メールマガジン

第141回2016.12.28

インタビュー:堺市市長公室広報部シティプロモーション担当課 課長 浦部 喜行さん(下)

 財政局の経営企画課で働いたころの印象深い仕事についてお聞きしたところ、「和モダンをニューヨークで売り込む」という提案が局長から降りてきた。どうするか。いったいどうなるのか。

浦部   日本の伝統産業とデザインというのをくっつけようという企画がありました。で、「和モダン」と当時は言っていたのですが、それをニューヨークに売りこんで、ニューヨークで流行らせて逆輸入しようと。局長の考えでは、日本全体の伝統とデザインを売り込むような話だったのですが、われわれは堺市という地方自治体ですし、堺には伝統産業がたくさんあるので、その辺は産業振興セクションと財政局で考え方が食い違ったりはしながらも、そういう形でニューヨークに売り込んでいこうという事業でした。当時の堺市にとっては、荒唐無稽な話でした。いろいろな民間の方々にも入ってきていただきました。事業自体は、結果として大成功!とはならなかったのですが、実際そういうことをきっかけにして、堺の和包丁はニューヨークとかヨーロッパで非常に売れています。現在は、モノは売れるけれども、包丁製作の担い手がいないということで、今はまさに担い手を増やしていこうとしているところです。そんなわけで、堺の包丁が世界に知られるきっかけとなりました。それ以外のところは非常に難しいというか、デザインがうんぬんという点は、当時の堺市にとっては時期尚早だったのかなという部分もあったかと思います。とにかく当時は、政令市になる前の中核市時代には考えられないようなアイデアがいろいろ出てきました。その中でも一番印象的なものでしたね。
 われわれとしては、政令市になっていろんな事にチャレンジしていこうと思っていました。それをとにかくやっていって、ほかの政令市と都市格を合わせていこう、追いついていこう、大阪市に負けないような文化度を持とう、みたいなことで、いろんなアイデアが局長をはじめ、みんなから出てきた時期でした。それらの調整をしたりとか。ニューヨークの話などは最後、事業自体も経営企画課が担当課になり、直接事業にも半年ぐらい関わらせていただいたりしました。
 その当時、京都吉兆の料理長だったり、高台寺の庭をつくっている庭師の方とか、そういう方々もプロジェクトに入っておられたので、なかなかわれわれが、接することのないような方々のお話も聞けたりしました。非常に職員全体の育成みたいなことができた時代なのかなと思います。よく笑いながら懐古する中で、われわれでは思いもつかないようなアイデアを出してきた局長だったんですけど、今になっていろいろ役立っているな、と感じる時があります。非常に実務的な話を例に出すと、どこも職員の定数削減の中で、やる仕事は多様化してきているので、公務員だけで行政を担うのではなく、人材派遣職員を入れたのです。一定の専門性を持ったような人材派遣は、今の堺市の中ではたくさんいます。今もうちのホームページの作成に関しても、編集とかに非常に詳しい人材派遣の方に来ていただいて、つくってもらっています。それまでは市の仕事をするのは、われわれ公務員とアルバイト、それ以外はせいぜいOBさんがごく僅かいらっしゃるという感じだったのですが、当時の局長の発案で、一定の専門性を持つ方々を入れようということになりました。それに対しては市長も「それは要員管理的に面白い、定数管理の中で検討してみよう」ということになりました。単なる委託発注ではない方策とか、そういうことも出てきたりしました。
 政令市になってすぐの頃は、堺市の従来の公務員の考え方も変わるし、ニューヨークの話もありますし、何か大規模フェスを誘致できないだろうか、といった民間提案もありました。非常に堺市政の空気が大きく変わった時代だと思います。そういうアイデア、われわれからすると荒唐無稽な、今までまったく考えたこともなかったようなことが出てくると。でも、今、振り返ると、政令指定都市はそういうこともやっているんだなと感じます。今になるとそういうことが普通に受け取れるんですけど、その当時は何を言っているんだという印象でした。今、われわれの同じ課長級とか、ちょっと先輩の部長級の中には、あのとき言っていたことを今やっているね、と言う方もいます。IMG_6442.JPG

稲継   海外の販路開拓とか、今になってみるといくつかの自治体で始めていますけども、当時は相当大変なことだったと思いますね。

浦部   アジアの販路開拓を大阪府さんが始めたころだったので、「そんな、ニューヨークに日本のものが」と言っていました。今は割と伝統産業をアメリカにとか、ヨーロッパにというのは当たり前になっていますが。そういうふうな感覚は先進的だったと思います。現在は、産業振興セクションに受け継がれて、ニューヨークに包丁をPRするとかもありますし、今は市内の普通の包丁の事業者さんとかが、当たり前にやっています。

稲継   ありがとうございます。経理、それから、財政、経営企画課をやってこられて、平成20年、2008年に人事の方に行かれるわけですよね。これは、どういう仕事をされた時期だったのでしょうか?

