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第33回2007.12.20

インタビュー:山口市職員課長 伊藤和貴さん(中)

 山口市職員課長伊藤さんへのインタビューの続きである。社会教育課5年、総務部庶務課2年、県地方課1年経験したあと、30歳からの4年間を職員課で過ごした伊藤さんは、その後、企画課4年、都市開発部に4年、文化振興課に2年と情報芸術センター絡みの仕事を継続することになった。しかし、センターが争点となった市長選の直前に、突然、公民館へ行くようにとの人事異動命令を受けることとなった。見方によっては左遷人事とも受け止められ得るが、本人はこれをうれしく感じたという。


公民館長の経験

稲継 公民館長を命じられたということで、公民館に行かれたわけですけれど、ここはどういう職場だったんですか。

伊藤 山口市の一番北部にある山間部の仁保という集落なんですけど、とてものどかな田園地帯です。

稲継 そこでどういう仕事をしておられたんですか。

伊藤  公民館長ですから、地域の様々な行事の回し役ですね。

稲継  駆け出しの頃に社会教育課で、真理は現場にある。されど現場は遠い。そういうことをたたき込まれたとおっしゃいましたが、まさに、現場に飛び込んで行かれたわけですね。

伊藤 そういう意味で非常にうれしい人事でしたね。とにかく、フェイスtoフェイスがすべてなんで、とにかく地元の人とのつながりが全てということで、ノミニケーションというのもおかしいですけど、かなり一生懸命お付き合いをさせていただきました。

稲継 どれくらいされました。

伊藤 そうですね。家内が日記帳につけておりましたが、年間247回飲んでました。

稲継 ほとんど毎日のように。

伊藤 そうですね。

稲継 それは、職員と飲みに行くというのではなく、地域の人と飲みに行くということですね。

伊藤 そうですね。

稲継 結構厳しい場面とかあるでしょう。市に対する苦情を言われたり、要望を言われたりとか。

伊藤 ただ、自主自立の精神の強い風土で、自分のことは自分で解決しようという風土が非常にあったので、逆に私がそれで勉強させられたということですね。

稲継  そこに先程1年間おられたとおっしゃいましたが、1年間おられたというのは、伊藤さん自身にとっても非常に勉強になったと。

伊藤 そうですね。地方自治のあり方を再認識し、もう一回初心に帰れたいい1年でしたね。

稲継 自治の原点ということですかね。

伊藤 ある意味、民主主義の学校という気がしましたね。

稲継 そういう現場を1年経験されて、本庁に戻られた訳ですね。

伊藤 急な人事でして、私自身は公民館長を最低でも3年はやりたいと思っていたんですね。地域経営というのはどうすればできるんだろう、その本質はどこにあるんだろうということをもっと知りたかったですし、それが、1年たって降って湧いたように、今度は財政課長に帰りなさいという内示が出ました。

財政課長の2年間

稲継 財政課というのは、それまで経験されてないですね。

伊藤 そうですね。まったく経験してなかったですね。ただ、企画課の4年間というのは、かなり財政とセットで仕事する局面が多かったので、だいたい財政はこういう流れなのかということは横目で見ていたというくらいですね。

稲継 横目では見ていたけど、財政課には所属したことがない人間をいきなり財政課長に引っ張ってきたというのは、すごい人事と言えばすごい人事ですね。

伊藤 そうですね。なぜでしょうという感じでしたね。

稲継 ご本人が一番驚かれた。

伊藤 驚きましたね。

稲継 財政課長は大変なポストですから、ものすごく最初は勉強するとか、いろいろな知識を頭に入れるとかで大変だったんじゃないですか。

伊藤 あの時は、地方財政計画の流れから全部もう一回勉強し直したという感じでしたね。

稲継 財政課長になられたのは平成15年ですけれど、いわゆる骨太の方針で、三位一体改革が本格的に始動し始める頃ですよね。

伊藤 そうなんです、そのまっただ中に放り込まれたという感じでしたね。

稲継 改革で大変なところですから、とりあえずお前行けという感じですかね。

画像:伊藤和貴氏写真
伊藤和貴氏

伊藤 ですかね。平成15年ですから、ちょうどこの時がいわゆる交付税が前年比マイナス12%削減という方針が出た年で、一番苦しんだ、全国の自治体もおそらく苦しまれたと思いますけど、山口市でも当時、総予算が470億ぐらいだったと思います。その内純粋にフリーハンドで投資に回せる一般財源というのは、30億ぐらいだったんですね。純粋投資30億ぐらいの財政力だったのが、その骨太方針によって、交付税がマイナス11億円になったということは、30億の投資が19億に減ってしまうという、そういう作業をせざるを得ない年だったですね。

