メールマガジン

第27回2007.06.27

インタビュー:人材育成型人事考課制度~ 大阪府岸和田市広報公聴課長・小堀喜康さん(上)

 これまで、分権時代の自治体職員をどのように育成していくのか、という点について皆さんとともに考えてきた。読者の方々からもたくさんの励ましのメールをいただいた。その全部をJIAMホームページにご紹介できなかったのは心苦しい限りであるが、そのいずれのメールも筆者にとって大変参考になるものであった。この場を借りて心からお礼申しあげたい。ありがとうございました。
 これまで述べてきた筆者の見解(特に自学を重視するという点)には若干の偏りがあるかも知れず、批判的な見解もおそらく存在するだろう(メールで送られてこなかっただけだと思う)。しかし、筆者の見解に賛成するにせよ反対するにせよ、分権時代の自治体職員について、「その能力を飛躍的に向上させていかなければ、激動の時代の自治体運営は困難になる」という点については、同意して頂けるものと思う。
 全国の自治体には、この問題について真剣に考えてこられた職員の方々も多数おられる。今回からしばらくの間、そのうちの何人かの方々に登場していただいて、お話をお聞きしていきたいと思う。
 まず第1回目は、人材育成型人事考課システムを構築し、その普及につとめてこられた、大阪府岸和田市の小堀喜康さん(現在は、同市広報公聴課長)にお話をお聞きする。


稲継 本日は、お忙しいところありがとうございます。
 このメルマガでは、人材育成についてこれまで考えてきましたが、本日は、人材育成型の人事考課制度として、全国的にも注目されている人事考課制度を開発された岸和田市役所の小堀喜康さんにインタビューさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
 まず、小堀さんの簡単な自己紹介としまして、今までどのようなお仕事に携わってこられたのかお教えいただけますでしょうか。

画像:小堀喜康氏写真
小堀喜康氏

小堀 私は、昭和50年に岸和田市役所に入庁しましたが、最初は教育委員会で11年間、学校関係の予算であるとか、学校の建設事業を主に担当してきました。その後、広報公聴課へ異動になりまして、広報誌づくり、CATV局でテレビ番組づくりといった仕事を7年間しました。その後、研修係長ということで人事課へまいりました。それ以後、今年の3月まで14年間人事の仕事に携わってきたことになります。
 人事課では、研修が入口だったものですから、人材育成、職員の能力開発ということを、ずっと14年間自分自身のテーマとして取り組んできました。その後研修係長から人事係長、人事研修係長を経て、人事考課制度の開発を担当するようになりまして、主にここ数年については、人事考課制度の開発を専任としてきました。

稲継 今、お話の中にございましたが、人事課に異動になってからは人材育成にずっと携わってこられました。小堀さん自身の中で、人材育成というものに対する考え方について、最初はどのように思っておられて、今はどのように人材育成について考えておられるんでしょうか。

小堀 最初は、研修係長を命じられたこと自体が大変意外でして・・。なぜかと言いますと、人事課に行く前に、自主研究グループに参加していましたが、その当時はまだ自主研究グループというものが全国的に広まってなく、そういうグループを作るということが、一般化しておらず、めずらしい特異な存在でした。
 岸和田市の組織の中でもどちらかというと、不穏分子、不満分子の集まりと見られがちで、私もそういう意味では睨まれていたというか・・。当時、その研究会で研究誌を発行しましたが、その中で私は人事行政、あるいは、研修のあり方に批判をしていまして、その2年後に研修係長を命じられたということで、研修を批判した者が研修担当になったわけです。ただ、私自身が思っていた、外から見た人材育成、職員の人事といったものが中に入り、当事者になりますと、やはり視点がかなり変わってきました。
 外から単純に表面だけ見ているのと、実際に自分が担当するのとでは違うということを痛切に感じなから、しかし同時に外部の職員だった時の視点をずっと持ちつづけながら取り組んできたつもりです。
 本当にどうだったか、これから、私自身人事課から異動しましたので、今回振り返って、整理したいと思っています。ただ、この14年間、そういう視点を持ち続けてきましたので、自分なりの新しい人材育成というものがある程度はできたのではないかと思っています。