浦部   人材開発課というところで、主に職員研修です。企画と、実際の運営をするというような、JIAMさんと同じような形だと思います。この当時、1年しかいなかったのですが、当時の市長からは基本方針を立てて、きちっと研修を体系立てるようにとの指示を受けました。若手のときにはこういうことをとか、係長、課長補佐、課長という階層別に研修を体系立てるようなオーダーを課、部としていただいたので、それを策定するという、研修計画をきちんと作った時期でしたね。

稲継   なるほど。当時、「職員研修体系」が作られたときに心がけられたこととか、気をつけられたことは何かありますか。

浦部   堺市は、組織のガバナンスが他市に比べて弱いというのが、その当時の市長の認識だったので、課長なら課長のマネジメントをしっかりやっていくように、といったことです。現市長も非常に人材育成に力を入れておられるんですが、まさに課長を中心としたマネジメントみたいなところをしっかりと打ち出していくようにということで、それまでも若手の研修はしっかりやっていたんですが、課長とか課長補佐の研修とかに、力を入れていこうという動きがありました。あとは、外部の研修も積極的に受けるように、ということもこのころに割と力を入れるようになってきましたね。

稲継   先ほど、1年だけとおっしゃいましたけど、2009年、平成21年に異動されるわけですね。次は、どういう仕事を担当されたのでしょうか?

浦部   行政評価担当課長という、いわゆる行政評価ですが、これは半年ぐらいでして、本当に勉強するぐらいの状態で終わって、その後10月に大きな人事異動があり、行革推進担当課長に。行革のお仕事ということで、当時はいわゆる行革大綱というか、堺市では、行財政改革プログラムと呼んでいる計画を作らせていただいたりしました。外郭団体のてこ入れということで、外郭団体の見直し方針とか、非常に矢継ぎ早にいろんな計画をつくって、その計画をできるだけ遂行しました。今もできていないことはたくさんあるのですが、やれることから着手しようということで、堺市の場合、外郭団体はその当時も20ほどしかなかったので、団体数としてはそれほど多くなかったんですけど、一定の役割を終えたようなところに対して、市長と理事長の話し合いの場をセットしながら、三つほど団体を廃止するといったこともありました。いまだに首切りみたいに言われたりはするんですけれども、団体を具体的に廃止するような仕事とかもやりました。
 あと、当時事業仕分けが流行っていたのですが、市長も事業仕分けをやってみたいなと思っておられて、そういうオーダーがありました。とは言え、市長は単純な仕分けの進め方には疑問を持っておられました。それで、有識者の方々に来ていただいて、その方々の意見も聞きながら、市民の方々に投票形式みたいな形でどうかと。堺市の場合は事業仕分けという言い方ではなくて、「みんなの審査会(新さかい)」というのですが、「しんさかい」というのは審査する会で、ひらがなで書くと新しい堺、新堺(しんさかい)とかけてある。ちょっと関西風ですよね。ダジャレみたいなことも含めて、新しい堺をつくるのに、市民参加型で行政評価をいただくという制度、これは去年までずっと続いていました。今年はやらないようですが、そういったものを立ち上げたりしましたね。行財政改革が今の市長のもと、非常に大きく動いた時期だったので、やりがいはありましたね。外郭団体に市のOBの方々もいらっしゃる中だったので、議論とか大変なときもあったのですが、市全体のことを考えて理解いただき、今の社会情勢の中で納得いただいた上で、団体の皆さん自らに見直しをやっていただけたので、面白いというと非常に語弊があるんですけど、大変だけどやりがいがありました。

稲継   「みんなの審査会(新さかい)」って、ネーミングは誰がつけたのですか?

浦部   若手の職員に名称を募集して、その中で、「新堺事業仕分け」というのがあったんです。それは新しい堺の事業仕分けと書いてあったんですね。なら、いっそうのこと、「みんなの審査会(新さかい)」にしようかと、われわれのところで考えて、市長に「こんな意見があったので、こっちの方がキャッチーというか、伝わりやすいから」ということで提案したら、「それでいこう」と採用されました。

稲継   非常に分かりやすい掛け言葉ですよね。

浦部   住民参加で行政評価というのをやって、単純にではなくて、いろんな有識者の意見を聞きながら、市民の皆さんに悩んでいただく、そういう場として面白かったかなと思います。