稲継 これは、投資部門で言うと、前年比4割カットくらいで予算を組むという感じですかね。

伊藤 そうですね。一般財源ベースで言うとそんなところですね。

稲継 それを財政課の方で組んで各所属に理解してもらう。

伊藤 そういう年でしたね。

稲継 大変な反発が庁内からあったんじゃないですか。

伊藤 ただ、状況が状況でしたから、三位一体改革の影響がそんなにひどいのかという、皆さんが勉強してくれた年でもありました。じゃこれからくる改革の波はどれくらいのものだろうという将来予測がいきなり最初から現実になったというか。

稲継 この頃に合併の話が出てきたんですね。

伊藤 まさに市町村合併、平成の大合併の波に乗って、山口市も合併のまっただ中にあったという感じですね。当時は近隣の2市4町、山口市、防府市、小郡町、秋穂町、阿知須町、徳地町の合併が佳境に入る頃でした。当時の財政課長のミッションとしては、合併後10年間の財政シミュレーションを合併協議会と連携して作りなさいと、合併した新市は新市建設計画という10年間の通し計画を作りなさいとなっていますので、それを下支えする財政計画を作ることが一番大きなミッションでした。

稲継 それで言うとどういう状況が描かれる予定だったんですか。

伊藤 その2市4町という枠組みの中ではかなり財政状況は、防府市さんが同じような都市規模だったので、財政的にはかなりいい状況になるなという予測を立てたんですけど、途中で、防府市が合併協議から離脱されまして、2市4町が1市4町になって、そのとたんにまた、財政シミュレーションの再構築をしなければならなくなりました。やはり中心となる市が一つ減ったということで、財政規模が極端に落ち、これはかなり厳しい財政計画になりました。それで、財政課としての10年間の収支を合わせるために、結局は職員のスケールメリットを最大限に発揮させるために人件費をターゲットにせざるを得なくて、その逆算値として、少なくとも173名の職員を削減しないと10年間の収支がトントンにならないというような考え方を示しました。

稲継 先程の交付税が11億減って、その葛藤があり、合併後は173名職員をカットしなければならないということで、かなり切る話ばかりが先行するイメージがあって、お辛い立場に立たされていたということですね。

伊藤 そうですね。この時の仕事は辛いと言えば辛かったですね。ただ、三位一体の改革にしろ、合併にしろ、社会的・制度的な要請と自治体としての生き残りをかけてやらざるを得ないという状況でしたから。

稲継 財政課長在籍の2年間の間に、その他に取り組まれたことはありますか。

伊藤 そうですね。一つの取り組みとしては、いわゆる予算査定を廃止したということです。財政課から査定権限をなくそうよということで、よく言われる包括予算制度、それを平成17年度予算から入れようということで、前年の16年度にシステムを構築したということですね。交付税削減の波もあって、組織的に危機感が共有されている今しか導入するチャンスはない、という気持ちもありましたし。

稲継 じゃ、部単位に一般財源を配置して、「おたくで作ってください」と、財政課の権限をなくしますという改革ですね。

伊藤 そうですね。そして財政課はもっと大きなマクロの勉強と舵取りをしっかりしようよということで、かなり役割変更をしたということですかね。これは、財政課の職員の協力なしにはできない改革ですね。みんなよく理解してついてきてくれたと思います。一方では、自らの権限を放棄するという作業ですから。

