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第11回2016.02.24

総務省多文化共生プランFAQ

総務省が「地域における多文化共生推進プラン」(以下、多文化共生プラン)の策定を各都道府県・指定都市外国人住民施策担当部局長に通知(2006年3月27日付)して、まもなく10年が経とうとしています。このプランは2006年3月7日に公表された「多文化共生の推進に関する研究会」の報告書に基づいて策定されましたが、筆者は同研究会の座長を務めました。報告書の作成以来、これまで多文化共生関係者からいろいろ質問を受けましたが、特によく受けた質問について、あらためて答えてみたいと思います。

Q1:1990年頃から外国人が増加し、定住化が進んだことが多文化共生プラン策定の主な理由だとは思いますが、どうして2006年に策定したのでしょうか。

A1:総務省は2004年8月に、2005年度重点施策として「多文化共生社会を目指した取組」の推進を掲げました。プラン策定の背景として、外国人集住都市会議(2001年5月設立)など自治体による提言と日本経済団体連合会の「外国人受け入れ問題に関する提言」(2004年4月)を挙げることができますが、総務省内部での検討については、総務省との関係が強い全国市町村国際文化研修所(JIAM)や自治体国際化協会(CLAIR)の動きが影響したのではないかと思われます。
 JIAMにとって2003年は設立10周年の年であり、機関誌『国際文化研修』は特別号5(2003年4月)において、「今改めて地域の"国際化"を考える」と題した特集を組みました。筆者は「外国人の定住化と地方自治体-人権・国際化・多文化共生」と題した記事を寄稿し、地域国際化の柱として多文化共生を位置付けることを唱えました。JIAMは2003年度、「国際化対応コース」の内容を見直し、「在住外国人との共生」をテーマに実施するようになり、筆者は同コースのコーディネータを務めました。一方、CLAIRは、2000年度と2001年度に地域国際化協会のあり方に関する調査報告書を作成し、地域国際化協会の中心事業の一つに多文化共生を位置付けていましたが、2004年6月に「在住外国人への支援」をテーマとする地域国際化協会課題研究会を設置し、全国の多文化共生の取組み事例を集めた「多文化共生社会に向けた調査報告書」を2005年3月に作成しました。同研究会には総務省国際室長と筆者が参加しており、次年度の総務省の研究会につながっていきました。

Q2:多文化共生プランの三本柱「コミュニケーション支援」「生活支援」「多文化共生の地域づくり」はどうやって決まりましたか。

A2:研究会を始めた時のたたき台では、プランの構成は日本語を十分に理解できない外国人を対象とする「コミュニケーション支援プログラム」と外国人全般を対象とする「定住支援プログラム」の二つの柱と「プログラム実施上の環境整備」になっていました。初回の会議の中で、多文化共生のためには、外国人住民だけでなく、日本人住民に対する取り組み、特に意識啓発も必要だという意見が出され、「多文化共生の地域づくり」が三番目の柱に位置付けられることになりました。また、外国人の自立も重要な課題であるとして「自立支援」も柱にすることが検討されましたが、「多文化共生の地域づくり」に含めることとなりました。研究会は7回開かれましたが、第6回の時に、「定住支援」が外国人の定住を促進する取り組みと誤解されかねないとの意見が出され、「生活支援」に改めることとなり、最終的に「コミュニケーション支援」、「生活支援」、「多文化共生の地域づくり」の三本柱と「多文化共生施策の推進体制の整備」に落ち着きました。

Q3:プランの策定にあたって参考にした外国のプランなどはありますか。

A3:報告書の中で、ドイツが2004年に移住者法を制定し、外国人のためのドイツ語講座を国の財政負担で始めたことが紹介されていますが、プランの策定にあたって特に参考にした外国はありません。国内では、2005年3月に川崎市が多文化共生社会推進指針を策定しており、研究会で取り上げました。
 プランが公表されてから5カ月後の2006年8月に、韓国の行政自治省が「居住外国人地域社会統合支援業務推進指針」を策定しますが、参考資料として総務省の多文化共生プランが添付されていました。韓国の外国人政策の改革は2006年に始まり、今では日本のモデルと評価する人もいますが、この時点までは、韓国にとって日本がモデルであったといえるかもしれません。