稲継   市民の声も入れながら、しかし、専門的な人の考えを一応、述べていただいてという意味では、考えられている世界かなと。

浦部   私は大阪市立大学出身ですが、僕が大学にいたころに、神野先生、

稲継   神野直彦先生、経済学部におられた先生ですね。

浦部   IMG_6460.JPGはい、学生の頃、一度一緒にお酒を飲みに行ったことがありました。で、関西学院大学に来られたので、飛び込みでお会いして、実は市長が事業仕分けをしたいと言っているというお話をすると、神野先生が「私はああいうのに反対だ」と。単純に素人に聞くというのでもないし、有識者と言っても行政に関してはある意味無識者だという話。だから、全体に住民の方々を入れて、きちんと意見を聞いて、最後は住民が責任を持って審査をする、というように、もしやるのならそういうやり方だね、と。市長にもそういう話をすると、「それはそうだな、住民参加はこれから一番キモになるところだから」と、そういう意見もいただいて制度を考えることができたんですね。ある意味、職権をいいことに、神野先生と久しぶりにお話をする機会ができたし、いろいろな方々ともお話をさせていただきました。

稲継   なるほど。それなりの知恵者がいらっしゃったんですね。よく考えられているなと、先ほど聞いて思いました。ありがとうございます。ここに2年半ぐらい、行革推進担当課長をやって、2012年、平成24年にシティプロモーション担当課を作る、ということで、最初はどうでしたか。この職名、仕事を拝命したときは?

浦部   そもそもはシティプロモーションということ自体が、よそで取り組んでいるとは言いつつも、堺ではそんなのは全く無かったので、何をしたらいいのかと。都市PRというのでもないし、広報の中に、という位置づけも含めて、行政管理にも「ここは何をやるセクションなんだ?」みたいなことを言われたりで、模索状態。今も続いています。もともと、その広報の中で都市PRというような取り組みをしていて、堺市が冊子を作ったり、テレビの番組を作ったりしていたんですけど、行政が作るものというのは、視聴率もそんなに上がらないと。今まで行革でいろんなものを切ってきたりとか、「そんなものはいらん」と言ってきた立場上、みんなに陰で笑われるのではないか、というプレッシャーも含めて、どうしていったらいいのだろうと。経営企画にいたころにお付き合いがあったいろんな民間の方とかに、こんな役職になったので、何か堺の値打ちを発信できるようなもの、ということでまずは聞いて回りました。その中で具体的に、「こういうことをやってみては?」みたいな話というのはありませんでした。とにかく堺の名を全国に知らしめようという理念というかスローガンだけがあって、具体的にどんなことをするかというと、従来やっていたこと、となるので、なかなか外向けに発信しづらいなということもありました。

稲継   従来の広報では、予算を使って広報誌を作る、あるいは予算を使ってテレビ枠を買う、予算を使ってラジオを流すということが当たり前。新規予算を要求しての広報というマインドセットだったと思うんです。でも、パブリシティの考え方、行政営業的な考え方でいうと、取材に来てもらってどんどん発信してもらうと、お金をかけずに何百万円相当の宣伝になる。ハニワ課長さんの発信というのは、すごく宣伝効果が高いし、予算は全然食わずに、シティプロモーションに役立っているかなと思っています。

浦部   そうですね。とにかく広報という仕事自体を私は今までしたことがなくて、このセクションの課長だというのもあって、記者さんと話をする機会が何度かありました。「われわれは、行政の話題は正直いうと不祥事は取り上げやすいけど、良いことはなかなか取り上げにくいです」というご意見もいただきました。

ある記者さんが、「犬が人を噛んでも記事にならないけれども、人が犬を噛んだら記事になりますよ。だから、人が犬を噛んだみたいな話題がほしいんです」というようなことを言われました。一応、それを僕の中の基準として、これは、人が犬を噛んだみたいな捉え方をしていただけるかなというのをちょっと考えながら、恐らく記者さんだけではなくて、一般の方もそういうことでないと見向きしてもらえないな、ということで、一ついいヒントをいただいたと思うので、自分の中での判断基準にしています。

稲継   ハニワ課長はラインさんと一緒につくられたようですが、これは就任されて、どれくらいたったときの話ですか?