稲継 むしろ握っていたい権限を出すという、結構大きな大胆な改革ですよね。

伊藤 地方分権の文脈として小さな政府への転換と政策官庁への脱皮がありましたから、それに対応していくためには、組織内分権を進めざるを得ないだろう。ということは、予算権限も思い切って、部に譲っていかないと市役所全体が目標に向けてなかなか動き出せないなと、そのきっかけ作りでもあったと思いますね。ただ、財政としては、総予算の枠を圧縮するための方法として取り入れたという思惑がメインですが。

稲継 財政課長には結局何年在籍されていたんですか。

伊藤 結局2年間ですね。

職員課長へ

稲継 2年間おられた後に、今の職員課長になられたということですね。

伊藤 そうですね。

稲継 これもまた、財政課長から職員課長というのは役所の中では一番権限が集中しているセクションを順番に経験されるということで異例の異動ですね。

伊藤 そうですね。普通は考えにくい異動ですよね。どういうメッセージなのかなと思ったんですけど、合併をして、その時に財政シミュレーションで173名職員を減らさなきゃこの市は持ちませんよというメッセージを出した責任を取りなさいということだったのかなと、じゃ職員課長としてそれをやりなさいという人事だったのかなという気がしますね。

稲継 職員課長になられて、今で2年半ほどになるわけですけれど、その間取り組んでこられたことをご説明いただけたらと思います。

市町合併と職員課長

画像:インタビュー風景写真

伊藤 平成17年4月に職員課長になりまして、その10月に、1市4町の合併があったということで、そこで直面したのは新市の人事異動ですね。それと、職員の処遇問題、もっと言えば給与調整、それは主に組合との話になるんですけど、かたや旧町長さんとの話し合い、かたや組合との話し合いという状況が1年間ありました。

稲継 かなりいろいろな場面で板挟みになったり、大変な1年だったんじゃないですか。

伊藤 そうですね。悩ましい時期ではありましたね。ただ、人事というのは、町では町長さんの専権事項なんですね。人事異動の原案をイメージするのも。ところが、山口市の場合は、職員課が原案を作る。そこから出発して、総務部長、副市長、市長へと協議の段階を踏んでいく。その辺の組織文化の違いがあるんですね、そのあたりを理解してもらうのにある程度時間がかかりました。

稲継 なるほど。今までは旧山口市の人事は職員課長さんの権限でやっておられた。ところが、各町では職員課ではなく、町長が独断で人事異動をしていたということですね。

伊藤 独断というよりは、本来的な専権事項だと思います。職員数も少なく、町長さんが全ての職員を把握されている訳ですから。敢えて役割分担をする必要性がなかったんだと理解しましたが。

稲継 それが新山口市になって、旧山口市の方式で、つまり職員課・職員課長さんが異動案を作るということを各町長さんに納得してもらうということなんですね。

伊藤 そのシステムを理解してもらうことは、かなり丁寧な説明が必要でしたね。ましてや部制をひいているところが、4町の内1町しかなかったと、あとの3町は課制だったと、そのあたりで役職をどうしようということは、首長会議の一番の焦点になりましたね。新市における部長はどうするんだという話ですね。

稲継 職位が各自治体でバラバラなんですけれど、それを合併によってどういうふうに変えていかれたんですか。

伊藤 基本的には、旧市旧町における今までの役職は尊重しましょうと、だから、課長になっている人は課長としての処遇をしましょうということを基本にしながら、ただ、それ以上の次長、部長というこれまでには無かったポストについては、町長さんにストレートにお願いしました。新市の部長にふさわしい人、次長にふさわしい人の名前を出してくださいと。別に人数の指定もしませんでした。そうすると、それぞれの町長さんが、意中の方を1名なり2名なり出してこられました。町長さんも横の連携を取られたんでしょう。

稲継 なるほど。
ところで、合併をされてから、旧の町役場というのは出張所になったんですか。

伊藤 総合支所なりました。

稲継 総合支所に旧来の町役場の方がおられるという形ですか。本庁との人事交流はどのようになりましたか。

伊藤 基本的には、10月1日の合併に向けて人事の配置案というのは、新市の組織が固まって、その組織の中に旧市の職員をあてはめた。その他いろいろなポストができていますので、そのポストに旧4町の町長さんに候補者を出してくださいと依頼をして、町長さんの思いの中で人事異動をまとめていったという経緯ですね。その中で、各総合支所長さんも、旧町の職員さんが推薦をされたというのが実状ですね。

