メールマガジン

コラム

明治大学経営学部公共経営学科 教授 菊地端夫

2020.12.23

地方自治の実験の場としての東南アジアに学ぶ

 2020年に突如世界を襲った新型コロナウイルス禍の前までは、近年自治体関係者の間で東南アジアが旺盛なインバウンド観光の取り込み先や地域物産品の販売促進先として注目を集めてきた。すでにモノの交流(貿易)では地方が直にアジアと密接な関係を築きあげているし、ヒトの交流(観光)についても増大する観光客数に対して羽田や成田、関空といった拠点国際空港だけではさばけず、地方イン、地方アウトにより大都市を経由せず直にアジアとつながりはじめていた(なお、政府は新型コロナウイルス禍の中でも2030年の外国人旅行客目標6000万人を維持することを決めている)。筆者はJIAMの海外研修(アジア)をここ数年お手伝いさせていただいているが、研修生は一様に現地での活況や熱気を肌で感じて驚き、この活力をどのようにして持ち帰るかについて熱心に検討されている。

 東南アジアはこのように自治体関係者にとって魅力的な「市場」であるが、インバウンド誘致や地域物産品の販売促進先としての魅力に限られない。東南アジアの自治体が経験してきた一連の地方分権改革、さらに現在の様々な取り組みを子細に観察すると、これからの自治の姿を考える際の一つの道標として多くの教訓を得ることができる。
 東南アジアの国々では、1990年代から2000年代にかけて権威主義体制の崩壊に伴って民主化が進むとともに、地方分権が行われた。その後、タイでの軍によるクーデターなど地方分権に逆行するような出来事を経験しつつ、わが国の経験に比すると急速に地方自治が定着しつつある。ただしそこに至る過程では、再集権化への揺り戻しや急速な改革による「汚職の分権化」、住民参加と伝統的な政治エリートの拮抗、中央の政治や省庁から自律した地方官僚制の生成など、地方自治を巡るめまぐるしい実験が積み重ねられてきている。
 「開発独裁」を長らく経験してきた東南アジアの国々は、地方分権改革を梃にして民主化の定着を図ろうとし、「団体自治」と「住民自治」の確立を一度に推し進めようとした。その帰結に対する評価はどの側面に着目するのかによって一様ではないが、「参加」の幅と位置付けの重みについては、わが国の自治体の経験を上回る場合も多い。例えばフィリピンでは、1991年の地方政府法により各自治体で開発計画と投資計画の策定を行う開発評議会(Local Development Council)の設置が義務付けられ、その構成メンバーも市町レベルではコミュニティレベルの最下層の地方政府であるバランガイ(Barangay)関係者と、NGO/PO(People's Organization)と呼ばれる市民社会セクターの参加と最低構成比率が法律で規定されている。自治体内の開発プロジェクトは開発評議会が決めた投資計画に基づいて予算化されるため、下からの「参加」により首長や議員の専横を防ぎ、施策の有効性と効率性を高めることが期待されていた。筆者も加わった分析では、こういった「参加」の深化は実際に自治体の資源配分のパフォーマンスや透明性、説明責任の評価などガバナンスの質向上に有意に関係していることが明らかとなっている(詳細については下記永井他編著を参照)。フィリピンのこの経験は、わが国の自治体の総合計画の位置付けや自治基本条例に関わる議論、さらには地方創生施策の進め方に関して、豊富な示唆をあたえてくれる。
 東南アジアの地方自治の実験は「参加」という古典的な問題に限られない。マレーシアやインドネシアをはじめ東南アジアの各都市では既存インフラの整備の遅れゆえに、日本をはるかに凌駕するデジタル化対応によってスマートシティ化が先行している(リープフロッグ現象)。新型コロナウイルス禍によってわが国の自治体ではDX(デジタルトランスフォーメーション)が一斉に唱えられ始めた観があるが、その行く末(可能性とリスク)を占う上で、シンガポールのような先進国のみならず、インドネシアのバンドン市やマレーシア・セランゴール州のサイバージャヤなどの取り組みを知ることは重要である。スマートシティ化に関わる多くの日系企業が、これら東南アジアの各都市で先行して事業を展開しているからである。東南アジア地方自治の「進んだ」側面も含め、学ぶべきことは多い。

 新型コロナウイルスの世界的な流行により、人々の往来を管理できる主権国家の存在感が増している。往来の減少に伴って、自治体の活動は当面のところは国家の仕切りの中に収まる範囲内で続けられるであろう。しかし自治体の姿が国家の後景に退いてしまうからといって、学びや眼差しの先を国内に封じ込めてしまう必要はない。地方自治の「常識」に囚われない新鮮な気付きを得たり、新型コロナウイルスという災禍の先にある自治体の将来の姿やあり方を構想(夢想?)するにあたり、東南アジア地方自治の経験は格好の教材となるはずである。


【参考文献】
伊藤亜聖(2020)『デジタル化する新興国』中央公論新社
川端基夫(2017)『消費大陸アジア』筑摩書房
永井史男・岡本正明・小林盾編著(2019)『東南アジアにおける地方ガバナンスの計量分析』晃洋書房