の芸術監督である野田秀樹さんと、コンドルズというダンスパフォーマンスグループの主宰者である近藤良平さんの対談でした。これまでには考えられないような著名な文化人に来ていただき、区民の人たちと一緒に文化のあり方を考えるということを積み重ねてきました。
 また、平成17年には「文化創造都市宣言」を行いました。豊島区がこれから文化のまちづくりを進めていくということを高らかに宣言するというもので、議会でも全会一致で議決していただきました。その年の11月に宣言の記念式典を大々的にやり、翌年3月には文化芸術振興条例を制定しました。

文化芸術の仕事を他の部局でも

稲継   文化芸術振興条例?

東澤   ええ。

稲継   条例としてですか?

東澤   条例としてです。文化芸術の振興にあたっては区民と協働で事業展開するという基本理念ですとか、区の責務や区民等の役割などを定めたものです。

稲継   それは極めて珍しい条例ですよね。

東澤   先行例はありますね。

稲継   ありますか。

東澤   いろいろ調べたうえで、独自性を出そうと努力しました。平成13年12月に国が「文化芸術振興基本法」をつくりましたよね。それを受けて、東京都も文化振興指針の策定に入っていましたし、区として条例をつくろうということになりました。特色は、高齢者、障害者等の文化芸術活動の充実や学校内外での子どもたちのための文化芸術施策の充実、文化芸術の担い手の育成などといった視点を盛り込んだところです。確かに議会でも議論しにくいし、なぜ条例なのかと思われたかもしれませんが、反対もなく議決をいただきました。

稲継   文化デザイン課長は何年間ぐらいですか?

東澤   4年間です。

稲継   4年間で、これをつくり、文化政策懇話会の提言を実現していき、文化創造都市宣言をし、条例をつくり、とさまざまなことに取り組まれていますが、その後は別の部署に行かれましたか。

東澤   平成19年4月に総務課長になりました。

稲継   総務部の総務課長に?

東澤   そうです。

稲継   そのときは、文化芸術とはあまり関係のない仕事でしたか。

東澤   総務課は何でも屋で、ある意味で何にでも首を突っ込める部署ですよね。例えば、平成20年に中央図書館が区内外の有識者や図書館、出版関係者が顔をそろえる「図書館サミット」を開催したのですが、そのお手伝いをしました。当時、豊島区には顧問が二人いらっしゃって、一人が芸術顧問の小田島雄志先生で、もうお一人が図書館行政政策顧問の粕谷一希さん。

稲継   はい、はい、『東京人』の編集長だった方ですね。

東澤   粕谷さんは雑司が谷にお住いの豊島区民で、出版や書籍の専門家として図書館の運営に関与していただいています。その粕谷先生の発案で、図書館サミットが開催されました。私は文化デザイン課長の頃から懇意にしていただいていて、サミットのアイデア段階で声をかけられまして、個人的な立場で、先生方が考えているビジョンを企画書の素案にまとめるお手伝いをしました。図書館が主催の事業ではあるんですが、当初の想定を超える大がかりなサミットになったので、全庁的に応援体制を組むことになり、今度は総務課長として公的な立場でパンフレットの作成や当日の運営に携わるといった手伝いをしました。なので、文化芸術にまるで関わりがなかったわけではありません。

稲継   私のイメージでは、普通は図書館行政は教育委員会がやるのに、総務部の総務課長が携わっておられるのは違和感というか、すごいなと思うんです。

東澤   その前段の話として、平成20年度から図書館は組織上、区長部局である文化商工部に位置付けられているんです。

稲継   ああ、そうなんですか。

東澤   文化商工部の中の図書館担当部長が統括する形で、区長部局に図書館業務が来ているんです。

稲継   では、区長に事務委任しているんですね。

東澤   そういうことです。ですので、区長としても相当力を入れていて「ぜひ成功させろ」と。

稲継   総務課長の後に文化商工部長になられるんですね。

東澤   ええ、そうですね。


  にしすがも創造舎でのインタビューは、諸設備の館内案内も含め、長時間にわたった。しかし、東澤さんの次から次に出てくる話は、時間の経つのを我々に忘れさせ、彼の話に聞き入ることになった。相当の苦労があった部分も想像されるが、東澤さんの素敵な笑顔は、それすら感じさせない。