メールマガジン

第48回2009.03.25

インタビュー:札幌市円山動物園 経営管理課経営係長 北川 憲司さん(下)

 札幌市の北川さんのインタビューの最終回である。「特命係長只野仁」ではないけれども、「経営係長北川憲司」さんも、一般の職員採用試験を受けて札幌市役所に入庁した行政職の自治体職員の1人である。区役所を振り出しに、行政改革担当、IT担当を経験した北川さんは、CRMを担当することとなり、その中で、コールセンターのアイデアが出てくる。


稲継 北川さんが平成14(2002)年度に、CRM関係の仕事に異動されることになったいきさつのようなことを教えて頂ければと思います。

北川 ちょうどその頃に、国の方でも、国家的にIT戦略をつくりましょうみたいな話があって、札幌市はそれに先んじて、国が決める前にIT戦略をつくろうという話がありました。IT戦略の中で必ず文書システムというのは、必須アイテムになりますし、私は、文書管理を担当しておりましたし、その"@る~む"という電子会議室を担当していましたので、また、情報化部門と仲良く一緒に仕事をしていたので、IT戦略をつくるプロジェクトチームの中に入っていたんですね。
 そこで、IT戦略をつくる中心になって動いて、そのIT戦略の中に、札幌の特徴であるCRMという考え方、要するに、全国の自治体の中での初めての札幌市コールセンターの構想が、その中にはまっていたんですね。
 まぁ、戦略ができましたんで、「北川がそんなにコールセンター、コールセンターって言うんだったら、責任をとって自分でやれ」ということで、情報化部門にお引っ越しをめでたくしたと。

稲継 コールセンター、コールセンターと言い出すことになったきっかけというのはどういうことなんでしょうか。

画像:北川 憲司さん
北川 憲司さん

北川  これは、実はですね、IT戦略自体は、職員だけでつくったものではなくて、コンサルティング会社も入れて、一緒につくったんですね。
 その中で、ともすればITという技術、道具が優先してしまって、それに市役所を合わせようという動きになっていくだろうと。ただ、本来は、役所の中に経営戦略があるべきであって、その中でITをどう使うかというのが正しい順番じゃないのか。だから、これからつくるのは、IT導入戦略、IT導入計画をつくるのではなくて、ITを活用した経営戦略をつくりましょうということをコンサルティング会社の人たちと議論したんですね。だから札幌市の戦略は、実際にIT経営戦略という名前なんですよ。
 その中で、役所って本来何するところなのかを考えた。役所っていうのは、市民に向かってサービスをする場所ですよね。でも、役所は、夜は開いていない、土日は開いていない、9時-5時の世界ですよね。
 何か問題が起こったときしか役所には用がないですよね。市民は、生活の中で困りごとがなかったら役所には行かないわけですよ。歯が痛くなければ歯医者に行かないのと同じで。でも、たとえば、道にカラスが死んでいるといったときに、どこに電話していいか分からない。たとえば、それが日曜の夜6時だったら、もう電話をかけるところすらない。それは、税金を払っている市民からすれば、全く不便でしかたないわけです。税金の払い甲斐がない。「Value For Moneyじゃないよ」と言われてしまう。
 そういうときに、じゃあ、年中無休で窓口になるようなものをつくるのがサービス・アップになるんじゃないか、求められているんじゃないかと。
 発想としては、「お役所仕事」と言われているもののほとんどは、「土日開いていない」、「夜やっていない」、それから「たらい回しをする」。それじゃあ、この「お役所仕事」と言われているものを解消するものはなんだ。「たらい回しをしないで、1か所で処理をする」、「24時間じゃないけれど夜も開いている」、「土日も開いている」、これがコールセンターですね。