Q4:多文化共生プランが公表されて、どんな反響があったでしょうか。

A4:研究会の報告書が公表されてちょうど一か月後となる2006年4月7日に、経済財政諮問会議がグローバル戦略について議論する中で、竹中総務大臣から「外国人労働については、内閣官房に関係省庁の連絡会議がございます。そして、在留管理については、犯罪対策閣僚会議の幹事会として、外国人の在留管理に関するワーキングチームというのがございます。ところが、・・・生活レベルについて言うと、これは国の中に検討の場がないというのが現状だと思うんです。実はたまたま昨日の夜のニュースの特集番組で、これは愛知県、豊田市のそばだと思うんですけれども、団地の半分が外国人であり、そこで、例えば、ごみ収集の1つのルールがなかなか定着できなくて大変な混乱が起きている。つまり、生活の場での混乱というのは、もう起きていると思うんです。そういう問題は自治体に全部持ち込まれていまして、こういう問題があるので、実は明治大学の山脇先生にヘッドになっていただいて、多文化共生の研究会というのをつくり、いろいろな事例を集めて、自治体には周知をしました。ただ、自治体には頑張ってもらうんですけれども、国のレベルで生活の問題、この検討の場というのは、やはり何か必要なのではないかと思います。」という発言がありました。
 続いて安倍官房長官から「外国からの定住者の方々が大変増えているんですが、これらの方々が言葉の問題等々があって、国内における非行の率、学校に行かないという率が非常に高まっておりまして、この方々たちに対してしっかりと指導していくということは、むしろ受け入れた我々の責任ではないかと思います。地域といかに融合をうまくやっていくか、定着に対してどういう指針ができるかということは、必要に応じて、また省庁横断で考えていきたいと思っています。」という発言がありました。
 最後に、小泉首相が「外国人の受入れなんだけど、拒否するということではなくて、また勧誘ということでもなくて、もう1つの道があると思うんです。黙っていたって、日本人が結婚する相手の15組から20組に1人は外国人でしょう。今だって不法滞在者は推計しても25万人以上でしょう。好むと好まざるとにかかわらず、日本に来たいという外国人はたくさんいるんだから。それを日本人として、日本人社会で働きたい、定住したいという外国人を、どうやって摩擦なく、気持ちよく受け入れられるかという対応を今から考えないといけない。犯罪者だけを受け入れたってしようがないんだから。外国の例を見ても、だんだん一定の規模や率を超えると必ず摩擦が起こるから。その社会的なコストは大変ですよ。それを防ぐためにも、来てくれと言わなくても来てしまうんだから。しっかりとした労働力として快く働いてもらうような環境なり、教育なりをどうやって整備していくかということを考えないと、どんどん来てくださいといったら大変ですよ。これは摩擦ばっかり起こしてしまう可能性もある。そういう点はこれからよく考えてやっていかないと。先進国の例を見ても、今のフランスの暴動だって同じですよ。どこを見たってそうだ。一定の規模というものを超えると大変だから、その前にうまくお互い尊重し合いながら働いてもらうような環境を、今から考えておかないといけない。」と発言して、議論が終わります。
 総務省の担当者の話では、この会議の直後から関係省庁から研究会報告書への問い合わせが続き、霞が関に多文化共生ブームが起きたといいます。経済財政諮問会議の上述の議論を受けて、内閣官房に置かれていた外国人労働者問題関係省庁連絡会議が外国人の生活環境の整備について検討し、2006年12月には、日本にとって初めての総合的な移民統合政策のプランともいえる「『生活者としての外国人』に関する総合的対応策」が取りまとめられます。

Q5:霞が関の多文化共生ブームはその後どうなったでしょうか。

A5:経済財政諮問会議が策定した「グローバル戦略」(2006年5月)には、「地域における多文化共生社会の構築」が掲げられ、「外国人の医療、子弟の教育、地域住民との摩擦など、現に生じている生活者としての外国人の問題について、外国人労働者問題関係省庁連絡会議において、現状の分析を行い、その解決に向けたコストの負担のあり方にも留意しつつ、総合的な対応策を本年内にまとめる。」ことと、「総務省が策定した『地域における多文化共生推進プラン』を踏まえ、本年度内に少なくとも全都道府県・政令指定都市において、それぞれの指針・計画等を策定するよう推進を図る。」ことが記されました。また、同じく経済財政諮問会議が策定した骨太の方針(2006年7月)には、「平成 18 年内の生活者としての外国人総合対策策定等、多文化共生社会構築を進める。」との一文が入ります。そして、2006年12月には前述のとおり、「『生活者としての外国人』に関する総合的対応策」が策定されました。
 2006年度以降、関係省庁に次々と外国人施策関連の会議が設置されました。筆者は2005年度に総務省の研究会に参加する以前はほとんど国との関わりはありませんでしたが、2006年度から2009年度にかけて、総務省、国土交通省、外務省、法務省、文部科学省、内閣官房、内閣府の会議に参加することとなります。そして、2010年度に総務省の意見交換会に参加して以来、国との関わりはほぼなくなりました。リーマン・ショック(2008年9月)による日本経済の縮小により、それまで右肩上がりに増えてきた外国人人口が減少に転じたことで、多文化共生への関心が弱まったのかもしれません。その後、政府の取り組みは就労と教育の分野を中心とする日系人支援に重点が置かれるようになります。
 ちなみに、骨太の方針など政府の基本方針を示す文書に「多文化共生」が謳われたのは、2006年が最初で最後となっています。

Q6 多文化共生プランが策定されて10年が経とうとしていますが、総務省はフォローアップを考えていないのでしょうか。

A6 総務省は、今月、プラン策定から10年目に当たることから、今後の展開も見据えた優良な取組をまとめた事例集を作成するため、「多文化共生事例集作成ワーキンググループ」を設置しました。「地域における多文化共生の優良な取組事例の把握」、「現状における課題を踏まえた地域における今後の多文化共生の取組の方向についての検討」、そして「上記検討を踏まえた事例集の作成」を予定しています。