稲継 それが平成17年10月1日ですね。平成18年4月の異動の際には、人事交流はされましたか。

伊藤 市長と職員の融和を図る人事異動のあり方を協議しましたが、職員課としての基本は、とにかくみんなを早く混ぜたいということで、1年間で3割の職員を流動しましょうと、3年間で全員が入れ替わるくらいの迫力でやりたいなと。いろいろな軋轢があるだろうとは思いましたが、初年度の定期異動、平成18年4月1日の異動では3割の異動をしました。

稲継 大幅入れ替えですね。

伊藤 総合支所長さんも含めてやりました。

稲継 職員には、いい意味でのショックがあったんじゃないでしょうか。

伊藤 いろいろな意味でのハレーションもありましたし、ショックもありました。

稲継 今年の4月も異動がありましたが、その時も3割くらいありましたか。

伊藤 そのつもりだったんですけれど、やはり、市民の皆さんの意見がいろいろ出まして、知らない顔ばかりになったと、昔の町役場ではなくなったという市民感情ですよね。その感覚も重要な部分ではあるので、若干スピードを緩めた感じで異動案を作りました。

稲継 組織全体の融和を図るということと、他方で、クライアントである市民の希望をマッチングさせるような程度に異動をしていくということですね。

伊藤 そうですね。

稲継 平成17年10月の合併で職員課として取り組まれたことは、非常に大きなことだったと思います。職員課長になられてからその他に取り組まれたこととしてどのようなことがあるでしょうか。

集中改革プラン、採用試験改革

伊藤 大きなものは、国から出てきた集中改革プランの作成が一つの柱ですね。要は10年間、5年間で何人削減するかという話ですね。「定員適正化計画」ですけど、基本的には、合併後10年間で210名以上の職員を削減しなければいけない。これ実は、財政課長時代に作った財政シミュレーション173名を削減しましょうというものを再度計算してみたら、財政上210という数字に跳ね上がってしまった。上乗せせざるを得ないということで、210名を目標にしながら、集中改革プランの5年間の中では、その内118名は職員削減しましょうという計画を作ったことが一つの柱ですね。まあ実際18、19年度と2年の期間が過ぎますが、既に64名の削減状況ですので、かなりスピートが早い感じですね。

稲継 他にはどのようなことがありますか。

伊藤 職員採用試験で、私が昔、職員課にいた時に採用試験の2次試験に集団討論を入れたと申し上げました。それが、私が帰ってきた時にも続いていましたので、そろそろ変えようよという提案をしまして、1次試験から面接を入れたらと、配点比率をペーパーと面接と50%、50%の配点比率でやってみたらという提案をしました。しかも、人事を担当するあなたたちが直接人を見て選びなさいという方針をいれました。

稲継 では、面接官としては、各所属の部長さん、次長さんを集めるというよりもむしろ職員課の若手職員が面接官になって面接をするということですね。

伊藤 そうですね。それを1次試験に設定して、ペーパーと人物の両方をそこで評価しようよということですね。

稲継 試験制度を変更されてからの新規採用者がすでに入庁されています。実際にどうですか。

伊藤 採用された職員を見ると、コミュニケーションスキルが非常に高いメンバーが集まったという気がします。市民の前に出してもきちんと説明できているようです。

稲継 やはりそれは、人物重視で1次試験から、それができない人ははねているといういい面の現れですね。

伊藤 ペーパーがある程度低くても、コミュニケーション能力が高ければ、配点比率によって逆転できるんですよね。

稲継 多くの自治体では、どちらかというと、所属の課長さん、部長さんを集めて試験官にして、人を評価するプロでもない彼らに大きな点数を持たせているという面接が多いですね。けれど、山口市の場合は1次でコミュニケーションスキルを見る職員課の若手の職員の方が、割と大きな権限を持って面接をしておられるということが大きな特徴ではありますね。

伊藤 人事担当者が、その場を通じて自らの研修をしているようなものですから、自らのスキルを磨いているというようなことですね。それに、自分が選んだ人ならば、しっかり面倒を見ようという責任感もでるでしょうし。


 次号に続く