稲継 その思いつかれたことは、思いつかれたんですが、当時、自治体でコールセンターやっているところは、日本中探してもどこもなかったですよね。

北川 なかったですね。

稲継 前例がない場合は、普通の人間だとこれは不可能だと考えちゃいますよね。そこで、めげずにやろうと思われたのはなぜでしょうか。

北川 最初からあまり無理だと諦める発想が、僕の中にはなかったんです。 というのも、コールセンターってなんだろうなって考えたとき、1個の電話番号で緊急時に対応する。これって110番と119番なんですよ。110番と119番が、いわば、日本の最初のコールセンターなんですよ。つまり、日本で最初のコールセンターが行政のコールセンターなわけなんですよ。
 民間のコールセンターができたのって、そのずっと後じゃないですか。ガスだとか、電気だとか、クレジットだとか、まぁ、パソコンの修理だとか、いろんなコールセンターがある。われわれの生活はコールセンターに囲まれているわけですよね。そんな中で、コールセンターがないのは、役所だけだったということですよね。だから、役所にあっても全然不思議じゃないし、何で今までなかったんだろうというものだろうなと。それで、きっと、やったらうまくいくんじゃないかなという思いはあったんですね。
 だから、最初から無理だなという思いはなかったんですよね。でも、僕以外のほとんどの人は無理だというふうに言っていて、その人たちを説得しないことには、実現しないので、なんとか大丈夫だという証拠をつかみたいなというふうに思っていたんですね。
 それで、あれこれ悩んでいたんですけれども、ある日、ふと、思い出したんですね。僕は総務局に長くいましたので、総務局で庁舎管理という仕事もあるんですね。市役所庁舎の警備員みたいな仕事なんです。そこが、夜間電話を持っていて、職員が、夜、帰っちゃうと、その夜間電話に問い合わせだとかの電話が入るんですよ。電話がかかってきたら、警備員のおじさんたちは、警備室でマニュアル-各部局からもらった資料-を開いて、「ああ、こうですよ」って答えていたんですね。その答えた履歴を、警備日誌に書き留めていたんですよ。

稲継 その方たちは民間の方々ですか。

北川 民間の警備会社の人です。そのことを思い出して、すぐ飛んで行ってですね、「警備日誌を見せてくれ」と言った。警備日誌を見て、それで「これ、何見て答えたの」と聞いたら、資料を出してくれた。
 「これ、コールセンターだな」、「コールセンターと同じこと、ずっとやってるじゃん。しかも履歴までとっていて」。それで、「これちょっと貸してください、1週間」と言って、借りてきて、1年分5千件くらいのやつを全部エクセルに入力したんですね。
 全部エクセルに入力して、「1次対応-その場で資料を見て回答-できたもの」、それから、「折り返し、職員とかと電話連絡して、後日という形で回答したもの」、それから、「警備室では答えられなくて、各部局にエスカレーションって言って対応を渡したもの」、みたいに分類していって、難易度みたいなものを分析したんですね。
 そうしたら、ものの見事に、8割方は、簡単な質問で、しかも、それは、「市役所は何時から何時まで開いているんですか」「市役所の住所はどこですか」「土日はやっていないんですか」「土日に住民票をとるにはどうしたらいいんですか」そういうよくある質問、いわゆるFAQ(Frequently Asked Questions)がほとんどを占めていた。8割以上が1次対応で終わっていたという証拠をつかんだんです。これで、僕の心のなかで「絶対できる」という確証に変わったという感じですね。

稲継 なるほど。じゃあ、その証拠を基にして、そのあと非常に短期間で構築されたわけですね。どれくらいの期間で構築されたのですか。

北川 基本的に半年間です。僕らのチーム、CRMの担当チームができてから、半年後に完成をしました。これは、民間でも、当時であれば、コールセンターを立ち上げる中では、最速レベルですね。

稲継 でしょうね。お役所の場合、普通、まず、調査費を付けて、翌年、調査をして、それを根拠に予算要求する年があって、まあ、4年はかかりますよね。
 半年というのは、信じられないスピードですけれども、その間、相当、詰めて仕事をやられたということなんでしょうね。

北川 そうですね。当時、僕の部下は、2人いたんですけれども、2人とも庁内公募で集めていただきました。すごくやる気のある人たちで、自分から手を挙げてきているので、仕事がいやだとは言えないんですよね。実は、2人とも区役所の生活保護のケースワーカーだったんですよ。

