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多文化共生社会に向けて

明治大学商学部教授 山脇 啓造 氏

第02回2007.05.23

「多文化共生」の定着

 前回、「多文化共生」という用語が、市民団体の間で1990年台後半に広がっていたことをお話しましたが、2000年前後から、地方自治体も「多文化共生」をキーワードに用いるようになりました。川崎市は1998年に改定した「外国人教育基本方針」の副題に「多文化共生の社会をめざして」を掲げています。浜松市など外国人住民の多い全国の13市町が設置した外国人集住都市会議は、2004年の首長会議で「多文化共生の地域社会づくり」等をテーマに掲げました。(同会議については、次の機会にあらためて詳しく紹介したいと思います。)

都道府県レベルでも、群馬県は2002年度に群馬大学と連携した「多文化共生研究プロジェクト」を立ち上げ、兵庫県教育委員会は2003年に「子ども多文化共生センター」を設置しました。また、愛知・岐阜・三重・名古屋の三県一市は、2004年に「多文化共生社会づくり推進共同宣言」を策定しています。

2005年になると、さらに大きな変化がありました。2005年3月に全国に先駆けて川崎市が「多文化共生社会推進指針」を、東京都立川市が「多文化共生推進プラン」をそれぞれ策定しました。同年4月には群馬県が多文化共生支援室を、長野県が多文化共生ユニットを、そして静岡県磐田市が多文化共生係をそれぞれ設置しました。多文化共生を謳った専門部署が設置されたのも初めてのことです。また、同年9月には東京都新宿区が「多文化共生プラザ」を設置し、2006年3月には東京都足立区が「多文化共生推進計画」を策定しています。

こうした自治体の動きに後押しされるように、総務省は2005年6月に「多文化共生の推進に関する研究会」を設置しました。国レベルで多文化共生を謳った組織が設置されたのはこれが初めてのことでした。同研究会は2006年3月に報告書を発表し、地方自治体が多文化共生を総合的かつ計画的に推進していくことを求めています。

こうして2005年に日本の多文化共生の進展にとってターニングポイントとなりそうな動き(特に川崎市の指針と総務省の研究会)があることを知っていた私は、2004年12月に書いたブログの記事で、2005年が「多文化共生元年」となるかもしれないと予想を立てました。