浦部   2年目です。

稲継   2年ですか。1年目はまさにいろいろ模索してこられたということですね。

浦部   そうですね。色々な事業をやっていく中で来年度の予算をつくるというときに、費用対効果を考えて、テレビはまず諦めたんですよ。それなりに話題だとは言われたのですが、視聴率もなかなか上がらないということなので。そういう中で、ラインさんとかの話があり、その発信自体、100万もかからないような、テレビなら2分も流せないぐらいのお金で、発信をさせていただいたりしましたね。それも1回だけだったのですが、そこから転がり出したりとか。
 インターネットの時代というので、インターネット媒体も最近どんどん値上がりしてきているんですが、ちょっと先駆的な、面白いことをしたいというと、向こうも実験的にかかわっていただけるので、正直飛び込んでいくみたいな形で「やりたいことないですか」みたいな話とかいう形でやらせていただいたりとか。これは一番の成功だったのかなと思います。IMG_6467.jpg
 ほかにもハリウッド映画と組んだというのがあって、「ホビット」という映画。ホビットは自由と自治を愛するというか、自由が大好きという種族です。堺は自由自治都市なので、ということで。あとは監督さんがニュージーランドのウェリントン出身で、堺がウェリントン市と姉妹都市提携をしているので、その辺のこともあって、ワーナーさんに話をもっていきましたら、「面白いね」ということで仮想姉妹都市提携したりとか。ウェリントンはニュージーランドの首都なので、ニュージーランドの国営放送や民放で「姉妹都市である堺市がこういうことをやりました」と放送する。向こうからすると、ホビットの監督さんは国の英雄みたいな方なので、市長が仮想姉妹都市提携をした時の模様をドーンと放送していただいたり、映画と共同のプロモーションで、データとかをいただいて、写真を起こして、パネル展をほぼお金をかけずにやらせていただきました。
 映画に登場する仮想の町と姉妹都市提携するというのが、どうも調べたら前例がなかったので、それを記者さんに言ったら割と大きく取り上げていただけましたね。

稲継   ずっとお話を聞くと、役所の中での人脈ももちろんたくさんおありなんでしょうけども、役所の外の人たちとのネットワークとか、人脈がいろいろ生きていますよね。

浦部   そうですよね。若造ながら最初に企業の人事担当の課長や部長と話をする機会もあったので、割と民間企業さんと話をするのが、あまり負担ではないというか、むしろそこのお話を聞く方が楽しかったりするので。最初の1年は、自分が楽しいので話を聞きに行こう、みたいな感覚で雑談していると、さほどお金をかけずにできることや、まったくお金をかけずにできそうだ、みたいなことをいろいろいただきました。

稲継   なるほど。役所の中の人たちだけと会話をしている人にとっては、民間の企業さんと話をするというのは、すごくハードルが高いんですよね。心理的な負担も大きいし、出かけていって「ちょっと教えて」みたいなのは、なかなか言えない人が多いと思うんですよね。そういう人にアドバイスとかありますか?

浦部   20代のときに言われたのですが、「『何かありますかね』と言うと企業は乗ってこない」と言われました。で、堺市は歴史文化の町、古墳群とか中世の堺、千利休であったりとか、そういうことを中心に町が発信していこうとしているので、「ネタはこういうものですが、何かしらご一緒できることはないですかね」という話をすると、結構アイデアをいただけたりします。だから、自分のところの持っているキモがこれだというのを、ある程度トップとも共有した上で、その方向性で何かできないか、という話を持っていくといいかなと。もちろん、「うーん、また来てください」で終わるだけのところもありますが、すごく具体的に考えていただけます。また、結構企業さんとのお付き合いがあるとはいえ、皆さん、異動なされるので、「その人はいませんよ」とかなると、「そのときにお世話になったので」と無理矢理言ってみると、そのときにその人の食指が動いたら、「じゃあ・・・」と乗り出してきていただけます。結局駄目でもゼロになるだけなので、そこを開き直ると楽しいというのはあると思います。アドバイスになっているかどうか分からないのですが。

稲継   すごくいいアドバイスだと思います。ありがとうございました。今日は堺市の浦部課長さんにずっとお話をお伺いしてきました。このメルマガは全国の市町村職員の方がたくさん読んでくださっています。市町村の皆さんに何かメッセージがありましたら、何でも結構ですので、お願いしたいと思います。

浦部   どんなことを言ったらいいのでしょうか?

稲継   さっきのところで言ってもらった感じかな? 民間のところに行く話とかね。

浦部   別に堺に来てください、という話をしてもあれですし。(笑)

稲継   IMG_6506.JPGいや、いいじゃないですか。

浦部   気持ち的には、今、堺市が百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録に取り組んでいて、仁徳天皇陵古墳、これは日本で一番大きな古墳です。三大墳墓に数えられています。ここを中心とした古墳群を何とか世界遺産にしていきたいなと思っているので、皆さんにもぜひご協力をお願いしたい、というのが一番大きなところです。

稲継   はい、ありがとうございました。今日は浦部さんにお話をお伺いしました。どうもありがとうございました。

浦部   ありがとうございます。


 取材のあいだじゅう、笑い声が絶えなかった。シティプロモーションにうってつけの人材が堺のために働いてくださっている。大阪出身の筆者としても頼もしい限りである。今後とも活躍されることを期待したい。


このコーナーは、稲継氏が全国の自治体職員の方々にインタビューし、読者の皆様にご紹介するものです。
ご意見、ご感想をお待ちしています。(ご意見、ご感想はJIAMまで)