メールマガジン

第52回2011.07.27

宮城県国際交流協会

東日本大震災の主な被災地は岩手、宮城、福島の3県ですが、この3県に多い外国人は、多文化共生の取り組みで知られる東海地方や首都圏など外国人が集住する地域と違って、労働者や留学生ではなく、農漁村部に暮らす日本人の配偶者でした。そのため、3県の国際交流協会は連携して、2007年度から2010年度まで、「東北型多文化共生」のあり方を探り、地域の担い手育成を目的とした合同会議を開いてきました。

 3県の中でも、宮城県は2007年に全国に先駆けて「多文化共生社会の推進に関する条例」を制定するなど、多文化共生社会づくりに力を入れてきましたが、その主たる担い手が宮城県国際交流協会です。同協会が震災後の100日間、どのように外国出身被災者の支援に取り組んできたのか、宮城県国際交流協会の大村昌枝企画事業課長に明治大学で6月末に講義をしていただきました。

 大村課長のお話では、3月11日以降の取り組みは大きく三つの時期に分かれるとのことでした。まず、第1期は3月11日から3月19日までで、仙台市にある協会事務所で外国大使館や海外などからの外国人の安否確認および原発事故の拡大を恐れた在住外国人からの避難方法の問い合わせに忙殺されていた時期です。

 第2期は3月20日から4月7日までで、難民支援協会が手配した緊急車両に乗って被災地を訪問したことをきっかけに、緊急車両を自ら手配して、沿岸部の被災地を中心として19市町を巡回した時期です。被災地では、まず役所で外国人担当職員の安否を確認し、地域の日本語教師やリーダー的存在の外国出身者の案内で避難所を巡り、外国出身被災者への支援を行いました。それまで、地道に県内市町のキーパーソンとのネットワークをつくってきたことが大いに役だったそうです。

 第3期は4月8日以降で、被災地で受けた相談事案の解決を図りつつ、被災地の外国出身者への心のケアを目的とした「在住外国人による東日本大震災をふりかえる会」を企画し、県内の被災地6ヵ所で実施した時期です。第一回は5月17日に仙台市で開かれ、最終回は6月23日に石巻市で開かれました。具体的には、被災体験を母語で話してもらうことで、それぞれの体験を参加者間で共有し励まし合い、今後の防災に活かすための意見交換の場と位置付けたそうです。また、宮城県警察本部や行政書士、弁護士、臨床心理士といった専門家による相談も行うと同時に、資生堂の協力を得て、被災女性たちへ化粧セットを提供し、肌の手入れのサービスも行うというユニークなプログラムでした。

 現在、宮城県国際交流協会では被災地巡回で面談した約60名とふりかえる会の参加者約220名の声を整理し、これまでの外国出身者向け防災対策を見直し、被災地で外国出身者がこれからも生活を維持できるよう、相談支援体制の強化を図っているそうです。

 大村課長は、講義の最後に、この100日間は協会の日本人スタッフが外国人スタッフそして地域の外国人リーダーに支えられ、まさに多文化共生を実感した100日間であったと振り返りました。ちなみに、企画事業課のスタッフは、大村課長のもとに、英語、中国語、韓国語が話せる日本人が6名で、相談員として中国人、韓国人、フィリピン人、ブラジル人がそれぞれ1名いるそうです。

 そして、今後の大地震に備えて、NHKラジオによる地震発生直後からの多言語災害情報の発信と携帯電話の緊急地震速報にあわせた多言語によるメール発信の必要性を訴えて講義を終えました。

 大村課長の講義は、東日本大震災からの復旧・復興の最前線に立つ者ならではの迫力があり、聴衆の心を揺さぶるものでした。宮城県国際交流協会の経験と取り組みは、今後、いつどこで起きてもおかしくないといわれる大地震に備えて、国そして全国の自治体にとって参考になるものであると思います。