メールマガジン

多文化共生社会に向けて

明治大学商学部教授 山脇 啓造 氏

第01回2007.04.26

多文化共生とは?

 JIAMメールマガジンの読者にとって、「多文化共生」はすでに馴染みのある言葉となっているでしょうか。それとも、「多文化共生」と聞いて、何のこと?と思われる方のほうが多いでしょうか。今月から1年間、「多文化共生」をテーマに連載をさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。

始めに簡単な自己紹介をしたいと思います。私は明治大学の教員で、日本の外国人政策や多文化共生論について研究しています。私が外国人政策の研究を始めたのは、5年間の海外生活を終え、日本に戻って間もない1989年のことでした。当時、外国人労働者が急増して、鎖国論、開国論といった議論が盛んだった頃でした。まだ多文化共生という言葉は使われていませんでした。それから20年近くたち、いろいろなことが変わりました。ただ、日本政府の動向に関して言えば、この1、2年の変化は、それまでの20年近くの変化に匹敵するぐらい大きなものといえるかもしれません。そして、多文化共生の課題は、これからの日本にとって、ますます重要性を増すことになりそうです。どうしてそうなのか、これから少しずつお話していきたいと思います。

 2005年6月に、総務省は「多文化共生の推進に関する研究会」を設置しました。研究会が3月に発表した報告書「地域における多文化共生の推進に向けて」は、地域における多文化共生とは、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」と定義しています。

「多文化共生」という言葉自体は新しい用語で、おそらく使われだして、まだ10数年しかたっていないと思います。新聞のデータベースで「多文化共生」を検索すると、1993年に川崎市の住民組織が「多文化共生の街づくり」を川崎市に提言することを報じた記事がみつかりました(「おおひん地区街づくり住民組織がプラン作成」『朝日新聞』1993年12月17日)。

1990年代後半になると、「多文化共生」という言葉が全国的に使われるようになりました。その理由の一つに、阪神大震災の時に外国人被災者への支援活動を行った市民ボランティアが集まって、1995年に大阪に設立した「多文化共生センター」(2000年にNPO法人化)の存在があります。同センターは、兵庫、京都、広島、東京と活動拠点を広げました。その後、2001年には東京都立川市に「たちかわ多文化共生センター」(2002年にNPO法人化)が設立されるなど、多くの市民団体が「多文化共生」をキーワードに活動するようになりました。全国の外国人支援団体が集まった「移住労働者と連帯する全国ネットワーク」も、2002年に「『多民族・多文化共生社会』に向けて」と題した政策提言をまとめています。