稲継 事務職の方で、ケースワーカーですか。

北川 だから、あまり残業経験がなかったんですね。でも、来た初日に、「これから毎日、頼むから残業してください」と。「だたし、土日は、急ぎの仕事がなければ休んでいいよ」と。「夜は、12時で帰ろう」と。シンデレラ協定と呼んでましたが。約束をお互いしまして、やっぱり12時を超えて残業すると、生産性落ちるよと、昼間も眠くなるし。必ず、12時に帰ろうと。その代わり、必ず12時まで残るんだということで。なぜなら半年後にスタートだからと。

稲継 非常に急いでやられたんですね。それはなぜでしょうか。

北川 もっとも早い役所のサイクルで考えても3年かかる。検討が3年かかるところが半年でできたということは、6分の1のコストでできているということなんですね。どうしても、役所って人件費に対するコスト意識って低いんですが、私たちは、行革の世界で生きてきたので、3人の職員が一人頭800万円として-残業代を除いてですけれども-1年間に2400万円のコストをかけているわけですね。それが3年間かけて、7000万円かけた結果と、半年で1200万円で結果を出せるんだったら、どっちがいいのと。
 それだったら、僕ら大変かもしれないけれども、半年で終わらせるから、その分の差額6000万円ぐらいをインフラ投資にくださいと。普通、財政は簡単にはインフラ投資してくれないですから、「僕たちは、どんなに苦しくても、はっちゃきになって、絶対半年で終わらせるから、人件費をかけない分、IT投資にかけてくれ」という感じだったですね。
 まあ、大見得を切った手前、はっちゃきになってやりました。

稲継 自分で、後戻りできない所に追い込んだ。
 それで、半年後にはコールセンターが立ち上がりました。今、年間10万件の問い合わせがあるとのことで、非常に順調にいっている。日本の自治体のコールセンターの見本、お手本として、全国からも視察が相次いでいます。北川さんはもう、その担当を離れておられますが、今、振り返って、札幌市の自治体コールセンターというのはどうですか。

北川 第一段階のコールセンターとしては、まさに成功であって、お客様の満足度も本当に高いですし、実際、お客様から感謝の言葉をいただいているようなそういう仕事ができていると思いますので、ファーストステップとしては、合格点なのかなと思います。
 ただ、思い描いていたものは、もう3段階ぐらいあって、コールセンターというのは、ただ単にフロントの窓口を集約したものではなくて、背景にCRMという考え方があって、最終的には、お客様のニーズというものをそこで捕まえて、それが、行政にフィードバックされていく、あるいは、そういったお客様の声からニーズ、シーズを発見していくというところまでがゴールだと思いますし、その中間段階、第二段階としては、顧客接点の窓口というものをもっともっと集約できる、あるいは、その後ろのバックオフィス事務をそれに合わせて集約できていくという業務改革的なところですね、プロセス改革みたいなところ、そういったところもまだ進んでいない部分というのはあるのかなと。
 だから、ファーストステップ満足度という意味では、成功。次のステップでどうやって満足度を上げつつコストダウンを図っていくかという、市役所がこれから生き残っていくためにどれだけ貢献ができるのかということ。
 それで、最終的には、経営層までも含めてお客様の声というものを通じて、市役所を分析していく、改善していく、そういう改善ツールになっていく、要するに、市役所の体質改善までがゴールだと考えていましたんで、そこまでは、残念ながら至ってないだろうと。

稲継 北川さんがしかけてこられたものって、結構いろいろあるようにお噂をお聞きしたのですが、たとえば、"庁内人材バンク"というのがあると。これは、どういうものなんですか。

画像:札幌市~大倉山ジャンプ競技場から~
札幌市~大倉山ジャンプ競技場から~

北川 これはですね、アイデア自体は、職員の電子会議室から生まれたんですね。「やっぱり、組織は、人だよね」ということで。いくら何とかシステムだ、何とか制度だとかやっても、結局運用する人がその気にならなければみんな「仏をつくって魂を入れず」みたいな状況になってしまう。
 ここ数年ぐらいのいろんな改革の動きを見たときに、電子会議室にしても、職員参画型の改革にしても、そこで得られた財産は"人のつながり"だったんですよね。「あそこには、あいつがいる、あそこにはあいつがいる。だから、俺もがんばれるし、この難しい仕事もあいつに相談すればうまくいく」というそういう文化ができてきていたので、やっぱり、それが札幌市の強みだろうと。当時、行革の上でどの自治体と比べても絶対に負けないという人材のネットワークというのは財産だったんですね。これは、やっぱり自分たちの武器にしていこうということで、人材バンクみたいなものを作れないのかという話が出てですね、その設計に携わったという感じですね。