画像:稲継裕昭氏写真
稲継裕昭氏

稲継 外から批判的に研修について考えていたところ、2年後に研修担当係長になられたということで、非常に驚かれたということでしたが、研修係長になられた後14年間に様々なことをやってこられました。研修では、どのような取り組みをされてこられましたか。

小堀 私が研修係長になって前任者から引き継いだ時には、中規模の自治体ではありますが、それなりに体系が作られていて、新規採用職員の段階から何年時はどのような研修を行うという形で体系化された研修がきちんとできていました。これはいわゆる階層別研修で、座学(講義形式)のものが中心で、どちらかというと知識付与型の研修が行われていました。
 それに対して私は矛盾を感じておりました。講義を受けたからといって、あるいは強制して講義を受けさせたからといって、職員の能力が伸びるものか疑問に思っておりました。
 最近よく言われることですが、問題発見能力、問題解決能力はどのようにすれば育てられるのかという視点で、2年目に、主にグループワークを中心にした研修体系に大幅な改革をする取り組みを行いました。
 一度にはできませんが、私の後任が引き継いで改革に取り組んでくれております。特に数年前から人事考課制度と関連付け、あるいは、その前には人材育成基本方針として、人材育成の方向を明らかにしましたので、それに基づいて今申し上げた従来の知識付与型から自ら考えて行動する研修へと研修体系の改革、研修内容の改革がかなりできてきたと思っております。

稲継 研修係長を命じられる2年前には、当時の知識付与型の座学の研修について批判的なことを書かれておられましたが、それを実際に自分が研修係長となって改革を行われた。
 しかし、従来のものを大きく変える時は、どんな場合でも様々な抵抗や摩擦などのご苦労があったと思いますが、その辺のところをお話いただけたらと思います。

小堀 今、抵抗や摩擦などとおっしゃっていただきましたが、実は抵抗はあまりありませんでした。

稲継 え? そうなんですか。

小堀 なぜかと言いますと、従来、市のトップの方々、幹部職員の方々の研修に対する関心があまり高くなくて、どちらかというと自由にさせていただける状況でした。
 研修自体にあまり効果があると思っておられず、だからそういった座学的なもの、一般教養的なもので職員の教養を高めればいいと思っておられました。これは、私どもの当時の幹部職員だけの認識ではなく、全国的にもそういった認識だったと思いますし、無理はなかったと思います。
 ですから、そういった意味で抵抗はあまりなく、自由にさせていただけたと思います。

稲継 その後、人材育成型の人事考課制度に取り組もうとされたきっかけはどのようなものだったんですか。

小堀 研修の限界を感じたと言いますか、稲継先生もよくお話されていますように、本当に研修だけで人は育つのか、人が育つのはどのような時か。講義形式の知識付与型の研修では育たないと思います。しかし、グループワークとか、様々な形の研修に切り替えたとしても、研修を受けている時は職員も目覚めて、「これはすばらしい」、「こういう取り組みがあるんだなあ」、「自分もこういうことができるんだなあ」と気づいて、非常にモチベーションが高くなります。例えば1週間の研修が終わって、職場に戻って日常の職務の中に戻ってしまいますと、そこへ埋没してしまう。その繰り返しですね。
 行政課題研究といった半年間のロングランのグループ研究を行うと、その成果を市長はじめ市の幹部職員の前でプレゼンテーションして発表する際には、本当にいきいきとして取り組みますが、今言ったようなことがあります。そして、研修が終わって数ヶ月して、職場に様子を見に行くと以前と変わらないモチベーションの低い職員に戻ってしまっています。
 研修だけではだめだと思いました。やはり、職員が育っていくというのは、仕事の実践の中で、キャリアアップしていくということが必要ではないかと思いました。
 しかし、研修は効果がないということではなく、職員というのは、私自身の経験でもそうですが、やはり、人事異動で新しいセクションに変わった時とか、新しい仕事を任された時、そういった何らかの新しい環境、新しい仕事に直面した時に勉強して、あるいはスキルを身につけていい仕事がしたくなると思いますので、そのタイミングで学習する機会が提供されたら、非常に効果的な人材育成ができると思います。そういったものを作っていくためにはやはり人事考課といったものがあって、職員の適性なり、能力なりをきちんと把握した上で人事をしていくことが必要だと思いました。それが人事考課制度を導入、開発しようとしたきっかけです。


 次号に続く