稲継 これは、具体的には各職員が自分の得意分野なんかを登録するんですか。

北川 そうですね。人材タイプみたいなものを、例えば、自分でリーダータイプとか学者肌だとか、それからムードメーカーみたいなそういう自分のタイプを入れていく。チェックマンタイプとかベルトコンベアタイプ-言われたことはきちんとやります-みたいな、そういうのをチェックをしていく。それで、たとえば、プロジェクトチームや勉強会をやりますよといったときに、うちのメンバーにはリーダーがいないからリーダーを捜そうかというようなことができる。
 あるいは、活用して欲しい能力別に検索できます。たとえば「私、英語しゃべれます」「フランス語しゃべれます」「手話できます」そういった能力別の検索もできます。
 あとは、興味ですね。「私は、福祉に興味があります」「私は、行革に興味があります」というキーワードを入れるとそれで自動で機械がマッチングして「仲間を発見しました」って、相互にメールを出してくれるシステム。
 それから、もう一つはレコメンドシステム。「私は同じ登録をしているメンバーのこの人を推薦します」みたいな。「この人は、こういう経験をしてて、すごくまじめでいいやつですよ」みたいなことを、リンクを貼るんですね。そういう人材リンクみたいなものを。そうすれば、ネットワークをたどっていける。人の紹介の紹介の紹介みたいに。
 だから、今で言うと、当時運用していた人材バンク、それから電子会議室、この2つをあわせたものがミクシィですね。
 ただ、残念ながら、当時、あまりに時代が早すぎたのか、一部の人しか使われなかったというのもありますし、最終的には、そういうITの使い方に抵抗のある人たちからすごく評判が悪かったというか、あるいはITに対する理解が低い人からはものすごく批判もあってですね、最終的には、サーバの運用期間が終わるのと同時に、終わってしまったと、消えてしまったということになりました。

稲継 後継はないんですか。

北川 何年かはありました。何年かはあったんですけれども、その後は、ブツッと人材バンクに関しては切れてしまっていますね。電子会議室もほとんど運用されていなくて、メーリングリストとして動いているぐらいですね。その間、市長の交代というのもありましたし。

稲継 お仕事の話をずっと聞いてきたんですけれども、北川さんは、お仕事以外にも、NPO法人だとかボランティア活動にずっと携わってきておられますよね。学生時代から、障害者のボランティアの代表をやってこられたりしてますよね。
 そういう仕事以外の分野でいろんなことに関わることに自分をドライブするものというのはどういうものなんでしょうかね。
 たとえば、どういうものに、今までかかわってこられました。

北川 障害者福祉は、ずっと長いこと関わってきました。それから、環境系のものも結構長い期間やっています。
 ただ、障害者福祉に関して言うと、私の実の姉が重度の障害を持っていて、僕が中学生ぐらいの頃から、大学生のボランティアさんが、家にきていたりしていて、当時は、「なんでこんなふうにボランティアに来るのかなぁ」って、「奇特な人だなぁ」と思っていたんですけれども、自分が実際に大学生になったときに、ふと、そのことを思い出して、彼らは、なぜボランティアをしていたのかの理由が知りたくなって、そのボランティアに入ったという感じですね。
 ただ、どっか昔から社会に貢献したいだとか世の中の役に立ちたいみたいな気持ちはあったですね、自分のモチベーションの中で。たとえば、就職先を選ぶときでも、自分の能力を金儲けのために使うこともできるし、世の中のためにも使うことができるとしたら、だとしたら、世の中のために、人を幸せにするために使いたいという気持ちはありましたね。

稲継 最近立ち上げられた"NPO法人イクシア"ですか、これはどういったことをする団体ですか。

北川 これは、地域の障害者が集まって、共同作業所というところで、革製品を作ったりして、それを販売したりという作業所運営がメインになっていて、あと、研究部門というか研究会みたいなことで福祉制度を研究したりするような活動がありますね。

稲継 それをやられるのは、つまり土日を使ってしかできないですよね、普通は。

北川 まあ、夜と土日ですね。

稲継 大変じゃないですか。仕事だけでも大変なのにNPOもやるというのは。体力的にはどうですか。

北川 そうですね、無理なことはできないので、できる範囲でやっているという感じではありますね。

稲継 非常に長時間インタビューをさせていただきありがとうございました。
 最後に、全国の自治体で今、私も跳びたいけれども跳べないと思っている人たち、忸怩たる思いをしている人がたくさんいらっしゃると思うんですけれども、その方々へのメッセージをいただけたらなと思います。

北川 そうですね。僕の信念ですが、仕事っていうのは人生の3分の1だと思っているんです。24時間のうちの8時間は眠っていますよね。8時間は職場にいて、残りの8時間は家族と過ごしたり趣味の時間だったり。
 多くの人は、遊んでいる時間だとか家族と過ごしている8時間のことを人生だと呼んでらっしゃいますけれども、実は24時間まるまる人生。人生の3分の1を職場で過ごしているんですよね。その人生の3分の1を諦めて下を向いて生きたくないんですよ。8時間遊ぶために、その3分の1を我慢して、プライベートがハッピーだったらいいんだというふうに僕は思えないんですよね。
 職場にいる8時間も自分の人生としてすばらしい充実したものでありたい。楽しければいいっていうんじゃなくて、「生きている」という実感を持って働きたい。仕事の中で、自分の問題意識と仕事の問題意識をなるべく近づけていく。自分の問題として仕事にあたる。僕が動物園を愛して動物園の改革をしているのと同じように、このまちのことを愛したり、自分の市役所の仲間のことを愛して、それを支えるという気持ちで仕事をすれば、3分の1の仕事もすごく充実した人生になるのかなと。
 だから、是非、全国の仲間たちにも、改革をやっている仲間たち、いっぱい知っていますけれども、改革の仕事って苦しいんですよ。「苦しきことのみ多かりき」なんですよね。だけど、苦しいこともあるかもしれないけれど、やっぱりそこに成長や変化があって楽しいこともうれしいことも、仲間ができたりだとかいろんないいことがあって、そういう3分の1の人生を是非充実して過ごしてくださいと、そういうふうに伝えたいですね。

稲継 心強いメッセージをありがとうございました。大変充実したインタビューをさせていただきました。ありがとうございました。


 3回にわたって、札幌市職員の北川憲司さんへのインタビューを掲載してきた。仕事を楽しみながら、さまざまなアイデアを思いつき、それを実行していく。前例がないとか、○○省の考え方からは難しい、などといった従来の役所の論理はこの人の念頭にはないようだ。
 初任配属の区役所では老人クラブのお年寄りとのふれあいを大切にし、行政改革部門では、職員からの行革のアイデアを実現することを熱心に進め、組織改革の部門もまた、それなりに楽しんで遂行していった。コールセンターを札幌市役所に導入しようというアイデアを思いつくこと自体すごいが、この人のすごいのは、それを実現してしまうところである。インタビューではあえて触れられなかったのだと思うが、さまざまな「妨害」や「抵抗勢力」に北川さんはぶつかっていったことと思う。普通ならくじけてしまいそうになるところも、彼の独特の陽気さで乗り切ってしまう。そして、日本初の自治体コールセンターを実現してしまった。
 市役所の本庁で長く仕事をしたあと、出先の事業所、しかも事務職員にとってはとても縁遠い動物園に配属になった北川さんは、ここでもさまざまな仕掛けをしていった。ポテンシャルは高いがやや意気消沈気味だった飼育員さんたちのモチベーションを引き出していく。従来はまったくやっていなかった民間スポンサーを探してきて色々な企画を実現するということによって、飼育員さんたちの間にもますますアイデアが生まれてくる。良い循環がそこには生まれている。
 分権の時代にあって、自治体職員は従来の職務遂行能力だけではなく、課題を設定し、課題を解決する能力が求められている。分権時代の自治体職員は、自ら「考え、調査し、行動する職員」でなければならない。北川さんはまさに「分権時代の自治体職員」と呼ぶにふさわしい人だろう。